幕間⑨ 男の狂気・武人の本懐
噂は、大声では流さない。
大声で流した噂は、外が嗅ぐ。
だから王国府は、糸のように細く、しかし切れない強さで流した。
港都は安全だ。
王国府は回っている。
そして、女王は中立派を見捨てていない。
「慰労の茶会を、王宮中庭で」
「国難の折、港都を支えた諸侯へ感謝を」
「王妹殿下も同席されるそうだ。王家は、健在だと示すために」
噂は噂の形をしていなかった。
ただの雑談。下女の口。御者の愚痴。帳簿係の独り言。
誰かが拾っていた。
拾い、束ね、ひとつの矢にして届ける者がいる。
そして。
ルドルフが噂を聞いたのは、皇国資本の商会、その二階だった。
香の匂い。帳簿の紙の音。
外は静かで、静かすぎて気持ちが悪い。
「…茶会?」
口に出した瞬間、胸の奥でカチリと何かが噛み合った。
罠だ。
考えるより先に、身体がそう判断した。
王宮の中庭。中立諸侯を招いた慰労。
王妹クロエも同席。安全の誇示、団結の誇示。
あまりに整いすぎている。
(誘っている、私を)
(私だけを)
ルドルフは笑いそうになった。
いや、実際、喉の奥で笑いが漏れた。
「…あいつは」
「私を、獣だと思っている」
違う、獣じゃない。
自分は、正統を取り戻す王子だ。
だが次の瞬間、胸の中の別の声が囁いた。
正統?どうでもいい。
アリシア。
あの金の髪、あの目、あの立ち方。
在りし日のカタリーナ。
「あれが、庭にいる」
そしてもう一つ、噂の最後の一文。
『王妹殿下も同席』
ルドルフの口角が、歪む。
クロエ。
隠れていたくせに、突然現れた月。
太陽のそばに座る月、自分の居場所を奪った月。
(あいつがいなければ)
(アリシアは、私のものだった)
理屈は成立しない。
分かっている。
分かっているのに、憎悪だけが真実みたいに膨らむ。
罠だと直感した。
それでも…行く。
「手勢は少ない」
ルドルフは自分に言い聞かせるように呟いた。
「だが、剣聖がいる」
「わずかだが、新式銃もある」
「十分だ」
商会の男が、薄い笑みで頷く。
「殿下」
「“十分”とは、何に対して、です?」
ルドルフは答えない。
答えたくない。
答えを言葉にしたら、全部が崩れる気がした。
襖の影から、静かな視線が刺さる。
真田 源五。
剣聖。
彼は茶を飲んでいた。
熱い茶を、熱いまま。
源五は、噂を聞いた時点で気づいていた。
罠だ。
王宮の中庭など、逃げ道の少ない囲い。
封魔が置かれ、弓が置かれ、近衛が置かれる。
そんなのは、剣の匂いを嗅げば分かる。
だが源五は、何も言わない。
止めもしない。
止める理由がない。
(罠で結構)
(むしろ、ちょうどいい)
剣の人生に、終わりの形があるなら。
それは、誰にも言い訳の効かない場所で、誰にも見逃されない相手に斬られることだ。
見届け人がいる。
異国の女王が、眼前にいる。
噂通りなら、若い女王だ。
その視線は、剣にとって最大の観客だ。
そして相手は、レーヴェン侯。
銃弾を見切る騎士。
剣の時代を捨てない戦人。
(異国の勇者、か)
源五の心臓は、久しぶりに鳴った。
恐怖ではない。
純粋な昂りだ。
「行くのか」
源五が、淡々と聞いた。
ルドルフは即答した。
「行く、罠でも構わない」
「私は…」
言葉が詰まる。
自分が言おうとしたのは、王国を取り戻すではない。
カタリーナを取り戻すでも、すでに違う。
もっと醜い、もっと本音。
「…奪う」
源五は、わずかに目を細めた。
「奪う相手は女か」
「剣ではないのだな」
ルドルフは苛立った。
だが、源五に怒りを向けるのは違う。
この男は剣だ。剣に説教をしても意味がない。
「好きにしろ」
ルドルフは吐き捨てる。
「お前はレーヴェンを斬れ」
「私は、私の仕事をする」
源五は頷く。
「分かった」
「俺は、俺の仕事をする」
その言葉が、異様に重かった。
仕事。
それは、剣で人を殺すことではない。
剣で自分を終わらせることだ。
源五は立ち上がり、鞘に手を添えた。
その瞬間、部屋の空気が切り替わる。
香の匂いが、刃物の匂いに変わった。
商会の男が、最後の確認をする。
「殿下、撤退路は…」
「必要ない」
ルドルフが遮る。
声が震えていないのが、逆に狂っている。
「王宮は、私の庭だ」
「太陽は私のものだ、月は消える」
源五は、内心で笑った。
(…愚かだ)
(だが、それでいい)
(愚かでなければ、剣の舞台は開かない)
罠と知りながら、二人は動いた。
片方は狂気で。
片方は本懐で。
王宮の中庭には、茶の香が漂う。
花が咲き、石畳が白く、回廊が影を作る。
囲いだ。
檻だ。
だが、剣にとっては。
申し分ない死に場所だった。
続きが気になる方は、ブクマお願いします!
また、少しでも面白いと感じた方は評価お願いします!




