第62話 王妹殿下と王家の社交
会議室は、昼前の光で白く明るかった。
だが空気は、まだ冬のように張っている。
宰相を中心に、主要閣僚が揃っていた。
財務、法務、外務、軍務。
そして壁際に近衛隊長、席の端にレーヴェン侯。
もう一つ、女王のすぐ傍にクロエ。
ルドルフ殿下の「ご病気」「静養」が公式に発表されてから三日。
反王国府の諸侯は、表向きは頭を垂れた。
表向きは。
それでも、港都の空気は少しだけ軽くなった。
火種は、ひとまず箱に入ったのだ。
アリシアは机に手を置き、全員を見回した。
いつもの仮面はある。
けれど、庭の朝を知る者だけが分かる。
今日の彼女は、氷ではない。
「始めます」
声は短い。女王の声。
だが、そこに無理がない。
宰相が頷く。
「ルドルフ殿下の件は、想定通り沈静化しております」
「諸侯は…口には出しませんが、様子見です」
財務大臣が続く。
「市場も落ち着きました。港の出入りも回復しています」
「ただし、王位が不安定だという観測は消えません」
外務大臣が言う。
「帝国、連邦、幕府の動きも同じです」
「我々の内部が安定しているかを測っています」
アリシアは頷いた。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「だからこそ、私は正式な戴冠を行います」
一瞬、会議室の空気が固まる。
反対の声ではない、早いという驚きだ。
宰相が慎重に問う。
「…時期は」
アリシアは迷わない。
「三ヶ月後」
「国葬は終えた。喪は喪として守った」
「これ以上、空白を伸ばす理由はありません」
レーヴェン侯が、低く言う。
「理に適う」
「諸侯も外も、王位が座ったと理解する」
軍務大臣が少しだけ顔をしかめる。
「警備が最大の懸念です。殿下の派閥は沈黙していますが…」
「沈黙は、必ずしも諦めではありません」
近衛隊長が毅然と述べる。
「戴冠式の警備計画は、三案準備可能です」
「王宮内・港都内・城外誘導、すべて二重三重に」
アリシアは一度だけ視線をクロエへ落とした。
クロエは、ちょっとだけ背筋を伸ばす。
(来るぞ、俺の出番)
「クロエ。あなたも、同席します」
閣僚の何人かが目を瞬かせる。
まだ七歳の王妹、表に出始めたばかり。
だがアリシアは、わざとそれを言う。
「女王は一人ではない」
「王家が揺らいでいないことを示す」
外務大臣が、慎重に言葉を選ぶ。
「…王妹殿下の存在を、諸侯は揺さぶりに使う可能性もあります」
「揺さぶられるのは、隠すからです」
「私は隠しません」
その言葉に、会議室の空気が変わった。
(陛下が攻めに転じた。)
宰相が、静かに頷く。
「承知いたしました」
「儀礼局に準備を命じます。諸侯への通達も整えます」
法務大臣が言う。
「戴冠の宣言文、王権の根拠、王国府の継続性。整備します」
「殿下の療養と矛盾しない形に」
アリシアは淡々と指示を出す。
「式は簡素でいい。だが、隙は作らない」
「宗教勢力への根回しを優先」
「諸侯への席次は、こちらが決める。揉めさせない」
「帝国・連邦・幕府には、招待状を出す。ただし人数は制限する」
クロエが小さく手を挙げる。
「質問」
全員の視線がクロエに集まる。
クロエは内心、「うわ、会議ってこれだから胃が痛い」と思いながらも、言う。
「戴冠式ってさ、要は見せるイベントだよね」
「なら、見せたいものは二つじゃない?」
アリシアが目だけで促す。
クロエは指を二本立てた。
「一つ、王国府が動いてる」
「二つ、王家が『家族』として残ってる」
閣僚が微妙に息を呑む。
政治の場で家族と言い切るのは、強い。
クロエは続ける。
「だから、式の最後」
「姉が女王として立ったあとに、私も一歩前に出る」
「王妹として、支えるって誓う」
アリシアの表情が、ほんの僅かに柔らかくなる。
それを隠すように、すぐ頷いた。
「採用します」
クロエは心の中でガッツポーズする。
レーヴェン侯が、短く笑った。
「月が言うと、説得力があるな」
クロエはむっとする。
「月って言うな」
「いや、言うなじゃなくて…まあいいや」
会議室に、ほんの少しだけ笑いが落ちた。
アリシアが締める。
「決まりです」
「三ヶ月後、正式な戴冠」
「その日までに、港都と王国府を完全に立て直す」
「そして」
アリシアは一度だけ、強く言葉を落とす。
「二度と、王位を空白にしない」
宰相が立ち上がり、深く頭を下げる。
「御意」
閣僚も続く。
宰相が立ち上がり、深く頭を下げる。
「御意」
閣僚も続く。
「御意」
「御意」
レーヴェン侯は最後に、短く。
「御意」
クロエも、真似して小さく言った。
「…御意」
アリシアが、ほんの一瞬だけ口元を緩めた。
そしてすぐ、女王の仮面に戻る。
だが、その仮面はもう壊れたものではない。
太陽の女王たる顔だった。
戴冠式まで、あと三ヶ月。
王宮は毎日が嵐だった。
儀礼局の足音、仕立て屋の布の擦れる音、書状の束が机に積まれていく音。
廊下の角で人が頭を下げ、別の角で人が走る。
それでも港都は、落ち着きを取り戻していた。
市場は回り、港は動き、商人は「通常」を装うのが上手い。
だからこそ、次の火種は内側から上がる。
会議の合間。
宰相はアリシアとクロエだけを残し、扉を閉めた。
近衛も距離を取る。静かな執務室。
宰相は深く一礼して、言った。
「陛下。王妹殿下」
「一つ、進言がございます」
アリシアは頷く。
クロエは椅子の端で足を揃え、身構える。
宰相は続けた。
「これまで、王宮における諸侯との社交は、前王妃殿下が担っておられました」
「諸侯の奥方、ご令嬢方との茶会、贈答、口利き、季節の挨拶」
「…表に見えませぬが、王国府の血流の一部でございます」
アリシアの目が細くなる。
理解している。だからこそ、痛い。
宰相は淡々と告げる。
「その席が、空いております」
「諸侯の奥方方から、声が上がっております」
アリシアが短く問う。
「内容は」
宰相は言葉を選ばない。選べない。
「女王陛下は、我らをどう扱われるおつもりか」
「王家の御内に、婦人の座は存在するのか」
「我らは、どこに忠誠と感情を預ければよいのか」
クロエは心の中で叫ぶ。
(出たよ!)
(政治って、結局これだよな!? 人間関係の流通!)
アリシアは静かに息を吐いた。
「私は…時間がない」
宰相が頷く。
「承知しております」
「戴冠式の準備、諸外国への応対、王国府の再編。陛下お一人では不可能です」
沈黙。
三人とも、答えは見えている。
宰相が、最後の一押しをするように言った。
「となれば…」
「王宮の婦人の座を、どなたが担われるか」
クロエの背中に、嫌な汗が落ちた。
(まさか…俺?)
(いや、俺いま七歳! 無理だろ!)
(でもこの世界なら、へーきへーきって顔で放り投げるやつだ!)
アリシアはクロエを見る。
視線が、明確に「頼めるか」と言っている。
クロエは、笑うしかない。
「…ちょっと待って」
「それ、妹に投げるやつ?」
宰相は微動だにしない。
その顔が答えだ。
「王妹殿下は、王家の血を引かれます」
「そして何より、まだ空白である社交の場に、王家が戻る象徴となります」
その顔が答えだ。
「クロエ、あなたならできる」
クロエは即座に反論しようとして、止まった。
できるかどうか、じゃない。
やるかどうか、だ。
(くそ…)
クロエは、前世の社畜の悪い癖で、条件整理を始めた。
(社交=情報)
(奥方=家庭・領地の空気のハブ)
(令嬢=婚姻ネットワーク=同盟の種)
(ここ抑えないと、諸侯は女王は孤立してるって噂を回す)
そして、気づく。
(俺がやるなら…俺の目的にも都合がいい)
(政略結婚を回避するには、情報と根回しと味方が要る)
クロエは小さく咳払いした。
「…わかった、ただし条件がある」
アリシアが頷く。宰相も。
クロエは指を立てる。
「私は社交係じゃなくて、王家の窓口って扱いにする」
「女王の代行じゃない。女王の意思を伝える場」
「茶会は軽く。回数は絞る」
「月に1回か2回」
「リディアは絶対同席」
「礼法と危険察知と、私のメンタルケア担当」
宰相が即答する。
「可能です」
アリシアも言った。
「私からも命じる。リディアはあなたに付く」
クロエは、最後に一番大事な条件を言う。
「変な縁談を持ってきたやつは…」
「姉ちゃんが叩き潰して」
アリシアが一瞬だけ笑う。
「任せなさい」
クロエは力が抜けた。
(終わった…俺の平穏、終わった)
宰相が、実務の話に入る。
「では、まずは最初の一回を」
「王妹殿下も慣れておりませぬし、王宮内で小規模な茶会を催しましょう」
「諸侯の奥方からは、既に名簿が届いております」
宰相は机に薄い束を置いた。
そこには整然と並ぶ、家名と人名と、簡単な注記。
クロエはそれを見て、胃がきゅっとなる。
(うわ、これ…)
(日本で言うところの、取引先の奥様会じゃん)
アリシアが静かに言った。
「クロエ、あなたは一人じゃない」
クロエは鼻で笑って誤魔化した。
「知ってる」
「でも、胃は一つなんだよ」
宰相が淡々と締める。
「王妹殿下が動かれれば」
「諸侯の奥方方は、王家が戻ったと安心します」
「そして同時に」
「王国府にとっては、諸侯の内側へ糸を通せます」
アリシアの瞳が、わずかに鋭くなる。
「…糸の扱いは慎重に」
クロエも、内心で頷いた。
(社交ってのは、剣より怖い)
(でも、だからこそ武器になる)
窓の外。
港都の鐘が鳴る。
王宮は慌ただしい。
だが、次の戦場は茶会だ。
そしてその戦場に、七歳の王妹が放り込まれる。
クロエは心の中で叫んだ。
(サポセン!)
(ここから入れる保険は!?)
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