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第56話 王妹殿下と異国の剣士

中庭の入口。

白砂利の上を、足音がひとつ。


それだけで、庭の空気が一段冷えた。


現れた男は、招かれた客のように歩いてきた。

堂々と。遠慮も、怯えも、逡巡もない。


黒でもない。派手でもない。

ただ、異国の布を着ている。

帯の位置が違う。歩幅が違う。視線の置き方が違う。


そして何より——腰に、刀。


長い。


こちらの騎士剣とは違う、細く、反りのある刃。

抜かずとも、そこに斬るがある。


諸侯のざわめきが、遅れて来た。


「…あれは」

「異国の者だ」

「島国か?」

「いや、髷がない」

「幕府の使節…?」

「違う、あんな者は聞いていない」


声は上がるのに、誰も立てない。

立てば、次に斬られる気がするからだ。


男は止まらない。

白砂利を踏み、芝へ入る。

その音が、やけに大きく聞こえる。


人か。あれは本当に人なのか。

そんな疑問が、自然に浮かぶ。


体が、作り物みたいに静かだ。

呼吸が見えない。

目の焦点が合っていないようで、すべてを見ている。


アリシアは立ったまま、動かない。

微笑も崩さない。

その目だけが、氷のように研ぎ澄まされている。


クロエは椅子に座ったまま、喉の奥で乾いた唾を飲み込んだ。


(やっべ…)

(あれ、強いとかの次元じゃねえ…)


リディアはクロエの背後へ半歩ずれ、身体で守る位置に入る。

指先がわずかに震えた。

勇気が足りない震えではない。

身体が死を理解した震えだ。


そして、庭の片隅で。

レーヴェン侯が、ゆっくりと前へ出た。


走らない。構えない。

ただ、数歩。


それだけで、男の歩みが僅かに変わる。

さっきまで一直線だったものが、ほんの少し揺れる。


異国の侍は、初めて立ち止まった。

視線が、レーヴェン侯に刺さる。


男が、口を開く。

声は低い。アルトフェンの言葉を話しているが、どこか音が硬い。


「ここが、太陽の庭か」


諸侯が息を呑む。

意味が分からない。だが、言いたいことは分かる。


アリシアが、一歩も動かずに返す。


「招かれぬ客に、茶は出せません」


侍は、ゆっくりと笑った。

笑ったのに、目は笑っていない。


「茶などいらぬ」

「剣の礼法で十分だ」


その言葉に、諸侯の誰かが思わず声を漏らす。


「…剣の、礼法?」


侍は視線も向けず、淡々と告げる。


「異国の王に会うのなら」

「刃を見せ、刃で礼をする」


礼——つまり、斬る。


その瞬間。


レーヴェン侯が、息を吐いた。

短い吐息。

だが、それで庭の空気が変わる。


老人の目が、戦場のそれになる。


「…名を名乗れ」


異国の侍は、少しだけ顎を上げた。


「真田 源五」

「朝廷府、剣の座より」


“朝廷府”

その単語に、諸侯の顔色が変わる。


島国の朝廷。

権威だけのはずの存在。

それが、剣を寄越した。


クロエの背筋が冷たくなる。


(朝廷が剣を出すって、だいぶ末期じゃね?)

(しかも、こんなの寄越すとか…)


真田は、ゆっくりとレーヴェン侯へ一歩近づいた。


「噂に聞く、銃弾を斬る騎士よ」


レーヴェン侯は答えない。

答える必要がない。


その代わり、アリシアが言う。

声は澄んでいる。冷たい。


「ここは茶会の場です」

「剣舞を望むなら、場所を変えなさい」


真田は、首を振った。


「いや、この庭がよい」


そして、彼の視線が一瞬だけ、クロエへ滑った。


クロエは笑顔を崩さない。

崩せない。

だが心の中の社畜が叫ぶ。


(見たな!?今見たよな!?)

(俺、狙いに入ったよな!?)


リディアの手が、クロエの椅子の背を強く掴む。

動くな、逃げるな、今動けば死ぬ。


ノクスの気配が、どこかで一瞬揺れた。

影が、息をした。


レーヴェン侯が、静かに言う。


「女王陛下、お下がりを」


アリシアは、首を横に振る。


「いいえ」

「ここは、私の庭です」


その瞬間、真田がわずかに笑った。


「よい」

「見届け人がいるのは、武士の本懐」


そして。

刀の柄に、指がかかった。


抜くまでの、たった一瞬。

庭の時間が、伸びる。


諸侯は固まったまま。

誰も声が出ない。


人なのか、あれは。


その疑問が、答えを失ったまま宙に浮く。


次に鳴るのは、茶器の音ではない。

金属が、世界を裂く音だ。



庭の空気が、刃の匂いに塗り替わった瞬間。


真田 源五は、迷わなかった。

視線は真っすぐ、レーヴェン侯。


「参る」


たったそれだけ。

言葉に礼もない。威嚇もない。

武人同士の合図だけが落ちる。


そして、真田は踏み込んだ。


音が消える、芝が裂ける。

刀が抜かれる音すら短い。

刃が走る軌跡だけが、白い線のように空気を切る。


レーヴェン侯も動く。

年齢など、関係がない。

身体強化の魔力が、目に見えない圧となって庭を押す。


剣と刀。

真正面からの衝突。


金属の音が一発。

硬い。重い。

その一撃で、諸侯の心臓が揃って跳ねた。


中庭の中央。

茶器の並ぶ卓が、ずいぶん遠くに見えた。


音はふたつだけ。

刃が鳴る音。芝が裂ける音。


そして時々、金属が世界を叩き割るような一撃。


レーヴェン侯 と真田 源五。

銃の時代に取り残されていく、騎士と剣士。


諸侯は息の仕方を忘れていた。

誰もが戦を見たことはある。

騎士の突撃も、銃列の斉射も、処刑台の血も。


だが、これは違う。


これは、兵の戦ではない。

英雄の戦でもない。


人の形をした何か同士が、互いの世界を削り合っている。


真田の踏み込みは、滑るようだった。

地を蹴っているのに、地が彼を押し返しているように見える。

刀は軽い。

軽いのに、当たれば岩でも裂けると分かる鋭さがある。


風を切る音すら遅れて聞こえる。

刃が通った後の空気が、遅れて裂ける。


対してレーヴェン侯は、動きが少ない。

剣は大きい。

体格も真田より大きい。

なのに、重くない。


彼の身体強化は、派手な光ではない。

ただ、世界の法則を一段だけ上書きしているような気配。

筋肉が増えるのではなく、重力に逆らう。


真田の刃が喉元へ走る。


一瞬消える。


いや、消えたわけではない。

死角からの刃が迫る。

が、レーヴェン侯の剣が、そこに先に置かれていた。


騎士剣と刀と乾いた音。

火花が散る。


真田は引かない。

火花の中に踏み込み、逆手で刃を返す。

角度がありえない。

刀がしなるように曲線を描き、脇腹を狙う。


レーヴェン侯は、腰だけで避けた。

足が動いていない。

腰だけ。

人間ができる動きではない。


真田が、低く笑う。


「…噂以上だ」

「銃弾を斬るとは伊達ではない」


レーヴェン侯は返さない。

返す必要がない。

返事の代わりに、剣を落とす。


上段から、まっすぐ。

速度ではなく、重さで押し潰す一撃。


真田はあえて受けた。

受けた瞬間、芝が抉れ、足元の石が鳴った。


耐えた。


それだけで異常だ。

普通なら、受けた腕が砕ける。

骨が折れる。肩が抜ける。


だが真田は、受けたまま笑った。


「よい…!」

「これだ…!」


喜んでいる。

死に場所を見つけた武士の顔だった。


次の瞬間。


真田が消えた。


いや、まただ。

消えたのではない。

視線が追いつかない位置へ移動しただけ。


レーヴェン侯の背後。

首筋へ刃が走る。


今度こそ間に合わない。


そう思った瞬間、レーヴェン侯の剣が背中側へ置かれる。


置かれた剣が、真田の刃を弾いた。

弾いたのに、剣の軌道は乱れない。

まるで背中に目がある。


諸侯の誰かが、掠れ声で呟く。


「…人、か…?」


別の誰かが震えながら答える。


「…いや」

「人が…ここまで、なるか…?」


クロエは椅子の上で固まったまま、心の中だけで叫んでいた。


(おいおいおいおい)

(これ、ゲームでも盛り過ぎって言われるやつだろ!)

(剣で空間切ってんじゃねーの!?)


リディアはクロエの背後で、呼吸を殺したまま。

だが目だけは逸らさない。


怖いからではない。

一瞬でも逸らしたら死ぬと、身体が理解しているからだ。


レーヴェン侯の額に、薄く汗が浮かぶ。

真田の息が、わずかに荒れる。


互角。


だが、互角という言葉すら陳腐だ。


真田が、ふっと息を吐く。


「…異国の女王よ、感謝するぞ」

「よい庭だ、よい敵だ」

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