目覚めたら異世界だった
目覚めたら異世界だったという言葉がある。ライトノベルや映画、アニメなどで、異世界ものと呼ばれる分野のお決まりというやつだ。まぁこれは当然の話で、異世界の話なのに異世界で目ざめなかったらそもそも異世界ものではないという訳で……。
で、なにが言いたいかというと、私こと神崎一心はどうやらそのお決まりというやつをやってしまったらしい。もっと具体的に述べると、今現在何がどうなったかは分からないが、異世界に居るようだということだ。
普通ならここで「そんな馬鹿な!」とか、「そんな非科学的な話が……」とか、「いや現にこうして猫耳が……」などと、ここが異世界かどうかの検証が主人公の脳裏で行われるはずなのだが、あいにくとそれは行われていない。
何故だか知らないが分かるのだ。空気や周りに居る人たちや、その他の何かから、ここが異世界だと。
心がそう感じているとでもいうべきか。何とも非常に変な感覚だが、既にここが異世界だと受け入れてしまっている。
ついでに言葉が通じないというイベントも起きないらしい。耳に入る言葉の響きは明らかに日本語でも英語でもないのに、周りの話している言葉が何故か理解できてしまった。
――と、ここまで一心が状況を理解するのにかかったの時間はほんのわずかだった。厳密に述べるならば、目が覚めて、周りを見回した時にはここが異世界だと理解し、周りが言葉を発した時にはそれが分かる事に気付いた。
しかしそれ以外の事はほとんど分からない。例えば、なぜ自分は武装した者達に囲まれているのかとか、なぜ剣を喉元に突き付けられているのかとか。それでもって、なぜ警戒心むき出しの眼差しに晒されているのかとか……
「ええと……こんにちは?」
黙っていても仕方がないので、とりあえず挨拶を述べてみる。ついでに自分の言葉が相手に通じるかどうかの確認にもなった。喉元の剣がずぶりと来ないかが不安だったが、どうやら問答無用で殺すつもりは無いらしく、声が返ってきた。
「お前は誰だ? どうやってここまで来た」
声を返したのは若い男だった。見た目は人間のそれだが、唇には牙が覗き瞳は赤い。見つめるられるだけで心の芯からが震えだしそうな威圧感を発しており、お世辞にも友好的とは言えなかった。
「ええと、俺の名前は神崎いっ――」
一心です。と言おうとして、喉の奥がひきつった。突然背筋を悪寒が襲う。
(神崎一心……神崎一心のはずだ。ちゃんと生まれてからの記憶もある。妹弟の事も、両親の事も覚えている……でも)
――本当にそうか?
そんな言葉が脳裏をよぎる。馬鹿な、と思う。しかし同時に、突如日本での日本人としての生活が色あせていった。過去の記憶が色を失い、まるでテレビか何かで見た光景のように現実感が剥がれ落ちてゆく……。
次第に知らないはずの景色、風景、人、物が浮かび始め、それらがまるで経験した事のように強い現実感を伴って流れ込んできた。
気付くと一心は頭を押さえ、叫び声をあげていた。次から次に流れ込んでくる情報に一心の脳が悲鳴を上げているのだ。
物理的な痛さは無い。しかし頭の中身をかき回されるような不快感と、自分が書き換わるような不安感に苛まれながら、何時しか一心は意識を手放すのだった。
◇◇◇
「おい、姫様を呼んで来い! 大至急だ!!」
一方で、一心が突然苦しみだしたことに、周りを取り囲んでいた者達も戸惑いを隠せなかった。ある者は思わず剣を突き刺そうとし、またある者はそんな隣人を止めに入る。他にも外に出て辺りを警戒する者もいた。
そんな中で、一心に問いを発した男だけが状況をおぼろげながら理解した。そして対策を打つべく姫を呼びに行かせようと声を上げたのだったが……
「まて、何が起こっている? こいつはなぜ急に苦しみだした? それが分からぬのに姫をこの場に呼ぶなど出来るわけなかろう」
その場に居た一人がそれに否を唱える。その落ち着いた声音は、浮き足立った者達を一気に冷静にさせた。
「我らは今、見慣れぬ者が紛れ込んでいたことを調べようとしてるのだ。その取調べ対象が急に苦しみだしたところで――」
「分からないのか! これは降神術に失敗した時の症状だ!」
しかし男の一言で、場の雰囲気は再び浮き足立つ。これには止めに入っていた男も目を剥き、疑いと驚愕の眼差しを一心へと向けた。そしてすぐにそれを口にした男へと向き直る。
「……確かか? 間違いないのか?」
「分からない。それこそ確かなことは姫様にしかわからない。でももしこれが本当に降神術だったならば……」
確かめるように、あるいは己に言い聞かせるかのように問いを発する男。対してそれに答える声は、多分に緊張をはらんだものだった。
その後の動きは素早かった。男自らが姫を呼びに走り、姫を呼べと発した赤眼の男はその場に残る。既に周りは人払いがされ、今この部屋に居るのは一心と赤眼の男だけだった。
なおも苦しみ続ける一心を横目に、姫の到着を今か今かと待ち望む赤眼の男。既に一心は叫ぶのをやめ、荒い呼吸を吐きながら虚ろな目を天井に向けていた。
「エルク!!」
少女が駆け込んできたのは、まさにそんな時だった。少女と呼ぶべきか、それとも女性と呼ぶべきか些か迷う年頃のその少女は、先ほどの男を引き連れて赤眼の男――エルクの隣に立ち、一心を見た瞬間にその表情を変えた。
「これは……そんなまさか」
驚いたのは一瞬。すぐに険しい表情になると男2人に指示を出す。
「私が入ります。エルクは私の体をお願いします。リュークは万が一に備えてください」
「了解。姫様お気をつけて」
「後の事はお任せを」
エルクが先に答え、男――リュークも答えたのを見届けると、少女は腰の剣を引き抜く。その剣は小柄な少女に合わせたように、細く、繊細で美しい直剣だった。その剣を一心に握らせると少女は己の額を一心の額と合わせる。間もなく少女の体から力が抜けた。
「姫様に何かあったら、お前を殺す」
少女が一心に入ったのを見届けると、エルクは気を失ったままの一心に向け、静かにそう呟くのだった。
◇◇◇
一心は何もない、真っ暗な空間でただじっとしていた。どれくらいの時間が流れたのかは分からない。1,2分だったのかもしれないし、もしくは3,4日なのかもしれない。或いは5,6時間かもしれないし、もっとそれこそ年単位で時間が過ぎているのかもしれない。
その間、何をするでもなくただ蹲ってじっとしていた。他に出来ることも無く、何かする気にもならなかった。
ただ漠然と、自分はこのまま無くなるのだなということだけが分かった。しかし分かったところで何も変わらないし、気にもならなかった。
そうこうするうちに、ふと懐かしいような感覚に襲われた。そして一度気になり始めると、後はどうにもそれが気になってしょうがない。一心は久方ぶりに立ち上がると、その懐かしい気配に向けて歩き始めた。
そしてここでもどれくらいの時間が過ぎたか分からなくなるくらい歩いた頃、目の前にぽつりと青い綺麗な輝きが見えた。最初小さかったそれは、歩き続けると次第に大きくなり、やがて青く輝く丸い星となった。
一心はその星で、己と同じように消えかかっている一つの命を見つけた。一人ぼっちだったところも同じだった。
山の山中で、転げ落ちたのかあちらこちらを擦り剥き、右腕は変な方向を向いている。岩にでも打ち付けたのか、顔の左側は真っ青に腫れ上がり、割れたメガネの破片がその瞼に突き刺さっていた。
全身から流れ出る血は明らかに致命傷で、刻一刻と命の灯を消していくのが、この場所でも見受けられた。
「そう、あれがあなたなのですね? そしてここがあなたの居た世界」
唐突に、一心しかいなかった場所にもう一人の存在が現れた。その存在はやがて少女の形となり、一心へと向き直る。15,6歳くらいの美しい少女だった。
顔立ちは西洋人形の如く整い、その髪は蜂蜜のような艶やかな薄茶色。そして話す言葉は耳に心地よく全てが完璧と思える少女だった。
しかし同時に少女は美しすぎた。完璧な美貌は少女に年相応の幼さは残さず、冷たさだけを印象付ける。何処か人を寄せ付けぬ何かを持った少女だった。
「そしてもう一人のあなたは彼を助けようとした」
しかし少女がそう言って微笑んだ途端、先ほどまでの人形のような印象が一転する。現れたのは、年相応の生気あふれる少女の笑顔。
微笑むだけでまるで他人と思わせるような変化に、一心は思わず見とれ、心奪われる。すると、見とれて答えられない一心の代わりのように、彼の意志に反して体が勝手に頷いた。まるで他の誰かが体を動かしたかのように。
「しかしこのままではその体の持ち主はもう間もなく消えてしまうでしょう。もし、あなたがそれを望まないならば、別に魂の入れ物を用意しました。そちらに移ってはもらえませんか?」
少女は祈る様に一心へと尋ねる。しかし尋ねられた一心には意味が分からない。首を傾げようとしたところで、またも体は勝手に動き、頷いて見せる。
「ありがとう、優しいものよ。あなたのお名前は?」
「――――」
「そう――――というのね……」
そのまま一心の意志とは無関係に会話が続き、一心の口から彼以外の者の言葉が流れる。一心はその言葉を理解できないまま、ゆっくりと気を失うのだった。
◇◇◇
目が覚めると、鼻が引っ付きそうな距離に少女の顔があった。
「え、あ、え?」
そんな事態に驚き焦る一心だったが、ふと先程までの光景が蘇る。そして言い知れぬ恐怖が彼を襲った。
「お、俺が死んでた? しかもそれを見てた? 何も感じずに……俺が俺を……?」
夢というにはあまりにもリアルな夢で、しかもその登場人物が今目の前に、それもかなり近くに居る。そんな事態に一心の精神はますます混乱をきたす。
「ん……」
時を置かずして少女の口からも息が漏れ、ゆっくりと瞼が開いた。少女はそのまま起き上がると、一心の手から剣を取り鞘に納める。その時になって初めて一心も剣を手にしていた事に気づくのだったが、混乱していた彼はその事を気にする余裕も無かった。
「御無事ですか?」
見た感じ無事なようだと安堵しつつも、どこか異常がないかを問いかけるエルク。もちろんその問い掛けは彼の姫に向けてだ。対してリュークは未だに一心を警戒していた。それが己の役割だとでもいうかのように。
「大丈夫です。リュークもありがとう」
エルクに微笑み、リュークに声を掛ける少女。そこで初めてリュークが緊張を解く。
「ご無事で何より。それでどうなさいますか?」
少女の無事な姿に彼もまた安堵しつつも、すぐに先を促す。どうするかという言葉には、この青年をどうするか、周りへの説明はどうするか、今後の対応はどうするのかという意味が込められていた。
「ひとまず場所を移しましょう。あなたにも、伝えなければならないことがたくさんあります」
最初の言葉はエルクとリュークに向けて、後の言葉は一心へと向ける少女。その言葉を受けてすぐにエルクとリュークが動く。
「部屋の用意をしてくる」
「では、私は周りの者に警戒を解くように伝えつつ館に向かいます。館で落ち合いましょう」
言うとすぐにその場を後にする二人。エルク、リュークの順で部屋を出ていった。そして後に残された一心と、見知らぬ少女。一心が事態の推移についていけずに呆然としていると、先に少女が口を開いた。
「まずは自己紹介を、私の名はルウェル・フォン・ユズリアル。ユズリアル女王国の第2王女です。先程の2人は私の護衛で、背の高いほうがエルク、もう1人がリュークです」
少女――ルウェルは、そう言いながら一心を部屋から外へと連れ出す。そしてそのまま別の建物まで導いた。外に出た途端に多くの視線を感じたが、先に出たリュークが警戒の必要はないと既に伝えた為か、非友好的な視線は少なかった。
何となく物珍しげな視線が殆どで、関心も無いのか見向きもしない者も幾人か。ただ、一部ではあったが険しい表情を向けてくる男達もいた。どういった素性かはわからないが、その男達は決して一心から目を離さなかった。
「やっぱり正真正銘のお姫様?」
べたな展開だな~などと呑気に構えながら、一心は前を行く少女に続く。先程までの事も未だ気にはなっていたが、考えたところで何かが分かる訳でもなく、そちらの方は思考を放棄している。
「実権も何もない、形だけの姫ですよ」
一方で姫と名乗ったその少女は、一心の言葉に足を止め、そう言って力なく笑った。年齢に似つかわしくない、何かあきらめたようなそんな笑みだ。
(はてさて、ここにどんな問題が待ち構えているのやら……)
少なくとも一心にそう思わせる、そんな年不相応な笑みだった。
その後はしばし無言となり、やがて他より少しだけ大きな建物へと到着する。そこで一心はメイド服を着た少女に迎えられ、そのまま客人のように部屋へと案内された。
「取り敢えず部屋はこの部屋をお使い下さい」
ハルと名乗った、先ほどの少女メイドが一心へと滞在するにあたっての注意事項を述べる。
「ありがとう……ございます?」
何故かいつの間にやらこの館に滞在することになっていた一心。ありがたいのだが、さすがに少し戸惑う。
「ええと、実は状況がさっぱりで……ここが何処なのかも、これからどうすればいいのかも分からずに……」
ついでに、口には出さないが目の前の少女達を信じていいのかというのも疑問だった。
異世界にやってきてしまって、王女と出会う。実にらしい展開だ。ただそのらしい展開の中には、そのまま少女に力を貸して何かを成し遂げるというのもあれば、良いように利用されて異世界の知識だけ奪われるなんてものもある。
そんな一心の戸惑いを知ってか知らずか、少女は微笑みながら先に椅子へと腰を下ろす。その部屋に椅子は一つしかなく、共に部屋へと入ったリュークとエルクは少女の背後に立っていた。まるでそこが定位置だと言わんばかりに……
結局そのまま立っているわけにもいかず、王女の前なのだからと床に膝を付いてみれば、少女は目を真ん丸にして驚き、男2人は顔色ひとつ変えない。いや、エルクという若い背の高いほうの男は何処か満足そうに頷いていた。ならばこの態度が正解かと思いきや、少女は一心を立たせ、腰を下ろすように促す。促した先はベッドだった。
「すみません、この屋敷は私の物では無くて、こんな狭い部屋しか用意できず……。心苦しいのですが、ベッドに腰を下ろして頂ければ……」
という事らしい。確かにベッドに腰を降ろせば、少女と向かい合って座ることも出来る。出来るのだが、果たしてそれでいいのかという疑問が残った。
「あの、王女様? ええと……王女殿下? よろしいのですか?」
日本の一学生だった一心には、王族など雲上の存在以外の何者でもない。適切な態度など知る由もないが、しかし王女との対面がベッドに腰を下ろしてというのはいささか問題があるように思えた。
もしやこれがこの世界の敬意なのか!? とも一瞬考えたが、そんな馬鹿な話があるかと切って捨てる。
結局戸惑いを隠せないままベッドに腰を下ろし、問いかけるような表情を彼女に向ける事しかできなかった。
「王女といっても、先程も申し上げた通りに実権も何もないただの小娘に過ぎません。そんなに固くならなくていいですよ? どうぞルウと呼んでください」
しかし彼女はそう言って微笑むばかり。その微笑にドキリとなりつつも、しかし言われた事をそのまま受け入れるわけにもいかない。
「いえ、そんな恐れ多いいですって」
少しだけ砕けた言葉になってしまったが、そう言うことしかできない一心。彼も一杯一杯なのだ。主にルウェルの背後に佇む2人の男の視線にさらされて。
エルクとリュークの男2人は王女の言葉に口を挟むつもりはないのか、黙って彼女の背後に立ったままだ。しかし口を挟まないからといって不干渉という訳では無く、彼女がルウと呼んで……辺りから一気に眼差しがきつくなった。主にエルクが……。
一方のリュークの方はといえば、まだ無表情のままだったが、それがかえって不気味である。向けられた眼差しからは何を考えているのかが全く読み取れない。
「はは……そ、それではルウ様と……」
結局一心は、乾いた笑みを顔に張り付けながら、そう答える事しかできなかった。
「そ、それはそうと、先ほどの事はいったいなんだったのでしょうか? それに……」
急いで話題を変えようと、気になっていたことを問いかけようとする一心。しかしここで1つ不安が覗く。果たしてどこまで己の事を述べていいのかと。同時に相手は何をどこまで知っているのかと。
「そうですね。さて、どれから話しましょうか……。おそらくですが、私はあなた以上に、今のあなたについて詳しく知っています」
そんな一心の不安を汲み取ったのか、少女は彼自身についてゆっくりと話し始めるのだった……
読んで下さった方、ありがとうございます。
次回は明日の10:00、「一心の都合」です。またよろしくおねがしま~す。