2
「今日は星がよく見えるな」
教会の屋根の上に腰かけているレクシオは、夜空を仰ぎながらそんなことを呟いた。彼の言葉通り、あまり明りが無いここは、空に輝く星々がよく見える。頑張れば六等星まで見えるかな、などとどうでもいいことを考えてみた。
遠くの方から時折爆音や金属音が聞こえてくる。きっと、向こうでは戦闘が始まっているのだろう。ただの学生が殺人鬼の相手というのは酷なような気もしたが、どうやら持ちこたえているらしい。
(銀の選定が終わるまで――あいつらに頑張ってもらうしかない)
ふう、と吐息をもらしたレクシオは、ごろんと屋根に寝そべった。さらに、夜の空がよく見えるようになった。物騒な作戦に関係なく、星月は光を放っていた。その命を燃やしていた。
唐突に足音が聞こえてくる。レクシオは起き上がり、振り返る。ちょうど下の階へと続く梯子がある穴から、ナタリーが顔を出していた。
「エドワーズさん、来たよ!」
彼女が持ってきたのは待ち望んでいた一報だった。
レクシオは口元をつりあげると、「よっこらせ」と言いながら立ち上がる。
「いよいよか」
心なしか、声には楽しげな響きがある。事実、彼は少しだけこの状況を楽しんでいた。幼馴染には悪いと思うが。
自分たちには縁遠いものと思ってきた神話の中の出来事が、自分たちの目の前で忠実に再現されようとしている。こんなこと、普通の人ならば一生のうちに一度だって経験することはないはずだ。そのことを体験できるとあって、好奇心旺盛な少年の心は躍っていたのである。それはつまり、自分たちの前から平穏が遠ざかりつつあるということだが、レクシオはそれを今更気に留めることはしない。なぜなら、父親とはっきり決別することになったあの日、平穏というものをすでに置き去りにしてきたから。
(今更、後悔する意味が無い)
己に言い聞かせるように呟いた彼は、ナタリーに続いて梯子をつたい、教会の中へと入った。
ついに、事件のカギとなる銀の選定が始まるのだ。
ひょっこりと教会の中をのぞきこむと、そこには確かにエドワーズがいた。二人の姿を確認するとあからさまにほっとしたような顔をする。それから三人で凄惨な教会内部を見渡すと、エドワーズが『選定の間』を探し始めた。
先の襲撃事件で建物がぼろぼろになってしまったために、どの部屋がどこにあるのか分からなくなってしまったのだ。とりあえず選定の間は二階だそうだから、三人は階段を使う。青年の鎌のせいか、それともナタリーの魔導術のせいかは分からないが、教会の壁はくずれて、瓦礫となった一片が階段に散らばっていた。
「おっと。これはひどいなー」
レクシオが声を上げると、隣でナタリーが「うっ」と呟いて目を逸らす。――どうやら、原因は彼女にあるらしかった。その様子を見てエドワーズが苦笑する。最初はなんとなく戸惑いが見受けられたのだが、だいぶこのノリに慣れてきたらしい。
階段を上りきると、さして長くもない廊下に出た。ここはほとんど被害が無い。エドワーズが、あ、と声を上げていくつか並んだ扉のうちのひとつを指さした。一番奥にある、白く磨き上げられた妙に高級そうな扉だ。
「あれが、選定の間です」
ナタリーが目を瞬かせる。
「へぇー……いかにも、って感じね」
感心したような響きがある。彼女も多分、密かに胸を躍らせているのだろう。だが、エドワーズは二人の前に出ると金色のドアノブをにぎって振り向いた。
「では、ここからは僕が一人で行きます。選定の間に立ち入ることができるのは、神父だけなので」
「そうなの!? がっかりだな~」
これまたナタリーが声を上げる。ここに来てからというもの、いやに騒がしい。しかし、レクシオにも彼女の気持ちはわかるので、苦笑するだけにとどめておいた。エドワーズも乾いた笑いを浮かべつつ「これだけはどうしようもないので」と言って、扉を開いた。そのまま軽やかな足取りで選定の間に入ると、すぐに扉を閉めてしまう。当り前と言えば当たり前だが、中を見せることは禁じられているらしい。
二人だけになったところで、レクシオはようやく口を開いた。
「始まるな」
「……そうね」
返すナタリーの声は先程までより随分とかたかった。そこで、ようやく彼女が今の今まで極度の緊張状態にあったことを知る。これまでのハイテンションは、それをごまかすためのものだったのだろう。だがしかし、そんな彼女はなおもかたい声で続けた。
「ステラたち、うまくやってくれるかしらね」
横目で友人の顔を見やったレクシオは、あえて明るい声で言った。
「ま、大丈夫だろ。あいつらなら」
だが、この言葉は偽りでもごまかしでもない。ステラ、ジャック、トニー。彼らのことは信頼している。ステラの怪我の方が心配ではあるが、あの野生児なら気合で乗り切るに違いない。というか、そうでなければ自らあの役を買って出るとは思えない。
「……こんなところで心配ごとや憶測を語っていても意味はない。やるべきことをやらなくちゃな」
少しだけ強い口調でそう言うと、いつも気丈な少女はこくんとうなずいた。そして、耳を澄ます。
「よくよく聞いてみると、声が聞こえるわね」
「……え?」
レクシオは思わずすっとんきょうな声を上げ、彼女に倣って耳を澄ませた。すると、確かに。滔々と祝詞を紡ぎ出すエドワーズの声が聞こえた。
同時に――ぴりりと張りつめた、それでいて澄んだ風が体中を通り抜けたような錯覚を覚えた。しいてこれを何かに例えるなら、冬の朝の空気に近いもの、といったところか。
(『選定』が、始まった……!)
なんの根拠もない。だが、そう思った。それ以外の可能性など、まず思い浮かばなかった。そして気付く。これは女神、ラフィアの魔力なのだと。
心が躍る。血が騒ぐ。
今、この都の片隅にある小さな教会で行われているのは、神話として語り継がれてきた出来事の忠実な再現だ。もう、ラフィアの選定はおとぎ話では済まない話になっている。
さて――『銀の魔力』の器に選ばれるのは、誰だ?
レクシオは口をつり上げ、不敵に笑った。
◇ ◇ ◇
青年の目には明らかな殺気があった。ごくり、と喉を鳴らすと、そんな彼が低く呟く。
「遊びは終わりだ。地上の愚者ども」
先程までの調子のよい口振りも消えうせている。だが、それ以上にステラには驚愕の事実があった。
(こいつ、今まであたしたちで『遊んでた』ってこと?)
その通りだろう。
思うと、なんとも腹立たしくなる。剣の柄を握る力が自然と強くなった。ぎり、と奥歯をかみしめ、本気の青年を見る。すると、彼の大鎌に変化が生じたことに気付いた。
大きさは非現実的であったものの、今まではただの鎌であったそれが、不気味な赤紫の光を放っているのである。魔導術を使っているのか、それともまた別の何かなのか。生憎と魔導系の知識はからっきしであるステラには、そこらへんのことは全くわからない。わかるのは、あれが相当危ない代物であるということだ。
一触即発どころか、すぐに殺し合いを始めそうな雰囲気が、両陣営の間に広がる。だが、その危うい均衡は調査団側の一声によって崩された。
「なんだ、あれはっ!?」
珍しく慌てたようなジャックの声だ。それに反応した全員が、否応なく彼の指さす方を見る。それは、教会の方向だった。
団長を叫ばせた光景を見た瞬間、ステラもはっと息をのむ。
教会のほぼ全部が、銀色の不思議な光で覆われているのである。壮観で、荘厳で、恐ろしくもあった。そしてあまりにも現実離れした光景だ。しかしステラには、その景色が何を意味しているのかわかってしまった。
「銀の……選定?」
その場の全員が、言葉を失った。そして刹那の間のあと、白銀の光線が彼らのいる方へと伸びてきたのだった。
◇ ◇ ◇
二人が異常に気付いたのは、エドワーズの祝詞が終盤に差し掛かった頃だった。むろん、祝詞の内容など知るはずもない二人にはどこまでが序盤でどこからが終盤なのかなどさっぱりわからなかったが――その瞬間に起きた現象が、事実を伝えていた。
突如、選定の間から白いような、銀色のような光があふれだしたのである。光があふれだした、とはなんとも奇妙だが、そう表現するしかなかった。これにはさすがのレクシオやナタリーも、驚くしかなかった。
「ちょ……なんなの、これ!? ねえ、レク」
「俺が知るかっての、そんなこと」
ナタリーに問われたレクシオは、半ばやけになってそう返す。平静を装ってはいたが、彼も内心ではかなり動揺していたのだ。というより、圧倒されていた、の方が正しいかもしれない。
(これが、『選定』……)
ここへ来てようやく、自分たちがとんでもない現象に立ち会っていることに気付く。だが、気付いたところでどうしようもない。薄い膜のように教会全体へと広がった白銀の光。彼はその中で、白い線が教会の外――幼馴染たちのいる方へ伸びていくのを確かに見た。
「――えら、ばれた?」
彼にしては珍しく、たどたどしくそう呟いた。実感がわかない。まさに夢心地だ。しかし、事実は事実だ。全身が熱くなる。だが同時に、心はさっと冷たくなる。その瞬間を目にしたわけでもないのに、確かに悟ったのだ。
女神の片翼に、自分と最も近しい人間が選ばれてしまったということを。
少年は、震える声でその名を呼んだ。
「ステラ………っ!」
◇ ◇ ◇
「…………」
教会近くの家屋の、赤い屋根の上。そこに腰かけて天体観測をしていた男は、一度閉じた目をゆっくりと開いた。緑色の瞳が露わになる。そこで彼は違和感を覚えた。
明るい。夜だというのに、とても明るい。
疑問に感じて首をかしげた彼だが、しかしその疑問はすぐ氷解した。少しだけ視線を上げれば、白銀の光に包まれた帝都唯一の教会が見える。
「そういえば、今夜は満月だったか」
ひどく冷静な声で、彼は一言呟いた。完全に傍観を決め込んでいる。
実際、そうしたかった。今以上の厄介事にかかわらなくてよければいい、それが男の一番の願いだった。だが、今かかわっている厄介事のせいで、そうはいえない状況だ。
「ふん。結局あいつらも口先だけの馬鹿者だ」
口にして、そして行動に移す。だが、大概詰めが甘く失敗する。同じことを巡る歴史の中で三度も繰り返しているのだ。そんなことだから、いつも己の思想を掲げるだけの馬鹿に映ってしまうのだ。
まあ、男の思想と彼らの思想は対極にあるから、例え彼らがそうであっても男にとってはどうでもいいことなのだが。
「さて、そろそろ行くか。もうそろそろ選ばれている頃だろうしな」
実は男には、今回の選定で誰が選ばれるのか、見当がついていた。この選定にある法則が存在することを知っていたゆえに、簡単に予測できたのだった。特に今回は、狂気の青年に会ったときから気付いていた。これは異例の早さである。
「いつもそうだ」
男は呟く。
「『王子と女将軍』のときから、何も変わらない」
おそらく、世界の中でも限られた人間しか知らないであろう、おとぎ話の名を。




