表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
43/76

第37話 港都騒乱③

レーヴェン侯爵家の執務室。

壁には戦地の地図、古い剣、騎士団長時代の徽章。

椅子に座る祖父ヴィルヘルムは、朝からもう戦場のような空気を纏っていた。


クロエは、椅子の端にちょこんと座る。

背筋だけは、リディアに叩き込まれた通りに。


…のはずが、心臓がうるさすぎて、背筋が揺れる。


(落ち着け俺)

(相手は元騎士団長。孫の芝居で誤魔化すな。要点だ)


レーヴェン侯が、低い声で言った。


「クロエ。朝一番に呼び出すとは」

「“家族の用事”と聞いたが」


クロエは一度だけ息を吸って、言った。


「港都の王国府が、占拠されました」


一拍。


部屋の空気が、一段重くなる。

ヴィルヘルムの眉が、ほんの僅かに動いた。


「…どこからだ?」


クロエは、すぐ答えない。

答え方を間違えると、これは政治の爆弾になる。


「姉上…女王陛下からです」


「…陛下から?」


侯は身を乗り出す。

疑いの目ではない、情報の質を測る目だ。


「なぜ、クロエが知っている」


来た。


ここで詰まると終わる。


クロエは、最短の嘘を選ぶ。

嘘じゃない形の嘘。


「…魔法です」


ヴィルヘルム侯の目が、細くなる。


「魔法?」


「はい」

クロエはできるだけ真面目な顔で頷く。

(俺、いま全力でそれっぽい顔してる)


「姉上と…わたしの間に」

「通信の魔法が、あります」


祖父は黙ってクロエを見た。

長い沈黙。

その沈黙が、戦場の沈黙に似ていて、クロエの喉がきしむ。


(ばれる)

(いや、ばれてもいい、でも今は時間が…)


侯は、ゆっくりと椅子の背に戻った。


「…ふむ」


彼は机の上の地図に目を落とす。

港都の中央区画に指を置く。


「王国府だけを押さえる手は、ある」

「だがその手は、普通は使わん」

「使えば外が嗅ぐからだ」


クロエは頷きまくりたくなるのを堪えた。


「姉上も、同じことを言いました」

「だから…血を流さず、静かに、取り戻したいと」


「十三でそこまで読めるなら、娘に似たな」

「いや…」

彼はクロエを見た。

「お前もだ」


クロエの背筋が、少しだけ冷える。

(やめて、観察しないで、おじいちゃん、こわい)


「…で」

「女王陛下は、お前に何をさせたい」


クロエは正直に言った。

言葉を飾ると、祖父には通じない。


「お祖父様を動かしてほしい」

「港都に…王国府を」

「“拠点奪還”をと」


ヴィルヘルム侯は目を閉じた。

数秒。

判断している時間だ。


そして、目を開ける。


「…疑わしい」

「通信魔法など、王家が隠しているにしては便利すぎる」


クロエの心臓が跳ねた。

やっぱりそうなるよね!


だが、祖父は続けた。


「だが——」

指で机を叩く。

一度、二度。


「港都の血が止まっているなら、いずれ外が嗅ぐ」

「嗅がれる前に終わらせる必要がある」

「その点は、筋が通る」


彼は、クロエを真正面から見た。


「…よかろう」

「今は、理由よりも結果が要る」


クロエが思わず息を吐くと、祖父は少し口元を歪めた。


「ただし、条件がある」


来た。条件。


「お前はここに残れ、港都へ連れてはいかん」

「女王陛下にお伝えしろ。俺は“中立派の合意”を盾に動く」

「王国府の暴走ではない。『諸侯連合としての治安回復』の形を作る」


うわ、強い。

政治の見せ方まで含めた“奪還”。


クロエは全力で頷いた。


「わかりました!」


祖父が立ち上がる、椅子が音を立てる。

その音だけで、部屋の空気が戦支度になる。


「副長を呼べ」

「いや、まずはこの屋敷の者を集めろ」

「中立派の旗を作る。『女王陛下を守るための出兵』だ」


クロエは内心で叫ぶ。


(頼もしすぎる!!)

(これが歴戦の勇者!!)


祖父は扉へ向かいながら、最後にぽつりと言った。


「クロエ」

「お前の“通信魔法”が真実かどうかは、後で聞く」


クロエの背筋が凍る。


だが、祖父は続けた。


「今は、よい」


その言い方が、武人らしい許しだった。

疑っている。

でも、動く。


クロエはツインリンクを開き、最短で打つ。


「祖父動く」

「中立派名目」

「血流さず奪還」


送信。


外では、もう屋敷の者が走り始めていた。

戦場の準備は、いつも音が少ない。

それが一番怖い。



クロエは執務室を出た廊下で、いったん壁に手をついた。

足が震える。七歳の足がじゃなくて、中身の方が震えてる。


(通った)

(でも姉は…王宮で、一人で耐えてる)


胸の奥がきゅっと縮んだ。

ただの報告じゃない。

これは、祈りだ。


(姉、死ぬな)

(政治に殺されるんじゃなくて、“決断”に潰されるな)


廊下の向こうで、鎧の擦れる音がした。

祖父の部下たちが動き始めている。

レーヴェン侯が“戦支度”に入った音。


クロエはそれを聞きながら、もう一度だけツインリンクを見た。


既読は…まだ、つかない。


「…早く見ろよ、お姉ちゃん」


言った瞬間、自分で驚く。

口が勝手にそう呼んだ。


焦りの中で、いちばん素直な言葉が漏れた。




王宮、執務室。

窓の外はもう薄明るい。港都の輪郭が、朝靄の向こうに浮かんでいる。


アリシアは机の前に立ったまま、動かなかった。

紙の上の文字が目に入っても、脳が拒む。

王国府占拠。

宰相拘束。

印章室確保。

血は流れていない。だからこそ、こちらの手が縛られている。


(時間は敵)

(でも、時間は味方にもなる)


その時、視界の端が小さく光った。


ツインリンク:新着


アリシアの指が、ためらいなく動く。

セリフスタンプが並ぶ。短い単語。


「祖父動く」

「中立派名目」

「血流さず奪還」


アリシアは一瞬、息を止めた。

胸の奥が熱くなる。

だが、熱くなる前に、冷たく決める。


(来る)

(お祖父様が来る)

(なら、私の仕事は一つ)


時間を稼ぐ。


騎士団を動かさない。

近衛を動かさない。

王宮を堅牢に保ったまま、港都を燃やさずに待つ。


アリシアは顔を上げ、扉へ声を投げた。


「近衛隊長。騎士団長。両名を至急」


扉の外で足音が跳ねる。

程なくして、二人が入ってくる。

どちらも目の下に疲れが残る、しかし背筋は折れていない。


アリシアは、迷いなく告げた。


「方針は決めた」


近衛隊長が喉を鳴らす。


「女王陛下…王国府へ突入を?」


「しない」


即答。

その声に、部屋の空気が固まる。


騎士団長が反射的に言う。


「しかし、宰相閣下が拘束されております。王国府が止まれば…」


「だからこそ、止めたままにする」


二人が眉をひそめる。

“止めたまま”

国の血が止まっているのに?


アリシアは視線を揺らさない。


「今、港都で戦えば民が恐慌に落ちる」

「恐慌は外へ漏れる」

「帝国と連邦に、介入の口実を与える」


彼女は机の上の地図を指で叩いた。

王国府、そこだけを。


「敵はそれを狙っている。血を流さず、こちらを“悪者”にするために」


近衛隊長が歯を食いしばる。


「では…どうなさるおつもりで?」


アリシアは、短く答える。


「待つ」


騎士団長が目を見開く。


「待つ…?」


「レーヴェン侯が来るまで、時間を稼ぐ」


言った瞬間、二人の顔色が変わった。

レーヴェン侯。

元騎士団長。武門の頂。

中立派の柱。

彼が動けば、話の形が変わる。


「王宮からの出兵ではない」

「中立派諸侯を伴った治安回復の名目が立つ」

「王国府の横暴でも、女王の私兵でもない」


騎士団長が理解し、静かに頷く。


「…確かに。諸侯の目も、外の目も、抑えられます」


アリシアは続ける。


「近衛は王宮から動くな」

「城門は閉じるが封鎖にはするな。港都に恐慌を広げない」

「騎士団は出動準備だけ。見せるだけでいい。動けば負ける」


近衛隊長が唇を引き結ぶ。


「…陛下、ご自身は?」


アリシアは少しだけ、間を置いた。

ここが一番危険な質問だ。


「私はルドルフからの交渉に応じる」

「ただし、譲らない」

「宰相以下の安全確認と、王国府内部の被害状況の把握」

「それだけを引き出す」


交渉は、時間稼ぎ。

しかし時間稼ぎには見せない。

女王が恐れて膝をついたと見せたら終わる。


アリシアは目を細めた。


「私は十三歳でも、女王よ」

「怯えた子供の役は、演じない」


二人が、一礼する。


「御意」


彼らが退出しようとした時、アリシアは低い声で釘を刺した


「独断で動くな」

「誰かが英雄になろうとした瞬間、港都が燃える」

「港都が燃えた瞬間、帝国と連邦が笑う」


近衛隊長の拳が、震えながらも握り締められる。


「…承知しました。女王陛下」


扉が閉まる。


アリシアは、ツインリンクをもう一度だけ開いた。

返信スタンプを選ぶ。短く、強く。


【了解】

【待つ】

【任せて】


送信。


そして、アリシアは机の前に戻り、紙に新しい命令書を書き始めた。

王国府が止まっている今、王宮が心臓だ。

心臓を止めるわけにはいかない。


(クロエ)

(お祖父様を動かしてくれてありがとう)

(私は、ここで耐える)


時間は敵だ。

だが、味方にする。


レーヴェン侯が到着するその瞬間まで。

アリシアは、女王として微動だにしないと決めた。



続きが気になる方は、ブクマお願いします!

また、少しでも面白いと感じた方は評価お願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ