第四話 ブルー・ゴースト(前)
辺り一面鋼鉄の壁に囲まれたこの一室に閉じ込められてから何日経ったのか、私はもう数えるのを止めていた。厚さ 1メートル以上の鋼鉄の壁で囲まれたこの部屋は、私の様な特殊捜査官のための懲罰房だ。いつものナイフがあれば壁を掘り進む事もできるが、生憎ここに入れられた時全ての武器を取り上げられている。扉だとて銀行の大金庫並の頑丈さを持ち、換気用ダクトは狭すぎる。
つまり何をするのも無駄という事だ。
ここに入れられてから面会に来たものは誰もいない。ただ天上のスピーカーからエルネスト局長の尋問が一日一回、聞こえてくるだけ。尋かれる事はたった一つ。あの日カサブランカで北大西洋に飛び込んだあと何があったのか。
私の映像記録から、飛び込むまでの経緯は捕捉されている。だから私の行動は、逃亡とは見做されてはいなかった。任務の失敗が一つ増えただけだった。だが飛び込んだあと、治安局は私のトレーサを一時ロストしたらしい。再びトレーサが反応を示したのは、飛び込んでから二時間後の事、カサブランカ沖の海底からだと聞いた。見付かった時、私は意識不明の状態だったらしい。
彼女のサポートがある筈なのに、だ。更に不味い事に、その間の記録が一切無かった。意識が無いから記録が無いのではなく、まるで消去されたかのように物理的に記録が無いのだという。
この機械の身体になってからの全ての記録の中で、そのたった二時間の記録が無い事にエルネスト局長は強い懸念を抱いたようだ。彼はその二時間に拘泥った。私が何かを隠している、との疑いを持ったのだ。
私のパーソナリティを移した量子脳は、ある意味人の脳に似た働きをする。私の記録は五感から直接保存されるが、私の記憶は量子脳に蓄えられる。記憶を記録するかどうかは私の意志次第。だから局長はいつ迄たっても私を疑う事を止めないのだ。私には、その間の記憶が無いにもかかわらず、だ。
◇
「レディ・ブルー。君はあの二時間、どこで何をしていたのかね」
今日もまた、感情の無い局長の声が天井から降りてきた。私は無言を以って応える。最初の内ははっきりと言った。記憶に無い、と。
だが何度言っても彼は疑う事を止めなかった。その内、答えるのがアホらしくなってきた。彼は自分の求める答え以外、聞く耳を持たないとわかったからだ。何を言っても駄目なら、口を開くだけ無駄というものだ。
それに変な事がある。
家族の生命を盾に私を脅す事が無かったのだ。勿論、脅されたからといってある事ない事話す訳ではない。訳ではないが、私の心にダメージを与える事はできる筈なのに、それをしない。使えるものは何でも使う局長らしくないやり方だ。
その理由を知れるかどうかはわからないが、無言を繰り返す事で局長の口をすべらす事ができないか、今ためしている処だった。
だがこの賭は私の分が悪いようだ。局長の尋問は判を押したように、尋問中同じ調子で何度も繰り返される。録音された音声を再生しているかのようだ。これも一つの手なのかも知れない。催眠に掛けるように、意識誘導するかのように。だが彼女によって補強された私の意識に催眠も意識誘導も通じない。お互いそれはわかっている筈なのだ。
「また明日、この時間に尋問する」
これで今日の尋問は終わり。今日もまた無駄な時間が過ぎただけだった。まあ、今の境遇になってから無駄でない時間など少しも無かったのだけれど。
◇
「結。聞こえていたら左手で頬を撫ぜてください」
今日の尋問が終わってどれ位の時間が経ったのか、その声はどこからともなく聞こえてきた。それは、この部屋にある隠しマイクには捉えられないような、極々微かな声だ。
私は頬を撫ぜる。
「オールドクローです。取り急ぎ必要事項だけ。君の家族は僕の仲間の監視下にあります。危害を加えられる者は、治安維持局の特殊捜査官でも無理です。あまり長居できないので今日はこの辺で失礼します」
途切れた声の方向にはダクトがあった筈だ。あんな狭い所に潜めるはずがない。ファイバースコープも無理だろう。そんな長さのスコープをどこからどうやって仕込むといのか。いや、自走式なら有り得るのか?
仕事の邪魔はしてくれたし今の情報も本当かどうか確認する術は無い。だが、そういう事も有り得ると想定しておこう。
それにしてお、こんな暇潰しを提供してくれるなら少しは許しても良いかもしれない。さて次は何を見せてくれるのか、期待して待つ事にしよう。
◇
オールドクローの声が再び聞こえたのは、あれから数日後の局長の尋問が終わった時だった。
それは全開と同じ方向にあるダクトから、やはり隠しマイクには拾われない程微かな声だった。
「明日、この施設に停電が起ります。非常用電源に切り替わるまで一分あります。その間に、結、あなたは今僕の声が聞こえるこのダクトから脱走できます。ダクトの手の届くところに、君の愛用のナイフを仕込んでおくので使って下さい。脱走するかどうかは君の判断に任せます。僕の仲間になるなら脱走して下さい。ならないならどうかそのままでいてください。また君が脱走するかどうかにかかわらず、君の家族は保護します。だから君自身がどうしたいか、だけを考えて判断して下さい」
ふつりと消えた声の言った事を考える。彼の言う事の真偽は、やはり判断できない。私が彼を信じるかどうか、それだけが問題だろう。彼は信じられるか。信じるに足る理由はあるのか。
オールドクローとは二度、対面で遭遇している。一度は私の仕事が終わった後、もう一度は私の仕事を邪魔しに。最初の遭遇で感じた通り彼は私より強かった。だから一度目の遭遇で彼は私を叩きのめす事ができた筈だ。二度の遭遇でそれをしなかったのは単にクライアントの意向にそうする事が含まれていなかったから、と彼自身が言っていた。
つまり自分は無駄・無意味なことはしないし、逆にやると言った事はやる、とアピールしていた訳だ。その点だけを見れば信用できそうに思える。
だが何か胸につっかえる。そう単純に信用できない何かが。彼の笑顔は作り笑いだ。常に胸に一物あるような気がする。笑顔の裏で謀略を巡らせるタイプだ。そう私の直感が訴えている。彼の言う事は事実だとしても、それが全てな訳ではない。幾つもの別オプションを同時に進行させていそうだ。
そこまで読めている──読ませてくれているという意味で、彼は何らかの期待を私に寄せている、という事は事実だろう。それも家族の保護を恩に着せる事なく、だ。
だったら。彼のプランに乗っても良いのかもしれない。まだ時間はある。もう少し考えてから結論を出しても遅くはない。
◇
その日の局長の尋問にはいつもの鉄面皮さが欠けているように思えた。繰り返されるセリフに疲れが混じっている様に聞こえた。
「レディ・ブルー……君はあの二時間、どこで何をしていたのかね……」
その疲れの原因が、私の家族の事であれば良いと思う。どの様な状態であれ、家族が私の枷としての役割から開放された、という事を意味するからだ。問い質してみたい気もするが、ここは我慢しよう。
等という事を考えながら私は相変わらず無言の行に徹する。
そして尋問が終わり。
突然、懲罰房の照明が落ちた。
超音波ソナーでダクトの位置を見付け、走り寄る。ダクトの蓋を蹴跳ばし右手を突っ込む。上下左右を手を動かすと不自然な凹凸にに触れた。これがオールドクローの言っていたナイフだろう。それをわし掴みにしてダクトから引っ張り出した。ダクトにナイフを突き刺し身体が通り抜けられる程度に穴を広げていく。1メートル程掘り進めるとダクトは人一人が通れそうな竪穴に到達した。竪穴を上へと指で登る。ただし私の身体一つ分だけだ。
私はそこでしばし時を待った。
「おい! ここだ!」
ダクトの私が掘り進めてきた横穴から怒鳴り声が聞こえてきた。無理矢理広げられた穴を見付けたのだろう。懲罰房から消えた私の行方を探しにきた警備員達だろう。あるいは特殊捜査官の同僚かもしれない。
「どうやって、穴を広げたんだ!?」
そう言って横穴からライトを手に身を乗り出したそいつの後頭部を、私は蹴って意識を刈り取ってやった。
「おい。どうした。おい引っ張り出せ」
同僚がそいつを引き摺るように引っ張り出すのに合せ、私は再び横穴から懲罰房へと進入していく。再び戻った懲罰房には私が意識を刈ったのの他に四人の警備員が居た。まさか逃げ出した筈の私が舞い戻ってくるとは思わなかったのだろう。彼等は横穴から這い出してきた私を茫然と見ていた。だから私は残る三人にも気絶してもらう事にした。
その様子をカメラ越しに見ていたのだろう。懲罰房の大金庫並の扉が徐々に閉じていくのが目に入ってきた。天井のスピーカーは向こうの混乱した様が垂れ流しだった。
扉の開閉は非常に鈍間だった。大質量の扉がそんなに軽快に開閉できる訳がない。私は悠々と懲罰房を出ていった。
◇
何故私はオールドクローの言ったダクトから脱走しなかったのか。そのダクトの先に何が待ち受けているのか、読めなかったからだ。彼が何を仕掛けているのかわかったものじゃない。彼は脱走できるとは言ったが、安全に脱走できるとは一言も言ってはいなかった。だから堂々と扉から脱走する事にしただけだ。
廊下を駆け階段を上り下りする。
合間あいまで遭遇する警備員達は、気絶してもらった。気絶するのも職務の一つだと諦めて欲しい。
途中に立ち寄り例の煙草を幾つか拝借した。何時どこで必要となるかわからないのだ。備えあれば何とやらという奴だ。
そしてついに私は正面玄関から外へと出た。
◇
正面玄関の前には庭園風のアプローチがありその向こうにゲートがある。そのゲートのこちら側に複数の人影が居た。それはトミーと彼の配下の捕縛・連行用ロボットで、彼等はゲートを守っているようだった。
「レディ・ブルー。いや結。大人しく懲罰房に戻ってくれないかい?」
「いやよ」
お互い答えのわかっている問答を、必要だからやっている。
「君のご家族がどうなっても良いのかい」
「その脅し、もっと前に使えた筈よ」
だからもう使えないんでしょ? 口にしなかったその問いの答えは、トミーの表情に表われていた。
「君とはやり合いたくないんだよねぇ。どっちかが壊れるまで終らないからさぁ」
いきなり砕けた口調になったトミーだが、こっちが本来の彼の姿だ。
「だったらやり合わなきゃ良いじゃない? このまま見逃してくれるとありがたいんだけど?」
「おいおい、仮にも上司が見てるう前でそれはないんじゃない? 俺、命令違反でつかまっちゃうじゃない」
「大丈夫よ、あなたの責任にはならない。何故なら……」
そう言って私は指を上へ向けた。トミーがそれにつられて上を見る。そこには一機の無音ヘリがいた。
「君、結君。僕が折角用意した逃走路を何故使わないんだい。向こうの出口で待ち惚けを食らわすなんて、酷いじゃないか」
そう言いながらもヘリの搭乗口を開けてくれるオールドクローを余所に私はトミーに声を掛けた。
「という訳で、あなたは上司も見ている前で、不可抗力によって私を取り逃がしてしまったのよ。お咎めなんてないから安心して」
上空 10メートルをホバリングするヘリへと跳躍し乗り込む。扉に掴まるとヘリのバランスは少し崩れたが、すぐ樣元通り水平になり急上昇を開始した。地上のトミーの口元をズームで拡大すると。
『局長、あれは俺には無理です。俺あそこまで跳べないんで』
と言っていたのだった。




