第58話 王妹殿下は見届ける
レーヴェン侯は、刃を合わせながら理解していた。
この男も、同じだ。
銃声が戦場を支配し始めた時代。
隊列が強さを決め、補給が勝敗を決め、帳簿が国を動かす時代。
剣は、誇りであっても主役ではなくなっていく。
それでも。
どうしても、諦めきれない者がいる。
剣を握ることでしか、自分が自分でいられない者がいる。
真田 源五は、そういう男だ。
剣で生き、剣で証明し、剣で死ぬ。
それ以外の生き方を、選べない。
(ワシも、同じだった)
胸に、古い記憶が刺さる。
若い頃、血と泥と鉄の匂いの中で、剣だけを信じていた頃。
勝つことでしか、家も国も守れないと信じていた頃。
だが今は違う。
レーヴェン侯は剣だけではない。
剣を握る手の中に、重ねてきたものがある。
娘、カタリーナの笑顔。
不器用な王、アルベルトの背中。
太陽のように立つアリシア。
月のように黙って見ているクロエ。
家族。
守るべきものが、
人を超える力になる時がある。
真田の刃が走る。
迷いのない一太刀。
美しい、恐ろしい。
そして、どこまでも孤独だ。
レーヴェン侯は、その孤独を受け止めるように剣を立てた。
衝撃が庭を震わせる。
火花が散る、芝が抉れる。
真田が踏み込み、さらに斬る。
斬る、斬る、斬る。
刀はまるで雨のように落ちてくる。
レーヴェン侯は、退かない。
一歩も。
剣の時代の終わりなど、知っている。
それでも、ここだけは譲れない。
守るべきものがある限り。
剣に意味がある限り。
真田の刃が、今までで最も深く入る。
レーヴェン侯の腕が痺れ、骨が鳴る。
血が増える。
(…強い)
真田の強さは、技でも魔力でもない。
生き方だ。
剣だけで自分を肯定する、
その狂気じみた純度が強さになる。
だからこそ——レーヴェン侯は、心の中で一度だけ祈った。
(終わらせてやる)
真田のためではない。
アリシアのため。
クロエのため。
そして、カタリーナのため。
侯の魔力が、静かに変わる。
強くなるのではない。
大きくなるのでもない。
揺るがないものになる。
まるで大地だ。
踏み締めた地面そのものが、剣へ流れ込む。
真田が気づく。
一瞬だけ、目が細くなる。
(…来る)
真田は最後の太刀を選ぶ。
全てを賭けた一太刀。
己を肯定するための太刀。
レーヴェン侯は、迎えない。
叩き折る。
剣が、わずかに角度を変える。
刃を受けるのではなく、刃の根元を狙う。
ここで折れれば、全てが終わる。
互いにそれが分かっている。
真田の刃が落ちる。
レーヴェンの剣が上がる。
一瞬、庭の音が消えた。
そして——金属が割れる、乾いた音。
真田の刀が、根元から砕けた。
刃が空を舞い、白砂利に突き刺さる。
ひと欠片、ふた欠片。
まるで舞い散る花びらのように。
真田は動かない。
折れた柄だけが、手に残る。
彼はそれを見下ろし、
それから、ゆっくり息を吐いた。
「…ああ」
笑っていた。
悔しさでも、怒りでもない。
どこか、満足した笑みだった。
「…剣に生きた」
「剣に、負けた」
レーヴェン侯は剣先を下げる。
真田を斬らない。
そこに、勝者の驕りはない。
ただ、言葉が落ちる。
「…貴様の剣は」
「誰よりも強かった」
真田は、折れた柄を握りしめたまま、顔を上げる。
「強いのは…お前だ」
そして、少しだけ目を細めた。
「いや…家族、か」
レーヴェン侯は答えない。
答えは、背中にある。
庭の奥、太陽と月がいる場所に。
彼の剣に乗っているものが、
真田には眩しすぎたのかもしれない。
砕けた刃の破片が、夕陽を反射して光る。
それはまるで——
剣の時代が終わる瞬間にだけ見える、
最後の煌めきだった。
中庭が、沈黙に沈んだ。
刃が砕けた音の余韻だけが、まだ空気に残っている。
誰も言葉を出せない。
諸侯たちは、戦いを見たことがある。
だが、今目の前で起きたのは戦ではない。
人が人を超える瞬間を見せられた。
それに、言葉が追いつかない。
真田 源五は、静かに立ち尽くしていた。
折れた柄だけを握りしめ、
目線は下でも上でもない。
ただ、そこにいる。
あれほどの男を、本来なら取り押さえるべき近衛すら動けない。
動けば、斬られる。
そう感じたのではない。
動けば、この静けさを汚すと感じたのだ。
レーヴェン侯も剣先を下げたまま、息を整えている。
その背中は、まだ戦場の最中にある。
アリシアは微笑を貼り付けたまま、瞳だけが冷たく光っていた。
クロエは椅子の上で、息の仕方を思い出すのに必死だった。
(…終わった、のか?)
(いや、終わってない)
(これ、まだ本題が残ってるやつだろ)
その本題が、音を立てて入ってきた。
砂利を踏む音。
足を引きずるような、乱れた呼吸。
誰かが、庭の入口を見た。
そこにいたのは、近衛に両腕を押さえられた男。
ルドルフ。
髪は乱れ、外套の裾には砂がつき、
額に汗が滲んでいる。
だが目だけは、燃えていた。
怒りと、焦りと、執着。
そして、恥。
本来なら、ここに立つはずのない者。
本来なら、裁かれる側として姿を見せるべきではない者。
なのに、彼は来た。
来てしまった。
沈黙を破ったのは、彼の声だった。
「…レーヴェン!」
声が掠れている。
怒鳴っているのに、どこか泣き声みたいに震えている。
近衛が腕を強く締める。
「殿下、お静かに」
「黙れ!」
ルドルフは振りほどこうとする。
だが封魔の気配がまだ残っているのか、身体が言うことを聞かない。
怒りで顔が歪む。
そして、ルドルフの視線が…。
アリシアを捉えた。
黄金の髪。
まっすぐ立つ姿。
女王の仮面。
それを見た瞬間、ルドルフの表情が変わる。
怒りが、甘さに溶ける。
執着が、痛いほど露骨に顔を出す。
「…アリシア」
呼び方が、王族の呼び方ではない。
血縁の呼び方でもない。
所有者の呼び方だ。
その瞬間、諸侯の空気が変わった。
理解が追いついてしまった者たちが、背筋を冷やす。
【ああ、そういうことか】
レーヴェン侯の目が、わずかに細くなる。
怒りではない。軽蔑でもない。
確信だ。
ルドルフは、アリシアから目を離せない。
近衛に押さえつけられているのに、身を乗り出す。
「…なぜだ」
「なぜ、俺を拒む!」
「俺が、王になればいい」
「俺が、お前を守る」
「王国府の横暴から、お前を…」
言葉が、途中で崩れる。
言っている本人が、いま自分が何を言っているのか分かっていない。
ただ、欲しい。
ただ、手に入れたい。
その本音だけが、漏れている。
アリシアは微笑を崩さないまま、言った。
声は柔らかい。
柔らかいのに、刃のように冷たい。
「叔父上」
その呼びかけだけで、庭の空気が凍る。
「あなたは、間違えました」
ルドルフの目が揺れる。
「間違えた…?」
「何がだ」
アリシアは一歩も動かない。
それでも、圧がある。
「あなたは、王国を語りました」
「けれど、あなたの目は最初から——」
一瞬だけ、視線がクロエの方へ動く。
月を見る、ほんの一瞬。
そして戻る。
「私しか見ていない」
ルドルフの唇が震えた。
否定したい。
だが否定できない。
その時。
真田が、ゆっくりと顔を上げた。
折れた柄を握ったまま、
静かに、静かに息を吐く。
「……」
何も言わない。
だがその沈黙が、逆に重い。
この場にいる誰よりも、
剣の理由を理解しているのは、この男かもしれない。
真田はルドルフを見ない。
アリシアも見ない。
ただ、レーヴェン侯を見ている。
「…終わったのか」
その目が訊ねていた。
レーヴェン侯は、答えない。
剣を下げたまま、ただ一歩前に出る。
ルドルフが息を呑む。
「…来るな」
「俺は王族だぞ!」
レーヴェン侯の声が落ちる。
「知っている」
そして、庭全体に届く声で言った。
「だからこそ、止めねばならん」
近衛がルドルフを押さえる力を強める。
諸侯がざわめきそうになり、また沈黙する。
クロエは心の中で呻いた。
(うわ…)
(これ、茶会どころじゃねえ)
(歴史の教科書に載るやつだろ…)
アリシアはまだ笑っている。
だが仮面の裏で、心臓だけが早く打っていた。
これは政治だ。
これは裁きだ。
これは家族の決裂だ。
そして。
茶会の庭は、
本当に“庭”になった。
王家の庭。
侵す者を、二度と許さない庭。
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