第38話 港都騒乱④
王宮前、外庭。
石畳の広場に、臨時の会見場所が設けられていた。
天幕は白。
だが白は、祝祭の白ではない。
血を隠すための白だ。
王宮の門は閉じている。
閉じているが、封鎖ではない。
出入りの道は残してある。恐慌を招かないために。
その代わり、空気の密度が違った。
両脇に並ぶ近衛。
槍先は上げすぎず、下げすぎず。
攻撃でも降伏でもない角度。
儀礼の顔をした戦の角度。
さらにその内側、影の位置に魔法兵がいる。
封魔と拘束に特化した者。
派手な火球は撃たない。
ここで欲しいのは、爆発ではなく遮断だ。
アリシアは一歩前に立った。
十三歳の体はまだ細い。
だが、背筋がまっすぐだ。
金髪が朝日に光る。
太陽のように。
太陽は、怯えない。
彼女の後ろ、半歩下がった位置に宰相代理と近衛隊長。
騎士団は見せるだけ。
遠く、門の内側で動ける形だけを作っている。
しばらくして、石畳の道の向こうから人影が現れた。
護衛は少数。
歩調が揃っている。
軍ではない。だが軍より怖い種類。
その中心に、ルドルフ。
柔らかい微笑み。人好きのする顔。
だが目は、冷たい。
彼は天幕の手前で足を止め、両手を軽く広げた。
「女王陛下。朝早くから恐れ入ります」
「こうしてお顔を拝見できて、少し安心しました」
安心。
その言葉が、既に棘だ。
アリシアは微笑まない。
ただ、礼を返す。
「ルドルフ殿下」
「あなたの望み通り、会談に応じました」
「要件を」
ルドルフは一瞬だけ眉を上げ、すぐに笑みを深めた。
「相変わらず、早い」
「いや、さすがは我が兄の娘。聡明だ」
彼は周囲を見回す。
近衛の槍。封魔の配置。
全てを数えた上で、言葉を選ぶ。
「私は、事を荒立てたくありません」
「港も商業区も、民も、傷つけたくない」
「だからこそ、王国府だけを押さえました」
「宰相以下、多数が拘束されていると聞きました」
「無事ですか」
「無事です」
「私は彼らが必要です。殺すほど愚かではない」
愚かではない。
自分は賢いと宣言する人間は、たいてい危険だ。
アリシアは淡々と続けた。
「ならば解放を」
「王国府を占拠した理由が、王家のためだと言うなら」
「王家に刃を向ける必要はありません」
ルドルフは首を振る。悲しげに。
「刃は向けていない」
「向けたのは…王国府の横暴です」
言った。
彼の物語が始まる。
「女王陛下はお若い」
「周りが勝手に動き、勝手に決める」
「その結果、民が苦しむ。諸侯が割れる。外が嗅ぎつける」
「…ならば」
「王家を、王国府の檻から解放しなければならない」
ルドルフの声は柔らかい。
だが内容は、王位簒奪の布だ。
アリシアは、そこに乗らない。
「“檻”と言いましたね」
「王国府は、この国を回すための骨と血です」
「そこを止めれば、国が止まる」
「止まった国に、外は必ず手を伸ばす」
ルドルフの笑みが、ほんの少しだけ薄くなる。
「だから、会談に応じていただいたのでしょう?」
「女王陛下も理解している」
「今は、速やかに正しい形を作るべきだ」
彼は一歩だけ前に出る。
近衛が、足を揃えて半歩動く。
槍先が僅かに揺れる。
ルドルフは止まる。
自分がどこまで踏めるか、測っただけだ。
「私が摂政になります」
「女王陛下は王宮に」
「王国府は私が整理する」
「宰相以下は解放する」
「民の生活も守る」
「外への説明も、私がする」
本音が出た。
彼の狙いは王国府ではない。
女王の隣に立つ“正統な席”だ。
アリシアは、静かに笑った。
笑みではなく、刃の形の笑い。
「断る」
即答。
空気が一段冷える。
ルドルフの眉が、僅かに跳ねる。
「…なぜ」
「私は王家の血です」
「私なら女王陛下を守れる」
アリシアは、言葉を選ばない。
選ぶ必要がない。
「守るのではなく、奪うのでしょう」
「あなたは王国府を悪者にしたい」
「そのために宰相たちを拘束した」
「血は流さず、こちらを動けなくするために」
ルドルフの微笑みが消えかける。
しかし彼は保つ。人前だから。
「誤解です」
「誤解なら簡単です」
アリシアは一歩も動かず言う。
「宰相を解放しなさい」
「王国府から手を引きなさい」
「そして正規の評議の場に出なさい」
「そこで語ればいい」
ルドルフは沈黙する。
沈黙の裏で計算している。
ここで引けば、負け。
だが押せば、女王は悪者として動けなくなる。
彼は、優しい声に戻した。
「女王陛下。あなたは強い」
「…だからこそ、心配なのです」
「王国府は、あなたを利用します」
「あなたを旗にし、彼らは自分の権力を固める」そ
(利用?)
(なら、私は利用される側ではなく、使う側になる)
アリシアは、淡々と告げた。
「ならば私は旗で結構」
「旗は倒れません」
「あなたが何を語ろうと、私は揺れない」
そして、一番大事なことだけ確認する。
「最後に一つ」
「宰相以下の拘束者に、傷は?」
ルドルフは、答える。
答えざるを得ない。
「ありません」
「私は秩序を守る者です」
アリシアは頷く。
「良い」
「その言葉、忘れないで」
言外に、約束を破れば容赦しないと刻む。
そしてアリシアは宣言した。
「摂政は置きません」
「王国府の占拠は、王国への叛逆です」
「あなたが正統を語るなら、今すぐ証明しなさい」
「宰相を返し、王国府から退きなさい」
ルドルフの瞳が、わずかに細くなる。
笑みが戻る。だがそれは、柔らかい笑みではない。
「…女王陛下」
「あなたがそう言うなら」
「私は、もう少しだけ整理に時間をいただきたい」
時間稼ぎ。
こちらも、時間稼ぎ。
アリシアは、心の中でだけ答える。
(稼げ)
(稼ぐのは私だ)
彼女は静かに頷いた。
「では期限を切ります」
「今日の日没まで」
「それまでに宰相以下を解放し、王国府から退きなさい」
「できないなら、私は次の手を打つ」
ルドルフは、礼をした。
完璧な礼。
「承知しました」
「女王陛下の強さを、改めて理解しました」
そして、背を向ける前に、最後に一言だけ落とす。
「…太陽は眩しい」
「ですが、眩しすぎる光は、影を濃くします」
影。
彼の言葉は、脅しでもあり予告でもあった。
ルドルフが去る。
アリシアはその背中を、最後まで見送った。
動かない。
今は動かない。
(お祖父様が来るまで)
(私は、ここで時間を稼ぐ)
その目の奥だけが、静かに燃えていた。
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