第34話 港都騒乱①
王宮。アリシアの執務室。
アリシアは机に広げた地図に目を落としながら、騎士団長と近衛隊長の報告を聞いていた。
「巡察は増やしました。商人街は平常です」
「諸侯の使いも、表向きは問題ない範囲に収まっています」
“平常”
その言葉は、安心のようで、毒でもある。
アリシアは頷いた。
「引き続き警戒を。表立っては動かない。噂を育てたくない」
二人が退出する。
扉が閉まった瞬間、アリシアはペンを置き、指でこめかみを押さえた。
(ノクス)
(早く帰れ)
(…いや、外も必要だ。王弟派の“本丸”を掴むには)
理屈は正しい。
だが、理屈は時に“最悪のタイミング”を呼ぶ。
その頃。
港都では、理屈の外側で物が動いていた。
王弟ルドルフの少数精鋭部隊。
彼らは軍ではない顔をしていた。
港で働く者。
荷の検め役。
夜回りの臨時雇い。
諸侯の屋敷に出入りする従者。
あるいは、巡礼者。
だが、靴のすり減り方が違う。
歩幅が揃っている。
目線が高い。
何より、手が落ち着いている。
彼らは港都の中へ散った。
散りながら、互いの位置を見えない糸で繋いでいる。
そして、彼らの荷の中には、一本ずつ。
後装式の銃。
まだ数は少ない。
だが、数が少ないほど強い場面がある。
「一斉射撃」ではない。
「狙撃」だ。
騎士の胸当ても、盾も。
近衛の隊列も。
当たれば終わる。
銃身に刻まれた溝が、弾を真っ直ぐ飛ばす。
この世界の常識。
銃は当たらない。だから騎士は生きる。
その常識が、ゆっくり死ぬ音がした。
諸侯も動いた。
露骨な大軍は入れられない。
それは逆に怪しまれる。
だから、彼らは怪しまれない程度に手勢を入れた。
十、二十、三十。
交易の都では、それは誤差だ。
誰が誰の従者かなど、いちいち見分けられない。
だが、その誤差が積み重なると、
港都の中に、小さな軍が生まれる。
彼らは酒場で笑い、宿で寝て、商店で品を買う。
いつも通りの顔で。
ただし、夜になると目が変わる。
王国府の区画。
中央庁舎。
文官の詰所。
倉庫。
門の交代時間。
港都の喉を握る場所は、実は城ではない。
王国府だ。
税。通行証。関税。兵站。
命令書。印章。
紙が、この国の血を回している。
ルドルフは、そこを狙っていた。
城を落とすより早い。
王を殺すより効く。
内乱を正義の解放に変えるには、最適だ。
王国府が麻痺すれば、女王は動けない。
諸侯は動ける。
そして港都は混乱に落ちる。
混乱した港都に、外は必ず目を向ける。
(帝国でも連邦でもいい)
(外が嗅ぎつければ、女王はさらに動けない)
(その隙に“摂政”を名乗ればいい)
ルドルフの絵図は、最初からそれだった。
そして最悪だったのは、ノクスがいないこと。
ノクスがいたら気づけた。
港都の誤差が増えている。
荷が妙に重い。
新式の油の匂い。
銃の機構を隠す布の摩擦。
訓練された足音。
だが、いない。
アリシアは騎士団に警戒を促した。
しかし騎士団は“軍”に備える。
城門に備える。
街道に備える。
港都の中で、
紙と銃で王国府を刺す作戦には、
一歩遅れる。
その夜。
港都の中央区画。
王国府の建物の屋根に、影が一つ。
屋根瓦の上に腹ばいになった男が、銃を組み立てる。
月は雲に隠れている。
灯りは少ない。
風は海から来る。
男は笑わない。
ただ、淡々と狙いを定める。
狙うのは門番ではない。
近衛でもない。
——鐘楼。
あそこを落とせば、警鐘は鳴らない。
交代の合図も乱れる。
混乱が生まれる。
次に狙うのは、印章室。
そして最後に、王国府の中枢である宰相府へと繋がる廊下。
少数精鋭の戦い方は、派手じゃない。
だが、一番恐ろしい。
港都は、まだ眠っている。
眠っているうちに、
喉元に刃が当てられたことに、
誰も気づいていなかった。
夜明け前。
空はまだ青くならない。潮の匂いだけが濃い。
王国府の中央庁舎、石と木で組まれた、港都の心臓。
そこへ、小さな波が来た。
小さいからこそ、最初の一撃が深く刺さる。
鐘楼の影。屋根。路地。
灯りの切れ目に、黒い影が三つ、四つ。
最初に落ちたのは、命ではない。
音だ。
鐘楼の番兵が、胸を押さえて崩れる。
血は少ない。弾は真っ直ぐ抜けた。
警鐘は鳴らない。
次に、門番の片方が倒れる。
もう片方は口を開く前に、首筋に硬いものが当たって意識を失う。
殺さない。
殺さない方が、後で使える。
(殺すな)
(港に被害を出すな)
(商業区は触るな)
(王国府だけ押さえろ)
ルドルフの命令は短く、現実的だった。
彼は“反乱軍”ではなく、行政の乗っ取りを狙っている。
扉が開く。
静かに。
無理に壊さない。壊せば音が出る。
その動きだけで、この連中が素人の暴徒ではないと分かる。
王国府の兵は、強いわけではない。
強いのは紙だ。印章だ。人事だ。税だ。
そして、夜勤の書記官の疲れた目だ。
廊下に足音が響く。
交代の巡察が異変に気づく。
「誰…」
声は最後まで出ない。
口を塞がれ、壁に押し付けられ、縛られる。
ここで、襲撃者の隊長格が小声で言う。
「殺すな」
「この国は書類で回っている」
「首を切るのは、勝った側の仕事じゃない」
王弟の思想が、現場に染みている。
襲撃者たちは、真っ先に印章室へ向かう。
金庫。鍵。印章。帳簿。通行証の束。
関税の印。通行許可の札。人員配置表。
ここを押さえるだけで、近衛への出動命令が出せない
騎士団の動員が遅れる
港の荷の通行が止まる
どの門が正規の門かが曖昧になる
つまり、命令系統が鈍る。
隊長格が、部下へ念を押す。
「宰相府へは“確保”だ」
「殺すな。脅しても傷をつけるな」
「上級貴族に血を流させれば、外が嗅ぐ」
「外が嗅げば、こちらも詰む」
この作戦は、勝つためではなく
介入されずに、既成事実を作るための作戦だった。
宰相の執務室の扉が叩かれる。
中から低い声。
「…誰だ」
襲撃者は、平然と名を名乗る。
「王国府の臨時巡察です」
「鐘楼の番が倒れています。確認を」
扉が開いた瞬間、腕が伸びる。
首に刃は当てない。
代わりに、喉元に硬い金属が当たる。
宰相は分かる。
これは脅しではない。拘束だ。
廊下の向こうから、何人もの足音。
抵抗しようとした下級官吏が、あっという間に床に押さえつけられる。
血は出ない。
だが、完全に制圧された。
襲撃者の隊長は、宰相の目を見て言う。
「あなたは必要だ」
「生きて仕事をしてもらう」
そして、紙を一枚取り出す。
すでに書いてある。
王弟の言葉が、冷たく整っている。
その文面は短い。
王国府は我らが確保した。
港と商業区に手は出さない。
王宮も騎士団も、港都で大きく動くな。
交渉の席を設けよ。
目的は“王家を王国府から解放する”こと
そして、最後に。
“血を流さぬために、あなた方が必要だ”
続きが気になる方は、ブクマお願いします!
また、少しでも面白いと感じた方は評価お願いします!




