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第50話 王妹殿下撒き餌になる

港都王国府。

深夜。港の灯りが霧に滲む頃、裏門の小さな通用口が二度、短く叩かれた。


合図は古い型だった。

王国府がまだ王家の影と戦っていた頃の、緊急用の叩き方。


門番が視線だけで近衛に合図する。

近衛は音もなく二名、影のように現れ、通用口を半分だけ開けた。


そこに立っていたのは、旅装の男。

雨も降っていないのに外套が湿っている。

汗ではない。港の霧だ。


「名は」

近衛が低く問う。


男は懐から何かを出す。

金属片、古い封蝋の型。

それだけで十分だった。


「…公爵家の密使だ」

「宰相閣下へ、今すぐ」


近衛が迷う素振りも見せず、男を中へ通す。

廊下の灯りは最低限。

通路の角ごとに、魔法封じの札。

ここ一週間で増えた“静かな警戒”だ。



宰相は起きていた。

眠れるはずがない。


アリシアもいた。

薄い外套のまま、机に肘をつき、地図を睨んでいる。

クロエは同席していない。


騎士団長もいる。

鎧を着ていないのが逆に不気味だ。いつでも動けるという合図。


密使は膝をつき、頭を下げた。

礼は完璧だが、声が震えている。


「宰相閣下」

「女王陛下」

「我が主、公爵閣下より」

「至急の密命を預かりました」


宰相が短く促す。


「話せ」


密使は一息で吐き出した。


「ルドルフ殿下は、島国と繋がっています」

「正確には、幕府ではありません」

「…朝廷側です」


室内が一段、冷えた。


騎士団長が眉を吊り上げる。


「朝廷?権威だけのはずだ」


密使は頷き、しかし言葉を続ける。


「旧都には、権威があります」

「権威は、人を動かします」

「そして…影もいます」

「皇王家の忍びが、港都に入っていると」


宰相の手が机の端を掴む。


「根拠は」


密使は震える手で紙を差し出した。

短い。

だが、誰が書いたかが分かる書き癖。


「ルドルフ殿下の室に、忍びの侵入痕がありました」

「警備線を抜かれ、誰にも気づかれず」

「その夜から、殿下の動きが変わりました」

「そして今——」


密使は言葉を噛む。

「殿下は港都に戻っている可能性が高い、と」


アリシアの瞳が細くなる。


「港を止めに来るか」


「港を止めれば外が嗅ぐ」

「外が嗅げば、帝国も連邦も保護を名目に入ってくる」

「朝廷側は幕府を揺らすために、それを望むか…」


騎士団長が一歩前に出た。


「今すぐ騎士団を」


「動かすな」

アリシアが鋭く止める。

声は小さいのに、刃のようだった。


「騎士団が動けば、民が怯える」

「港が止まれば、敵の思う壺だ」


騎士団長は拳を握りしめる。

だが頷いた。


密使が少しだけ顔を上げた。


「公爵閣下は…殿下を切りたい」

「ですが、野放しにすれば何をするか分からない」

「王国府に知らせるしかなかった、と」


宰相がため息を吐く。


「公爵が、こちらに寄ったという事実もまた、火種だ」

「だが、情報は価値がある」


アリシアは密使を見た。


「公爵に伝えなさい」

「今は感謝する」

「だが、今後軽率に動けば、あなたの主も同罪になる」


密使の喉が鳴った。


「…承知しました」



密使が下がった後、室内に残った三人は、同じ結論に辿り着く。


宰相が言う。


「殿下は、諸侯だけでは足りないと理解した」

「だから外の物語を借りた」

「朝廷の正統、忍び、そして幕府の銃の痕跡」


騎士団長が言う。


「港で事件が起きる」


アリシアが静かに頷く。


「起きる前に、起きないようにする」

「犬を走らせる」

「港の異物を拾う」

「そして、こちらは表向き何も変えない」


宰相が確認する。


「王妹殿下には?」


アリシアは一瞬だけ迷い、すぐに決めた。


「知らせる。だが、詳しくは言わない」

「クロエは賢い、断片で十分だ」


港都は回っている。

回っている限り、外は動けない。

だからこそ、敵は港を止めようとする。


そして今、王国府は初めて確信した。


ルドルフは、もう国内の内乱では終わらない。

外の影を連れてくる。


最悪の静けさの正体は、それだった。



レーヴェン侯が王宮に上がったのは、日が完全に昇ってからだった。

鎧は着ていない。だが、その歩き方だけで分かる。戦場の人間だ。


通されたのは、王宮の奥。執務室ではない。耳が多すぎる。

代わりに、厚い壁と重い扉の小間。

近衛と封魔の術者が外を固め、気配を殺す。


室内にいるのは三人。

アリシア。宰相。

そして、レーヴェン侯。


アリシアは要点のみを話した。


公爵からの密使。

王弟が島国の皇王派と繋がっている可能性。

港都に戻っていること。

そして、港を止める“事件”が起きるかもしれないこと。


レーヴェン侯は黙って聞き、最後に一つだけ頷いた。


「…なるほど、外の影を借りるか」

「追い詰められた獣のやり口だ」


宰相が問う。


「侯。狙いは港でしょうか」


レーヴェン侯は首を振った。


「狙いは、ここだ」


老騎士の指が、王宮の床を叩く。


「ルドルフはもう、国も諸侯も見ておらん」

「見えているのは、アリシアのみ」

「まっすぐ、ここに来る」


アリシアは息を呑んだ。

恐ろしいほど納得できる。

そういう狂気を、彼女は知っている。


その瞬間、脳裏をよぎった。

“犬を飼いたい”と笑いながら、命を握った自分。


(私は、餌になれる)

(餌になって、噛みつかせて…捕らえる)


アリシアは顔を上げる。

瞳が、静かに燃えた。


「…私が餌になる」


宰相が即座に口を開く。


「陛下、それは」


「聞いて」


アリシアは宰相を止める。

これは感情ではない。計算だ。

だからこそ、最後まで言う。


「噂を流す。王宮の中庭で、茶会を開くと」

「国葬後、民心を落ち着かせるために、中立派を招く小さな慰めの席」

「形式はどうとでも作れる」


レーヴェン侯が目を細めた。


「噂で釣るか」


「釣れます」

アリシアは断言する。


「ルドルフは、私を見ている」

「そして、クロエも」


宰相の顔色が変わる。


「王妹殿下まで?」


アリシアの指が、机の上で止まる。

一瞬だけ、迷いが差す。

妹は七歳。守るべき存在。

だが、彼女は“月”だ。

“月”がいない太陽は、もう太陽の形を保てない。


レーヴェン侯が、低く言った。


「クロエは連れてくるな」

「餌は一つで十分だ」


アリシアは首を振る。


「来ないと、食いつかない可能性があります」

「ルドルフは、私を奪うつもり」

「その時、邪魔になるのはクロエ」


「だから、クロエを見える場所に置く」

「潰そうとした瞬間に、こちらが潰す」


宰相がかすれた声で言う。


「陛下…」


レーヴェン侯は、しばらく沈黙した。

沈黙の間に、老騎士の頭の中で戦が組み上がっていくのが分かる。


やがて、侯は頷いた。


「…よし」

「餌を撒くなら、罠も深くしろ」

「中庭は囲いがある、逃げ道を潰せる」

「封魔を置け、矢を置け」

「銃を置くな。火薬の匂いは外に漏れる」


アリシアが頷く。


「封魔は王宮魔術師団を、近衛は壁の内側、弓は回廊の陰」

「ノクスは中庭の外周、裏口の封鎖確認」

「そして私は」


一拍置く。


「茶を注ぐ」


レーヴェン侯の口角が、わずかに上がった。


「お前は…本当にカタリーナの娘だな」

「肝が据わっている」


アリシアは、笑わなかった。

笑えなかった。

自分の案が正しいと分かるほど、怖かったからだ。


宰相が最後に念を押す。


「噂は、どこまで広げますか」


「広げない、広がるように見せるだけ」

「ルドルフは、こちらが何をしなくても嗅ぎつける」

「欲しい情報だけ、細い糸で渡す」


「なら、その糸は“誰が”持つ」


「ルドルフが信じる相手」

「背中を押している影に、糸を渡す」


部屋の空気がさらに冷えた。

宰相が理解する。

島国の皇王派。あるいは、それに通じる港の商会。


レーヴェン侯は立ち上がった。

戦の前の動きだ。


「準備は今夜からだ」

「噂ではなく、配置から始める」


老騎士は、孫を見る。

「お前が餌になるなら、わしは牙になる」


アリシアは頷いた。


そして心の中で、短く謝った。


(クロエ、ごめん)

(でも、ここで終わらせる)


中庭に茶の香が流れる頃。

獣は必ず、匂いに引かれて来る。

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