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数日後の夜。エドワーズは、教会へと続く道を歩いていた。前日に雨が降っていたせいか、水たまりが点在していた。今は人通りがほとんどなく、静寂に包まれている。おまけに家の光もほとんどが消えているため、道を照らしているのはところどころに設置された街灯だけだ。
(暗くてかなわないな)
エドワーズはそう心中で呟くと、なんの気もなしに夜空を仰ぐ。大きな、丸い月が見えた。白いようにも、黄色いようにも――銀色のようにも見える。
今夜は満月だ。
そして満月と聞いて自然と思い出すのが、『銀の選定』だ。
(……普通、自分が『千年に一度』に立ち会うとは思わないよなぁ)
改めてそのすごさを認識すると、ため息がこぼれる。ただ、感嘆からきたものかどうかは自分でもよくわからないところがあった。
いろいろと詮無いことを考えつつ歩いていると、教会に近づいていることに気がついた。つまり、周りにはほとんど家がない。郊外といっても差し支えのないところにエドワーズが務めている教会はあるのだ。
本当に銀の選定が行われるかどうかは半信半疑だし、何より今は憲兵隊の調査のため教会には規制線が張られているのだが、それでも行くしかない。
それが、ラフェイリアス教の神父たるエドワーズの務めだからだ。
彼は、ふと顔を上げる。視線の先に特徴的な三角の屋根が見える。目的地がすぐそこだということが分かった。同時に、周囲の空気が突然張りつめたことも、分かった。彼は目を細める。以前の経験から、その空気の正体がなんなのかすぐに察しがついた。
――そばに、奴がいる。
思うと同時に、『奴』は姿を現した。ほとんど前触れなくエドワーズの前に降り立つ。フードから覗く顔は、今日も相変わらず楽しそうである。彼は無邪気に笑って言った。
「やあ、神父さん。覚えてくれているかい?」
無邪気ゆえに、狂気の感じられる表情と言動。彼はさっと身構えた。嫌悪感丸出しで相手を睨む。
彼、青年はまた笑った。
「そんなに怖い顔するなよー。大人しくしていれば、別に痛くしないんだから、ね?」
同時に、右手に大鎌をにぎる。これを見るのは二回目だが、何度見ても驚かされるものだ。
「じゃ、サヨウナラ」
青年はそう言うと同時に、躊躇いなく鎌をふりかざした。湾曲した刃が、自分に向かって振りおろされる――
エドワーズがそう感じたのと、彼の前に人影が躍り出たのはほぼ同時だった。
青年の顔が驚愕の色に染められる。すぐ後に、金属同士のこすれ合うやかましい音がその場に響いた。大きな鎌の一撃を、一振りの剣が防いだのだ。青年の小さな舌打ちが聞こえる。同時に、人影はうっすらと笑みを浮かべた。
「こんばんは。殺人鬼のおにいさん」
ステラ・イルフォードという名の少女は、いつになく挑発的な表情をしていた。
◇ ◇ ◇
青年と向かい合うのは二度目だが、以前ほどの緊張感がない。人形の館の一件でも同じような気持ちになったことを思い出しつつ、ステラは思いっきり後ろに飛んだ。靴と石畳がこすれあい、独特の音を奏でた。ちらり、と視線だけを後ろにやる。今度はエドワーズも意外なほどに冷静だ。それほど、この『作戦』を信じているのかもしれない。
(だとしたら、がんばらなきゃね)
己を奮い立たせたステラは、背後の神父に向かって鋭く叫ぶ。
「今です!!」
ありがたいことに彼はすぐさま反応してくれた。青年の横を通りすぎ、教会に向かってかけていく。青年の目がフードの下で見開かれたが、それ以外特に反応を示さなかった。その代わり、意外だな、などと考えていたステラに向き直ってフードを取り払うと、忌々しげな目で睨んできた。
「なるほど。ハナからそれが狙いだったというわけか」
「そ。考えたでしょ?」
にっこり笑って剣を一度遊び回してやると、青年は口の端をゆがめた。存外楽しそうだ。ステラの見立てでは、もう少し腹を立てるものだったのだが。
(歪んでるわねぇ。いろいろと)
胸中で呟いてから、なんとなくげんなりして剣を構えなおすのだった。
その間にも、青年は戦闘態勢を整えていた。
「ま、愚直な人間どもにしてはね。だが、今この場にあんたを立たせたのが失敗だったな! どうせ傷だって満足に癒えていないんだろう?」
一言が終わらぬうちに鎌が振り下ろされる。ステラはそれをどうにかよけた。
正直、思いっきり舌打ちしたくなった。さすがにそれが分からないバカではなかったようだ。事実、治りきっていない肋骨はずきずきと痛んでいた、
(けど)
ステラは再び剣を構え、鎌の攻撃をかいくぐって青年のもとに走った。あの事件の日のように、迷いなく。だが、あの日とは違い驚くほど冷静に。
「なるほど。この前と同じ失敗をしたいわけだ」
嘲りの声が聞こえる。だが、どうでもよかった。剣先が閃く。同時に、青年も鎌を持ちながら笑う。あの時と同じことが起きる――はずだった。
だが、その瞬間、ステラと青年の間でバンッ! と何かが弾けた。同時に、青年の体が軽く宙を舞う。
「――っ!?」
青年がまたまた驚いている間に、ステラは再びバックステップでその場を離れた。弾けた物が暗い道の真ん中で花火の残り火のようにきらめいている。そう、炎。もっと正確に言うのなら、炎の魔導術だった。
「油断はいけないよ、おにいさん」
「そうそう。我々調査団のことを忘れてもらっては困る」
調子のよい少年二人の声が響いた。体勢を立て直していた青年は、すっと目を細める。心なしか、その瞳は剣呑な光を帯びていた。
「悪いわね。こっからが本番よ」
改めて剣を構えなおしたステラが、にやりと笑う。そして脇には二人の少年――ジャックとトニーが立った。
クレメンツ怪奇現象調査団総出の作戦は、今ここで、本格的に始動したのである。
青年は三人の姿をとらえると、うっとうしそうに目を細めた。周囲の温度が二、三度下がったような錯覚を覚え、ステラは我知らず唇をかみしめる。
「愚か者どもの癖に」
それは、今まで聞いたことのないような低い声。同時に金髪の美少女を思い出したステラだったが、とりあえず今はその想像を払いのける。そして、いつでも剣を振りまわせるように体勢を整えた。
調査団側で口火を切ったのはトニーだ。魔導術を発動させるためのものか分からないが、手を前に突き出して言う。
「そうかな? 愚者だからこそ、あがいてると思ってもらえるとありがたいんだけど」
同時に彼の手の先に何かが現れた。よくよく見ると、それが氷の粒ということが分かる。透明なそれは、どこかの光を受けてキラキラと輝いていた。やがて周囲にも同じような粒が表れ、まとまっていく。それを繰り返し、氷はひとつの矢となった。
この光景を見た青年が、再び大鎌を構える。珍しく真剣な表情だった。
「――なら、そう思うことにするか」
相変わらず低い声で呟くと同時に、大鎌の先がギラリと光った。トニーの氷魔法とはまた違う鋭利な輝きに、ステラは息をのむ。
しばしの静寂がその場を覆った。お互いが息を殺してにらみ合い、機をうかがう。
――だが、その時間は長く続かない。すぐに動きが生じた。
トニーが手を振ることでその場から弾かれるように青年へと向かう氷の矢。対する青年は、鎌を豪快に一振りすることでそれを防ぎ、砕く。ガラスが割れるような音が周囲に響いた。
(――ここだっ)
ジャックがわずかに切れ長の目をこちらに向けてきたのが分かり、ステラも勢いよく踏み込んだ。青年が魔導術に意識を集中させている間に、極力気配を断って彼の体を狙う。
白刃は、静かに獲物を狙って閃いた。
「チッ」
だが、すんでのところで相手に気付かれた。体をひねってかわされたため、白刃は空を切る。ステラは眉をひそめたが、ここで諦めるほど軟ではない。くるくると剣を指先で回しながら相手と距離を取る。すぐさま、辺りに何かが現れた――目には見えない何かが。そしてよくよく神経を研ぎ澄ませると、それは近くの道にあった水たまりから発生しているというのが分かる。
魔導術というのは不思議なもので、物質を元素へと分解する力があるらしい。
彼女が幼馴染の言葉を思い出したのと、不可視のそれが水素であると気付いたのはほぼ同時だった。発生させたのはトニーで、続いてジャックが手元に火球を作り、放つ。
(えっ、ちょ――!)
すぐさまその意図を察して青ざめた。やるならやると言え! と胸中で背後の団員に毒づきながら後退し、用心のため伏せる。そこでようやく青年も気付いたのか、焦って身をひるがえそうとした。
だが、遅かった。
すぐに火球は青年の周りの水素にぶつかり――引火した。水素が多量だったせいか、非常にやかましい音を立てて爆発する。その中に、青年の姿は消えていった。
「今はほめたたえてやりたいところだけど、教官に見られたら停学ものよね、これ」
自然と呟きが漏れた。
何か前にもそんなことがあった気がする。思ったが、忘れることにした。そんな思考を頭の隅に置きつつ、ステラは剣を捨ててかけだした。あの青年が、このくらいでやられているとは思わない。息を殺して、もうもうと立ち込める煙の中に飛び込んだ。それからすぐに相手の影を捉え、瞬時に体勢を整えると、蹴りをお見舞いする。彼は虚を突かれたような顔をしていたが、自分が攻撃を受けたことに気付くとすぐさま鎌の切っ先をこちらに向けてきた。ステラはとん、とん、と軽やかに三歩ほど後ろに戻る。
攻撃しては、距離をとり。先程からこれを繰り返していた。そうでなければ、簡単にあの青年の攻撃をくらってしまうことに気付いたから。当然もっと違う戦い方もあるだろうが、未熟者のステラにはこれが限界である。
すぐ剣を拾い、向かってきた鎌と打ちあいをした。二、三度硬質な音を響かせながら金属がぶつかる。だが、鎌が大きく振りかぶられた時に、ステラはちょうどジャックとトニーがいる位置まで下がった。おかげで、黒塗りの刃は空を切る。
剣を構えなおしたところで、魔導術で応戦していたトニーがささやいた。
『エドワーズさん、大丈夫かな。教会には着いたと思うけど、こいつの仲間の襲撃が無いとも限らないし』
ステラは頭を振る。
『わかんないわ。けど、とりあえずレクとナタリーに任せましょう』
合わせてジャックとトニーもうなずく。ステラは再び、目の前の青年を見つめた。
彼はもう、三人の知っている飄々とした青年ではなくなっていた。