第4話 表から消される王女様
扉が開いた。
会議室の空気は、前室よりさらに重い。
蝋燭の匂い、羊皮紙の匂い。
長机の周りに、豪奢な衣服の男達、近衛隊長…。
上座には若い女性。ゆったりとした衣服、そして頭には銀のティアラ。
(上座…王妃か?つまり、母親)
そして、俺が入った瞬間、視線が刺さった。
赤ん坊の俺に。
侍女に抱かれた俺に。
「なぜ姫君をここへ?」
最初に声を上げたのは、年配の男。恐らく宰相か。
丁寧だが苛立ちが滲む。胃が痛そうな顔だった。
「危険が去ったわけではない」
「泣かれたら話にならぬ」
「場が乱れる」
周囲から声があがる。
(その通りです。俺もそう思います)
侍女は一歩前へ出た。
俺を抱いたまま背筋を伸ばす。視線を落とさない。
「失礼します。姫君を連れてきたのは近衛隊長の命令です」
一瞬、空気が止まる。
「現場当事者として、私ごと会議に上げろと」
(この侍女、言い切るタイプだな。助かる)
近衛隊長が短く言う。
「話せ」
侍女は頷き、端的に報告した。
「襲撃時、姫君は私の腕の中におられました」
「以降、姫君は私から離れたがりません。預け替えを試みたところ強く拒まれました」
会議室の何人かが顔をしかめた。“拒まれました”に引っかかった顔。
(拒否反応とか言わないで。俺はただ必死なだけ)
年配の男が咳払いする。
「赤子の気まぐれでは?」
侍女は首を振らない。肯定もしない。ただ淡々と続けた。
「私には断定できません。ですが、襲撃の直後に護衛系統を変えるのは危険です」
「姫君が静かであることが最優先です。今夜、この場が最も守りやすい」
(ここ最も守りやすいのか?まあ近衛いるしな)
その時、王妃が初めて口を開いた。
凛として、冷たい声。
「よい。今夜は例外。続けよ」
(例外もクソも)
(産んで半日で会議出席って…)
(マミー、鉄の女かよ!!)
もちろん声には出せない。赤ん坊だから。
心の中でだけ全力で突っ込む。
そして次の瞬間、俺は突っ込むのを少しだけやめた。
王妃の視線が、ふっと俺に落ちたからだ。
一瞬だけ。
本当に一瞬だけ。
その目が、ほんの少しだけ揺れた。
“統治者”の目じゃない。
産んだばかりの子を見る目。
指先が、わずかに動く。
触れたいのか、触れるべきじゃないのか迷うみたいに。
(母親じゃん)
胸の奥が変な痛み方をした。
だが彼女は、次の瞬間にはそれを切り捨てていた。
視線は机の上へ。声は冷たく、正確に戻る。
「泣く時間は後に取る」
(鉄の女じゃない)
(鉄の女を、やらされてるんだ)
宰相が議題を戻す。
「では続けます。今夜の件ですが」
机の中央に布包みが置かれた。
硬貨だ。
近衛隊長が短く言う。
「侵入者は魔法使い。隠匿と静音。狙いは殺害より拘束、誘拐の動きだった」
「そして、これが落ちていた」
宰相が硬貨の縁を親指でなぞった。
「…欠けがある」
会議室の空気が、さらに冷える。
隊長は説明した。
「港都ヴェルの両替商がつける印だ。偽造の判別で縁を一つ削る」
「これは、外から持ち込まれた硬貨じゃない。国内で一度回っている」
沈黙。
宰相が、次に紋章を見た。
「帝国の紋…いや、見せ札か」
侍女が即座に言う。
「帝国のように見せたい、だけの可能性もあります。断定は早いです」
会議室がざわめく。
「つまり、帝国が糸を引いたか、連邦か…」
「そして硬貨は国内ルートを通っている」
誰かが、ようやく吐き出す。
「内通者がいる」
宰相が顔をしかめる。
「交易院か、税関か、両替商か。あるいは貴族の口利き」
王妃が淡々と言う。
「窓口を絞る。動く者を減らす。今すぐだ」
扉の前にいた騎士が外へ出る。
隊長が続ける。
「両替商を押さえ、取引記録を洗う」
「港都ヴェルの出入りを締める。グラント関門も封鎖を強める」
(港と関門、この国喉元が二つあるタイプだ)
そこへ、別の声が入った。若い男。
「陛下は?」
(そうだ、国王は?)
俺は心の中で即座に突っ込む。
(産んで半日の王妃がここにいるのに、なんで国王いないんだよ!)
宰相が、少しだけ言葉を重くした。
「陛下は…今夜は表に出られない」
隊長が補足する。
「港都ヴェルの締め付けと、諸侯への通達。陛下の名でなければ動かぬ連中がいる」
「それに…陛下の所在を曖昧にした方が良い局面もある」
(王権、弱いというより窓口が多すぎる)
宰相が苦く言う。
「今夜の件を嗅ぎつければ、諸侯は騒ぎます。外が来る前に内が割れる」
王妃が短く締める。
「陛下は陛下の仕事をしている。今はそれでよい」
俺はまだ何も知らない。
でも単語だけで輪郭はできる。
回廊王国。諸侯。港都と関門。
外の大国。内通。
そして次の議題が来た。
宰相が喉を鳴らす。
「第二王女殿下を、どうするか」
視線がまた俺に集まる。
(見ないで。俺も見返せない。赤ん坊の首が回らん)
王妃は迷わなかった。
「表から消す」
短い言葉。
会議室の誰も反論できない種類の決定。
「第二王女クロエは、当面“病で臥せっている”ことにする」
「公式の場に出さない。記録も増やさない。出入りを制限する」
「護衛系統は一本化。責任者は近衛隊長」
隊長が胸に手を当てる。
「御意」
(理屈は分かる。生存優先だ)
宰相が慎重に言う。
「第一王女殿下…アリシア殿下には?」
王妃は少しだけ目を細めた。
「知らせない。今は余計な波紋が増える」
「姉妹の情は大切だが、この国は情だけでは守れない」
俺の胸の奥が、少しだけ冷えた。
(姉に伏せるのか)
最後に王妃が、誰にも聞こえないくらい小さく言った。
「…クロエ」
名前だけ。
母の声が、ほんの一瞬だけ残る。
次の瞬間、統治者に戻る。
「散れ。動け。一刻も早く、窓口を潰す」
全員が動き出した。
俺を抱えた侍女が廊下へ出ると、扉の脇に記録係が立っていた。
蝋の匂いがついた羊皮紙を抱え、筆先をわずかに濡らしている。
「本日の議事録、確認を」
「確認は後だ。先に“名前”を消せ」
近衛隊長が短く言う。
記録係の手が、止まった。
「…御意」
余白が増える。
“第二王女クロエ”、その文字が消えた。
侍女の腕の中で、俺はその沈黙を聞いていた。
赤ん坊の耳に、政治の音が入ってくる。
記録係が恐る恐る言う。
「では、記録上は…」
隊長が答える。
「第一王女のみ。第二王女は、病。洗礼未了。未確定」
未確定。
存在しているのに、存在していない言い方だ。
侍女の手が、いつもより少し強い。震えを隠すみたいに。
(消されるのは俺だけじゃない)
(この侍女も、隊長も、母親も…この夜に何かを捨ててる)
前室を出、角を曲がる前、背後から足音が一つだけ近づいた。
振り返らなくても分かる。あの静けさ。
王妃が廊下に出ていた。
隊長が、侍女も膝を折る。俺も揺れる。
王妃の視線が、俺に落ちる。
また、ほんの一瞬だけ“母”になる。
右手が俺の頬に触れた。
「泣くな」
誰に言ったのか分からない声だった。
侍女に。俺に。あるいは自分に。
次の瞬間、王妃は踵を返す。
統治者の背中に戻っていく。
廊下には、記録されない姫と、記録できない夜だけが残った。
侍女が小さく息を吐く。
「…クロエ様」
呼ぶな。
でも、呼んでくれ。
(ここからだ)
(俺は“いない姫”として生きる)
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