第43話 港都騒乱⑨
王宮、深夜。
港都から運ばれた報が、机の上に積み上がっていた。
宰相生存。
印章室確保。
王国府奪還。
そして、王弟ルドルフ撤退。
勝ったように見える。
だがアリシアは分かっていた。
これは戦の終わりじゃない。
呼吸を止められた国が、一度息を吸えただけだ。
窓の外。
港都の灯りが揺れている。
揺れているということは、まだ生きている。
(外は来る)
(帝国も、連邦も、幕府も)
(…でも今は後だ)
外への言葉は、時間を稼げばいい。
だが内は、時間を稼いだ瞬間に死ぬ。
アリシアはペンを置き、立ち上がった。
椅子が軋む音が、やけに大きく響く。
「近衛隊長」
直立不動の影が、すぐに反応する。
「港都を動かす、血流を戻す」
近衛隊長が一瞬だけ目を見開く。
女王はまだ十三。
普通なら、まず泣く。
まず休む、まず喪に服す。
だがアリシアは、王位を継いだ瞬間に普通を捨てた。
「宰相を呼べ」
「財務卿、印章室の責任者も」
「夜明けまでに、ここに集める」
「御意」
近衛隊長が下がる。
アリシアは自分の胸の奥の震えに気づいて、気づかなかったふりをした。
(泣くのは、後でいい)
(今は動く)
集まった顔ぶれは疲れ切っていた。
だが、目は死んでいない。
死ねない。
港都が止まれば、国が止まる。
アリシアは席につくと、最初に言った。
「外への対応は、暫定の文言で良い」
「帝国、連邦、幕府は必ず来る」
「だが、こちらから会うのは後」
「今は港都だ」
宰相が口を開く。
「陛下、王国府は奪還しましたが、台帳が抜かれております」
「通行証の記録、税の記録、明らかに混乱を狙った撤退かと」
「だからこそ、動かす」
「混乱が長引けば、外が保護を口実に入る」
その言葉に、全員の背筋が伸びた。
アリシアは、机の上に紙を一枚ずつ置く。
既に書いてある。
短く、命令がわかりやすい。
「港の封鎖はしない」
「ただし、検査を強化する」
「通行証は、今日から暫定書式を採用」
「印章は二重化。王宮印と港務印、両方が必要」
財務卿が顔を上げる。
「二重化は流通が遅れます」
「遅れさせる」
アリシアは即答した。
「遅れた分だけ、異物を弾ける」
「止めない、遅らせるだけ」
止めないが最優先。それが港都の血流だ。
次に、財務官へ。
「市場に銀を流す」
「取り付け騒ぎが起きる前に」
「国は動いていると見せる」
「必要なら、王宮備蓄の穀物も放出」
財務卿が息を飲む。
「陛下、それは…」
「高い」
アリシアは認める。
「高いが、港都が死ぬより安い」
誰も反論できない。
次に、宰相へ。
「王国府の夜勤官吏は隔離と治療」
「ただし、尋問は責めない」
「責めたら嘘を吐く、助けたと思わせろ」
「御意」
アリシアはさらに続ける。
「王国府の再開は、段階的に」
「まず、港の通関、次に税の仮徴収」
「最後に、領内の人の移動」
ここで、彼女は一拍置いて言った。
「…人の移動を止める貴族がいる」
「だが、今はそれを責めない、責めれば割れる」
「割れれば、外が入る」
重い沈黙。
誰もが理解している。
今は“正しさ”より繋ぐが勝つ。
近衛隊長が戻り、低く言う。
「陛下、レーヴェン侯より」
「王国府の抜け道封鎖、確認完了。地下搬入口に新式銃の搬入痕」
「…幕府由来の可能性」
アリシアの表情が僅かに硬くなる。
(幕府も絡む)
(帝国と連邦だけじゃない)
だが、今は後。
アリシアは全員を見渡した。
「港都を動かせ」
「港が動けば、商が動く」
「商が動けば、税が動く」
「税が動けば、食が動く」
「食料が動けば、国は生きる」
そして、最後に。
「私は、港都を止めない」
「誰にも止めさせない」
「この国の血を、戻す」
王宮、夜更け。
港都の血流が戻り始めた報が届いた頃、アリシアは小さな応接間にいた。
大広間ではない。
玉座の間でもない。
王としての姿勢を見せる場所ではなく、判断を交わすための場所。
扉が開き、レーヴェン侯が入ってくる。
鎧は外し、外套だけ。
それでも、戦の匂いは消えていない。
近衛隊長が一礼し、控え室へ下がる。
室内には、アリシアと祖父だけ。
灯りが一つ、揺れている。
アリシアは立ち上がり、礼をした。
形式は崩さない。
崩せば、心が崩れる気がしたから。
「…お祖父様」
「来てくださって、ありがとうございます」
レーヴェン侯は一瞬だけ目を細める。
女王に対しての礼ではなく、孫を見る目だ。
しかし口にするのは、あくまで軍人の言葉だった。
「遅かった」
「だが、間に合った」
アリシアは頷き、座るよう促す。
侯は座る。
テーブルの上に地図。港都の区画図。王国府、港、商業区、城。
「まず、ルドルフの動き」
アリシアが切り出す。
「撤退はしました」
「ですが、台帳を抜いた。人も生かして返した」
「次がある」
レーヴェン侯は地図の中央区画を指でなぞる。
「次がある、ではない」
「次を起こすつもりで引いた」
「あれは撤退ではなく、配置換えだ」
「配置換え…」
「港都で戦えば、外が来る」
「だから港都では戦わない」
「港都で勝てないと知った、だから地方を燃やす」
アリシアの指先が止まる。
「反乱軍…諸侯を巻き込む形に?」
レーヴェン侯の声は低い。
「ルドルフ一人では兵が足りん、だが物語があれば兵は集まる」
「王国府の横暴、幼い女王を救う、王家を取り戻す」
「言葉はいくらでも作れる」
アリシアは視線を落とす。
「私を救う?ですか」
「救われる側に見えるのが一番腹立たしい」
レーヴェン侯が鼻で笑う。
優しい笑いではない。戦場の笑いだ。
「腹が立つなら、正しい」
「腹が立たない王は、民も怒れない」
アリシアは唇を噛み、次の問いを投げる。
「お祖父様は、ルドルフがどこまでやると?」
レーヴェン侯は少しだけ黙った。
言葉を選んでいるのではない。
現実を置くために、間を置いている。
「最後まで」
「戻れないところまで行った男の目をしている」
その言葉が、胸に重く落ちる。
「では、私達はどうするべきですか」
レーヴェン侯は地図から指を離し、アリシアを真正面から見た。
「二つだ」
「一つ、港都の血を止めるな」
「今夜お前がやったことは正しい」
「金、穀物、物流、すべて生きていると見せろ」
「外の口実を潰す」
アリシアは頷く。
「二つ目は?」
「“中立”を味方にしろ」
「反乱軍の形を作らせるな」
「諸侯が割れる前に、割り方をこちらが決める」
アリシアは息を吸う。
「お祖父様に、中立派をまとめていただけないかと」
「聞いた」
「お前の“月”は、よく光る」
アリシアの胸が少しだけ温かくなる。
だが同時に、鋭い寂しさも刺さる。
「…ここにいないんです」
「今、私は一人です」
「父も母もいない、クロエもいない」
言葉が、そこで途切れた。
声が震えた。
レーヴェン侯は何も言わない。
慰めの言葉を探さない。
それは王を壊す慰めになる。
ただ、テーブル越しに手を伸ばして、
アリシアの小さな拳の上に、大きな掌を置いた。
温かい。
そして、硬い。
剣を握ってきた手の硬さ。
「アリシア」
“女王陛下”ではない。
名で呼ばれた瞬間、堪えていたものが崩れた。
アリシアの目から、涙が落ちる。
音もなく、ぽろりと。
「…私、怖い」
十三の声。
王の声ではない。少女の声だ。
「父なら…母なら…どうしたのか、分からない」
「私は正しいことをしてるの?」
「間違ってない?」
レーヴェン侯の掌が、ほんの少しだけ強く握る。
「正しい」
「少なくとも、守ろうとしている」
「守ろうとした王だけが、国を残せる」
アリシアは嗚咽を噛み殺そうとする。
だが無理だった。
涙は止まらない。
「…私、まだ子供なのに」
「でも、誰も代わってくれない」
「だから、私がやるしかない」
レーヴェン侯は頷いた。
それは、同情ではなく承認だ。
「だから俺がいる」
「お前の父の代わりにはなれない、母の代わりにもなれない」
「だが、お前が折れないための柱にはなれる」
アリシアは涙のまま、必死に息を吸う。
涙が喉に詰まる。
「…ありがとう、お祖父様」
そして、声が小さくなる。
「クロエにも…会いたい」
「…月がいないと、夜が寒い」
その言葉が、最後の引き金だった。
アリシアは泣いた。
声を殺して、肩を震わせて。
祖父は、何も言わずに座っていた。
ただ、掌を離さなかった。
離したら、この子がまた“太陽”に戻ってしまうから。
今だけは。
十三歳の心でいられる夜でいい。
それを許せるのは、家族だけだ。
窓の外、港都の灯りは揺れている。
血流は戻りつつある。
戦は、これからだ。
けれどこの瞬間だけは、
王ではなく、孫の涙を祖父が受け止めていた。
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