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第59話 王妹殿下と壊れる音

ルドルフは、押さえつけられたまま笑った。


いや、笑おうとして顔が歪んだ。

怒りと涙と唾が一緒になって、喉の奥でぐちゃぐちゃに混ざる。


近衛が腕を捻る。

「静かに!」


「黙れ!!」


ルドルフの叫びが、中庭に突き刺さった。

茶器も、芝も、諸侯の喉も、全部が一瞬で凍る。


彼は顔を上げ、アリシアを見た。

見ているのに、見えていない。

そこにいるのは王でも女王でもなく、欲しかったものだけだ。


「カタリーナ!」


名前を呼んだ瞬間、アリシアの指先がわずかに震えた。

だが仮面は崩れない。

崩れないからこそ、余計に残酷に響く。


ルドルフは続けた。


「俺は…あの人を…」

「誰よりも、先に見つけたんだ!」


声が掠れる。

言葉が幼子みたいに乱れる。


「侯爵家の庭で、あの人が笑った」

「剣の話をしたら、目を輝かせた。俺に向けて笑ったんだ!」


諸侯の中から、息を呑む音が漏れた。

近衛が顔をしかめる、宰相は目を伏せる。


だがルドルフは止まらない、止まれない。


「なのに!」


彼の視線が、レーヴェン侯へ飛ぶ。

次に、アリシアへ戻る。


「兄が奪った!」

「王太子だ、王だ、正統だ…そんなもの、肩書きだろうが!」


喉から、獣のような声が出た。


「この国が奪った!」

「王冠だの、血筋だの、継承だの…」

「全部、俺から奪うためにあるんだ!」


息が荒い。

押さえつけられているのに、胸だけが前へ突き出る。


「俺は王になりたかったんじゃない」

「俺は…カタリーナが欲しかっただけだ!」


言ってしまった。

自分で言って、引き返せなくなった顔。


「俺が王になれば、俺のものになるはずだった」

「そうだろう!?」

「王なら、何だって出来る!王なら、誰も逆らえない!」


近衛の指が強く締まる。

骨が鳴るほどに。


ルドルフは痛みに歯を食いしばり、それでも笑った。


「…でも、間に合わなかった」


目が赤い、血走っている。


「兄は王になった。カタリーナを妻にした」

「そして…子を産ませた」


言葉が針になる。


「…アリシアを」


その名を呼ぶ口調が、ひどく甘い。

甘いから、さらに気持ち悪い。


「お前は…あの人に似ている」

「髪も、眼も、立ち方も…強い意志も」


ルドルフは、熱に浮かされたみたいに呟く。


「俺はようやく手を伸ばせると思った」

「カタリーナじゃない、兄のお古じゃない」


「新しいカタリーナだ」


その瞬間、レーヴェン侯の剣先が、わずかに上がった。

殺気ではない。

抑えきれない怒りが、一瞬だけ剣に乗った。


真田も、微かに眉を動かす。

折れた柄を握る手が、きしむ。


アリシアの仮面は崩れない。

崩れないまま、目だけが凍る。


そして、ルドルフの視線が月へ滑った。


白い肌、銀の髪。

椅子に座り、笑顔を保とうとしている王妹。


ルドルフの表情が、憎悪へ反転した。


「クロエ!」


吐き捨てるように言った。


「お前が来た、お前が現れたから!」

「お前が、あいつの隣に!」


叫びが裂ける。


「奪った!アリシアの隣を奪った!俺の場所を奪った!」


クロエの喉が、無意識に鳴る。

(…は?俺、何したっけ)

(いや、してるけど…そこまでか!?)


心の声はいつものキレなのに、背中が冷える。


ルドルフはなおも吐き出す。


「病だと隠れて!突然現れて!周りの目を奪って!」

「アリシアの視線まで奪って!!」


息が切れて、嗤いに変わる。


「だから殺すつもりだった。撃つつもりだった」

「お前を消せば、太陽は戻る」


「戻って、俺を見る」


ルドルフの目は、もう人の目じゃなかった。

狂気の目だ。

世界が自分の欲望だけで出来ている者の目。


言い終えた瞬間、彼はふっと力を抜いた。


そして、壊れたように笑った。


「全部だ、俺は全て奪われた」

「だから、奪い返すだけだ」


茶会の庭に、重い沈黙が落ちた。

諸侯の誰も、もう言い訳できない。


王国府の横暴だの、幼い女王の解放だの、そんな物語は今この瞬間、粉々になった。


残ったのは、ルドルフのむき出しの欲望。

そして、それを聞かされた王家の沈黙。


アリシアは微笑の仮面のまま、ただ一言だけ落とした。


「記録しなさい」


その声は冷え切っていた。

涙も怒りも、表には出ない。


だが、クロエにだけは分かった。


姉の中で、何かが静かに壊れた。

そして同時に、何かが決定的に固まった。


アリシアは、仮面を外さなかった。


ルドルフの叫びが庭に刺さったまま、誰もが固まっている。

諸侯は青ざめ、近衛は呼吸を止め、使用人は目を伏せる。


その中心で女王だけが、計算していた。


(ここで斬れば、私が勝つ)

(だが国が負ける)


ルドルフの処刑は簡単だ。

罪状も揃う。今の言葉だけで足りる。


けれど。


処刑台は、噂の台でもある。

民衆は血より先に物語を飲む。

諸侯は忠誠より先に弱みを数える。

帝国と連邦は正義より先に口実を探す。


【王家の醜聞】


その文字は、国境より速く走る。


(…駄目だ)


アリシアは目線だけで宰相を呼んだ。

声は出さない。必要ない。


宰相が一歩前へ出る。顔が強張っている。

彼だって理解している。今ここで処刑は、国の喉笛を差し出すのと同じだ。


アリシアは、穏やかに言った。


「叔父上は…取り乱しておられる」


諸侯が息を呑む。

取り乱しという言葉は、毒にも薬にもなる。

狂気を罪にしない。罪を病へ移す。


アリシアは続ける。


「重い疲労と、長年の心痛が重なったのでしょう」

「いま必要なのは裁きではなく、静養です」


静養。

それは、牢より柔らかく聞こえる鎖。


宰相が即座に合わせる。


「殿下はご療養のため、離宮へ」

「近衛は護衛として付き、外部との接触を禁ずる」

「医師団は『病状』を管理し、記録は王国府が保管します」


病という箱に入れれば、外へ漏れる穴を塞げる。


アリシアは頷き、近衛隊長へ視線を投げる。


「今日の庭にいた者の口は、王国府が預かります」

「誰が、何を、どこまで見聞きしたか。全員、確認して」


隊長が一礼する、目が冷たい。


ルドルフは叫ぶ。


「ふざけるな! 俺を閉じ込める気か!」

「俺は!俺は!」


「叔父上」


アリシアは、たった一言で止めた。

声量は小さいのに、庭全体の空気が従う。


「女王の勅です」


その言葉に、諸侯の背筋が伸びる。

ルドルフの身分は高い。だが女王の前では、ただの臣下だ。


ルドルフは呼吸を荒げ、歯を剥く。

それでも、近衛の腕の中で暴れるしかない。


レーヴェン侯が、剣先を完全に下げて言った。


「連れて行け」


その声は、戦場の終結宣言だった。


近衛がルドルフを引きずるように退かせる。

砂利が鳴り、外套が地面を擦る。


ルドルフは最後までアリシアを見ていた。


「お前は…!俺の!」


扉が閉まり、その声も途切れた。


庭に残ったのは、茶の香りと、血の匂いと、沈黙。


アリシアは、諸侯に向き直る。


「驚かせてしまい、申し訳ありません」


微笑む。そして、揺るがない。


「王国府は機能しています。港も市も、揺らぎません」


揺らいでいないという宣言は、政治そのものだ。


諸侯は膝を折り、頭を下げるしかない。

この場で反論した者は、醜聞の共犯になる。


それを知っているから。





夜、王宮の執務室。


人払いされた部屋に、アリシアと宰相とレーヴェン侯だけがいる。

ロウソクの火が小さく揺れる。


宰相が声を絞る。


「…本当に、病ということでよろしいのですか」


アリシアは答えない。

代わりに、机上の紙を指でトントンと叩いた。


淡々と、順番を整理する。


「いずれ裁くために、今は裁かない」


レーヴェン侯が、低く唸る。


「甘い、とは言わんが…正しい」


宰相が躊躇いながら、最後の問いを落とす。


「…では、将来」


アリシアの目が、ロウソクの火を映す。

熱ではない。冷たい光。


「時が来たら」


言葉が、氷のように落ちる。


「女王の最後の慈悲として…盃を」


宰相が息を止める。

レーヴェン侯は、目を閉じた。


アリシアは仮面を外さない。

だが、その声はもう少女のものではなかった。


「私情ではありません」

「国のためです」


そう言い切ってから、ほんの一瞬だけ小さく震える。


父と母の顔がよぎる。

生まれてくるはずだった命がよぎる。


そして、アリシアは口の中で、誰にも聞こえない誓いを結んだ。


(父上、母上)

(アルトフェンは沈ませない)

(この国の庭は、二度と汚させない)

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