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「偉大なるラフィアに興味を持たれたのですね」
教会内部の一階、その一番奥にある女神像を前にして、神父――エドワーズという名前らしい――は言った。それを聞いたステラは顔の前で手をぶんぶんと振る。
「あ、いえ、入りたいとかそういう意味ではなくてですね。ただの好奇心というか」
すると、彼女の声を途中でさえぎるように彼は笑った。笑い声まできれいだなぁ、などと言って美男にうつつを抜かしかけたステラは、慌てて大きく息を吐いた。
そんな様子に気付くことなく、エドワーズが言う。
「それでも十分ですよ。女神のことは、意外と知られていないので、ほんの少しでも興味を持ってくださる方がいるというのは嬉しいことです」
「は、はぁ……」
彼の台詞を聞いて、ステラはもう一度女神像を見上げた。巨大な翼を持った長い髪の女性は、この世のすべてを包み込まんばかりに優しく微笑んでいる。あくまでこれは偶像なのだろうが、それでも神秘性というものを感じた。
こう言う場所は緊張するが、嫌いじゃない。微笑みの女神に向けて笑い返したステラは、エドワーズの方を振り返った。
「あの、じゃあ……説明をお願いしてもいいですか?」
相変わらず緊張しつつそう尋ねる。エドワーズは一瞬で表情を明るくした。大概の女性はこれだけで落ちると思う。
「分かりました。では、すでにご存じかと思いますが概要から」
答えた彼は、丁寧な動作で女神像の前まで歩み寄って、ゆっくりと語りだした。
「ラフィアは、金と銀の翼を背に持つ女神です。いつも優しい微笑をたたえて世界を見守り、つかさどっていると言われています。だから、『世界神』なんて大仰な名前で呼ばれることもありますね。
基本的に誰にでも優しいとされていますが、一方で法や世の理に反した者には容赦なく罰を与えるとも言います。罪ある者には罰を与え、その罰を受けとめた者には赦しを与える。これは信者の間でスローガンのように言われている言葉ですが……」
そこでエドワーズは言葉を切り、悪戯っぽく笑った。
(そ、そんな顔もするのか)
ステラはそんなことを考えてしまう。だが、神父の話はつづけられた。
「実はそんなに『できた』神ではないらしいんですよ。確かに性格は優しいし罪を犯した者には怒りと罰を与えますが、一方でちょっと悪戯好きな面もある。罪を犯した人間をからかって、変な罰を告げたりしたこともあったそうです。結局は人間と変わらない部分も持ち合わせているんですよね。僕、そんな女神が好きなんですよ」
言って彼は、また声を上げて笑った。結構明るい人らしい。一方のステラは素直に感心する。世界をつかさどる女神、なんて言われているのだから、それこそ聖人君子のようなものかと思っていた。悪戯好きの神様だなんて迷惑なことこの上ないだろうが、でもやっぱりちょっと親近感がわく。
「面白い人――いや、かみさまなんですね」
笑ってステラが言うと、エドワーズは「でしょう?」と言ってうなずいた。本当に心から女神を信仰し、敬愛しているらしい。それが態度や言葉の端々から伝わってきた。だからこそ考えずにはいられない。
(彼は、今回の事件をどう思っているんだろう)
ほかの信者たち同様、悪逆非道な行いだと憤るのだろうか。それとも、また違う意見を出してくるのだろうか。あいにく、ステラには見当がつかなかった。
そうして悶々と悩んでいるうちに、エドワーズの話が進行する。
「ところで、あなたはラフィアにまつわる神話をご存じですか?」
「神話、ですか?」
思わず目を瞬く。まあ、そんなもののひとつやふたつあってもおかしくないだろうが、とりあえず初耳だ。
「えと、知りません」
素直にそう言うと、エドワーズは「でしょうね」と言った。
「何せ、我々神父にしか知らされていない話ですから」
これを聞いたステラはぎょっとした。
「そ、そんなこと話しちゃっていいんですか?」
今更そう言っても遅いと思うが、一応聞いてみる。すると彼は、特別です、と言ってからこう付け足した。
「ただし、あまり他言しないでくださいね?」
(やっぱりおちゃめな人だなぁ)
心の中で呟いてから彼女はうなずいた。そしてまた、神父の語りが始まる。
「実はラフィアは、千年に一度人間界の中で“神の子”を二人選ぶんだそうです。傍観しかできない自分に代わって世界を動かしてくれる者のことをそう呼ぶそうで。そしてその選ばれた人間には、それぞれ『金』と『銀』の魔力が宿ります」
「『金』と『銀』の魔力……?」
聞き慣れない、しかしそそられる単語にステラは首をかしげた。すかさずエドワーズが解説を入れる。
「そう。詳しくは明かされていませんが、世界を変えるほど大きな魔力といわれています。金と銀でそれぞれ効果が違うようですが、そこも詳細不明ですね」
「世界を変えるほどの魔力かぁ……。なんか抽象的すぎてわかんないな」
いつも魔導科の者たちから理論立てられた説明を受けてきているステラには、それがひどくあいまいな表現のように思えた。好青年の苦笑を映しながら、自然と渋面になる。
神話というのは曖昧な物が多いが、これは群を抜いているかもしれない。そして、そういうのは好ましくないと思っている。
そんなステラの心中を察したのか、エドワーズが話を締めくくった。
「魔力を得た人間がどのような行動をするのか。それはその人次第ですよね。破壊と殺りくをもたらした者がいる一方で、その身ひとつで大戦をおさめた者もいると言われているみたいです」
「おぉ。それはすごいです」
素直な感想を口にした。
大戦をおさめるというのは、口にするほど容易なことではない。それを身一つでやってのけられるほどの力とは、いったいいかほどのものなのだろうか。考えるだけで恐ろしくなる。
「おや?」
突然そんなエドワーズの声が聞こえて、弾かれたように顔を上げた。彼は怪訝そうに、ステラの腰のあたりを見ている。ぽつりと声を発した。
「あなた、剣士なんですか?」
「え――」
はっと、思い出す。そういえば護身用にと、いつも使っている小さめの剣をさげてきたのだ。それが偶然エドワーズの目にとまったらしい。思わず苦笑した。
「えと、なんていうか、まだ駆け出しなんです。クレメンツ学院の武術科で学んでいるんですけど」
「そうですか。クレメンツ帝国学院の……」
言ってからエドワーズは、女神像を見上げた。どこか遠くを見るような目をしているが……その理由は、すぐにわかった。
「あなたがラフィアに興味を持たれたのは、先日の事件がきっかけなんですか?」
いきなり聞かれて、言葉を失った。ぼけっと、悲しげな神父を見てしまう。だが、彼が何も言わなくなると、うつむいて「はい」と小さく返した。
咎められも、責められもしなかった。
彼は苦笑して、続ける。
「きっと、何らかの形でラフィアに恨みを持った者の犯行でしょうね。だから――神父である僕に犯人の行いを咎める権利はありません。たとえ、どんなに周りの信者が憤れといっても」
「……エドワーズさん」
帝都と事件が起きた町はそう遠くない。もしかしたらエドワーズは、そこの神父と知り合いだったかもしれない。
きっと彼なりに、責任を感じているんだ――
「ふぅん、そっかぁ?」
唐突に、そんな声が聞こえてきた。二人して思わず振り返ると、教会の門を背に、人が立っていた。長いローブをまとった青年だった。なぜかこちらを見て、にやりと笑っている。
彼はそのまま続けた。
「じゃあ、今オレがこの場であんたを殺したとしても、あんたは恨まないわけだ」
(――っ!!!)
ぞわり、と背筋に嫌なものが走った。
ステラの本能が告げる。この男は危険だ、逃げろ、早く逃げろ。だが……本人はその命令とは逆の行動を取る。
「エドワーズさんっ!!」
唖然とする神父の体めがけて体当たりをかます。それが命中すると、二人は一緒に倒れこんだ。その頭上を何かが通り過ぎるのがわかった。
次の瞬間、信じられないくらいの轟音が響く。エドワーズにおおいかぶさっていたステラは体を起こし、音のした方を見る。同時に――唖然とした。視線のすぐ先の長椅子と壁が砕け散っていたのだ。
「ふぅん。小娘のくせにやるじゃん」
声のした方を見る。そこにはやはり、ローブをまとった青年がいた。だが、さっきまでとは明らかに違う点がひとつ。彼は、大きな大きな鎌を手にして、残酷な笑みを浮かべていたのだ。




