第37話 港都騒乱③
レーヴェン侯爵家の執務室。
壁には戦地の地図、古い剣、騎士団長時代の徽章。
椅子に座る祖父ヴィルヘルムは、朝からもう戦場のような空気を纏っていた。
クロエは、椅子の端にちょこんと座る。
背筋だけは、リディアに叩き込まれた通りに。
…のはずが、心臓がうるさすぎて、背筋が揺れる。
(落ち着け俺)
(相手は元騎士団長。孫の芝居で誤魔化すな。要点だ)
レーヴェン侯が、低い声で言った。
「クロエ。朝一番に呼び出すとは」
「“家族の用事”と聞いたが」
クロエは一度だけ息を吸って、言った。
「港都の王国府が、占拠されました」
一拍。
部屋の空気が、一段重くなる。
ヴィルヘルムの眉が、ほんの僅かに動いた。
「…どこからだ?」
クロエは、すぐ答えない。
答え方を間違えると、これは政治の爆弾になる。
「姉上…女王陛下からです」
「…陛下から?」
侯は身を乗り出す。
疑いの目ではない、情報の質を測る目だ。
「なぜ、クロエが知っている」
来た。
ここで詰まると終わる。
クロエは、最短の嘘を選ぶ。
嘘じゃない形の嘘。
「…魔法です」
ヴィルヘルム侯の目が、細くなる。
「魔法?」
「はい」
クロエはできるだけ真面目な顔で頷く。
(俺、いま全力でそれっぽい顔してる)
「姉上と…わたしの間に」
「通信の魔法が、あります」
祖父は黙ってクロエを見た。
長い沈黙。
その沈黙が、戦場の沈黙に似ていて、クロエの喉がきしむ。
(ばれる)
(いや、ばれてもいい、でも今は時間が…)
侯は、ゆっくりと椅子の背に戻った。
「…ふむ」
彼は机の上の地図に目を落とす。
港都の中央区画に指を置く。
「王国府だけを押さえる手は、ある」
「だがその手は、普通は使わん」
「使えば外が嗅ぐからだ」
クロエは頷きまくりたくなるのを堪えた。
「姉上も、同じことを言いました」
「だから…血を流さず、静かに、取り戻したいと」
「十三でそこまで読めるなら、娘に似たな」
「いや…」
彼はクロエを見た。
「お前もだ」
クロエの背筋が、少しだけ冷える。
(やめて、観察しないで、おじいちゃん、こわい)
「…で」
「女王陛下は、お前に何をさせたい」
クロエは正直に言った。
言葉を飾ると、祖父には通じない。
「お祖父様を動かしてほしい」
「港都に…王国府を」
「“拠点奪還”をと」
ヴィルヘルム侯は目を閉じた。
数秒。
判断している時間だ。
そして、目を開ける。
「…疑わしい」
「通信魔法など、王家が隠しているにしては便利すぎる」
クロエの心臓が跳ねた。
やっぱりそうなるよね!
だが、祖父は続けた。
「だが——」
指で机を叩く。
一度、二度。
「港都の血が止まっているなら、いずれ外が嗅ぐ」
「嗅がれる前に終わらせる必要がある」
「その点は、筋が通る」
彼は、クロエを真正面から見た。
「…よかろう」
「今は、理由よりも結果が要る」
クロエが思わず息を吐くと、祖父は少し口元を歪めた。
「ただし、条件がある」
来た。条件。
「お前はここに残れ、港都へ連れてはいかん」
「女王陛下にお伝えしろ。俺は“中立派の合意”を盾に動く」
「王国府の暴走ではない。『諸侯連合としての治安回復』の形を作る」
うわ、強い。
政治の見せ方まで含めた“奪還”。
クロエは全力で頷いた。
「わかりました!」
祖父が立ち上がる、椅子が音を立てる。
その音だけで、部屋の空気が戦支度になる。
「副長を呼べ」
「いや、まずはこの屋敷の者を集めろ」
「中立派の旗を作る。『女王陛下を守るための出兵』だ」
クロエは内心で叫ぶ。
(頼もしすぎる!!)
(これが歴戦の勇者!!)
祖父は扉へ向かいながら、最後にぽつりと言った。
「クロエ」
「お前の“通信魔法”が真実かどうかは、後で聞く」
クロエの背筋が凍る。
だが、祖父は続けた。
「今は、よい」
その言い方が、武人らしい許しだった。
疑っている。
でも、動く。
クロエはツインリンクを開き、最短で打つ。
「祖父動く」
「中立派名目」
「血流さず奪還」
送信。
外では、もう屋敷の者が走り始めていた。
戦場の準備は、いつも音が少ない。
それが一番怖い。
クロエは執務室を出た廊下で、いったん壁に手をついた。
足が震える。七歳の足がじゃなくて、中身の方が震えてる。
(通った)
(でも姉は…王宮で、一人で耐えてる)
胸の奥がきゅっと縮んだ。
ただの報告じゃない。
これは、祈りだ。
(姉、死ぬな)
(政治に殺されるんじゃなくて、“決断”に潰されるな)
廊下の向こうで、鎧の擦れる音がした。
祖父の部下たちが動き始めている。
レーヴェン侯が“戦支度”に入った音。
クロエはそれを聞きながら、もう一度だけツインリンクを見た。
既読は…まだ、つかない。
「…早く見ろよ、お姉ちゃん」
言った瞬間、自分で驚く。
口が勝手にそう呼んだ。
焦りの中で、いちばん素直な言葉が漏れた。
王宮、執務室。
窓の外はもう薄明るい。港都の輪郭が、朝靄の向こうに浮かんでいる。
アリシアは机の前に立ったまま、動かなかった。
紙の上の文字が目に入っても、脳が拒む。
王国府占拠。
宰相拘束。
印章室確保。
血は流れていない。だからこそ、こちらの手が縛られている。
(時間は敵)
(でも、時間は味方にもなる)
その時、視界の端が小さく光った。
ツインリンク:新着
アリシアの指が、ためらいなく動く。
セリフスタンプが並ぶ。短い単語。
「祖父動く」
「中立派名目」
「血流さず奪還」
アリシアは一瞬、息を止めた。
胸の奥が熱くなる。
だが、熱くなる前に、冷たく決める。
(来る)
(お祖父様が来る)
(なら、私の仕事は一つ)
時間を稼ぐ。
騎士団を動かさない。
近衛を動かさない。
王宮を堅牢に保ったまま、港都を燃やさずに待つ。
アリシアは顔を上げ、扉へ声を投げた。
「近衛隊長。騎士団長。両名を至急」
扉の外で足音が跳ねる。
程なくして、二人が入ってくる。
どちらも目の下に疲れが残る、しかし背筋は折れていない。
アリシアは、迷いなく告げた。
「方針は決めた」
近衛隊長が喉を鳴らす。
「女王陛下…王国府へ突入を?」
「しない」
即答。
その声に、部屋の空気が固まる。
騎士団長が反射的に言う。
「しかし、宰相閣下が拘束されております。王国府が止まれば…」
「だからこそ、止めたままにする」
二人が眉をひそめる。
“止めたまま”
国の血が止まっているのに?
アリシアは視線を揺らさない。
「今、港都で戦えば民が恐慌に落ちる」
「恐慌は外へ漏れる」
「帝国と連邦に、介入の口実を与える」
彼女は机の上の地図を指で叩いた。
王国府、そこだけを。
「敵はそれを狙っている。血を流さず、こちらを“悪者”にするために」
近衛隊長が歯を食いしばる。
「では…どうなさるおつもりで?」
アリシアは、短く答える。
「待つ」
騎士団長が目を見開く。
「待つ…?」
「レーヴェン侯が来るまで、時間を稼ぐ」
言った瞬間、二人の顔色が変わった。
レーヴェン侯。
元騎士団長。武門の頂。
中立派の柱。
彼が動けば、話の形が変わる。
「王宮からの出兵ではない」
「中立派諸侯を伴った治安回復の名目が立つ」
「王国府の横暴でも、女王の私兵でもない」
騎士団長が理解し、静かに頷く。
「…確かに。諸侯の目も、外の目も、抑えられます」
アリシアは続ける。
「近衛は王宮から動くな」
「城門は閉じるが封鎖にはするな。港都に恐慌を広げない」
「騎士団は出動準備だけ。見せるだけでいい。動けば負ける」
近衛隊長が唇を引き結ぶ。
「…陛下、ご自身は?」
アリシアは少しだけ、間を置いた。
ここが一番危険な質問だ。
「私はルドルフからの交渉に応じる」
「ただし、譲らない」
「宰相以下の安全確認と、王国府内部の被害状況の把握」
「それだけを引き出す」
交渉は、時間稼ぎ。
しかし時間稼ぎには見せない。
女王が恐れて膝をついたと見せたら終わる。
アリシアは目を細めた。
「私は十三歳でも、女王よ」
「怯えた子供の役は、演じない」
二人が、一礼する。
「御意」
彼らが退出しようとした時、アリシアは低い声で釘を刺した
「独断で動くな」
「誰かが英雄になろうとした瞬間、港都が燃える」
「港都が燃えた瞬間、帝国と連邦が笑う」
近衛隊長の拳が、震えながらも握り締められる。
「…承知しました。女王陛下」
扉が閉まる。
アリシアは、ツインリンクをもう一度だけ開いた。
返信スタンプを選ぶ。短く、強く。
【了解】
【待つ】
【任せて】
送信。
そして、アリシアは机の前に戻り、紙に新しい命令書を書き始めた。
王国府が止まっている今、王宮が心臓だ。
心臓を止めるわけにはいかない。
(クロエ)
(お祖父様を動かしてくれてありがとう)
(私は、ここで耐える)
時間は敵だ。
だが、味方にする。
レーヴェン侯が到着するその瞬間まで。
アリシアは、女王として微動だにしないと決めた。
続きが気になる方は、ブクマお願いします!
また、少しでも面白いと感じた方は評価お願いします!




