#6 絶望に染まるデスブリッヂの上で
イラが目覚めたとき、そこはすでに橋の上・・・すなわち、戦場だった。
ただし、一帯は静寂が滞っていて、イラが不意打ちを喰らうことはなかった。
「・・・霧、すごいな・・・」
ひしゃげた車の間を通り、イラは四つん這いで進むことを決めた。
すぐに地面に手を置いた。
「ッ・・・!!」
すかさず彼は自分の右手を確認した。
小指はしっかりとあり、動作もあった。
「クッソ・・・」
ホワイトボディーの内で苦虫を噛み潰したように顔を歪め、彼はおもむろに進み始めた。
"音"のする方へと進んでいった。
装甲同士が削れる音。
修学社時代に聞き覚えのある音だった。イラは、教官から「パンチ力は悪くない。お前の武器だ」と誉められたことが嬉しく、よく足下が疎かになり、相手からのローキックを貰っていた。
そんな思い出が、その音に詰まっていた。
ただし。
「誰かが、闘ってんだ・・・」
その状況では、思い出に浸るような余裕はなかった。最前線という恐怖。戦慄し、小刻みに震える体。進みたくない、そんな甘い感情は通用しない。
イラは、霧が立ちこめる橋を見渡した。
いわゆる大吊り橋というもので、ウラノスにも似たものがあったがために、イラは何処となく懐かしい感じを覚えていた。
「ギャァッッ!!!」
その声にイラは全身を強ばらせ、ただちに身を伏せた。
甲高い、女性の悲鳴。
「誰の、声・・・だ・・・?」
イラは最悪の状況を思い浮かべていた。
「ッ!!」
身を伏せ、レーダーを確認した。
紫色の点は3つ。しかしバラバラで、動く気配もない。
「あれ?敵が居ないぞ」
レーダーを確認するが、イラの現在地点を指し示す場所以外、赤い点はない。
「・・・」
ある恐怖が、彼の心を揺さぶった。
"気づく"という恐怖だった。
「・・・赤い点は・・・俺の居場所を・・・指してるものなのか・・・?」
考えた末、一つの結論に行き着く。
イラは、慎重に頭を起こした。
否、恐怖に支配されたが故の臆病だった。
「う、うわぁあああああッッ!!!!」
身長、2メーターはあるか。
厚みのある装甲と、その隙間から見える人工筋肉。細かい繊維が、その関節部の柔軟さを物語る。
異質なのは、その背中。
まるで、人間の巨大な手が、親指の先端から、背中とドッキングしているようだった。
翼というには、あまりにも歪みすぎていた。
イラの全身は硬直し、自然なリズムの呼吸は終わりを告げた。
呼吸の仕方さえ忘れてしまったのだ。
その2メーターの巨人が彼の真上に立っていたのだ。
単純な恐怖に他ならない。
(吸って…吐いて…吸って…)
「僕の名前は花川幸次郎。その・・・、全て話します」
その具現装甲機は両腕を大きく広げ、天を仰ぎ見るような姿勢で言葉を始めた。
「僕は何というかその、熟女が好きなんです。40代後半が特に。完熟した体にかぶりつくのが好きなんです。骨の髄までシャブりつくし、愛したいんです・・・」
イラの思考がフリーズしたことを気にも止めず、彼は語り続けた。
「好きなアーティストは居ませんが、アップテンポ系の曲が好きです。今、テンポって言葉から連想して、チ○ポと想像してしまいました。すいません、下衆で。好きな料理は、海鮮サラダに和風ドレッシングをドップリかけたヤツです。エビとホタテを口の中で転がすと至福です。性感帯は脇です。最近はストッキングで・・・って、聞いてます?」
「な、何だ、いきなり・・・ずっと何喋ってんだ?」
「通じないんでしょうねェ。だがしかし、僕は自分の持つ"隠し事"は吐いたんだ。それってぇ・・・・・・何て清々しい!!正直者になったというだけで、すごく幸せだ・・・。他人を欺いてたり、本音を包み隠すこともない・・・あはあああァァァァァァん・・・・・・」
その具現装甲機は、遠くを指さした。
「包み"隠さず"申し上げますと、向こうに3人、貴方の仲間がいらっしゃいます。彼らは仲間の危機に、すかさず駆けつけてきました。なかなか悪くありません。仲間想いな人間は、決して悪い人間ではないと、そう思っています。だから僕は、『あなた方は半殺しにします』と約束しました。その約束通りですよ。"嘘"も、僕、つかないので・・・」
男は、イラに対し、「しかし」と続けた。
「君は違いますね。怯えてきっている。大方、『命令されて』来たんでしょう?己の意志ではないのでしょう?それはいただけない。その行動に、君の覚悟が伴っていないんですよ」
「さっきから…何…を…」
「僕。"嘘"はつきません。最初に僕に攻撃を仕掛けた男、・・・味方をもほっぽりなげて、エゴの塊のような戦いを見せた、あの男は『始末』しました。強い覚悟が、ありませんでした。また、最初の男は戦線を離脱しようとしました。味方を置いて。それってぇ・・・なんて、醜い。あの叫ぶだけの女も、・・・ホフりました」
歪んだ翼が、ゆっくりと広がっていく。
「『君を殺します』。意志を持たぬ、ただ格闘するしか能のない者
は、僕がホフる」
イラは殺気を捉えた。
背を向け、退路を急げば、敵は迷わず自分を殺す。
そう判断したイラに、もはや他の選択の余地はなかった。
「この僕の具現装甲機、『ナーガ』が、君を殺しましょう」
「具現装甲機、『アサルトヘッド』起動ッッ!!!」
翼が地面を叩きつけると同時に、そこから霧が発生した。
漆黒の装甲を身に纏ってゆくイラの周囲を、霧が覆っていった。
*
斬撃。
アーサーの繰り出す攻撃は、回避されながらも、その異質な動きによって、僅かながらにダメージを与えていた。
「速いッ!!隙もないッ!勅使河原さんの言うとおり、全く寄せ付けないッ!!」
ヴァルカンはブレードが過ぎ去るほんの微かな隙を逃さず、拳を放つ。
しかし、レックスの鮮やかな身のこなしは、それを物ともしない。最短の動きで拳をかわし、さらにその手首を掴んで、大きく引き込む。
彼我の距離は、格段に詰まった。
「やッべ・・・!!」
ブレードに備えた腕のガードは、ヴァルカンの予想とは斜め上を行く、"蹴り"によって崩された。
レックスの柔らかな股関節が開き、ヴァルカンの前腕と顎を蹴り上げた。
「ゴぶッ!!」
引き込まれた方向のベクトルも相まって、ヴァルカンは多大なダメージを受けた。
仰向けに倒れ、呻きつつも、彼は手首から露出したバレルをレックスへ向けた。
そのタイミングを待ちかまえていたレックスは、アーサーによってそのバレルを切断することに成功した。
攻撃手段を失ったヴァルカンを、彼は静かに見下ろした。
「弱者」
そう言い残し、レックスはヴァルカンに対し背を向けた。
「なッ・・・待て、待てよ!!宇宙人!!何で留めを刺さねえ!この、おい!!」
立ち上がったはいいものの、足下がおぼつかず、右手を地面につけ三本足で立つ姿は、ヴァルカンにとっては惨めに映ってならない。
レックスは半身をヴァルカンに向け、「ふぅ」とため息を吐いた。
「不思議だな。コイツが何を言っているかが分かる気がする。『どうして留めを刺さないのか』と・・・、そうであれば答えてやる。お前は、不意打ちや軟弱なストライクなど、戦いに不慣れで、まるで赤子の手を捻るようなものだと思ったんだ。罪悪感すら覚えた。お前を殺せば、どうも胸くそ悪そうだった。それだけだ。もう具現装甲機は使うな」
「テメーッ!!待てって言ってんだろ!!クソ!!オイ!!」
レックスは後方からの銃撃に、"微量の意識"を向けたまま、公園を後にした。
「隊長、ドルヒンの状況は」
《理由は不明だが、交戦中、敵の具現装甲機が消滅した。大方、内部バッテリーが切れたと思われる》
カイネンは通信を切ることなく、リィードに訊いた。
「どうして、敵は具現装甲機を使っているんですか?」
《私にも分からない。現在調査中だ》
「分からない?そもそも、"具現装甲機による攻撃"を想定していなければ、防衛庁のストライカーを起用する理由もないんじゃないですか?」
《・・・》
「断言しよう。お前は、知っていた。敵が具現装甲機を使うことを知っていた」
リィードは言葉を返した。
《妙な憶測は止めたまえ。現にそうだとしたら、このレーダーだって、初日から準備できていた。『難民』たちの命がかかっているんだからな》
カイネンは一度唾を飲み、喉を潤してから言った。
「仮に・・・その『難民』に関する計画も、表向きなものに過ぎないとしたら?」
《・・・》
通信は一方的に切られた。
「馬鹿か。黙りは肯定だ、リィード」
*
ルナこと具現装甲機『ファントム』は微かにある体力を頼りに、その身を起こした。
「うわわ・・・アラームうるさぁ・・・」
具現装甲機の左腕は潰れ、胴には大穴が開き、内部のメカが露出していた。
「バッテリー死んでたら、オシマイだったなぁ~」
オシマイオシマイ、と呟きながら、彼女は横転したトラックを乗り上げ、周囲を確認した。
ファントムはスキャンモードを起動し、二つの光る影を見つけた。
「あっ!」
彼女の肉眼が捉えたのは、白い影と、黒い影。
「ホワイトボディーが一体と・・・もう一体は、"敵"」
ファントムは重たい身を引きずりながら、その影へと迫っていった。
その道中、橋の歩道側で倒れていたオーランこと具現装甲機『ライノ』を見つけ、「もしもし~」と応答を呼びかけた。
「グッ・・・」
「うわ、中央処理装置もイッてるみたい・・・早くしないと、死んじゃうね・・・」
ファントムはライノを抱えると、ホワイトボディーの元へと進んでいった。
「ところで、・・・なんであのホワイトボディーは、具現装甲機を使わないんだろ・・・?」
刹那、ゴォンという鈍い音がした。
「何何?」
橋の欄干である鉄の手すりに全身を打ちつけたホワイトボディーが、「うぅ」と小さく呻いた。
「ちょ、何やってんのぉ・・・」
彼女の体が制止した。敵を捉えたのだ。漂う霧は、彼女の周囲を取り囲んでいく。
巨大で、異形で、あまりにもユニークな翼を持った具現装甲機が、霧の中から姿を現した。
霧が、具現装甲機ナーガへと姿を変えたのだった。
「ああ、気がついたんですね。良かったです。早く戦闘を終えなければ、そちらの方が危ないんでしょう?先ほど、半殺しとは申したものの、手加減ができず、三分の二殺しになってしまったと、深く反省しております。しかし、あなた方は生かします。約束しましたからね。早く、この者を殺し、戦闘を終えましょう。手伝ってくれるのでしたら、助かりますが・・・」
ファントムは、その男が、どれだけ奇妙かを理解した。
「言葉分からないってのに、ツラヅラと言いたいこと言っちゃってさ・・・きんもー」
ファントムはライノを降ろすと、ナーガへと歩み寄っていった。
「おや?何か用でも?止めてください。来ないでください。殺してしまいます」
「死ねよ、エイリアン」
ナーガは、ファントムから放たれる覇気を感じていた。
「あのですね、あな…」
そして、彼がまた何かを言おうとした時、"既に"、"ファントムの攻撃"は始まっていた。
ファントムのアビリタ『ミラージュ・フロスト』。その特性故、"攻撃"は"ナーガの背後"から始まった。
「おっと」
ナーガはその攻撃をかわし、その姿を確認した。
「おやおや、"もう一体"、具現装甲機が・・・む」
華奢な体格。見え隠れする、柔軟性の高い人工筋肉。
その具現装甲機の姿は、ルナが繰る『ファントム』とうり二つだった。
「あたしのアビリタは、もう一つのあたしを創り出すこと」
ナーガはもう一体のファントムからの攻撃をかわしながら、オリジナルへの攻撃のチャンスを窺った。
「?」
最も、オリジナルのファントムは、すでにその場から離れていたのだが。
ファントムは抱えあげたホワイトボディーとライノを降ろし、大きくため息を吐いた。
「馬鹿一人スポ~~~ン・・・、何やってんのー?」
ホワイトボディーの男は身を起こし、「分からない」と言った。
「は?」
「具現装甲機が・・・起動しない・・・。いや、するんだ。それでも、3秒ぐらいだった・・・。すぐに、この体になったんだ・・・」
「何それ、何かの不具合ー?」
「だから分かんねえんだ!!どうすりゃいいんだ・・・」
ファントムはしばらく思考すると、ホワイトボディーの肩に手を乗せた。不安定な体を起こすためでもあったのか、その手には大きく重心がかかっていた。
「名前は?君の」
「・・・イラだ・・・」
「ちゃんと聞いてねイラっち~。今から、あの具現装甲機に攻撃を仕掛ける。アタシのアビリタの『ミラージュ・フロスト』で、ね」
「ど、どうするんだよ。それで、倒せるのかよ」
「無理。アイツ、強すぎ。カイネンとレイルが居ればどうにかなるかもだけど、アタシ等じゃまずヤツには勝てない」
「そんな・・・」
「だから、この先に居る、難民を連れて、逃げて。ダッチが連れてた難民たち」
イラには、理解できた。
彼女は、生きることを諦めたのだ。
「何で・・・」
「ん~」
「そう簡単に、何で割り切れるんだ・・・。難民が、そんなに大事なのか?アイツ等置いて、逃げたっていいだろ!?もう格好いいことなんて言ってられるかよ、なりふり構ってられるかよ!!」
「へっへっへ・・・。そう言ってくれるなよ、少年・・・」
ファントムは続けた。
「アタシの家族が居た」
「・・・え?」
「だから引きさがれない。人間性すらも犠牲にできる」
「・・・そん、な・・・」
「じゃ、行ってくるね~。生まれたばっかの弟も居るんだから、ヘマしないでよね~!ヨロシクヨロシク~」
よいしょと声を上げ、華奢な具現装甲機は立ち上がった。
イラの瞳にその姿が、どうしようもなく凛々しく映った。
家族のために、命を捧げる人。その姿に、イラは突き動かされずにはいられなかった。
「待って」
「?」
イラもまた同様に立ち上がった。
「もう一回、試してみる。それで出来たら、俺も行く」
「だから、君は難民の・・・」
「アイツをブッ殺す。攻撃は、最大の防御だ」
そう言うと、イラは神経を研ぎ澄ませた。
修学社時代の感覚を思いだし、それを詳細な言葉にコンバートさせる。
「肩の力は抜け。余計なことは考えるな。自分に自信を持て。戦いを誇りに思え。楽しめ。愉悦を覚えろ・・・」
そして、大きく息を吸い込んだ。
次の呼気に、全ての想いを乗せた。
「具現装甲機・・・、『アサルトヘッド』・・・再起動ッッ!!!」
その身が漆黒に塗りつぶされていく。
金属を思わせる光沢が眩しく光る。
凹凸が形成されていく。ケーブルの束のような人工筋肉が全身を駆け巡っていく。
やがて牙が形成され、肉食獣をモチーフにしたようなフェイスアーマーが形を整えた。
「やったッ!どうだこれで・・・」
崩壊。
肩に小さく生じた亀裂は、1秒も立たぬうちに全身を駆け巡り、装甲を粉々に破砕した。
そして、最後にまた、情けないほど白い身が残った。
「・・・あ」
「難民たちを、頼んだよ~。他の誰でもない、君にしか、できないことなんだから」
その場には、イラだけが取り残され、空しいほどの静寂が漂った。
地面に転がる装甲の破片を拾い上げようと、イラはその装甲に触れた。すると、土くれのように脆く崩れ、風に乗って、何処かへと消え入ってしまった。
「はは・・・」
イラは、
しかし。
絶望は、していなかった。
一つ、確かな事実を抱いたまま、瞳のうちを燦然と輝かせていた。
「今、・・・確かに、"30秒"は、あったな」
ただし、ルナとの約束がため、やむを得ず、彼は難民たちの方へと走り出した。