1
「レクシオさん、どうしたんですかね。急に」
教会の外を走り抜けているときにエドワーズが疑問を口にした。こんな時にまで他人を心配するお人好し神父をちらりと振りかえったナタリーは、それから首を振る。
「さあ?」
「さあって……」
エドワーズの呆れかえったような声が聞こえた。理由は分からないがなんとなく腹を立てたナタリーは、しっかりと補足――はっきり言ってしまえば言い訳――を入れた。
「時々あんのよ。何考えてるのか分からないこと。でも、私らがむやみにその領域に踏み込むのも変な話でしょう?」
それに対して返ってきたのは、はあ、という生返事だった。言っている意味が分かっているのかいないのか、怪しいところである。だが、今は正直どうでもよかった。
とりあえずあのアインとか名乗った少女とまともにやり合うのはまずい。今は、少しでも教会から離れることを優先すべきだ。殺人鬼と鉢合わせになる可能性も十分にあるわけだが、そこはあえて考えないようにする。
ナタリーはイライラしながらも、草をかきわけた。その時――目の前に立っていた人物に、思わず驚きの声を漏らす。
「あんたら!?」
『ああっ!!』
向こう――ステラたち三人も、声を上げてこちらを指さしている。そこに、ローブをまとった殺人鬼の姿はなかった。
◇ ◇ ◇
ここでのナタリーとエドワーズとの遭遇は正直意外だったし、なんで、という疑問を抱くものだった。選定が終わったことは知っていたから無事だということは分かっていたし、先程の崩壊も見たから飛び出してくることも予測はしていたのだが。ただ――
「なんで、レクがいないの?」
まさかいつもの身代わり作戦じゃないよね、剣呑な目でナタリーを見たステラは、そう口にした。だが、相手は呆れたように首を振る。
「別ルートから行くって言ってさ。そこにどういう意図があるのか知らないけど、有無を言わさぬ感じだったわよ。まったく、奇襲という状況を上手く利用された感じがするわね」
「奇襲?」
驚いたような声を上げたのは、トニーだった。それに対してナタリーは「そ」と疲れた声で返した。そして次に、彼女の方が疑問を投げかけてくる。
「そっちこそ、どうしてあの鎌使いがいないのよ?」
ステラは苦笑した。それから、これまでのことをかいつまんで説明する。すると彼女は、そっか、と呟いて目を細めた。それから、教会の方にちらりと目配せする。
「………そろそろ、来るころかしらね」
「なんのことだい?」
ジャックが彼女の独白にもっともな質問をぶつける。だが、ナタリーはすでに答えることを放棄したらしかった。
「見てりゃわかるわよ」
だが、事実その通りだった。ナタリーが言った直後に、真上から何かが振り下ろされる。慌てて全員がその場を飛び退る。そしてステラは、降ってきた物を見て全身から血の気が引くのを感じた。
奇妙な光をまとう、切れ味のよさそうな太刀。突如落下してきたそれは、いっそ感嘆してしまうくらいきれいに地面に突き刺さっていた。
(どこの誰よ、こんな物持ってる大馬鹿者は!)
たまらず内心で問う。だが、意外にもその問いに答える者は近くにいた。
「あれ~? お仲間さんが増えちゃってるよ。ということは、『銀』がこの中にいたりするのかな」
まだ幼い少女の声だ。ステラがはっとして顔を上げると、そこには確かに少女がいた。朱色の髪を風に乗せ、ワンピースの裾をいじくりながらこちらを見ている。
「ギーメルの奴はいないみたいだねぇ。ヴィントが近くで見てたらしいから、あいつに何か言われたかなぁ? あいつ、あの無愛想男には弱いから」
『ヴィント』という名前が出てきて、ステラは頭に何かが閃くのを感じる。先程の男と、幼馴染の姿が重なる。
(じゃあ、やっぱりあの人が……)
恐らくギーメルというのはあの青年のことだろう。あの二人のやりとりを見ていると味方同士ではなさそうだったが、なんともやりきれない気持ちになる。
レクシオは、どう思っているんだろう。そんなことを考えながら顔を上げると、なぜか少女が怒りだした。
「しっかし誰よー! 教会の入口にあんな強力な防御壁を張ったのは! あの強度、どう考えても学院生の成せる業じゃなさそうだけど」
『………は?』
全く身に覚えのない問いに三人は、そんな場合ではないと分かっていながらも脱力してしまう。慌ててステラがナタリーの方を見たが、彼女はぶんぶんと首を振った。違うらしい。
だとすると、誰だろうか。この少女を怒らせた馬鹿は。
喜ぶべきか嘆くべきか。やはりその馬鹿は、身近にいた。突然背後から能天気な声が聞こえてくる。
「おや? もう破ってたのか。意外に早かったな」
自分が犯人ですと暴露するような口ぶりに、その場の全員が声のした方を見た。そこには――肩を回すレクシオの姿があった。途端、少女が喚きだす。
「わ――っ!! やっぱり君か! アタシ、君のこと嫌い、嫌いだぁ! なんかヴィントに似てるから余計嫌いだぁ!!!」
目尻に涙をためながら、彼の顔を指さしてそんなことを言う。やはりヴィントとは知り合いらしい。対するレクシオは、妙に冷めた目で少女を見ていた。
「いや。アインに嫌われても痛くもかゆくもないし? 俺。ていうかヴィントは俺の親父だし」
「なぁ――――っ!?」
少女――レクシオにアインと呼ばれた彼女の絶叫が森にこだまする。残された人々は、その光景を呆然と見ていた。いや、その光景もなんだか物珍しかったが、なによりレクシオが強力な防御壁を張ったという事実が受け入れられずにいた。レクシオは武術科だし、何より「魔導術はからっきしです!」と、調査団結成当初に自分で言っていたはずなのだ。それがナタリーあたりより強力な防御壁を張れるなどと、いったい誰が信じるだろうか。
だが、その間にもアインは憤慨した様子で地面に刺さる太刀を抜いた。やはり、彼女の武器だったようだ。その切っ先は一切の迷いなくこちらに向けられる。
「エルデの系譜に連なる人間がいるなら、もう殺すのは決定事項! それからアタシ腹が立ったから、君だけじゃなくてここにいる全員を、殺す!」
「なんて物騒な女の子だ」
ため息混じりに呟いたトニーは、しかしすでに魔導術発動の準備を整えていた。その場にいる調査団員も全員同じように構えている。ちなみに、エドワーズはナタリーに促されて近くの茂み行きとなった。
その様を見て、アインは「ふふん」と楽しげな笑い声をもらす。それから――地面を蹴った。一直線に、彼らの方に向かってかけていく。一言で表せば、とにかく速かった。ステラを始めほとんどの人間が大いに動揺したが、その次の瞬間には対応のために動いていた。
「おいおい、この子ホントに人間か!?」
そう言いながら手元で魔導術を展開したのはトニーだった。今までのものと違ってきちんと発動しているかどうかというのは視覚のみでは確認できないが、彼はためらいなく展開した術をアインに向かって放つ。そして、術がアインにぶつかると、その場に暴風が吹き荒れた。さすがにたまらず、彼女はそこで立ち止まる。
「んもう、何なのこれぇっ!」
アインが苛立たしげな声を上げる。その頬に小さな傷がついていることから、殺傷力のある風の魔導術だとステラは察した。そして、この隙を逃すまいと一気に踏み込んだ。魔導術がようやくおさまり始めるころ、仕返しと言わんばかりにアインの方へ剣を振りかざす。
「なっ」
彼女はそこで人の接近に気付いたのか、大きな動作で太刀を振った。金属同士がぶつかり合い、硬質な音を立てる。ぎりぎりと刃をつきあわせながら、二人は小さな声で会話をした。
その口火を切ったのは、アインである。
「嫌だなぁ。お姉ちゃん、年下相手に容赦なさすぎるよ」
言いながらもその表情は外遊びを楽しむ無邪気な子供のようなものだった。その反応にステラは眉をひそめつつも、剣をにぎる手に力を込める。
「あんたみたいな鬼畜娘に指摘されるいわれはないわよ」
「そっか。まぁ、それもそうだよね」
アインは意外にも、そんなことを言ってのける。ステラはその反応に少しばかり拍子抜けして目を瞬いた。だが、その時だ。鎌の周りを包み込む光が、唐突に強くなったのは
「んなっ!?」
そんな声を発したのが誰なのかは分からない。だが、ステラ自身は危機を感じて飛び退いていた。驚愕と焦燥に満ちたその顔をながめ、アインが楽しそうに笑う。
「おお~。あんた、学院生にしては判断力があるじゃん。多分あのまま睨みあってたら、あんたの剣は今頃真っ二つよ?」
「――は?」
今、なんと言った。
ステラはさっと構えた己の剣に目を走らせる。そして、愕然とした。
鋭い光を放つ刃のあちこちに、ひびが入っていたのだ。