第45話 港都騒乱⑪
王宮、午前。
短い仮眠のあと、アリシアは起きた。
髪を整える時間はない。
涙の跡も、完全には消えていない。
それでも十三歳の女王は、顔を上げて歩く。
廊下の先で、近衛隊長が待っていた。
「閣僚は、第一会議室に集まっています」
「侯爵閣下も、到着済みです」
アリシアは頷く。
「始めましょう」
扉が開く。
全員が立ち上がり礼をする。
アリシアは手を上げて、座るよう促した。
「形式は省きます」
「昨夜から今朝にかけて、港都は動き出しました」
「ですが、これは再起動です」
「このまま放置すれば、また止まる」
机の上に地図が広げられる。
港都、王国府、城、商業区、諸侯街区、街道。
そして、赤い印が幾つも。
宰相が口を開く。
「王国府は奪還」
「主要官吏は生存」
「しかし台帳・通行証記録が抜かれている」
「殿下は撤退したが、撤退の仕方が戦の準備です」
レーヴェン侯が低く補足する。
「諸侯をまとめる」
「王国府の締め付けを口実にする」
「港都で戦えば外が嗅ぐ、なら地方で火を上げる」
会議室の空気が重くなる。
外が嗅ぐ。
帝国、連邦、幕府が嗅ぐ。
アリシアは指先で机を一度叩いた。
音は小さい。だが全員が黙る。
「優先順位を決めます」
彼女は紙を一枚、宰相の前に滑らせた。
そこには四行だけ。
内乱の芽を潰す(ルドルフの“物語”を壊す)
港都を止めない(血流維持)
外への口実を潰す(介入回避)
次の打ち手を用意(制度・軍・情報)
「まず一つ目、ルドルフの動向を掴む」
アリシアは近衛隊長を見る。
「近衛の“耳”を、城外に出せますか」
近衛隊長が渋い顔をする。
「城の守りを薄くしたくありません」
アリシアは頷いた。
「薄くしない、代わりに」
視線が騎士団長へ移る。
「団長」
「騎士団と侯爵の私兵との連携で“外周の目”を作れますか」
「王弟派の諸侯街道、港都出入り、全部」
騎士団長は即答した。
「できます」
「ただし、騎士団は動かないという顔をしたほうがよいかと」
「陛下のお考えを考慮するに、威嚇に見えたら逆効果です」
「動いているのは、あくまで治安維持と盗賊狩り、そういう形で」
内務卿が頷く。
「名目は作れます」
「治安維持の臨時布告、盗賊取り締まり強化、港都周辺の検問を商隊保護として」
アリシアは二つ目へ。
「港の二重印の暫定書式は、現場が回っていますか」
「遅れは出ていますが、止まってはいません」
「ただし…現場の負担が増えています」
「いつまでもは難しい」
「いつまでもはやらない」
「三日で、抜かれた台帳の“代替”を作ります」
「完全でなくていい。流れればいい」
財務卿が口を挟む。
「代替台帳は、偽造の余地が」
「だからこそ三日」
アリシアは視線を逸らさない。
「偽造が増える前に、正式に戻す」
「その間、王宮備蓄の放出を続けます」
「市場が荒れない程度に」
財務卿が頷く。
これで“買い占め”が抑えられる。
三つ目。外への口実。
「宰相」
「帝国、連邦、幕府には、順番に返す」
「まずは、国内の治安回復を優先していると」
「外交の場は国葬後に改めて」
「礼を失しない範囲で、時間を稼ぐ」
宰相が苦笑する。
「相手は納得しません」
「納得させる必要はありません」
アリシアは淡々と言った。
「正当な理由があればいい」
「今は、こちらが弱っていると見せないこと」
「港が動いている限り、相手も踏み込みづらい」
四つ目。次の打ち手。
アリシアは一拍置いてから、言った。
「クロエを戻します」
会議室が一瞬ざわめく。
王妹が城に戻る。それは象徴だ。
守るべき弱点が増える、という意味でもある。
「相手が動く以上、クロエを手元に戻します」
「同時に、クロエには役目がある」
「中立派諸侯の取りまとめの窓口」
「王家の“家族”の顔で」
宰相が頷き、理解した。
「女王陛下が動けば政治的打撃が大きい」
「王妹殿下なら、名目が立つ」
宰相が頷き、理解した。
アリシアはレーヴェン侯を見る。
「お祖父様、改めてお願いします」
「中立派をまとめてください」
「そして、ルドルフ派に諸侯が割れていると見せたい」
「反乱の形を作らせない」
侯は短く答えた。
「御意」
アリシアは最後に全員を見回した。
「ここから先は、毎日が決断です」
「でも、止まれば終わる」
その言葉に、宰相が静かに頷いた。
港都の血流。
それは国の心臓。
会議室に方針が降りた。
レーヴェン侯が椅子を引き、立ち上がる。
その動きだけで場が締まる。
「女王陛下」
彼はわざとそう呼んだ。
孫ではなく、王として。
「陛下はよくやっておられます」
「今は、我慢の時」
「走り続けるしかありませぬ」
アリシアは、ほんの少しだけ笑った。
笑ってしまったことに驚いたように、すぐ真顔に戻る。
「はい、走ります」
そして女王は、机に手を置いた。
国を動かす手として。
十三歳の小さな手で。
城門の前には、近衛ではなく騎士団の一隊。
整列は固いが、空気は静かだ。
軍が動いたと見せないために、あくまで「護衛」だ。
その列の中央で、アリシアは立っていた。
女王としてではなく、姉として。そんな顔をほんの一瞬だけ出して、すぐに引っ込める。
蹄の音。馬車の車輪。
そして、先導する騎士団副長の声。
「王妹殿下、ご帰還!」
馬車が止まり、扉が開く。
出てきたのは小さな銀髪。
七歳のクロエ。
一歩。二歩。
足取りは慎ましい。
けれど、目は妙に落ち着いている。
(この子、ほんとに七歳?)
周囲の騎士が内心で同じことを思った。
クロエは、礼をした。
形式は完璧ではない。だが崩れてはいない。
「陛下、お出迎えありがとうございます」
そこで、声がほんの少しだけ詰まる。
そして、目だけでアリシアを見る。
(ただいま)
(戻ってきた)
アリシアは頷くだけで返した。
抱きしめたい気持ちを、女王の鎧の下に押し込む。
「お帰りなさい、クロエ」
「すぐに仕事よ」
クロエが小さく笑う。
それは社畜の同意みたいな笑いだった。
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