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それを見た時、ステラは目眩を覚えたほどだ。思わず、アインを睨んで呟く。
「……あんた、絶対人間じゃないでしょ。その武器も普通じゃないし」
だがアインは、まだ楽しそうに笑っていた。
「失敬なー。こちとら、ちゃんとした人間だよ。ま、武器が普通じゃないって部分は正解だけど。ちなみにこれ、魔導武器ですらないからね?」
魔導武器とは、専門の職人によって魔力を注入された武器の総称だ。これを振るえば、魔導士でなくともギーメルの鎌やアインの太刀に似た効力が発揮される。
「敵相手に、えらく饒舌じゃないか」
言って肩をすくめたのは、ジャックだった。暗にそんなにぺらぺらしゃべって大丈夫なのか? と言いたかったようだが、それに対してもアインは笑顔で答えた。
「へーきだよ。だって、喋ったところであんたらなんかにどーにもできないもん」
誰かが息をのんだ。だが、アインは気にしてもいない。口元を歪めて太刀の切っ先をステラの方へと向けた。
「それより、アタシは『銀』の力が見てみたいんだけどさぁ。ダメ?」
『――っ!』
その場の空気が一気に凍りついた。調査団側の人間は、全員動揺していた。当然と言えば当然だ。誰も、この少女にステラが『銀』として選ばれたなどと教えた覚えはないのだ。それに彼女と遭遇する頃には、ステラの体から銀の光は消え失せていた。なのに、この少女はもうそれを知っている。最初は知らないような口ぶりだったが、だとすれば考えられる可能性はおのずと絞られてきた。
(まさか……あの短いやり取りで『魔力』を感じ取ったとでもいうの!?)
何か得体のしれない恐怖感をステラが襲う。彼女はいったい何者なのか、そんな疑問からくる恐怖だった。人は、自分と明らかに違う『何か』と対面すると例えそれが人間であったとしても恐怖すると誰かが言っていたが、その通りかもしれない。
一方相変わらずマイペースなアインは、頬をふくらませていた。
「あれ? もしかして意識的に発動できないの? つまんないなぁ」
ステラは肩を震わせた。いわゆる図星である。先程まで考えていたのは全く別のことだが、動かない理由のひとつにはそれもあるので否定はできない。
「まー、それならしょうがないか。最重要目的はエルデの血統を絶つことだし」
一人で勝手に納得したアインが太刀を持つ手に力を込める。
「うげっ。目標は俺かよ」
顔をしかめて呟くレクシオの肩を、ナタリーが叩いた。
「あんたしかいないでしょ。潔く死んでこい」
「断る!」
叫んだレクシオは、いつの間に隠していたのか懐から鞭状の鋼線を取り出して構える。
その後夜の野に満ちる静寂。多分最初から手を出せばアインが切れると思ったのか、ジャック、トニー、ナタリーの三人は完全に援護に回っていた。ステラはちらりと横を見る。油断なく構えるレクシオの姿があった。
彼とは演習で何度か一緒になったが、こうして肩を並べて戦うのは人形の館での一件以来かもしれない。
彼女がそう考えると同時に、アインが地面を蹴った。今度はレクシオ相手に太刀を振りかざす。ステラの時のような、遊びを楽しむ雰囲気は一切なかった。真剣に、ただ殺すために、挑んできている。ステラ含む四人がその雰囲気に背筋を震わせると同時に、レクシオもまた、鋼線を振るった。ジャッ! という金属同士がこすれ合う音がすると同時に、アインの動きが止まった。
「太刀が邪魔だな」
レクシオの方は平然とそんなことを呟いている。あの武器の切れ味をよく知る四人は、その台詞が怖かった。
「やる気だったのね、あいつ」
ナタリーがうめく。その直後に、アインが言った。
「君のその武器……いったい何? 魔力どころかなんの力も感じないのに……太刀を、傷付けた」
『え?』
首をかしげているレクシオの後ろから、調査団の面々が声を上げた。よく見ると、確かに。アインの握る太刀に小さな傷がついていることが分かる。今までの太刀の異常ぶりを見れば、それがいかに非常事態かは想像に難くなかった。
だが、それを行ったレクシオの方は首をかしげるのみである。
「いや、何と言われても。ただの鋼線だが?」
嘘いつわりの響きはない。おそらく事実だ。思えばステラもその鋼線をレクシオがどこで手に入れたのか聞いたことがなかったのだが、どうせ怪しい店で買ったか誰かから貰ったかしたのだろう。
それをあの子は分かっているのか。確認の意味も込めてちらりとアインを見たステラは、ぎょっとした。彼女の肩が、わなわなと震えているところを見たからである。何かをぼそぼそと呟いているが、ここからではよく聞こえない。
「な、なんだよ」
後ろからトニーの声が聞こえた。気味が悪くて身じろぎしたらしい。
そうこうしているうちに、アインの声はだんだん聞きとれるものになってきていた。
「……な……けるな………!」
嫌な予感を抱いたのはステラだけではなかった。前を見ると、レクシオですら驚き顔でじりじりと後退を始めている。背後では残る三人が、それぞれに何が起こってもいいように、身構えていた。
この静寂を打ち破ったのは――
「ふざけるなあああああああああああああああっ!!」
獣の雄叫びにも似た、少女の絶叫だった。
彼女は叫び声を周辺一帯に響かせた後、ぎりっと奥歯をかみしめてから太刀をにぎる。それから、再びレクシオめがけてかけだした。誰かに対して太刀を振るうのは今日で何度かやっているが、その中では一番めちゃくちゃな振るい方だった。もはや、目の前のものを敵としか認識していない。
「――!」
レクシオが鋼線を振る。今度はきちんと、アインめがけて。だが、それすらも掠るだけだった。頬にまたひとつ傷を作ったアインは、全力を込めて太刀を振りおろしてきた。レクシオがそれを後ろに飛んでかわす。太刀は地面にのめり込むと、そこを中心として大地に円形のひびを入れた。バキバキと音を立ててひびは蛇のように広がっていく。
だが、そこでアインは太刀を抜いた。五人を一瞥すると、なぜか太刀を消滅させて何か別の準備を始める。
「殺してやる、殺してやる!」
ステラは悟った。
この少女は今、本能的な恐怖を抱いている。そして、それによる警鐘に従って動いているのだ。『こいつらは危険だから消してしまえ』という単純明快な警鐘に。
「なによ、これ」
ステラが我に返ったのは、横から聞こえてくる震えたナタリーの叫びを聞いた時だった。見ると、彼女は口元を押さえてがたがたと震えていた。ジャックやトニーも、唖然としている。
「え? どうしたの、みんな」
状況がのみこめないステラは、思わずそう訊いた。
「魔導術」
「――え?」
ジャックの口から言葉が発された。
「魔導術だよ、ステラ。それもかなり威力の高い」
そこでようやく大凡のことは把握した。慌てて、怒り狂うアインの方を見る。彼女は確かに魔導術を展開していた。どれほど巨大でどれほど危険かはしろうとのステラには分からなかったが、とりあえずとても威力が高いというのは肌で感じ取れた。
「おまえら全員、消してやる!!」
甲高い少女の声はそんなぞっとしない言葉を紡いだ。
ステラは、とりあえずここにいる人間の中では自分の次に冷静そうなレクシオに問いかける。
「レク。あの魔導術って、どういうものなの?」
『どういうもの』という問いはさすがにアバウトすぎたかもしれない。そう思ったが、頼れる幼馴染はしっかりと解説してくれた。
「属性は炎。多分、火球を飛ばす奴だ。ジャックが結構好んで使うあれに似てる。でも威力はけた違い……そうだな、本気で放てばここら辺一帯が丸ごと吹き飛んでもおかしくない」
ただし、しっかりとした解説であることと、冷静になれたかどうかということとは、全く別の話である。
「――はあっ!?」
ようやく事の重大さを認識したステラは、大わらわの状態でアインの方を見た。ほぼ完璧に準備が整いつつある。つまり、放とうと思えばいつでも放てる状態だ。彼女が顔を蒼ざめさせた瞬間、周囲に防御壁が張られるのが見えた。さすが、危険性を悟っていた魔導科の面々は仕事が早い。
そう思ったステラに、レクシオが囁く。
「一応闘いと回避の準備はしておけ。あれで完全に防げるかどうか、怪しいもんだから」
「分かってはいたけどあっさり言うわねあんた!!」
泣きそうな気持ちを抑えつつ、言われた通りにする。
ついにアインが腕を振り上げた。魔導術の――発動だ。
「吹き飛んじゃえ!!」
彼女の小さな手が光る。同時に、大量の火球がそこら中に出現した。
「なっ!」
ジャックの声がする。さすがにこれはあり得ないと思ったのだろう、ステラも同感だった。一度に大量の火球を出現させるなどという芸当は、かなりの魔力量が無いと無理だ。加えて、あの球ひとつひとつがバスケットボール並みの大きさである。これは、威力が計り知れない。
「まずいな、これ!」
「ああ。確実に破られる!」
叫んで前に飛び出て来たトニーに対し、レクシオが答えた。トニーは「やっぱり?」と言うと、手元に魔導術を展開した。
「どこまで相殺できるか怪しいから伏せとけ!」
トニーが大声で叫ぶのと、アインの金切り声が聞こえるのとはほぼ同時だった。ついに火球がこちらめがけて飛んでくるのを、ステラは肌で感じていた。硝子が割れるような音が聞こえた時には、防御壁が破られたことを察してぞっとした。
「行け――っ!」
それとほぼ同じタイミングで、空から水が降ってきた。それもかなり大量だ。ジュウジュウという音がそこらで聞こえる。おそらく、炎が水によって消されているのだ。
(ナイス、トニー!)
ステラは心の中で喝采した。
「くっ」
アインのうめき声が聞こえる。それからすぐに、頭上からトニーのささやき声が聞こえる。
「もういいぞ。あいつ、攻撃の手を止めた」
その声を聞くやいなや、全員が顔を上げる。
「すごいな、トニー君」
「ちょっと見なおしちゃったかも……」
ジャックとナタリーがそれぞれに言う。素直にほめたたえられたトニーは、「いやぁ」と言いながら頭をかいた。心なしか息が切れているものの、そこまで疲労困憊といった様子ではない。
「いや、もしかしてトニー、将来はとんでもない大魔導士になる? そうは見えないけど」
「一言多いよ、ステラ」
正直な感想を口にしたら、トニーに半眼で睨まれてしまった。ステラはぺろりと舌を出す。だが、その表情はすぐに引き締まった。
「……ん?」
彼女の耳が、妙な音を捉えたのだ。
ごごごごご――という、地震の時の音にも似たような重々しい音。しかし、それは空中から聞こえてきていた。
「今度はいったい――」
言いかけて空を見上げたところで、ステラは絶句した。
目の前にあるものが、信じられなかった。
彼女の反応を訝しんだほか数名も顔を上げたが、みな同じようにして固まってしまう。そんな中で、ナタリーがこわごわと口にした。
「あれは……魔法陣?」
そう。彼らの目に映っていたのは、空に描かれた巨大な魔法陣だった。




