幕間①【BSS】僕を裏切ったあの娘が困ってるけど、もう遅い
ここの夜は静かだ。
静かなほど、人は本音を隠せる。
炉の火が揺れる部屋で、男は一枚の紙を見下ろしていた。
整いすぎた筆跡。署名なし。
それでも上の匂いだけは、はっきりする紙。
男はそれを迷いなく炉に落とした。
端から丸まり、やがて灰になる。
「…次は」
背後に控える者が、音もなく一礼する。
影の仕事に慣れた動き。足音すら抑えている。
「報告いたします」
「言え」
「書記官ラウル、確保されました」
「実働も捕縛。王宮の側が罠を張っていました」
男の表情は変わらない。
想定の範囲だ。
「第一王女が?」
控えの者が短く頷く。
「魔法兵を配置し、近衛を隣室に待機させ」
「合図で突入させました」
男は炉を見つめたまま、薄く息を吐いた。
(似ている)
脳裏に浮かぶのは、侯爵令嬢だった頃の彼女。
あの、冷たいほど澄んだ知性と、感情を見せない横顔。
そして今、その面影は王妃の顔ではなく。
黄金の髪の小さな王女のほうに宿っている。
控えの者が言葉を足す。
「ラウルは上の名を出しておりません」
「命令はメモで受けたと。机の上に置かれていた、と」
男は小さく頷く。
「それでいい」
「窓口は切る。下は勝手に崩れる」
控えの者が一瞬だけ逡巡する。
「…伯爵筋も、切りますか」
男は即答した。
「切れ」
目的は国を良くすることではない。
目的は、邪魔を減らすこと。
そして、可能性を近づけること。
男は炉の灰を棒で軽く崩しながら、淡々と指示を出す。
「手配は別線へ移せ。出入りの痕は残すな」
「全て消せ。今すぐだ。太陽が昇る前に」
控えの者が一礼する。
「御意」
去ろうとした控えの者を、男が呼び止めた。
「もう一つ」
「は」
「第一王女の目は、どうだった」
控えの者は短く答える。
「怒りません」
「恐怖も見せません」
「尻尾は掴めない、今はと割り切る種類の目です」
男は、そこで初めて微かに笑った。
穏やかで、柔らかい笑み。外で見せるのと同じ形。
だが内側は、違う。
「合格だ」
控えの者が僅かに眉を動かす。
「…合格ですか?」
男は炉の火を見つめたまま言う。
「捕まらない敵を前にしても、勝ち方を切り替える」
「“あれ”は、それができる」
控えの者が低い声で問う。
「次は、どう動きますか」
男は即答した。
「動かない」
「今は向こうに花を持たせろ」
火がぱちりと弾ける。
男は、ほんの少しだけ視線を上げた。
窓の向こうの闇ではなく、思い出のほうを見ている目で。
(邪魔をしないよう、ひっそり生きようと思っていた)
それが変わったのは、彼女に会った日だ。
笑っていた。聡く、誇り高く、誰の物にもならない顔で。
なのに彼女は他の男に嫁いだ。
その瞬間、男の中で何かが折れ、何かが生まれた。
歪んだ考えだと分かっている。
分かっているから、表には出さない。
温厚に。冗談を言い。剣も握る。
演じながら、待つ。
そしていつしか、憎しみの矛先は彼女にも移った。
それと同時に、興味は娘へ向いた。
(新しい彼女だ)
(お古ではない)
控えの者が去ったあと、男は独り言のように呟いた。
「…太陽だけじゃない」
「月もいる」
誰に言うでもない。
言う必要もない。
男は、穏やかな笑みのまま、灰をならした。
朝の光は、昨夜の濁りを洗い流すみたいに白い。
王宮の回廊を歩く足音も、いつもより軽い。
「…夜襲を退け、内通の窓口まで確保」
「王宮でここまで手早いのは久しぶりだ」
侍従たちが小声で交わす。
誰もがひとまずの安堵に酔っている。
その空気の中を、一人の男がすっと通り抜けた。
国王アルベルトの弟。
王弟殿下。
兄とは四歳差。
背は高すぎず、痩せすぎず、剣を持てば隙がない。
しかし普段は、穏やかで、柔らかく、ユーモアを忘れない。
挨拶は丁寧で、声は優しい。
誰にでも同じ温度で接する。ように見える。
侍従が一礼する。
「殿下。昨夜は」
男は軽く手を振った。
「いい、いい。君たちが働いたんだ」
「私は…朝が弱いだけさ」
くすり、と笑う。
場がほぐれる。
そういう笑いの作り方を、この男は知っている。
そして、回廊の角。
そこに、黄金の髪の小さな背中があった。
アリシアだ。
侍女に囲まれ、普段通りの顔をしている。
だが昨夜の疲れは、ほんのわずかに目元に残っていた。
男は歩幅を合わせ、自然に隣へ並ぶ。
侍女達が頭を下げ、脇に控える。
「おはよう、アリシア」
「昨夜は大変だったそうだね」
アリシアは一拍置いて、礼儀正しく答える。
「おはようございます」
「ですが、王族の務めです」
男は微笑む。
褒める時の、柔らかい顔。
「立派だ」
「君は…本当に強い子だ」
その言葉だけなら、ただの励ましだ。
だが、アリシアは感じてしまう。
見られている。
褒められているのに、皮膚の下が冷える。
まるで“試験の採点”みたいに。
男は何気ない口調で続けた。
「…まだ、会えないのかな」
アリシアの瞳が僅かに動く。
(なぜ、その話題を今ここで?)
男は気づかないふりをして、穏やかに笑う。
「いや、心配でね」
「姉は頑張りすぎるだろう?」
アリシアは答えを選ぶ。
「…いずれ、落ち着けば」
男は満足げに頷いた。
「そうだね。落ち着けば」
「…焦る必要はない」
言い方が、妙に重い。
アリシアが返す前に、男は話題を変えた。
「そうそう。君の合図の出し方、実に合理的だった」
「“そこ”の一言で、全員が動いたのだろう?」
アリシアの心臓が、ひとつ強く打つ。
(なぜ、そこまで)
男は笑って肩をすくめる。
「噂だよ」
「王宮は耳が早い」
噂で済む範囲を、ほんの少しだけ超えている。
でも証拠はない。
問い詰めれば、こちらが負ける。
男は最後に、優しく頭を下げた。
「頑張りすぎるな」
「君は、王家の光だ」
そう言って去る。
背中は穏やかで、礼儀正しく、隙がない。
残されたアリシアは、数秒だけ立ち止まった。
(尻尾は掴めない)
(今は)
けれど、ひとつ確信が増える。
王宮の内側に、
自分と妹の存在を数えている者がいる。
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