運命の出会い
今のところ週2ペースで更新できたらと考えてます。よろしくお願いしまっす。
霊峰富士に、天孫降臨の地高千穂。山は古来より信仰の対象であった。いや、古来はと言い換えた方が良いかもしれない。工業技術の発展・発達により超高層ビルが建ち並び、鉄の塊が空を飛ぶ現在社会において、山だけが天に近い場所ではなくなった。
しかしそれでも人は山へと足を運ぶ。山にはそれだけの魅力が詰まっているのだから。
瑞々しい木々や澄んだ空気、そして山にしかない珍しい草花。それらが一時都会の喧騒を忘れさせ、複雑に絡み合う人間関係から解き放ち、開放感を与えてくれる。
何時しか山は信仰の対象から、心安らぐレジャーの場へと移り変わった。
しかしその一方で、山はただ穏やかなだけの存在ではなかった。時に厳しく、そして激しく人へとその牙を剥く。雄大な山の息吹に包まれた安心感と、そんな山の厳しさ、人知を超えた脅威に対する畏怖畏敬。あるいはそれこそが、山への信仰の源だったなのかも知れない。
◇◇◇
そんなかつては信仰の対象であったとある山の山中に一人の青年の姿があった。神崎一心という名のこの青年もまた、山に魅了された一人……というといささか大げさかもしれないが、まぁ単なる山好きの大学生であった。
ちょうど大学が夏季休暇中ということもあり、休みを利用しての山めぐり旅行中である。
「うん、甘く見てた。甘く見てたよな俺。後悔先に立たずって言葉を現在進行中で確認中的な? てか体力づくりにちょうどよくね? って3時間前の俺を殴り飛ばしてやりたい」
一人なのをいいことにぶつぶつと愚痴を漏らしながら山の斜面を登る。その背には巨大な登山リュックを背負い、左手には杖代わりの木の棒、右手には先程小川で汲んだ水の入ったペットボトルが握られていた。
背中のリュックは登山に備えての物……という訳では無く、着換えや洗面用具に折りたたみ傘に菓子類。あとは筆記用具とノートにメモ帳と、一見登山に関係しそうで、しかし関係ない物が大量に詰め込まれている。
元々は山に登る前にホテルか駅のロッカーに預けるつもりだった、旅行用の荷物である。
旅先で荷物を預け、カメラや小銭だけを身に付けて山に登り、そして登山を終えるとまた荷物を持って次の場所へ移動する。それが彼の旅行スタイルだった。
しかし今回はホテルで荷物の預かりはしていないと断られ、駅のロッカーは満杯。それならばと預けられそうな場所を探しながら進むうちに、登山口についてしまったという訳だ。早い話が運が悪かった。そして仕方なしに、まぁ、体力づくりになるしいいんじゃね? と安直に考え、行動した結果が先の愚痴につながる。
「やばいな~ だいぶ体力落ちてる……泣ける」
免許取ってからはちょっとした移動も車だったしなーと、受験も含め大学入学後の運動不足を嘆く一心。しかし、重い荷物を背負って3時間以上永遠と山を上り続け、更にあれだけ愚痴を言える時点で、世の一般成人男性を軽く超えるだけの体力は持ち合わせている。
そんな感じでその後も休むことなく上り続ける。やがて辺りは緑が無くなり、岩だけとなった。大小さまざまな大きさの岩の間にはロープが張られ、それを伝いながらよじ登る。最後に一際大きな岩を越えた所で一気に視界が開けた。遮る物のない見渡す限りの絶景。それが360度全てに広がっていた。上り始めてから4時間と30分。遂に頂上へと到着した。
「やべぇ……言葉出ねぇわ」
零れ落ちる汗をぬぐう事もせず、ただ眼前の景色に心奪われる一心。この景色を前にしたらどんな嫌なことでも、そのすべてが小さく些細な事と思える。そんな風に思わせる、雄大な景色がそこには広がっていた。
「泣ける……」
小さく鼻をすする。文字通り涙が頬を伝わった。声も無く、感動に身を任せ佇む一心。そのまましばらくじっとしていたが、おもむろに空を見上げた。本人はそろそろ涙を止めようとしての行動だったのだが……
「はは……泣ける」
苦笑と共に漏れ出た、別の意味での『泣ける』という言葉。見上げた空にはどんよりとした雨雲が広がっていた。
◇◇◇
岩肌を心持ち急ぎ足で下り、木々の生えている所まで一気に下る。天候の変化で陰鬱な暗さを醸し始めた木々の下で、急に冷やりとした肌寒さを覚えた。汗で張り付いた下着が気持ち悪い。
「不愉快です」
アニメの某メガネ少女の口癖を呟きながら、再び空を見上げる一心。今にも降り出しそうな雨空が目に映る範囲全てに広がっていた。
「途中までは天気良かったんだけどなぁ……」
上る途中で木々の隙間から見た空は青く晴れており、天頂から見上げる美しい空を何気に期待していたのだ。
(その期待は見事に裏切られたわけだけどっ!)
そんな事を思いながら下る足を速める。どうでもいいが、帰りは行き以上に上下に揺れる為、リュックの紐が肩に食い込んで痛い。けれどまだこの時は、雨が降ったらいやだな、雨が降る前に下り終えたらいいな……ぐらいにしか考えていなかった。本格的に山が、自然が一心に牙を剥いたのはそのすぐ後の事だった。
◇◇◇
「くそ、なんでこんな!」
いったん雨が降り始めたらその後の変化は劇的だった。雨はあっという間に雨足を強め、打ち付けるような豪雨へと変わり、稲光が光ると、そのすぐ後には耳を劈くような落雷が響く。
雨に濡れた山の斜面は、土がぬかるみ非常に歩きにくい。その上よく滑った。何度も転倒を繰り返し、あちこちすりむきながら、一心は必死に山を下りる。
本当は雨が止むまでじっとしていた方がいいのかもしれないが、分かっていても、それが出来るかどうかは別問題だった。実際、一度木の下でじっとして居ようかと試みたのだが、雨に濡れた服は容赦なく体温を奪い、雷は一心の心を脅かす。
先程までの雄大な大自然に対する感動は一転、そんな大自然を前に独りぼっちという現実が、ひしひしと一心の心に恐怖を植え付けた。
実際には登山中に何人もすれ違っていたので、山に一人という事はなく、リュックの中にはタオルや替えの洋服などが入っていたので、暖を取ろうと思えば何とかなったかもしれない。しかしそんな事を考えられないほどに、一心の精神は追い詰められていた。
それでも次第に雨足は落ち着き、小降りになっていった。雷も未だ鳴り響いてはいたが、光と音の間隔から遠ざかったのが分かった。
しかしほっとしたのも束の間。雨が上がると、今度は辺りに白い霧が漂い始めた。
「勘弁してくれ……」
自然の残酷さに辟易しながら濡れた髪をかき上げる。しかし打ち付ける雨よりかは幾分かましだと思うことにする。肌寒さは変わらないし、濃さの増した濃霧によって水分はまとわりつく。けれど他には特に問題は無く、視界が悪いのは豪雨でも一緒だったからだ。
しかしそうした気の緩みと視界が悪いことこそが、山においては何より危険だと、彼が気付いた時にはすでに遅かった。踏み出した足は空を切り、そのまま前へと倒れ込む。しかし倒れ込んだ所もまた地面は無く、そのまま真っ逆さまに奈落の底へ。そこは、山の斜面にできた割れ目のような細い渓谷だった。
◇◇◇
その存在は消えかかっていた。存在の象徴ともいうべき名を奪われ、長い月日のうちに彼の者を知る者は数を減らし、誰にも知られず、誰にも名を呼ばれず、忘れ去られた存在として……。
悲しくは無かった。名を奪ったモノに対する怒りも憎しみも既に失っていた。
後に残ったのは、ただ寂しいという感情だけ。それはその存在が、遠い遠い異世界の地で生まれて最初に得た感情だった。
そんな事を思っていたからかもしれない。ふと、存在は懐かしい気配を感じた。それは嘗て、存在が生まれた古き故郷の気配だった。気配に導かれ存在は世界を超える。その越えた先で、存在は故郷の風を浴びた。
同時に一人の消えかかった命に出会う。消えかけの命と消えかけの存在。やがて存在は導かれるようにその命に触れ、同化する。
神崎一心の運命が、死から生へと無理やり書き換わった瞬間だった。
ありがとうございました。次話は、明日10:00に投稿しようと思います。
サブタイトルは「目覚めたら異世界だった(仮)」です。よろしくです。