出発
次話です。少し遅くなりました。
「だ、大丈夫?」
「大丈夫……くない」
まるで2日目を再現するかのような光景。
顔色悪く横になる一心と、それを心配そうにしながら見つめるルウェル。場所は一心の馬車の中。出発してから30分、一心は早くも馬車に酔っていた。
「馬に乗れたら楽なんだろうけど……」
同じ馬車に乗っていながらルウェルは全く酔ってはいない。彼女は乗り物に酔わないという、酔う人間にとってはこの上も無く羨ましい体質を持った人物だった。
「もう少しで山を下りられるから……」
ルウェルはそう言って慰めるが、現在進行形で酔いに襲われている人間にとっては何の慰めにもならない。
(あ、甘く見ていた……俺の愚かもの……)
心の内で、楽観視していた先程までの己を呪いながら、一心は額に汗を浮かべながらひたすら耐える。耐えるしかなかった。
(た、耐えろ……耐えるんだ俺。心頭滅却すれば火もまた熱し……あれ、何か違う? あ、やばい、出そう)
女の子2人の前でピーーだけはしたくない一心。男の意地もある。しかし気持ちだけで耐えるのもまた限界だった。
「全くしょうがないの……」
そんな一心を見かねてか、もう一人の同乗者、カグラが立ち上がる。
「本当は慣れた方が良いんじゃがの……」
そう言いながら席を飛び越え、一心の隣へと腰かけた。そして一度一心の体を起こし、やりやすい体勢に変えてから――
「えい」
可愛らしい掛け声と共に、霞むほどの速さで首元へと手刀を叩きこむ。
「ちょ、カグラさま何を?」
慌てるルウェルと、文字通り音も無く崩れ落ちる一心。
「こういうのは寝かせた方が早いし、本人も楽じゃ。とはいえ……おっと、お主も良くこれで酔わんのぉ」
馬車が石でも踏んだのか、飛び上がるように跳ねるカグラ。慌てて一心を抱え込み、落ちたりぶつけたりしないよう用心しながら、座席へと寝かせる。
「一応慣れていますから……」
一方、問われてそう答えるルウェル。彼女は、先代女王である母親が生きていた頃は、彼女と母親、そしてアイリーンの3人でよく遠出をしていた。母が亡くなってからはアイリーンは政務や継承準備、王位争いで王宮に缶詰状態となり、ルウェルも村へと預けられてあまり外出もできなくなった。母が生きていた頃を懐かしく思いながら、それがそんなに昔でないことに思い至る。
「まだ半年しかたっていないのに……」
悲しくない訳ではない。しかし母が既にこの世の人でないことを受け止め、己の中で整理がついていた。
「薄情ものですね……わたしは」
そんな己の在り方を認識し、自嘲気味に笑うルウェル。
「覚悟……が出来ておったのじゃろう。アイリーンも言っていたが、長くはないと、分かっておったのじゃろう?」
「ええ」
そんな彼女を慰める為、カグラはアイリーンから一心と共に聞かされていた話を持ちだす。
ルウェル達の母である先代女王は、年々体が弱っていた。それが先天的な物なのか、それとも何らかの病なのかは分からなかったらしいが、1年と半年ほど前から伏せってほとんど外にも出られない状態だったらしい。つまり、1年間ほどは母の死に備える時間があったということだ。
「あまり考えすぎんことじゃ。特に答えの出ないものはな。それよりも、これからのことを考えた方が健康的だし、生産的じゃな」
「これからのこと……ですか?」
「そうじゃ。人目に付かぬよう、準備は最小限で、しかもこんな時間に出てきたのだ。街に着いたら色々と足りない物を補充せねばならんし、一心の事もある。毎度酔うようじゃと今後の行程に影響が出よう。何か対策を考えるべきではないかの?」
「それは……確かに」
言われて初めてこれからの事へと思いが向くルウェル。特に一心の事は早急に考えねばならない。酔う度に気絶させるわけにもいかないのだ。
「馬車酔い……馬に乗れれば少しは楽になるでしょうか? 後は薬屋に行けば何か薬が――っと、またですか」
再び木の根か石でも踏んだのか、馬車が大きく跳ねる。下手をしたら舌をかみそうなぐらいの揺れだった。
「やけに馬車が揺れますね。改造のせいでしょうか? というか、まさか一心がここまで馬車に弱いとは……」
「30分と持たんかったからのぉ」
カグラの思惑通りに、ルウェルの思考が母親の死からそれたことを感じながら、カグラは再び一心へと目を向ける。
「やれやれ、先は長そうじゃの……」
そもそも何故一心が30分も持たなかったのか。その原因はルウェルの想像通り一心の施した改造と、そしてもう一つ理由があった。
時間は40分ほど遡る。
「街道からあまり離れんようにな。魔獣や盗賊が出ないとも限らん。十分注意してくれ」
と、非常にありがたいが、現実にはなって欲しくないアドバイスを受け、村を出立しようとする一心たち。
時刻は夜明け前。故あって出発のことはリュークなど一部の者しか知らない。ルウェルの関係者以外では、ガンテツが唯一の見送りだった。
「気を付けてな。あと刀の手入れ、忘れるなよ? さんざん苦労したんだからな」
失敗する度に刀を打ってくれたガンテツ。回数が増えてもその品質は決して落ちず、一振り一振りが魂の籠った力作だった。
「ええ。大事にします」
ぽんと刀の柄を叩いて答える。完成した魔刀は今、一心の左腰に下げられていた。
「姫様、お気をつけて」
「ええ、リュークも後を頼みます」
ルウェルへはリュークが声を掛ける。彼も本当ならば付いて行きたいところだが、しかしこの場に残る事が彼の仕事であり役目だった。
「一心。姫様を頼むぞ」
「了解」
だからこそ、同行する一心へとルウェルを託す。己の気持ちを込めて。
そして最後の同行者であるハルの元では、リュクスがあれこれと注意を促していた。
「良いですか、姫様に不自由させてはいけません。それはメイドの恥です」
「ん」
「常に姫様が何を求めているのかを考える事」
「ん」
「姫様が求めるより早く動く事」
「ん」
「後は……」
食事の後には歯を磨く事、朝起きたら洗顔用の水とたらいをまず用意する事など、何処の母親だといった感じの注意を続けるリュクス。
「リュクス。お忍びなのですから多少の不自由は気にしませんよ。ハルもそのつもりでいてくださいね」
「しかし姫様、メイドたる者いかなる状況でも……」
「畏まりました。善処いたします」
さすがに見かねたのかルウェルが声を掛ける。ハルがルウェルに対してだけは丁寧な口調を崩さないのはいつものことだ。
ルウェルとその他できっちりと線引きがされている為、ルウェル至上主義者であるリュクスが何も言わない事も。
「さて、ではそろそろ」
「出発しましょうか」
そんな感じで一通りの別れを済ませ、リューク夫妻とガンテツに見送られながら出発する。配置は馬車内に一心、ルウェル、御者席にハル。
最初の5分間ぐらいは全くもって順調で、一心の改造の成果も現れ、何の問題も無かった。
「うん、割と快適だし……成功かな」
一心自身もまた、その時はそう感じていたし、これなら大丈夫と、昨日リュックから見つけた酔い止め薬をしまう。
この時、念には念を入れてと一心がそれを口にしていたら、その後の展開は多少違ったかもしれない。
ここで、馬車についても一言触れておく。
一心が馬車にどのような改造を施したかというと、まず魔法工学で金属を加工し、バネを制作。そのバネを車軸と車体の間にサスペンションとして搭載し、振動を緩和する。
加えて、元々は唯一の振動緩和のための措置であった、クッション性の高い座席を一度撤去。その内部に小さなバネを設置し、クッション性を高めた。
この2つに加え、車軸、車輪には刀に施した物ほどではないが、形状記憶術式による修復機能、硬化術式による耐久化を施し、外壁や屋根には耐水加工を、更に車体下部や、車体の後方部など、空間に余裕がある所を仕切り、積荷部を設置した。
これにより耐久性、機能性どちらも大幅にアップし、乗り心地も、決して快適とまではいかないが、揺れが気にならない程度には改善された…………………………はずだった。
誤算だったのは、村を出てからしばらくの下り坂。
村は山間部にある。となると当然他の場所へと向かうなら山を下らなければならない。その道は、木の根がはみ出していたり、岩が点在していたりとかなりの悪路であった。
そうなると、一心の設置したサスペンション機能が仇となった。ある程度の揺れや振動は緩和するサスペンション機能だが、一定以上の揺れや振動は、逆に増幅してしまう。
その結果車体は盛大に飛び跳ね上下し、馬車内部はさながらジェットコースターの如く上に下に、果ては右に左にと大いに揺れ動く。
そして………………冒頭へとつながる。
(まぁ、これも良い経験じゃろうて。下手な素人知識は時にかえって状況を悪化させる)
一仕事を終えたカグラが、一心の寝顔を見つめる。その顔は未だ苦悶に満ちた表情だったが、しかしそれでも心なしか顔色が少し良くなってきたように感じた。
「さて、最初の目的地はこの山を下った先にある街だったの? 着いたら起こしてくれ。街で一休みしたら一心も回復するじゃろう」
そう言うと、カグラは一心のそばでごそごそし始める。
「それはいいですが……何を?」
別に一心を起こすのは構わないが、カグラが起こせば済む話ではないのかとルウェル。その間にカグラが何をするのかにも興味があった。しかし、
「言ったじやろ? 起こしてくれと。儂も一眠りする。そんな訳じゃから、おやすみ~」
どうやら、カグラも一緒に休むと言う事だったらしい。さっさと横になってしまった。一心の腕の中で。
(あ、そう言うことですか……)
若干顔色は良くなったものの、未だ苦悶の表情を浮かべる一心と、その腕の中で気持ちよさそうに横になったルウェル。そんな光景を前に、ルウェルは何とも言い難い気持ちにさせられる。
(なんで私には……私だってユズリアルのはずなのに……)
仲睦まじい様子を見せる二人へと向けられた視線。そこには、羨望、渇望、飢餓、そして嫉妬が混じり合っていた。
◇ ◇ ◇
昼過ぎ頃。夜明け前に出発した一行は、山を下り、少し行った所にある街へと到着した。
「大きい街だね……」
少し寝た――気絶したともいう――おかげか、大分調子の良くなってきた一心。街へと入る列に並ぶ馬車の中から街の様子を眺め、感嘆の声を漏らす。
いつの間にか地面は石畳へと変わり、それがそびえ立つ門の向こうまでずっと続いていた。街の規模自体は日本のそれに比べたら遥かに小さいのだが、城門や城壁がぐるりと街を囲む様子は圧倒的で、門に立つ甲冑姿の門番も相まって、一心に中世ヨーロッパの様相を思い起こさせた。
「ユズリハラルという街です。表向き初代様の育った街ということになっています」
「表向き?」
順番が来るまでの間に、ルウェルが幾つか街についての説明をしてくれた。
まず表向きというのは、ユズリアルの出身地である村が王家の直轄で、一般的には秘されている為、この街が一般的にはユズリアルの出身地とされていること。つまりこの街は、夜明け前まで一心達が居た村のカモフラージュであるということだ。
次に、街の主産業が観光業であり、教会勢力の力が強いこと。
そして地理的状況。この街は王都よりやや北寄りにあるということ。より正確には、この街から南に馬で2日ほど行った所に王都があり、そこから更に1日ほど馬を走らせれば、ルウェルの父方の家である、アウグス公爵領へと至る。南のクストー侯爵家へは更に4日ほどだ。逆に北のフォルスト公爵家へは、ここから北に3日ほど北上すれば着く。
「教会勢力って?」
大体の地理を脳裏に浮かべながら気になった単語について質問する一心。
ちなみに馬は一日に100メルテルほど移動できるそうだ。メルテルって? と一心が聞くと、これくらいと両手を広げて教えてくれた。だいたい1メルテルが1メートル弱といったところか。覚えやすくていい。
「教会勢力とは、初代様から続く女王家の血を祭る者達のことです。降神術を神の御業だと伝え、歴代女王の御霊に仕えます」
「女王家の熱狂的な支持者みたいな感じ?」
教会、神の御業という言葉から、狂信者、宗教戦争という単語が連想され、果たしてラノベの読み過ぎだろうかと若干の不安を覚える。しかし――
「いえ、どちらかといえば女王家とは距離を置いてます。神との契約がなされない女王家は神の加護を失った……そんな主張をされていますので。あ、そろそろですよ」
少し話に夢中になってしまっていた一心は、いつの間にか馬車が進み、次が自分たちの番となっていたことに気づく。門番が身元確認の為に近づいて来て、手綱を握るハルと2、3言葉を交わす。そしてそれだけで馬車は街の中へと通された。
「あれ、意外と適当?」
「ハルは買い出しとかで何度も来ていますから。もしかしたら顔見知りだったのかもしれません」
「良いのか? それで……」
一応ルウェルと、己の設定を用意していた一心。それだけに拍子抜けだったが、後ろの馬車を見ると、ちゃんと内部まで調べていた。やはりハルが顔見知りだったということだろうか。
「まぁ、いいや。とりあえず必要な物をそろえて出発しよう。色々と見て回りたいけど、なるだけ急いで移動するというのがアイリーンからの指示だし」
「了解」
そう言うと、一心はハルに近くの駐車馬場に馬車を止めさせ、昼食と数日分の食料、それに薬を求めて、街へと繰り出すのだった。
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