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第64話 王妹殿下とおにぎり

クロエのストレスは、限界を超えていた。


名簿。礼法。挨拶文。座席順。贈答の相場。

「笑顔の角度」とかいう謎の概念。

そして何より、失礼の地雷原。


(俺は、戦争をしに来たわけじゃない)

(でも今、完全に戦争してる)


その日の午後。

クロエはリディアに髪を整えられ、深呼吸を三回させられ、

「大丈夫です、クロエ様は可愛いです」を一回ぶち込まれてから、

アリシアの執務室へ向かった。


「お茶会の打ち合わせに参ります」


声は王妹。

心はもう、乾いた雑巾。


扉が開く。

紙の匂い。インクの匂い。

そして、女王の部屋の静けさ。


机で書類をまとめているアリシアが顔を上げる。


「来たのね」


その声だけで、クロエは少しだけ落ち着くはずだった。


アリシアの机の端。

湯気の立つ湯呑み。

澄んだ香り。緑茶。


そして、その隣に。


おにぎり。


白い米が握られている。

海苔が巻かれている。

塩が光っている。


クロエの脳内で、何かがぷつんと切れた。


(米、米!?)

(え、なんで!?)

(え、俺が何回頼んでも「庶民が好むものです」って断られた米!?)


クロエは、ゆっくりと、机に近づいた。


足取りは丁寧、所作は完璧、顔はにこやか。


ただし、目が笑ってない。


「…お姉さま」


「お茶会の段取り、最終確認よね。座席順は」


クロエは、机の上を指差した。


「それは、なに?」


アリシアが一拍止まる。

視線だけで「それ」を確認する。


「おにぎり」


クロエの頬が引きつる。


「…なぜ?」


アリシアは平然と答える。


「差し入れ」


クロエの笑顔が、ぴくっと揺れる。


「…誰に?」


アリシアは、何でもないことのように言う。


「私に」


次の瞬間、クロエの内心の社畜が絶叫した。


(自分用!?王宮で!?)

(許されるの!?)

(え、なに?女王権限!?)


クロエは一歩、ぐっと踏み出す。

そして、低い声で言った。


「米、私も頼みましたよね?」


アリシアは「うん」と頷く。

頷いた。普通に。


クロエの口元が引き攣る。


「厨房に断られましたよね?」


「うん」


クロエのこめかみが痙攣する。


「…なのに?なぜ?」

「お姉さまは、食べてるの?」


アリシアは、そこでようやく気まずそうに目を逸らした。


「…ええと」


クロエが詰める。


「まさか」

「女王だから出せると?」


アリシアは小さく息を吐いて、観念したみたいに言う。


「宰相が持ってきたの」

「集中が切れた時に効くって」


クロエが、静かに震えた。


「…宰相」


(あのおっさん、やりおったな…!)


クロエは、机の端を両手で掴んだ。

姿勢は正しい。

ただし、声は完全にキレてる。


「私は!王宮で米を食べたかった!」

「魂のソウルフードを!」

「何回頼んでも、庶民扱いで断られたのに!」

「お姉さまは机でおにぎり! しかも緑茶!」


アリシアが、珍しく目を丸くする。


「…クロエ、落ち着いて」


クロエは落ち着いてる。

落ち着いて、怒ってる。


「落ち着いてます」

「所作、見てください」

「超落ち着いてます」

「だから余計にムカつくんです!」


アリシアが思わず口元を押さえる。

笑いを堪えている。


「ふふ…」


クロエが睨む。


「笑うなぁぁぁ!」


アリシアは、笑いを引っ込める努力をしながら言った。


「ごめん」

「でも、これは本当に息抜き用で」


クロエは即座に反撃する。


「息抜きは私も必要なんですけど!?」

「私は着せ替えと礼法と名簿で胃が爆発寸前なんですけど!?」


アリシアは一度、湯呑みを置いた。

そして、真顔でクロエを見た。


「…分かった」


「厨房に言う」

「クロエの間食として、米を許可する」


クロエの怒りが一瞬で揺らぐ。


「…ほんと?」


アリシアは頷く。


「女王権限で」


クロエの表情が、ぱぁっと明るくなるが、すぐに戻る。


「…いや、違う」

「本来、最初から許可しろよ!」


アリシアが、今度はまっすぐ謝った。


「ごめん」

「私も、米がそんなに重要だと思ってなかった」


クロエは言い返そうとして、止まった。


机の横に置かれた緑茶の香りが、

懐かしすぎて、胸がきゅっとなる。


クロエは、少しだけ声を落とした。


「一口、もらっていい?」


アリシアは、ほんの少しだけ嬉しそうに頷いて、

おにぎりを半分に割った。


「はい」


クロエは受け取る。

両手で、丁寧に。


塩、米、海苔。

たったそれだけで、心の奥がほどける。


クロエは、泣きそうな顔で言った。


「これだよ…」

「これが、俺の燃料だよ…」


アリシアは、静かに笑った。


「じゃあ」

「お茶会の作戦会議の前に、燃料補給ね」


クロエは頷き、噛みしめる。


(…よし)

(米があるなら、戦える)


そしてクロエは思い出したように、鋭い目で言った。


「あとで宰相にも言う」

「私にも、集中が切れた時に効くってな」


「宰相、泣くわね」


「泣かせる」


湯気の立つ緑茶の隣で、

小さな王妹はようやく息をついた。

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