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第三話 アゲインスト・ブルー

 午後一時のハリファクス川沿いの街路は照り付ける日差しを反射して眩しい。私は眩し街路を待ち合わせ場所のカフェへと車を走らせていた。次の任務の打ち合わせに指定されたカフェ。

 任務の指示が来る度、いや指示待ちの間でさえ良く考えれる。いつ迄こんな事をしなければいけないのか。いつ迄こんな事に耐えられるのか。

 いっその事、狂ってしまえばもう任務を遂行しなくても良いのでは? 狂人相手に家族を盾にする事は無いだろうし。

 だが残念ながら私は狂えない。何故なら彼女(SHE)がそれを許さないから。戦闘時のみならず、彼女は自分の管理する、私を含む仮想的存在の調律に余年が無い。それが彼女の存在意義の一つで、使命と言い換えても良いからだ。だから私は自分から狂う事ができない。

 同様に自殺もできない。彼女に私の有用性を認めさせてしまった以上、彼女は私を手放しはしない。

 だったら命令違反も彼女に阻止されるのでは? そんな事はなかった。実際、命令違反をしようと思った事がある。口には何度も出したし、実行寸前まで行った事もある。実行しなかったのは、家族の事を考えたからで彼女の反対にあったからではない。命令違反による抹消処分など彼女にしてみれば歯牙にもかからないらしい。どんな状況に陥っても私がいれば切り抜けられる、と彼女は考えているようだ。だから尚更私が自ら狂う事、自ら死を願う事を阻止してくる。

 詰んでる。

 私はこのやくたいもない仕事を、延々と続けなければいけない。賽の河原で石を積むように。あるいは永遠に大石を山へと押し上げるシジフォスのように。

 クソ、詰んでる。

 眩しい真っ直ぐな街路を目的のカフェへと車を走らせながら苦虫を噛み潰したように舌打ちする私の姿は、傍から見れば狂人のようだろう、と心の片隅で冷静に判断する自分が恨めしい。

 本当に狂ってしまえれば良かったのに。

 クソッ。


 目的地のカフェの駐車場に車を乗り入れ、エンジンを止める。これから始まる苦痛の時間に耐えるため、深呼吸を繰り返す。

 カフェに足を踏み入れる心の準備ができ車を降りようとしたとき隣のレストランが目に入った。

 何故? 特に気を引くものなど見当たらないのに。

 時間を確認する。約束の時間まで、まだ少し余裕がある。何が私の気を引いたのか確認するため、私はもう少しレストランを注視する。

 それは直ぐに判明した。そして、さっさとカフェに入らなかった事を後悔した。

 レストランのエントランスから出てきたのは女の子を真ん中した親子連れだった。親子は仲良さそうに手を繋いでいた。母親と思われる女性は私と同じ位の年齢に見える。その女性のお腹は僅かに膨らんでいる。

 気付かぬ内に私は自分のお腹を手で押えていたようだ。人工的に発熱された、人の体温に近いそのお腹はしかし、何も孕めない高分子の皮膚に隠されたメタリックな部品の集合体にすぎない。

 胸中に得体の知れない塊りがせり上がる。その塊りは私の心を酷く傷付け、ずたずたに切り裂いていく。言葉にすれば、まだマシになるのだろうが、私にはそれに的確な言葉を与える心の余裕はなかった。

 私はその親子から目を逸らした。これ以上見続けたとして何も変わる事は無い。私は既に死人だ。生ける屍だ。

 そう、私は亡霊。生けるものにこんな感情を抱く資格など無い、人外の存在。

 目を瞑り、大きく息を吸い、吐く。

 私は車を降り、カフェへと向かった。


 ◇


 そのカフェの街路に面した席は、午後の陽光で溢れていた。そんな窓際の席にやせ型の、日溜まりは不似合いな陰気な男が座っていた。陰気な男は、つまらなそうに開いた本を眺めていた。

 入店した私を席に案内しようとする接客係の女性に、連れがいると断わりを入れ、その男のテーブルへと進んでいく。


「よう、早……くもないか。5分前だしな」


 陰気な男は、腕時計を見ながら私に声を掛ける。


「あなたこそ。何時から居るの。ああ答えなくても良い。単なる挨拶。興味がある訳じゃない」


 ホットコーヒーを注文し、サーブされるまで、私お陰気な男は無言の時を過ごす。


「さて次の任務だが」


 接客係が去り、本と閉じた陰気な男面倒臭そうに話し出す。


「来週、カサブランカだ。詳しい情報はここに。君には今直ぐ現地へ行ってもらう」


 陰気な男は閉じた本を私に差し出す。


「場所はリックの店?」


 怪訝そうな顔をする男に私は嗤う。ボガートもバーグマンも彼には通じなさそうだ。200年以上前の有名人など記憶に留めている人の方が珍しいのかも知れない。

 私は男の差し出した本を受けとる。


「つまらない冗談よ。気にしないで」


 コーヒーを飲み干し私はそのカフェを後にした。


 ◇


 カフェを去った十数時間後。深夜の月明かりの元ビルの屋上から私はその広場を監視していた。ここはカサブランカ、アラブリーグパーク南端にある円形の広場。そこが本に隠された情報ににあった取り引き場所だった。

 広場は開けっ広げな空間で、秘密にしなければならない取り引きの場所としては不適切に思えた。だが、あまりに開放的すぎて密かに接近する事ができないという意味では最適なのかも知れない。逃走経路も幾らでもありそうだ。

 広場南を通る街路の公園入口前に複数の車のヘッドライトが停止する。これから周辺のチェックが始まるのだろう。このチェックをどうやってやり過ごすか、それが私の第一のクリアポイント。ここまで来なければ良いと思いながら屋上に寝そべり顔だけを彼等に向ける。

 彼等のうちの一人が私の方に視線を向けてきた。まあ、当然だろう。ここは狙撃するなら絶好の位置なのだから。

 透明にはなれないかな、と心中呟けば、なれる訳ないでしょう、と彼女(SHE)が呆れる。

 視線を向けていたそいつがビルに近づく。そして指と足だけを使って壁を登り始めたのを確認できたので、私は給水タンクのそいつからわ見えない面にへばり付いた。

 壁を登りきったそいつの足音が聞こえる。こっちには来ないで欲しい、と願いながらも、それは無理な相談かと思い直す。そんな微温い組織なら私の仕事はもっと楽なものになるのだけど。

 そいつの足音が近付いてきた。まだ戦闘モードへは切り替えない。そんな事をしたら直にバレるに決まっている。だがいつでも切り替えられるよう準備だけはしておく。できれば戦闘はしたくない。そいつからの連絡が途絶えたら取り引きが中止されるだろうから。

 そいつは給水タンクをこちら側へと回り込んできた。そいつがタンクを見上げたとしても、そこに私は居ない。足音からそいつの位置を推定していた私はタンクの側面を、そいつの死角になるよう移動していたから。指先と足だけで。音もなく。

 ただ、私がそこに居たという痕跡を完全に消せた訳ではない。痕跡に気付かれらばそいつは給水タンクを執拗に調べ始める筈。そうなったら見付かるのは時間の問題だ。


「……了解」


 そいつの声が聞こえる。タンクからカツンという音がした。と同時に視野が激しく揺れた。タンク自体が揺さ振られているのだと気が付き、振り落とされまいとしがみ付く。数秒間の事だったが体感的にはもっと長くそうしていた様な気がした。


「虫は居ない。直ぐ戻る」


 震動が収まるとそいつの声は、足音と共に遠ざかっていった。なんとか第一段階はクリアしたようだ。広場の監視に戻ろうか。


 ◇


 私がそいつと鬼ごっこをしている間に取り引き相手が到着していたらしい。月明かりの元、広場の円形の池の傍で護衛を引き連れた二人の男が握手しているのが見えた。片方の目のズーム機能を最望遠にした私は二人の唇の動きを読む。


『今宵は良い月だね』


『三日月と星には敵いませんが』


 二人はアタッシュケースを交換し背後の護衛の一人に手渡した。中身を確認した護衛が頷く。


『良い夜でした。次にお会いする時もこんな夜になれば良いですな』


 意識を切り替え、戦闘モードに入るやいなや、屋上からビルの壁を駆け下りる。地面に到達するまで一秒。あの二人までの距離は後一秒程。充分間に合う。そう考えた時、首筋にピリリとした刺激が走った。時間遅延の感覚にある高速移動中の私の目の前に、あの男の姿がコマ落しの様に現れた。オールドクローと名乗ったその男を躱そうとしたが、いつの間にか私の右腕は男の右手に掴まれていた。


「大人しくしてくれないかな? 今回の仕事もあの取り引きを邪魔させない事であって、君と戦う事じゃないのでね」


 私はオールドクローを凝視した。この男は私より速く、そして力がある。右腕の拘束を外そうとしても微動だにしない。


「彼等の安全が保証されるまで、お喋りでもしないかい?」


 何を馬鹿な事をほざいてるのか。密売人達を追い掛けなければいけないのに、男の右手がそれを許さない。


「君は僕をレコンキスタの一員だと思ってるかもしれないけど」


 広場へ視線を向ける私の遅延感覚中の目には密売人達はまだ数メートル歩いただけ。


「彼等は僕のクライアントの一つに過ぎないんだ」


 けれどその数メートルは私が無駄な時間を過ごしているという証で。


「クライアントの要望に君の排除は含まれてないけど」


 この男、煩い。私は睨みつける。


「放せ……」


 低い声で言うもローティーンのガキを見るような目つきをされる。


「君に興味があったから色々と調べたよ。家族を人質にとられてるんだって? 治安局も酷い事をするね」


 それは私の逆鱗に触れる話で、体温調整が完璧な筈の機械の身体に、強い寒気と高熱が交互に幾度となくはしる。


「そんな組織、抜けちゃえば良いと思わないかい?」


 私に家族を捨てろというのか! お前にそんな事を言われる筋合いは無い!


「僕の仲間なら君の家族を保護できるんだけどね。そうしたら君も僕の仲間にならないかい?」


 その言葉に思考が止る。何を言ってる? 家族を保護? こいつの仲間になる? 冗談なら止めて欲しい。


「冗談じゃあ、ないんだけどね。っともう大丈夫かな。彼等も無事、お帰りになった様だし。今の提案、ゆっくり考えてよ。次に会う時は良い返事を期待してる」


 そう言って右腕の拘束を外した男は掻き消える。だが私の聴覚は男が北へ向かう足音を捉えていた。音も無く移動できる筈なのに、だ。これは誘いか? などと考える間もなく私は彼を追う。

 ヤシ並木の間の遊歩道を北へ北へと走るオールドクローの背を私は全力で追う。私より速く走れる男の背が見えている事に疑問を抱きつつ私はその背を追い掛ける。

 500メートル程の遊歩道を 5秒で掛け抜けた私はアラブリーグパークの外に出た。通りを幾つか飛び越える。この先は旧市街地だが、男は姿を晒すように建物の屋上を音もなくひた走る。

 旧市街地を抜けた先には港がある。船で逃げるのか? だが港にはこの国の軍艦が停泊している筈だ。軍の目を掻い潜る事ができるのか? 無理だろう。

 そう考えた私を嘲笑うかのようにオールドクローはいきなり方向を西へと変えた。その行く手には高い塔の様なものが見える。あれはモスクの象徴だった筈だ。男はそれを目指して走り続け、私もその背中を追い続けた。

 球に視界が開ける。モスク前の広場を男は西へ西へと直走る。その先にあるのは、岸壁。そして北大西洋の暗い海だ。

 オールドクローは躊躇なく岸壁を飛び越えた。一瞬私の方を見た。


──ついてこれるかい?


 それは、私を挑発しているように見えた。安い挑発。やはり誘われていたようだ。だが、私はその挑発に乗った。私は躊躇う事なく、男を落って岸壁を飛び越え、夜の北大西洋へと飛び込んだ。


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