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少女の目からは、明らかな敵意が感じられる。ナタリーの背後で、レクシオはそっと身構えた。彼女の言う「アタシたちの災い」とは恐らく、レクシオたち三人のことを指している。この場合「災い」という言葉が何を意味するのかは分からないが、とてつもなく嫌な予感がした。
だが、その間にも少女、いや、アインは話を進めていた。
「そこの神父さんは、違うよね。じゃあそこの女の子? う~ん……」
そして、鳶色の瞳が緑色の瞳とがかっちり合う。すると、アインは小首をかしげた。
「もしかして君かな? でも、力が微弱すぎて分かんないな」
言うと同時に、彼女は背中に手を回した。何をするのかと思ったが、次に手が見えたときににぎられていたものに、三人はぎょっと目をみはった。
それは、随分切れ味のよさそうな太刀だった。鍛えられた刃が、きらりと銀色に光る。
「ま、いいか。戦ってみれば分かることだもんね!」
アインはあどけなく笑ってそんなことを言う。彼女が相当な危険思想の持ち主であるということに、三人はようやく気付いた。だが、その頃にはもう太刀が構えられている。しかも、刀身が鮮やかな赤い光に包まれていた。魔導術とは、また別のもののようである。
少女がにこやかに言った。
「あ。先にいっとくけど、アタシはギーメルみたいに甘くないからね! 最初から本気でいくよー」
要は「ためらいなく殺すぞ」宣言だった。それを悟った三人は、やはり身構える。ナタリーは迎撃用の魔導術の準備を整えていた。
「いっくよー!」
甲高い掛け声とともに、太刀が振り下ろされる。始め勢いよく空を切り裂き、ぶおん! という重々しい音を立てた。それと同時にナタリーが魔導術を展開する。現れたのは氷の盾だった。それを見て、少女が笑う。
「そんなもので防げるとでも思った? 甘い甘い」
太刀が氷と衝突し、硝子の弾けるような音がその場に響く。同時にナタリーが魔導術を解き、身をひるがえした。アインが驚いたような顔をしているのが見える。
彼女の意図を察したレクシオとエドワーズも、すばやく体をひねって走り出すと一階へと続く階段を駆け降りた。
「逃げられると思ってるの?」
嘲るような少女の声が聞こえる。そこでレクシオは囁いた。
「おい、二人とも。このまま外へ飛び出してくれ。俺のことは気にしなくていい」
二人が驚いたような表情を見せたのが分かった。最初に反駁したのはナタリーである。
「ちょっと待ちなさいよ。私たちがそれで納得するとでも?」
続いて、エドワーズも口を開いた。
「そうですよ、もう、あんな思いは嫌ですからね」
それを聞いて、彼の脳裏には幼馴染の姿がよぎった。やれやれと肩をすくめて苦笑する。
「別に、俺一人でここに残るとは言ってないよ。ただ、別ルートから行こうと思ってるだけだ」
彼が言い終わると同時に、見慣れた一階部分が姿を現した。同時に、背後から聞こえてくる少女の足音にも気がつく。はっとして目を見開いたナタリーが「それならいいけど」と漏らして、エドワーズの腕を取った。一応従ってくれるらしい。
そのことにほっとしたレクシオは、ためらいながらも飛び出す二人の背中を見送ると、ゆっくりと歩を進めて呟きを漏らした。
「さーて、一応小細工程度は施していきますかね」
そう言って彼が手をかけたのは、屋根へと続く梯子だった。
梯子を登りきると、涼風が少年の頬を撫でる。そのことに場違いな心地よさを覚えながら、彼は屋根の上へと立った。空を見上げると、満月が太陽の光を受けて煌々と輝いているのが見える。少しだけ、心が穏やかになった。
だが、油断をしていたわけではない。
――ひゅう。
背後の風切り音を聞いた彼は、そっと左足を後ろに引いた。ずり、という嫌な音がする。
それからは、張り詰めた空気が場を包んだ。緊張感による支配。それによって保たれる均衡。だがレクシオは、それをいとも簡単に崩した。
何者かの気配を感じ、素早く振り返ると同時に――手元に防御の魔導術を展開した。ナタリーが使ったのと同じものだ。それでも彼女のものよりはいくらか金色が強い防御壁に、何かがぶつかる。鉄板に砂利をばらまいたような音が彼の耳を刺激した。
レクシオは、防御壁を展開したまま厳しい口調で問う。
「――なんの真似だ? 久々の再会だってのに」
視線の先には誰もいない。……少なくとも、先程まではそのはずだった。だがしかし、レクシオの問いの直後に闇の中から一人の男が姿を現す。
髪の色も、目の色も、レクシオとまったく同じだった。ただ、当然だが彼よりだいぶふけて見える。口元にはしわが刻まれていた。
「おまえと話すことは無いな」
男は低い声でそう吐き捨てる。そんな彼の態度を見て、レクシオは苦笑しつつゆるゆると首を振った。
「思春期に子供が親と話したがらないっていうのはよく聞くけど、その逆はあんまり聞かないなぁ」
口調もいつものそれに近い。ただし、声色には明らかな敵意を含んでいた。
そんな彼に対し、男は言う。
「『あいつら』を見せしめのように殺した俺を、おまえは父親と呼ぶか?」
「……どうだろうね。だがまあ、これは癖だよ」
ふっとその顔から笑みを消したレクシオが出した答えは、肯定とも否定ともつかぬものだった。白黒はっきりさせたがる彼にしてみれば珍しい話である。
だがレクシオは、そう答えたきりその話題に触れなかった。ただ、目を細めて男――ヴィント・エルデにこう問いを投げかける。
「――親父。ひとつ訊きたいことがある」
そこでいったん切って、相手からの催促がないことを確認すると、続けた。
「あんたは、誰とつながっている?」
ヴィントはその問いに、一瞬だけ驚愕の表情を見せた。だが、すぐにいつもの無表情へと戻り、簡潔に答えた。
「別に誰ともつながってはいない。あの大馬鹿者どもをそばで見ているのは、簡単に言えば監視のためだな」
(大馬鹿者ども……)
父の呼び方に、レクシオは眉をひそめた。きっとアインと名乗った少女も、殺人鬼の仲間だろうと彼は踏んでいる。だが、もしかするとそれ以上に仲間がいるのだろうか。組織で動いているのかもしれない。
だとすれば、厄介だ。
「そっか」
ふっと息を吐いたレクシオは、防御壁を解く。それから、父親の横を足早に通り過ぎた。囁くように言う。
「それだけ分かれば十分だ。じゃあな」
彼らしくもなく無愛想に告げると、ステラの元へ急ごうとする。だが、ちょうどその時に背後から声を投げかけられた。
「せいぜい、この欲にまみれた世界の中で、死なないように頑張るんだな。――ただし、俺の息子ならそれくらいはできて当然だ」
驚きのあまりレクシオは一瞬足を止めたが、すぐに小さな笑みをこぼすと屋根から飛び降りた。ほんの少しの喜びを感じつつ、混乱の現場へと急行する。
そう、仲間たちのもとへと。
短くてごめんなさい。だけど、この第四章自体は、今まで書いたものの中で一番長くなりました。
次回は乱闘です。調査団の戦闘能力の高さを誇張したいところ。