第6話 王女様、異世界で課金する
王宮が慌ただしく動き始めた夜。
港都が眠れない夜を迎え始めた頃。
町外れの邸宅を、影が見ていた。
石造りの門、手入れされた庭。
金の匂いがする家。
鍵の音はしない。窓も鳴らない。
影が一つ、室内に滑り込む。
黒い外套。だが黒装束ほど粗野ではない。
動きに無駄がなく、仕事として侵入している。
寝室の扉の前で止まり、手を上げる。
扉の隙間から、淡い光が滲む。
影は開けない。
開ける必要がない。
机へ向かい、蝋燭の横に紙を置く。
筆跡は丁寧すぎるほど整っている。
署名はない。命令を名乗らない。上の手口。
紙には短い文だけ。
硬貨に欠けがある。
回収しろ。今夜。
太陽の間にある。
失敗すれば切る。
影はそれだけ置き、来た道を戻る。
足音も残さない。
翌朝、男が机に向かった時、紙がある理由を説明できる者は誰もいない。
北門外。崩れた石塀の影。
ここは、いつものところだ。
だからこそ、人目につかない。
危険でもある。
男は外套の襟を立て、落ち着かない指で封蝋の欠片を弄んでいた。
昨夜のメモが、脳裏から離れない。
(硬貨に欠けがある)
(太陽の間にある)
(…太陽の間ってどこだよ)
でも、分かる。
王宮が早く動いた。いつもより早い。
(…まずい)
そこへ黒装束が現れた。
昨日の逃走で傷がある。だが目は生きている。
黒装束が低く言う。
「用件は」
男は、いきなり吐き捨てた。
「お前っ!何てことしてくれたんだよ!」
黒装束が眉をひそめる。
「指示通り、帝国硬貨を落とした」
「落とすのはいい!だが欠けだ、欠け!」
男は声を抑えきれず、唾を飛ばす。
「港都ヴェルの印が付いてるやつだ。あれが拾われたら窓口が割れる!」
黒装束は内心で舌打ちした。
(欠け?)
(そんなの、知らない)
だが口に出せば、余計に面倒になる。
黒装束は平坦に言う。
「それを落とせと言ったのは、お前だろ」
男は一瞬、詰まった。
(くそ!まさか硬貨が…いや、確認しないこいつが悪い)
そして、すぐに怒鳴る。
「とにかく回収しろ!」
「今夜だ。王宮の太陽の間だ!硬貨を取り戻せ!」
黒装束の目が細くなる。
「昨日より警備は厚い」
「知るか!」
男は自分の恐怖を、相手への怒りに変換する。
「やれ。このままだと、お前は切られる」
黒装束の胸の奥で、何かがカチリと鳴った。
(切られる)
(こいつも上も、最初からそのつもりか)
黒装束は拳を握りしめる。
「…了解」
男は勝ったつもりで頷く。
「回収できたら、今夜またここだ」
「いつものところで待て」
黒装束は背を向け、影へ溶けた。
歩きながら、腹の底で呟く。
(太陽の間…)
黒装束の焦燥が、次の愚策を生む。
硬貨と共に、第一王女を押さえれば挽回できる、と。
アルトフェン王国、王都ヴェルディア宮。
この宮廷に、幼いながらも空気を変える存在がいる。
アリシア・フォン・ヴェルディア。
国王アルベルト、王妃カタリーナの第一子。
王家の長女にして、次代の顔と目される第一王女だ。
陽を思わせる黄金の髪。
幼さに似合わぬ強い意志と、知性を宿した瞳。
「王妃様の幼い頃に瓜二つだ」
そう囁かれることが多い。
まだ六歳。
それでも王宮の者たちは知っている。
この第一王女は、ただ可憐なだけの姫ではない。
「アリシア殿下。お薬の方より贈り物でございます」
侍女が差し出したのは、包まれた一冊の絵本だった。
(絵本…)
お薬の方、クロエは、病で伏せていることになっている。
表には出ない。会うこともない。
だからこそ、王宮は時に物語で伝える。
(これは、王宮的な伝達法ね)
(妹は病。表から消える。私は、表向き大人しく)
カバーストーリーの共有なら、分かる。
アリシアはページをめくる。
月の姫が、城の奥で眠る。
太陽の姫が、外で光を浴びる。
「嵐が過ぎるまで、静かに照らしなさい」
ここまでは、想定通り。
だが。
アリシアの指が止まった。
絵の隅に、物語と関係のない実務が混ざっている。
石塀。北門。封蝋の色。太陽が影に覆われる。
そして、たった一行。
『いつものところで待つ』
アリシアは本を閉じた。
(符丁)
(今夜、賊が動く、ここに)
静かに背筋が冷える。
これはただの忠告ではない。
誰かが、内通者と実働を切り捨てるついでに…。
(私を試している)
(私が、これに気づけるか)
そして、すぐに次が来る。
(送ったのは誰?)
侍女長なら、カバーストーリーの物語だけで十分だ。
こんな符丁まで混ぜる必要がない。
そもそも。
(生まれて間もない妹が、こんな細工をするわけがない)
(ならば、宮中の上だ)
大臣。宰相。あるいは、もっと奥。
誰でもあり得る。
そして、誰でもあり得るからこそ…。
(尻尾は掴めない)
(今は)
アリシアは息を整え、思考を切り替えようとした。
その瞬間。
ちり、と意識の端が揺れた。
視界の隅に、見慣れない枠が浮かぶ。
【通知】Support Center
【サポセン統合アプリ】
【ツインリンク申請が届いています】
【申請者:クロエ】
アリシアは固まった。
(なに、これ?)
(魔法?違う。魔力の気配がない)
申請者名をもう一度読む。
クロエ。妹の名前。
(病じゃないのは分かってる)
(でも、これを妹が送ってくる?)
胸の奥に、別の考えが落ちる。
(あの子…も同じ?)
自分が普通じゃないことは分かっている。
六歳の体に、前世の感覚がある。
外交文書の読み方も、会議の臭いも、嘘の作り方も。
(もし妹も同じなら)
(私は、ひとりじゃない)
しかし同時に、怒りも湧く。
(というか、サポートセンターって何よ)
(私、何も聞いてないわよ)
タイミングが良すぎる。
絵本で今夜を確信した直後に、妹から謎の申請。
出来すぎている。
でも。
アリシアは、結論を急がない。
急ぐのは賊の仕事だ。
なら、切り替える。
(ツインリンク、妹)
(信じる価値はある)
アリシアは承認を押した。
【承認】
【ツインリンク:連携準備中】
【反映まで時間がかかる場合があります】
「時間がかかる、って」
アリシアは控えの侍女に告げる。
「お茶を、お砂糖多めにしてね」
「はい、殿下」
(まあ、待つとしましょう)
俺がやきもきしながら、承認を待ってる間に、侍女が戻ってきた。
顔色は変わっていない。でも、呼吸がほんの少し速い。
侍女長が聞く。
「どうでした」
侍女は一言だけ答えた。
「殿下は、ご理解されてます」
「それでいい。賢い者ほど、今は動かない」
(ツインリンクは早く承認してほしいんだが…)
その時、UIが点滅した。
件名:【通知】ツインリンクが承認されました
差出人:Support Center
平素よりサポートセンターをご利用いただきありがとうございます。
ツインリンク申請が承認されました。
【注意】
・本機能は段階的に解放されます。
・メッセージはスタンプ形式のみ利用可能です。
・反映に時間差が発生する場合があります。
今後ともよろしくお願いいたします。
(承認!)
画面が切り替わる。
相手:アリシア・フォン・ヴェルディア
ステータス:オンライン(推定)
※時間差あり
(繋がったか?)
(スタンプのみ?)
(いや、スタンプって何が送れるんだよ)
視界の隅に、ヘルプの文字。
俺は藁にもすがる気持ちでそれを開く。
【ツインリンク ヘルプ】
【現在の通信手段:スタンプのみ】
【機能はアップデートにより順次拡張されます】
(順次拡張ね)
(運営のアプデって信用できねぇんだよな)
スタンプ一覧が開く。
ざっと見る。
「おはよう」
「ばいばい」
「ありがとう」
(賊来るとか本読めとか危険とか、そういうのは!?)
スクロールしても、ない。
あるのは、平和で、優しい世界の言葉だけ。
(この世界、昨日暗殺未遂あったんだぞ!?)
さらにヘルプを読む。
【オリジナルスタンプ追加について】
【オリジナルスタンプの追加には課金が必要です】
【短い単語のオリジナルスタンプを入手できます】
「課金かよ!」
声にならない叫びが喉の奥で暴れる。
(やっぱ運営ってゴミだわ!!)
(いや、落ち着け俺)
(そもそも、この初期スタンプじゃ何も伝わらない)
課金するしかない。
だが、どうやって?
赤ん坊だぞ俺。財布どころか手がふにふにだぞ。
俺はヘルプをスクロールした。
【課金方法】
【価値のあるものを課金ボックスにドロップしてください】
視界の隅に、いつのまにか箱が表示された。
小さな、透明な箱。
UIだけはちゃんとしてるのが腹立つ。
【オリジナルスタンプ追加:3000円】
(円!?)
(この国、通貨円なの?んなわけねーだろ!)
(ていうか、物掴めねーよ!!)
(赤ん坊向けUIじゃない!痒いとこに手が届かない!!)
ツッコミながらも、俺はさらに読む。
その下に、小さく。
【※手元に価値のあるものがない場合】
【月末支払いをご利用いただけます】
【月末に自動引き落としされます】
自動。
(自動ってなんだよ)
(何から引き落とすんだよ)
(俺の命か?臓器か?)
嫌な想像が脳裏を走る。
でも背に腹は変えられない。
(今、姉が危ないかもしれない)
(伝わらなきゃ終わる)
俺は、月末支払いを押した。
(まさか、異世界で課金する羽目になるとは…)
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