第一話 ブルー・ウイング
「よお! ねえちゃん。これを探してるんだろ! 極上もん紹介するぜ! 天国から帰ってこれなくなるって奴だ!」
薄汚い中年の卑猥なハンドサインとともに掛けられたダミ声に私は足を止められた。私の身体をねっとりと舐めるように見るその中年に、氷点下の視線を突き刺す。
「……必要ない」
だが、その中年は私の氷点下の視線に気づくようなメンタリティは持ち合わせてなかったようだ。
「痩せ我慢すんなよ! 500ユーロドル( 5万円程度)ぽっちで天国行き確定さ! 足腰立たなくなる事請け合うぜ!」
やすりでも削れそうにない神経の持主にこれ以上付き合ってる暇はない。私はその中年から視線を外し立ち去る。
「すかしんじゃねーよ! 欲求不満女がよ! ここいらじゃ俺が一番の上物を扱ってんだ! おめーにゃもう二度と紹介してやんねぇかんな! この糞女が」
酷い臭いを撒き散らす汚泥のようなダミ声が段々背後に遠ざかり、街の喧騒にかき消された。
私は人込みの中を特に急ぐ事なく歩き続ける。周囲の喧騒は先程のダミ声中年のものとさほど変りはない。ゴミの様な街の、ゴミ以下の扱う商品が男娼か娼婦か非合法薬物か密輸品か、という違いがあるに過ぎなかった。
「ユイ。あまり目立つな」
すれ違いざまに掛けられた囁きに私は小く頷く。声を掛けた相手は私の首肯など気にもとめないだろうが、それが私の両親の長年の躾の成果なのだから仕方がない。
路地裏への入口で一旦足を止め、スーツの胸のポケットからシガレットケースを取り出す。煙草を一本口に咥え火を着け胸深く吸い込んだ。
私はこのゴミの様な街並みを眺めるともなく眺めた。かつて偉容を誇ったビルディングは無残に崩れ、ウィンドウショッピングで賑わっていただろう街路も瓦礫塗れ。今この街にいるのはいかがわしい客引きと客だけ。これが、かつてはビッグアップルと呼ばれ世界経済の中心の一つだったとは冗談としても口に出したくなない。
これが、お人好しな国民が無能でブラフだけの為政者を選んだ結末だった。その無能な為政者のブラフは各方面の恨みを買い、結果としてテロ組織ネットワーク・レコンキスタによるこの残骸製造の最大の功労者の汚名を彼に与えた。
以降この街はあらゆる犯罪・悪徳の温床となっってしまった。現代版ソドムとゴモラといった処か。暴力・売春・違法薬物に違法取り引き。何でもござれのこの街にかつての栄華や誇りを思い出させるものは何一つ残ってはいない。
煙草を吸い終わり、吸殻を携帯アッシュトレーに放り込む。マナーのためではない。足下には幾つもの吸殻が散乱している。今更私が一つ二つ増やしたところで誰も気に留めないだろう。捨てない理由は私が此処にいたという確実な証拠を残さないためだけだ。
アッシュトレーをスーツの内ポケットに仕舞い、私は路地裏の暗がりへと身体を溶暗させていった。
◇
路地裏を足音を忍ばせながらしばらく進むと異臭が濃くなってくる。どぶ泥の饐えた臭い。真面な神経の持主なら一秒たりとて長居したくは無いだろう。鼻は曲りそうになるし服にも髪にも、肌にも染みつきそうだから。
ひそひそ声が聞こえてきたのは、そんな路地裏の一角にある廃倉庫の中からだった。私は完全に気配を消し、廃倉庫の入口に近付く。ひそひそ声に神経を集中させる。
「こいつがご希望の APFSDS 徹甲弾の倍以上の浸透力がある弾だ。約束通り 50発持ってきている。陸軍から引っ張ってくるのに、ちょいと苦労したが、発射装置付きで一発 15,00 0ユーロドルの破格値だ。しめて 750,000ユーロドル。後金の用意は問題無いな?」
「無論、問題無い」
カチャっという音が聞こえる。アタッシュケースを開けた音だろう。同時にゴトっという音も。商品と金の確認だろう。何人もの人が動く気配が感じられた。
「問題なさそうだ。お前さんの処じゃないが、たまに偽札で誤魔化そうなんてやからがあるんでね」
「こちらも大丈夫の様だ。君のところは信用がおけるから本来ならこんな事をしなくても済むんだが。これも必要な手続きなので勘弁してくれ」
「気にすんな。また入用があったら声を掛けてくれ」
「そうしよう」
どうやら取り引きが成立したようだ。ここからは私の出番。私は一気に素早く廃倉庫の中に押し入る。進入に気付いた男達の視線が全て私に集中した。
「世界統治機構治安維持局特殊捜査官、結・杉村です。合衆国陸軍カーネル大佐。横領及び北アイアランド解放戦線との武器密売買の現行犯で拘束します」
おそらく金の入っているだろうアタッシュケースを抱えた小太りの男が唾を吐きながら喚き散らした。
「何で誰も気付かねぇ! クソ! 所詮女一人だ。ダン、さっさと片付けろ!」
カーネル大佐の背後にいた巨躯の男がのっそりと進み出る。みるからにパワータイプだ。ひとまず様子を見よう。
ゆっくりとこちらに向かってきた巨躯がいきなり目の前から消え失せる。へー、意外とスピードがある。巨躯の割にスピードのあるヒューミックじゃない。でも慌てる必要性は全然感じない。私は奥歯を噛み締めた。それはトリガー。正確には奥歯を噛み締める事で意識のスイッチを切り替えた。瞬間、目に映る全ての物が動きがスローモーションになった。
意識のスイッチを切り替え、ナノセカンド単位で大量の情報を処理する私にとって、その場の全員が時間停止のパントマイムを演じているように見える。私の左の死角へ回り込もうとしている巨躯の男でさえ、水中で必死に足掻こうとしている鈍間にしか見えない。
視野の隅にこの状態の残り時間のゲージを呼び出す。ゲージの目盛を見る限り時間は充分にありそうだ。路地裏に入る前に一服した煙草──実際には私の人工の身体を動かすエネルギー源──が効いている証拠だ。
右手にスーツの袖口から滑り出させたナイフを握り、ダンに正対し身体を戦闘モードへと切り替える。スーツの背中のスリットから排熱フィンを露出させる。フィンからは青白い放射光が放たれていることだろう。まるでそこに翼があるかのように。
ダンに向かい力の半分を開放し接近する。水中でもがくかのような彼の背後に回り込み、ナイフをその四肢に斬り付ける。超高張力鋼製の刃を超音波帯の震動を纏わせた両刃のナイフはダンの高分子の皮膚を切り裂き、人工筋繊維を断ち、硬い高硬度金属骨を切断した。彼の四肢はその巨躯からゆっくりと離れていく。自身に何が起ったのかまだ理解していないダンの視線は先程まで私が立っていた場所を見詰めていた。
水中遊戯中のダンは放っといてナイフをスーツの袖口にしまう。あとは動かないパントマイムアクター達に死なない程度に当て身を食らわせ床に転がしてゆく退屈な作業を淡々と熟す。
作業ご終わり視野の隅のゲージがまだ半分以上残っているのを確認し私は意識を元に戻した。ダンは大きな音を立て顔面を床に強打していた。それ位で壊れるような柔な身体は持っていないだろう。カーネル大佐以下取り引きにかかわった者は全員床に転がり大人しくしていた。見たところざっと 50人程か。
「ブ、ブルー・ウイング……!?」
床に転がるカーネル大佐が息を飲み目を見開いて私を見ていた。私の排熱フィンからの放射光を見てのセリフだろう。彼を一瞥する。が声を掛ける事はしない。意味が無いから。ここから先はトミー、すれ違いざま囁いた彼、の仕事だ。
体内温度が落ち着いたところで私は排熱フィンをスーツの下に隠し戦闘モードを解除した。
「いるんでしょ。後はお願いね」
姿を見せず近くに隠れている筈のトミーに声を掛け、私は廃倉庫から出ていく。廃倉庫内からトミーの声が聞こえたような気がしたが、私は構わず歩き続ける。 それは私の仕事ではないからだ。
◇
廃倉庫を出てどぶ泥の臭いが薄れたところまで歩く。路地裏への入口まではまだ少しある。まだ午後も早い時間だというのに、何故か路地裏に差し込む陽の光は薄暗い。
煙草を一本とり出し火を着ける。深く吸い込み、くわえ煙草で路地裏入口を目指す。長い長い数分間の後、吸殻をアッシュトレーに放り込み内ポケットにしまう。と同時に戦闘モードへ切り替え済みの身体をバックステップで一気に数メートル後ろに跳躍させた。さっきまで私が居た位置には一人男が立っていた。
男は洒脱な格好で普通の人のように見えた。だが、私が煙草を取り出すまで気配ひとつ感じさせなかったこの男が只者の筈がない。気配を感じとれたのもわざとに違いない。
「流石です、結・杉村さん。噂通り、いや噂以上の方のようで嬉しくなってしまいます」
にこやかな笑みを浮かべた男は自然体でただ立っているように見えた。だが私の警戒センサーは過去最大レベルでこいつを危険だと訴えていた。死神に遭遇し生還した人なら今の私の危機感をわかってもらえるだろうか。
「その背中の排熱フィンからの特徴的な放射パターンがブルー・ウイングの由来ですか。とても美しい」
そう言いう男の右手にナイフが現れた。マジックでも使ったかの様に現れたそのナイフの刃先は、薄暗い路地裏にもかかわらずギラリとした光を私に見せる。
勿論マジックなんかじゃない。何故なら私の右手にも男がそうするのと同時にナイフが握られていたからだ。
つまり、この男も私と同じ人工の身体を持つという事だ。そして性能も同等以上。男に遅れをとらないよう隅々まで観察する私に、相手はニッコリと微笑む。いつの間にか男の右手からはナイフが消え失せていた。
「今日は間に合わなかったようですし、貴女と戦う事が今日の仕事の主目的ではありません。なので今は挨拶だけに留めておきましょう。私はオールドクローと呼ばれています。またお目にかかれる日を楽しみにしています。では」
そう言って男は静かに身を翻し立ち去った。私は出る筈のない冷や汗が吹き出るのを感じる。男がわざと気配を感じさせてなければ今の襲撃を避けられたか、私にはいくら考えても確信が持てなかったからだ。
ある筈のない心臓を鷲掴みにされる錯覚を感じながら、私は男の去っていった路地裏通りをいつ迄も見据え続けるのだった。




