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僕がキノコを食べた日  作者: Eco-d
樹編 こんにちわのげぇむ
1/8

思い返せば

 高校生になった今だから言えることだが、人生を刺激的に過ごすために必要なものは、無謀な挑戦でも、嘘をつくことでもない。『経験』することである。


 これは完全に持論でしかないが、そう間違ってはいないはずだ。しかし人によっては経験ほど退屈なことはなく、初めてほど楽しいものはないと感じる人もいるらしい。


 確かにそれも間違いではない。慣れによる単調化という現象は、恐らく神が作り出した、文明の停滞を防ぐためのシステムだからだ。それに逆らうことができる人間は、その行為に何らかの楽しみを見出しているか、ただの見えっ張りだ。


 ここで言う経験とは、新たな『発見』だと言い換えてもいい。

 初めての時よりも余裕や知識を持っていたりすると、以前とは違う視点を持つことができるようになる。つまり同じ行為を幾度となく繰り返すと、その度に新しい感情を抱くことができるのだ。


 別にこれは特別でも、珍しいことでもない。全ての人がとは言わないが、多分大多数の人が体験をしたことだろう。


 例えば生まれて初めてプレイしたテレビゲームの高揚感は今でもよく覚えているし、扉の隙間や家具の陰にできた暗闇の、得体の知れない恐怖感は今でも鮮明に思い出すことができる。


 ただ様々なソフトをプレイして、世の中の現象をある程度理解した今では、あの時手にした高揚感は滅多なことでは得られそうにないし、小さな暗闇に怯えることもない。


 そう言うとそれはとてもつまらなそうに聞こえるし、だったら初めてほど面白いものはないのではないのかと言いたくなるが、実はそうでもない。

 確かに二回目は、一回目の時よりも驚きは少ないかもしれない、興奮も足りないかもしれない。

 不満足か? だが、それでいい。


 なにも同じ感情を抱く必要はない。驚かない自分に驚くのも、結果を知った上で過程を楽しむことも重要なのだから。


 自分の感覚に限った話ではなく、さらには友人や恋愛にも大きく関係している。見た目のせいで怖い人だと感じても、話してみると意外と面白いやつだったり。目つきの影響で苛烈そうな性格だと思っても、接してみると思いやりにあふれた心優しい女の子だったり。


 そしてそれは、恐らく『キミ』にも言えることなんだろう。ある日嵐のように現れて、今では当たり前のように隣にいる。


 白い頭をつんつんに尖らせた『キミ』は、自分のことをキノコの妖精だと名乗った。そのことをすぐに信じたのかと聞かれたら、そりゃ始めは馬鹿馬鹿しいと思ったさ。なにせあまりにも非日常すぎるからね。


 格好いい人を見たら率直に格好いいと感じるように、『キミ』のその姿、格好を見た時はただ漠然と思っただけだった。


 だけどしばらく一緒に過ごしてみて、『キミ』が何を好きで、何を嫌いで。何をしたら喜んで、何をされたら怒るのか。

 それらをよく理解した今だからこそ、最初に『キミ』を見てこう思ったことはとても許されないことなんだとわかる。


 それでも誰にだってあることだろう? だから許してくれだなんて図々しいことは言わないが、『キミ』とより深い仲になるために一言だけ謝らせてほしい。


 ――初めて会った時、カビのお化けだなんて思って本当にごめん。

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