第52話 王妹殿下は覚悟を決める
クロエの胸が冷える。
リディアの背筋が張る。
クロエはさらに踏み込む。
口調は丁寧。中身は詰問。
「犬がいない」
「姉上が犬を外に出した時は、だいたい…」
言いかけて、言葉を飲む。
ここは執務室。壁にも耳がある。
言い切ると危ない。
アリシアは、わずかに口角を上げた。
肯定の笑みではない。
“よく分かったね”の笑みだ。
「…正しい推測」
そして、アリシアは机の引き出しから、小さな紙を出した。
封のない、短いメモ。
「公爵家からの情報」
「ルドルフが島国の朝廷側と繋がっている可能性がある」
クロエの目が細くなる。
(外の影、来てる…)
(しかもよりによって、朝廷の忍びとか最悪のやつ)
アリシアは言葉を重ねる。
「港都は止まっていない、だから外は表立って動けない」
「ルドルフは、朝廷は港を止めたい」
「止めれば、外が嗅ぐ」
クロエは小さく頷く。
理屈は分かる。
だから、茶会の意味も分かってしまう。
「…じゃあ」
クロエが小声で言う。
「茶会は、ルドルフを」
「誘う」
アリシアが即答した。
言い切った。もう隠さない。
リディアが息を呑む。
クロエは拳を握りそうになるのを、膝の横で止めた。
「私が餌になる」
アリシアは淡々と言う。
「王宮は檻、檻なら捕まえられる。逃げ道も塞げる」
「外に燃え移らせない形で、終わらせる」
クロエの声が震えそうになる。
震えを抑えて、抑えて、抑えて。
「私は餌の添え物?」
アリシアの視線が、少しだけ柔らかくなる。
ほんの一瞬。
その一瞬だけ、姉の目だった。
「クロエ…あなたは、鍵」
「王弟が踏み込む理由」
「そして、踏み込んだ瞬間に彼を折る理由」
クロエは、理解してしまう。
太陽と月がいるから、ルドルフは理性を捨てる。
ルドルフは自分をさらけ出す。
捕まえられる。
クロエは息を吐いた。
怒りと怖さが混ざった息。
「怖いよ」
思わず出た本音。
アリシアは目を逸らさない。
「…私も怖い。でも、王だから」
クロエは沈黙した。
そして、最後に問う。
これだけは確認しないといけない。
「私は、どう動く?」
「茶会の席で、私は何をすればいい?」
アリシアは答えた。
短く、命令に近い言葉で。
「生きて」
「そして…私の合図があるまで、動かないで」
クロエは笑いそうになった。
最悪の指示だ。一番難しい。
でも、今の自分がやれることはそれしかない。
「…わかった」
リディアが一歩前に出る。
声は低く、しかし硬い。
「女王陛下」
「王妹殿下の安全確保は、私が必ず」
「命に代えても」
アリシアは頷いた。
その頷きは、王の頷きだった。
「頼む」
クロエは一礼する。
王妹の礼。そして扉へ向かう。
背中に、アリシアの声が刺さった。
「クロエ」
「…ありがとう」
クロエは足を止めずに、ほんの少しだけ顔を横に向けた。
公の場ではない。二人きりでもない。
だから言い方を選ぶ。
「…うん」
「お姉ちゃん、死なないで」
リディアが息を止める。
近衛が聞いていないか、クロエは一瞬だけ気にした。
でも、アリシアの目が揺れたのを見て、気にするのをやめた。
犬がいない。
その意味が、胸に重く沈んだまま。
二人は廊下へ戻る。
しずしずと。
けれど、心臓だけは走っていた。
クロエは執務室を出て、廊下の角を曲がったところで一度だけ足を止めた。
リディアが気づいて、何も言わずに“壁”になる。視線も気配も遮る位置取り。
(…よし。やること増えた)
(王宮の茶会で死ぬ可能性があるのに、情報が足りない。いつものことだな!)
視界の端。
いつもの、あのUI。
サポセンのメールフォームが、しれっと開く。
クロエは指を動かせない代わりに、“意識で入力”する。
慣れてきた自分が嫌だ。
件名:朝廷って、あの朝廷?(至急)
本文:サポセン様
朝廷って、あの朝廷?
え、なに、維新でもしたいのあいつら?
幕府と朝廷の関係について詳しく!!
具体的に:
・力関係(実権はどっち)
・朝廷側が動くと何が起きる(正統性?民衆?貴族?)
・忍び/諜報組織があるならどんな立ち位置?
・幕府が一番嫌がる“朝廷カード”は何?
なるはや!ほんと頼む!
(クロエ)
送った瞬間、心臓が落ち着くわけではない。
ただ、“投げた”という事実がクロエを少しだけ支える。
社畜のクセだ。困ったらチケット切る。
リディアが小声で言う。
「殿下…今のは?」
「通信魔法」
クロエは即答した。
(嘘ではない。UIは魔法じゃないけど、ここでは魔法って言っとくしかない)
リディアは納得したような、してないような顔で頷く。
それでいい。
返信:サポートセンター(自動応答)
早い。
早すぎて逆に嫌な予感がする。
クロエが開くと、案の定、テンプレの洪水だった。
【自動返信】サポートセンターをご利用いただきありがとうございます。
お問い合わせを受け付けました。
現在、回答までにお時間をいただく場合がございます。
※緊急性の高い案件は件名に【緊急】をご記載ください。
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FAQ:よくあるご質問
Q.「朝廷」とは何ですか?
A. 皇王家(皇統)およびその宮廷機構を指します。
Q.「幕府」とは何ですか?
A. 島国における軍事政権(将軍府)を指します。
※この回答は自動生成です。
(使えねぇ!!)
クロエは心の中で叫ぶ。声に出すと品位が死ぬ。
だが、スクロールすると、下に続きがあった。
返信:サポートセンター(担当:スズメ/暫定)
【暫定回答】担当:スズメ
こんにちは、クロエ様。
「朝廷=皇王家の朝廷」で合っています。
“維新”という言葉はこの世界では一般的ではありませんが、概念としては近いです。
1) 幕府と朝廷の力関係
朝廷(皇王家):「正統性」「宗教儀礼」「叙任(官位・称号の付与)」を握る。
民衆・地方豪族・一部貴族に対して“象徴として強い”。
幕府(将軍府):「軍」「徴税」「港と交易」「治安」を握る。
現実の統治能力が高く、実権は幕府。
2) 朝廷側が動くと何が起きる?(面倒な順)
(A) 正統性の揺さぶり:「将軍は逆賊」「天命に背く」などの宣言(=名分戦)。
(B) 官位カード:将軍や有力大名への官位の取り上げ/付与。
これ、武家社会だと地味に効きます。
(C) 印象操作:民衆に直接動員をかけるというより、正しい側につくと得の空気を作る。
(D) 対外工作:幕府の生命線(交易)を揺らすため、外と組む。
※今回、あなたが警戒しているのはここです。
3) 忍び/諜報の立ち位置
朝廷にも“影”はいます。
ただし幕府ほど体系化されていません。
朝廷の影は、目的が「暗殺」よりも「情報」「誘導」「証拠作り」に寄りがち。
(正統性を扱う組織なので、派手にやると自分が汚れるため)
4) 幕府が一番嫌がる「朝廷カード」
「幕府の権威を外へ渡す」こと。
例えば、外(他国)に対して、「幕府ではなく朝廷が正統な窓口」と見せる動き。
交易や外交の名義を奪われるのは、幕府にとって致命傷になり得ます。
5) あなた向け超要約
朝廷は実権がないからこそ、外と組んで幕府を揺らす。
幕府は港と交易が命なので、そこに火がつくのを嫌がる。
だから朝廷があなたの国を使って騒動を起こすのは、筋が通ります。
※追加で知りたいなら
「朝廷が幕府を倒したい理由」「朝廷内派閥(強硬派/融和派)」「皇王派が外に出す時の合図(符丁)」
など質問ください。
サポートセンター(スズメ)
クロエは、思わず目を細めた。
(スズメ、誰だ?あの女神か?)
(けど、助かる。めっちゃ助かる)
でも、背筋が冷える。
「朝廷が外に出す時の合図(符丁)」
それ、今この王宮で必要なやつじゃん。
クロエは即座に追撃チケットを切る。
件名:【緊急】朝廷の符丁・“皇王派の動き”のサイン
本文:スズメさん、助かった。追加で!
・皇王派が外で使う合図/符丁の例(言い回しでも所作でも)
・港都で活動する時の“表の顔”(商会、寺社、職人組合など)
・幕府が「朝廷が絡んだ」と判断する決定打は何?(新式銃以外)
できる範囲でいい、今ほんとに緊急!
送信。
クロエは、深呼吸を一つ。
そしてリディアを見上げた。
「…リディア、朝廷ってのは“権威だけ”だけど、外と組むと厄介」
「茶会、たぶん来る」
リディアの眼が鋭くなる。
「殿下」
「名分は…剣より怖い」
「うん」
クロエは小さく頷いた。
「だから、姉は檻を作った」
そして心の中で、もう一度だけ確認する。
(罠だと分かってて来るやつは、怖い)
(でも、分かってて来るなら——折れる)
茶の香りが漂う中庭は、きっと、庭じゃない。
檻だ。
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