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第四話 ブルー・ゴースト(後)

「ところで、私、トレーサ付けたままだけど大丈夫かしら」


 あれからヘリから車へ、またヘリへと乗り換え、治安維持局の追手を振り切った。そして落ち着いた処で私は当然の疑問をオールドクローに投げかける。


「ああ、それは問題無い。このヘリは治安維持局のトレーサを無効化する装置が搭載されてるから。それより、僕の脱走計画に乗ったという事は、仲間になるという解釈で間違いないよね?」


 彼がそう聞いてくると想定していたけれど。脱走の機会をもたらしてくれて有り難いとは思っているけれど。それとこれとは別の話だ。


「実を言うと、まだ保留にしておきたい処なんだけど……」


 語尾を濁す私に彼は真剣な目を向けてきた。


「何が問題なんだい?」


「カサブランカで海に飛び込んでからの二時間。記憶も記録も飛んでいるあの二時間に何があったのか。私、泳ぎは得意なわけじゃないけど、海に飛び込んだ程度の衝撃で意識を失う程ヤワじゃないつもり。何があったの?」


 彼は私をジッと見詰めていた。そして眉を寄せ悩まし気な表情を作る。今の一連の様子のどれ位が作り物なのか、いくら観察しても私には判断できなかった。


「どこまで開示すれば良いのか判断に迷いますね。その検討も含め本拠地へ行きたいのですが、君の承諾が得られていない段階でそれは難しい。今ここで僕が話せる範囲で話したとして、君がそれを信じる根拠は何もないに等しい……」


『結。どうしても、今すぐ知りたい?』


 彼女(SHE)が私の意識に割り込んできた。


『ぜひ知りたい。彼の仲間となるかどうか。この決断次第では将来に大きな禍根を残す、そう私の虫の知らせが告げてる』


『わかった。量子脳の制御権を共有しましょう。記憶の空白を埋める何かが見付かるかもしれない』


 目の前のオールドクローが何かを言っているが意味が取れていない。唇の動きを読むかぎり私の了解を求めているようなので頷いておく。

 そんな彼に、彼女(SHE)が手を差し延べてくるイメージが重ね合わされた。私はイメージ上の私の手で彼女のそれを掴んだ。


 気が付くと、そこは図書館の様な所だった。背の高い本棚が前後にも左右にも無限に立ち並ぶ。天井と床の本棚同士を結ぶ曲線状の光源が、この図書館から影を排除していた。


『結。念じて。あの日を。あの時を』


 彼女の言葉通りあの任務を思い出す。オールドクローを追い掛け、岸壁を飛び越え北大西洋にダイブして……

 そのシーンを順に思い出していくにつれ、本棚の列も前後左右に移動してゆく。ダイブした所で本棚の移動は停止した。

 その本棚に繋がる天井と床の光源は、何故かきれていた。『ああ、修理が必要なのね』と考えた直後のこと。光源はチカチカと青白いスパークを発し明滅を繰り返したあと、復旧した。


『量子脳の管理機構が結のクレームに対応した結果ね』


『クレームだなんて酷い。ところで今なにが起きたの?』


『想像がついてると思うけど、その本棚は記憶の空白部分を埋めるもので、本棚につながる光源がすべて切れていたからその記憶があることすらわからなかった。でも光源は復旧したから……』


『あの時の記憶を思い出せる?』


 彼女は頷くと私と繋いでいた手をはなした。図書館のイメージが薄れてゆき、海へダイブした直後のシーンが再生されていた。


 ◇


 月明かりが並に揺れ海中は幾重もの淡い光のカーテンに飾られていた。

 浮力の足りない機械の身体は、ただただカーテンの裾へ裾へと沈んでいく。

 それはオールドクローも同様だった。彼は私の先達だった。

 光のカーテンが何かに遮られた。そして私とオールドクローはカーテンを遮るう何かに飲み込まれていった。

 光のカーテンを遮ったもの、それは潜水艇だった。潜水艇に収容された私は、狭い一室で或る女性と面会していた。その女性の後ろにはオールドクローが、そして私の後ろにも男が一人立っていた。


「はじめまして。私は月子・榊と申します。まずこんな手段で貴女をお誘いした事を謝罪いたします」


 その女性、月子は申し訳なさそうに私を見ていた。しかしその口調はあくまで役割を演じる者のそれだった。


「それで、このお誘いの趣旨は?」


 謝罪を受け入れる必要は無いと判断した私は単刀直入に本題に入る。時間の無駄は避ける。どうせ私に付けられているトレーサなど無効化されているのだから。


「貴女に、私達の組織に入って頂けないかと思いまして」


 たとえそうしたくとも出来ない事を知っている筈の彼女は、いけしゃあしゃあと提案してきた。私の眉がしかめられたのだろう。慌てて彼女は言葉を紡ぎだす。


「今現在、貴女のご家族が人質の状態ある事は調査済みです。なのでこれは取り引きとお考え下さい。貴女が仲間になるのなら、ご家族の安全を保証します。これならば一考に値するのではないでしょうか」


 この女性の考え方からは、私と同じ国の人の情緒が感じられなかった。どちらかというと、契約ありきの人種特有のどこまでもドライな匂いが漂っている。だがドライだからといって、契約不履行を当たり前とする人種かどかまでは判断がつかなかった。それを感じとるには私の人生経験が足りなかった。


「たいへん決行な話ですが、私にそれを信じさせるには我々の間の信頼が足りないと思いませんが?」


「たとえば?」


「そう、私はあなた達がどういう目的の組織か知りません。何をしているかも、そこのオールドクローとのたった二度の遭遇でしか知りません。しかもその二度は、私の敵対者……は言い過ぎですが、少なくとも友好的な遭遇では無かった。そんな未知の組織の、しかも初対面のあなたの、何を信じれば良いのか。あなたにおわかりの事があれば教えて頂きたいものです。あなたが、今の私と同じ立場にあったとして、あなたならどうやって私との信頼関係を築きますか?」


 月子と名乗った女性は暫く口を閉ざし眉根を顰める。そして紅茶が冷める位の時間が経った頃、ようやく思い口を開いた。


「確かに私が今の貴女の立場だったら、今の私の対応に私を信頼する事はできないでしょう。ただ、今の状況で組織の話をする事も、活動内容を話す事もできないのはお分かりの筈です。それらは、貴女が私達の仲間になる前提で、そうでなければ貴女の生命を奪う必要があります。それでもそれらの情報が聞きだいですか?」


 今度は私が黙らされる番だ、と彼女を思っているだろう。だがそうではない。私には切り札がある。


「私が普通の人間だったら、あなたの言う通りでしょう。でも私はああなたと同じ、ヒューミックです。全ての話を聞いた上で私が提案を拒否する、あるいは保留するようならあなたは私のその記憶を封鎖する事ができる。であれば、私は話を聞いたからといって私の自由を放棄しなくても良い筈です」


 彼女は、私の言う言葉は理解できても内容が理解できないような表情をしていた。


「それに何の意味が?」


「勘案な事ですよ。記憶を失しなった私は、おそらく治安維持局の手によって勾留されます。もし私があなたの提案を保留した場合、勾留期間中あなた達が私の為に何をするのか、その事跡は全て私があなた達を信頼するかどうか判断するための材料になります。その後、再度あなた達は私に仲間になるかどうか問えば良い。その時は、少なくとも保留という応えはしないでしょう」


 彼等は私の信頼を得るための機会を得る。私は彼等を信頼するかどうかの材料を得る。悪い話ではないと思う。あとは彼女がそれに乗るかどうかだが……


「良いでしょう。貴女の提案に乗りましょう」


 そう。これは、この状況は私が提案した状況だった。私は彼女の話を全て聞いて、その上で返答を保留したのだ。何故なら彼女の話があまりに荒唐無稽なものだったからだ。


 彼女の組織──メディングは、そもそも戦う相手が人間ではなかった。人間では無い存在との生存競争に勝ち抜くためは活動していた。

 侵入者(トレスパサー)。彼女はその存在をそう呼称していた。今はまだ知られていないその存在は、近い将来静かに、しかし確実に地球を覆い尽す。だから人間同士の争い、民族紛争や、テロ組織を統括するレコンキスタと治安維持局の抗争への介入(お節介)を行ない、人類の意志を統一しようというのが、彼女の目的だった。

 そんなおとぎ話、俄に信じられる筈もなく、だからといって即座に否定する根拠もなく、私は保留の判断をしたのだ。

 記憶封鎖処置を受ける前、私は月子・榊に訊ねた。何故私なのか、と。それに対する彼女の答えは評価しずらいものだった。


「今迄の()()から、貴女のような特殊能力者が居た場合、生存競争に勝つ確立が上がるから」


 今迄の? 彼女はどこかで、何度か同じ経験をしたとでも言うのだろうか。私の知る限り彼女の言う侵入者(トレスパサー)のような話は噂レベルでも聞いた事が無いのだが。彼女の言動は全くの嘘なのだろうか。だが話す様子を観察する限り、まったくの出鱈目を語っている様には見えなかった。だからといって、その言が信用に足るとも思えないのが現実だけれど。

 だが、こうして脱走作戦を立案・実行し、その過程で私の選択肢を奪う事が無かった事を鑑みれば、少くとも彼女は、そしてメディングの連中は本気で私の信用を得ようとしている事は伺い知る事はできた。

 ならば、彼等と共に行動する事に否を唱える事も無いだろう。

 空白の二時間を思い出した私の答えは確定した。あくまで暫定的にでわあるけれど。


 ◇


 私の返答を聞いたオールドクローは、逆に訝し気な表情を浮べた。まあ、それも当然だと思う。つい先程までの保留の態度を急遽一転させたのは私なのだから。これで、満面の笑みを浮べて私を歓迎するようであれば、私の方が彼等を疑っただろう。


「この後のスケジュールを聞いても?」


 彼は訝し気な顔をなんとか取り繕う。


「本部で、貴女の量子脳に仕込まれたトレースを除去します。これには開頭手術が必要になりますが、トレーサ除去以外の事は何も行いません」


「わかりました」


 私のあっさりとした返答に彼は変な表情を浮べた。


「僕の話を信じるのですか?」


「ええ、貴方は嘘は言わない。その言葉の裏に別の思惑があったとしても、ね。その程度の信頼は貴方にも月子・榊にも持って良いとは判断してます」


 実際の処、トレーサは既に機能停止させていた。彼女(SHE)と共に量子脳内の空白の二時間の記憶を旅した時、それに気付いた私はトレーサを無効化しておいたのだ。


「ついでにメディングのトレーサを仕込むとかはしないの?」


 仕込まれてもやはり無効化はたやすいだろううが、一応聞いてみる。


「着けません。その様なものに頼らなければ安全性を担保できない者はメディングに必要ありませんから。ちなみに貴方はメディングにおいて私に次ぐ性能のエージェントになります」


 彼のその言葉は、彼の知る限りにおいて、嘘ではなかった。そうたった今までは。

 今でも私は自分の量子脳の旅を続けていた。そうして発見したものの中には、この機械の身体の更に高度な使い方も含まれている。今迄私は私の身体を 100% 使い熟している訳ではなかったのだ。その機能を十全に発揮できれば。私は彼以上の動きを見せる事ができるだろう。

 そして量子脳の機能にかかわる私の能力がもう一つ、変化していた。

 自ら量子脳を改変する術を覚えた私の虫の知らせは、大規模かつ超高速のデータ処理に明確は方向付けを行う事で高精度の予測を行えるようになっていた。それは予知と言って良いレベルに昇華していた。

 トレーサにも人質にも縛られず、目の前の男以上に変幻自在に動け、予知による活動を行える私は、近い将来ブルー・ゴースト呼ばれるようになるだろう。

 私は本当に人間離れしたモンスターになって行くようだ。その時私はどうするだろう。人の為に働き、人の心に寄り添っていけるだろうか。私の心は遠い未来を見据え続けた。


お読み下さった皆様、ありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたら幸いです。


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