擦れ違い
すこし展開をいじりました。前の話の後半部からごっそり変えてますので、そちらから見て頂ければと思います。よろしくお願いします。
視界に映る紅き揺らめき。それは全てを燃やす紅蓮の劫火。その炎に身を包まれながら、しかし熱さは感じず、恐怖も無い。それどころか、あるのは心地よい暖かさ。まるで母の腕の中にいるかのようなぬくもり。そう、この炎は己の一部……。
母に抱かれることなく、父に恨まれ殺された男が持っていた、愛すべき……そして憎むべき炎…………
◇ ◇ ◇
ぼんやりと見上げると、そこにあるのは見慣れぬ天井。電灯も無く、剥き出しの木の板が静かに一心を見下ろしていた。
「朝か…………」
電気も時計も無く、時刻を図る術は日の高さのみ。その日の光が開け放たれた木窓から差し込み、一心へと夜が明けたことを教えてくれた。
「なんだかな……夢見てたのは覚えてるんだけど……」
起きだし、ぐっと背伸びをしながら、目が覚める直前の微睡の中でみた夢を思い浮かべようとする。しかし――
「駄目だ……なんも思い出せん」
起きた後、夢を見ていたことは覚えているのだが、その内容がさっぱり思い出せない。そんなむず痒い思いを、一心はここ数日間味わい続けていた。
「んまぁ、気にしても仕方ないよな。どうせ夢だし……」
何か意味があるのならそのうち分かるだろうと思考を切り替える。今の彼には、そんな事よりしなければならないことがたくさんあった。
「おはようございます」
そんな挨拶をご近所さんと交わしながら、井戸へと向かう。井戸に着けば、そこにも先客が数人おり、その人たちとも挨拶を交わしつつ、水を汲む。
「そろそろ慣れたかい? ここでの暮らしは」
「まぁ、ぼちぼちです」
持参した紐付きの桶を井戸に垂らし手繰り寄せながら、話し掛けてきた女性へと言葉を返す。
「何か困ったことがあったら言いなよ?」
「ありがとうございます」
そんな感じで隣人と良好な関係を築きつつ、汲んだ水で手と顔を洗い、また新たに水を汲む。そして汲んだ水を持って一心は家へと戻った。これは、ここ数日繰り返される一心の朝の日課である。
リュクスの一件から5日、一心が異世界に来てから9日。あの一件以来、ルウェル達と一心との間では、ギクシャクした雰囲気が漂っていた。そんな雰囲気に堪え切れなくなった一心は、村の一角にあった空き家を借り、そこで暮らし始めていた。
「水汲んできたよ」
「ん、ありがとう。次は火」
「了解」
一心が家へと戻ると、先に起き出していた少女が厨房で一心を待っていた。彼女は既に身支度を整えており、標準装備のメイド服をその身にまとい、朝食に使う食材を切り分けている。
彼女は一心がルウェルの下に居た時に付けられたメイド、ハルだった。一心が一人で暮らし始める際、身の回りの世話にと付けられたのだ。
最初は断ろうかとも考えた一心だったが、自分がこの世界について知らないことが多く、また突然一人で暮らし始めたところで出来ない事の方が多いだろうと受け入れた。
実際、水の汲み方から火の起こし方まで、一心は一々ハルに教えられなければ何も出来なかった。
「ハルさん、今日の朝食は?」
「肉」
「あ、やっぱり?」
彼女は猫の獣人で、それが関係しているのかどうかは定かではないが、食事の肉率が極端に高い。一心も一応日本では一通りの自炊が出来たのだが、調味料の違いと、調理道具の違いから、料理に関してはまだ手が出せないでいた。結果……
「たまには肉以外の食べない? 例えば野菜とかさ」
「却下」
こうして一心のささやかな抵抗? 虚しく、今日も朝から肉たっぷりの重い朝食が始まるのだった。
「メイド長、手治ったって」
「っ――そうですか。それは良かったです」
朝食の席で唐突にもたらされた情報。一心が危うく殺されかけた一件の原因ともいえる人物、リュクスの話。内心の動揺を押し隠しながら、一心は食事を続ける。
「複雑?」
そんな一心の内心を知って知らずか、ハルはそんな言葉と共に首をかしげた。
「それは、まぁ……。危うく殺されかけた訳ですし。ハルさんのおかげで免れましたけど……」
あの時、呼び出されたハルが一心の無実を主張してくれたおかげで一心は事無きを得た。
そんな彼女とだからこそ、一心は今こうして普通に暮らしていられるのかもしれない。もしこれがリュクスや、他のメイドを付けられていたら、一心はどう考えても心穏やかには暮らせなかっただろう。
(まぁ、こうして偶に心を脅かしてくれるんだが……)
暮らしてみて驚いたのだが、彼女はとにかく言葉が少ない。必要なことしかしゃべらないといってもいいだろう。逆に言うと、必要なことなら喋ってくれるし、必要な時にも言葉が増える。実際、ルウェルの所に居た時は、他のメイド同様に丁寧な口調で普通に接していた。
「まだ怒ってる? 腹立たしい?」
これはリュクスに対して聞いているのだろうなと主語を推測しながら、一心は一瞬考え、正直に答える。
「怒ってる訳では無いです。あの人の手は、実際俺の為に怪我した訳なので……それは分かってます……たぶん。ただ複雑な気分ってだけですよ」
殺されかけた。剣を突きつけられた。エルクに殴られた。ここら辺は確かに腹立たしいし、エルクに対しては怒りしか沸いてこない。
しかしそれらの事をいったん置いておくと、一心の要望に応えて、リュクスは己の手を犠牲にしてまで使う物全てを消毒し、気を使ってくれたということになる。彼女のおかげで、一心は苦しむ期間が3日ほどで済んだとも言えるのだ。
「それを考えると……感謝した方がいいんでしょうが……」
さすがにそこまでは大人になりきれないと一心は自嘲気味に笑う。
「そう」
ハルは興味なさげにそれだけ答えると、後は自分の食事に没頭する。興味ないなら聞かなければいいのにと、一心も内心で思ったが、口には出さずそのまま食事を続けるのだった……
◇ ◇ ◇
「といった様子で、既に怒ってはいないとのことでした」
「そう……それは良かったわ」
その日の夕方、ルウェルの暮らす屋敷で彼女を前に直立不動で立つハルの姿があった。
「それで、彼は今日どうしてましたか?」
「はい、朝食後から昼食までの間は私と共に国の事や歴史、一般的なマナーに道具の使い方など、この世界で生きる為の術を学んでおりました。そして昼食後は軽く体を動かした後、例の物の制作を」
「例の物というと、"かっしゃ"なる異世界の道具ですね?」
「はい、その通りでございます」
聞かれるままに一心の一日の行いを報告するハル。彼に付けられたとはいえ、ハルは元々ルウェルのメイドだ。主の知りたいことを伝えることに何のためらいもない。この世界にはプライバシーなどという言葉は無いのだ。
「はたして何に使う道具なのでしょうか……」
「それは分かりかねます。彼は使い道までは教えてくれませんでしたので」
半ば独り言として呟かれたルウェルの言葉だったが、ハルはそれにも律儀に答える。
「分かりました。あまり長くいても怪しまれるでしょう。今日はここまでにします」
「かしこまりました。それでは厨房に寄った後、監視任務に戻ります」
「よろしくお願いします」
食料の調達と言って出てきたハルを、あまり長く引き止める訳にもいかなかったルウェルは、頃合いを見て彼女を開放する。そしてハルが一礼してルウェルの部屋を出ていくと、椅子の背もたれに体を預け、深い溜息を吐いた。
「ままならないものですね……何もかもが思い通りにはいかない」
一心を取り込むつもりが、逆に距離を置かれ、その他にも問題が山積み。彼女でなくてもため息の一つや二つ吐きたくなるだろう。
「姉上……」
王都で自分以上に様々な問題を抱えているであろう姉を思い浮かべながら、ルウェルは立ち上がり、彼女もまた部屋を後にする。
一方その頃、自分の行動や発言が逐一報告されているなどとは露程も思っていない一心は、一つの試作品を前に唸っていた。
「摩擦がでかすぎる……これじゃあんまり意味ないよな……寧ろかえって負担になったりして……」
彼が前にしているのは、借りた家にあった工具で作った滑車の試作品3号だった。彼はそれで釣瓶を作ろうとしていたのだ。
しかし満足な道具も無く、その上もともとが日曜大工レベルの工作技術しか持たない一心。井戸の水汲みを楽にする方法として釣瓶の制作を思いついたまでは良かったのだが、それを形にすることが出来ずに悪戦苦闘していた。
ではなぜ彼はそのような物を作ろうとしたのか。それはここ数日の間に彼が感じた不便さにあった。
一心は、一度生水で痛い目にあっている事もあり、ここで暮らすようになった後も自分が口にする水、食事は全て一度火を通した物を使用している。
しかしそうなると、その都度火を起こし、水を汲みと非常に負担が大きかった。早い話が面倒くさかったのである。
そこでそれらの負担を減らせないかと考え、まず思いついたのが井戸の水汲みを楽にするための釣瓶制作だったのだ。
「けれど現状はあまり上手くいっていないと……誰かを頼るかな」
内心で行われた思考を口に出しながら打開策を考える一心。しかしそう考えた所で、頼れる人物として思い浮かぶのはルウェルぐらいだった。
近所付き合いもそれなりにあり、幾らか会話を交わす人も出来たのだが、頼り頼られる関係までは程遠い。如何せんまだ5日なのだ。
(改めて考えてみると……俺頼れる人少ないな…………)
少しだけ寂しく、不安な気持ちになる。
(ルウェルは……部屋を用意してくれて、助けてくれて、ハルを付けてくれた。ハルは色々教えてくれて、世話もしてくれる…………やばい、俺が悪いような気がしてきた)
怒りという感情は、あまり長く続かない。そして一心が、ルウェルのところにいた時にメイドたちがしてくれていた苦労(水汲みや洗濯)を知った今、怒りのフィルターが無くなれば、一心に残ったのは後悔と申し訳なさだけだった。
「昼間はハルに複雑な気持ちーなんて言ったけど……実際はばつが悪くて謝れないだけだよな……」
子供かよ。と自嘲気味に笑う一心。
「さて……どうすっかな」
「何をです?」
「うおっ!?」
独り言のつもりで呟いていたら、背後からハルの声が返ってきた。ちょうど一心の作業する部屋へと彼女が入ってきたところだった。
「い、何時からそこに?」
「今ですが? それより食材を分けてきてもらいました。夕食にします」
それだけ告げると、用件は終わったとばかりに部屋を後にするハル。一心も慌てて道具類を片づけてその後に続く。料理するのはハルだが、水を汲んだり火を起こすのは一心の仕事なのだ。
こうして夕食となり、電気が無いこの世界では日暮れとともに就寝となる。一心もまた、もやもやしたものを胸に抱えながら食事を終え、眠りに就く。
結局、一心は謝るきっかけを探しつつもその切っ掛けを掴めず、ルウェルもまた一心のことを気に掛けながらも手を出せない。そんな擦れ違いが、その後も数日間続くのだった……
一心は実は寂しがり屋です。
次回ですが、展開を変えた関係上少しお時間を頂きたいと思います。木曜日の更新を一回お休みして、12月9日10:00に更新予定です。よろしくお願いします!!