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「うーん、肋骨骨折だね。多分、最良の手段は放置しておくことだろう」
現場に駆け付けた医者にそう言われた時、ステラはぼんやりと悟った。
(ああ、こういうのを『匙を投げた』っていうのかね)
少し違う気もするが、少なくともこの時はそう感じた。分かりました、と答えて頭を下げる。すると医者は続けた。
「若いもんだから丈夫だが。それでも、女の子があんな無茶をするもんじゃないよ」
言葉に詰まる。状況説明の際、この医者にはことのあらましを話したのだった。別の誰かに言われれば腹を立てて終わりだろうが、医者の言葉となるとわけが違ってくる。素直にはい、とこぼして、その場を去るのだった。
今、教会の周辺には憲兵隊がわらわらと集まってきている。そしてよくみると学院の教官もいたりするのだ。一番状況を知っているステラとエドワーズは、今より何時間も前に事情聴取を受け、先程ようやく解放された。同じことを何度も訊かれ、うんざりしたものである。何気なく空を見上げると、既に太陽が傾き始めていた。
ため息をついてその場に座り込むステラのもとに、人影が近づいてきた。
「あの……」
どうやらこちらも事情聴取が終わったらしい、エドワーズである。何か不安そうな顔をしてステラの方をのぞきこんでいる。彼女は、やんわりと微笑んだ。
「聴取、終わったんですか?」
訊くと、彼は重々しくうなずいた。やはりこの件に関して、何かしらの責任を感じているらしい。その表情を見ていると、こちらまで心苦しくなってくる。正直、なんと声がけしたらよいものか分からなかった。ただ、心配はかけまい、という妙に強情な面はあったと思う。
だから、ステラはつづけて言った。
「大丈夫ですよ」
エドワーズは目をまたたいたが、すぐに「はい」と返す。それでも表情は固かった。いったい何をそんなに思いつめているんだろう、とステラが不思議になるほどである。
その後、なんとも重々しい沈黙がその場を包んだ。憲兵が忙しなくかけまわり、教官が大声で何かを言い、野次馬たちが根拠のないうわさを広めている横で、二人だけは仲良く黙り込んでいたのだ。
ステラにとってはとても居心地が悪かった。だが、下手な言葉をかけては逆効果だとも、どこかで思っていたのだろう。絶対に何も言わず、ただうつむいていた。石畳と同じ色の小石が目に入る。その時――背後に、人の気配を感じた。
「おーい。二人して何を辛気臭い顔してんのさ」
「ひょえっ!?」
裏返った声で叫び、思わず後ずさりする。そのせいで折れた肋骨がめっぽう痛く、後から悔んだ。そしてその、やり場のない怒りをとりあえず声の主にぶつけてみることにした。
「ちょっとレク、後ろとらないでよ!」
「油断してるそっちが悪いね」
相手、レクシオはしれっとそんなことを言い、ため息をついた。そして、これ以降は黙ってその場に立っていた。
時折にやにやしながら二人を見ているその姿は、普段の彼を知る人から見れば非常に不自然な振る舞いだったといえよう。だからこそ、ステラは目を細めて彼をにらんだ。いつも以上に意図を察することができなかったから。
(こっちのことを考えもせずに、からかってるの? それとも別の用事があるの?)
考えれば考える程、疑心暗鬼に陥っていく。普段の彼がひどく無垢に見えるからこその疑いだ。
(次には何言ってくるんだろう? いつものパターンでいくと、冷やかしとかよねぇ)
さりげなくエドワーズに目配せしてからため息をついた。
だが、次にレクシオの口から発された言葉はステラの予想の斜め上をいっていた。
「無理してないか?」
は?
思わず、瞠目して幼馴染を見た。その瞳は、さっきとは打って変わって真剣そのものである。こちらの真意をさぐろうとしているような、そんな眼差しでもあった。
(別に)
そう答えようとした。だが、咄嗟にそう言うことはできなかった。
なんで? そう思っているうちに言葉は続く。
「ナタリーの提案に乗って教会に行って、話を聞いたまではいい。だけどあんな物騒なのと出くわした時点で、まず逃げるとか考えろよ。神父サマを見捨てろと言ってるわけじゃないぞ? おまえなら、二人一緒に逃げるという選択肢もあったはずだ」
「…………………………」
黙り込んだ。返す言葉がなかったから。そう、初等部のころから武術科生として鍛錬を積んできたステラなら、その程度のことは可能だったはずなのだ。たとえあのような化物が相手だったとしても。あの時は、冷静さを欠いていたのだろうと思う。今考えると、あまりにも『らしくない』行いだった。
彼女がしばらく黙っていると、だんだんと厳格だったレクシオの表情に変化が訪れた。嫌そうに目を細めて、ステラの方を見るようになったのだ。そしてついに、黒髪をかきむしりながら言った。
「あー……っと! つまり! 一人で突っ走ろうとするなと言いたいわけ! おまえも俺もジャックもナタリーもトニーも、学院で学ぶ人はみんな、熟達した戦士じゃねーんだ! 一人じゃできないことなんて腐るほどあるっつーの。でも、その代わり仲間がいるんだからさ。せっかくいるもんだからほら、もっと頼ればいいんだよ!」
最後の一言で、ステラはばっと顔を上げた。なぜかしかめ面をしている幼馴染を見上げる。
もしかして、それが言いたくてこんなところまできたの?
ようやくぼんやりと意図を察し始めたのだが、生憎そこで締めくくられてしまった。ぱん、という乾いた音が聞こえる。
「以上、終わり! あーもー、説教なんかガラじゃないってのー」
やけっぱちに言ってから首を鳴らす彼を見て、ステラは思わず微笑んだ。話の内容はともかくとしても、今ので沈みきった心が少しだけ軽くなったのは事実だ。
「ありがと」
小さな声でそう言ってやると、こちらをむいた彼は苦笑を浮かべた。そこで――なぜか目がしらが熱くなる。
(あれ?)
思っているうちに、目から涙がぽたぽたとこぼれおちていた。慌ててぬぐうが、とまらない。そのうち視界がぼやけてきた。
さすがの幼馴染の方も、それを見てぎょっとする。
「ちょ……おいっ!?」
ひどく狼狽した声で何か叫ばれるが、それでも止まらないものは止まらない。結局泣き続けた。こんな姿を見せていることが情けなく思えたが、この際どうでもいいかとすっぱりあきらめる。だが、
「あーっ! レクがステラを泣かせてるー!」
「はぁっ!? なんでそうなるんだよ! おいこらナタリー!!」
冗談めかしたナタリーの声と、それに反論するレクシオの声が聞こえた時はさすがに恥ずかしさが再燃した。それでも背後でエドワーズが笑っているのを聞いて、同時にほっとしたりもする。
ある意味矛盾した感情だと思った。
「みなさんには、お礼を申し上げなくてはなりませんね」
ようやくほとぼりが冷めてきたというその頃、静かになった現場でエドワーズに頭を下げられた時には調査団の一同が妙に慌てたものだ。
「い、いえそんな、気にしないでくさいよー」
そう言って顔の前で手を振ったのは、ナタリーだ。しかし、横でトニーがにやにやと意地わるく笑う。
「うーん。ナタリーの場合、教会の一部ふっ飛ばしちゃったしねー」
「あんたちょっと黙りなさい」
すぐさまナタリーに威圧をかけられていたが、それでもなおにやにやと猫目を細めているのであった。しかし、一方のエドワーズはゆるゆると首を振る。
「いえ……。この際、ただの形でしかなかった教会なんてどうでもいいんだと思います。私が今ここで、みなさんとこうしてお話できているだけで幸せなんです。みなさん方が教会に来なければ、私は今頃あの男に殺されていたかもしれないんですから。本当に、ありがとうございました」
それからエドワーズは、済んだ翠の双眸を、目の下がいまだに赤いステラの方へと向けた。しかも、深々と頭を下げられてしまう。
「特に、ステラさんには身を挺して守ってもらってしまいました。言いつくせないほど感謝しています」
その言葉を聞いて、ステラは少なからずぎょっとした。神父様に頭を下げられてしまった上に、なんといつのまにか名前を覚えられてしまっていたのだ。これはもう、本当に滅多にないことだろう。どうしていいのか分からなかった。
「い、いえ、そんな……あははは」
ゆえに、照れ笑いでごまかすしかなかったのである。




