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第33話 王妹殿下のいない夜

港の外縁部。

灯りを落とした私室で、ルドルフ・フォン・ヴェルディアは窓の外を見ていた。


夜空に、月が浮かんでいる。


「…月は、隠れるものだ」


彼は静かに呟く。


幼い頃から、カタリーナは太陽だった。

才覚も、人望も。いつも、眩しかった。


そして、娘を残して死んだ。


「太陽は、手に入れるものだ」


アリシア。

黄金の髪を持つ女王。


あの目。

あの冷静さ。


あの、自分を見透かすような視線。


(だが、まだ子供だ)


月が、太陽の傍に現れた。

表に出てはいけないはずの存在。


「月は、太陽の邪魔をする」


ルドルフは、机の上の地図を見る。

港都。

諸侯の領地。

そして、王宮。


「王家を、取り戻す」


それは反乱ではない。簒奪でもない。


解放だ。


幼い女王を、王国府の檻から解き放つ。

そう、彼は本気で信じていた。


「準備を始めよう」


月を隠し、太陽を手に入れるために。




海の向こう、島国。

襖の奥、香の匂いが濃い座敷で、数人の男たちが膝を揃えていた。


「幕府は、またアルトフェンへ人を出したそうだ」

「港が開いている限り、幕府は倒れぬ」


「交易が命の政は、鎖を断たれれば死ぬ」

誰かが笑う。笑みだけが冷たい。


中央に置かれたのは、一本の銃。

まだ磨かれた木の香りが残っている。


前装式ではない、構造が違う。

撃って、開き、装填し、閉じる。動作が速い。


そして銃身の内側には、螺旋。


「新式だ」

「命中が運ではなくなる」


皇王派の一人が呟く。


「これを幕府が広げれば、朝廷は永遠に返り咲けぬ」

「なら、幕府の外の柱あるを折る」


別の男が、地図を指でなぞる。

大陸の南端、山脈の切れ目。アルトフェン、そして港都。


「ここを燃やせば、幕府の足元は揺らぐ」


「燃やすのに、朝廷の手は汚さぬ」

「内側に火をつける」


男たちは視線を交わす。


「ルドルフ・フォン・ヴェルディア」


「欲しいものが分かりやすい男だ」

「太陽を欲しがる」

「月を邪魔だと思っている」


香の煙がゆらめく。


「こちらは銃を流す」

「向こうは港都を荒らす」

「幕府の交流は傷つき、朝廷派は正義を語れる」


「望月衆も派遣しておる、問題はない」


男が低く笑った。


「維新とは、正義の仮面を被った内戦だ」

「誰も手を汚さず、誰かが死ぬ」




港都、貴族街の外れ。

石造りの館の一室に、甘い香が満ちていた。


壁には絵画。天井には燭台。杯には薄い葡萄酒。

ここは政治の場ではない。そう見えるように作られた場所だ。


それが、サロン。


集められたのは、露骨な過激派ではない。

王国府に不満を持つ者。

私兵制限で面子を潰された者。

税や徴発の口出しを嫌う者。

そして何より、


不安な者。


国王夫妻の死。

十三歳の女王。

七歳で突然姿を現した王妹。


蝋燭の影が揺れ、囁きが波のように広がる。


「…あの王妹、本当に王家の血なのか」

「病で隠されていた?都合が良すぎる」

「王国府が何かを隠している」


誰かが囁く。


そしてその囁きの結論だけが、勝手に増殖する。


そんな空気の中。

扉が開いた。


ルドルフ・フォン・ヴェルディアが入ってくる。

派手な装いはしない。

だが、礼装の線は完璧で、剣の佩き方に隙がない。


穏やかな笑み。

少し疲れた目。

心を痛める王族の顔。


一礼。

彼は椅子に座らず、あえて立ったまま言った。


「皆、今日は来てくれてありがとう」


声は低い。押しつけがましくない。

しかし、部屋の空気が整う。


「…私は、政治が得意ではない」


最初に、わざと弱さを見せる。

人は正直に弱い。


「だが、王家の者として」

「この国が壊れていくのを黙って見ていられない」


誰かが頷く。

同意は、こうして始まる。


ルドルフは、ゆっくりと部屋を見回した。


「国王陛下と王妃殿下がお隠れになった」

「それは悲劇だ。…そして不幸な偶然だ」


“偶然”と言った。

ここで誰かを責めない。

責めると反発が生まれる。

彼が欲しいのは敵ではなく、味方だ。


「女王陛下が即位された」

「正統だ。否定するつもりはない」


一瞬、貴族たちの目が光る。

反逆ではない、と確認したい目だ。


ルドルフは微笑んだ。


「だが、問わせてほしい」


彼は間を置いた。


「今、王国は王家の手にあるのか?」


空気が、ぴたりと止まる。


「王国府という名の役所が、王家を使っているだけではないのか?」


ざわめき。

しかし、それは反発ではない。

欲しかった言葉をもらった時のざわめきだ。


ルドルフは、声を少しだけ柔らかくする。


「私は兄を尊敬していた」

「兄は、諸侯の力と王国府の力を釣り合わせ、この国を守ってきた」


ここで良き過去を提示する。

人は過去を取り戻したがる。


「だが、今は違う」

「私兵の制限」

「徴発の口出し」

「関税・通行の再編」

「領内の人の移動にまで、王国府が口を挟む」


彼は一つ一つを、責める調子ではなく“事実”のように並べる。


「…皆の不満は分かる」

「皆が悪いのではない、急に世が変わりすぎた」


誰かが小さく言った。


「王国府が、焦っているのだ…」


ルドルフは、そこで初めて痛みを見せた。


「焦っている」


「外の圧力がある」

「帝国も連邦も、静観しているようで、牙を研いでいる」


彼は、核心を投げる。


「その状況で」

「十三歳の女王に、政治を背負わせるのが正しいのか?」


貴族たちの顔に正義が宿る。

自分たちは悪人ではない。

ただ、子どもを守りたいのだ。

そう思える“物語”が与えられた。


ルドルフは続ける。


「王妹殿下が突然表に出た」

「私は、王妹殿下を侮辱するつもりはない」


丁寧に言う。

この一言で、ただの差別・中傷ではないと装える。


「だが、彼女を女王の側に置き、王国府の会議に同席させている」

「七歳の子を、政治の場へ」


誰かが囁く。


「操り人形だ…」


ルドルフは、その言葉を否定しない。

否定しないことで、言葉は勝手に育つ。


彼は静かに、結論を口にした。


「私は王国を、正統に戻したい」


「王家が王国を導き、諸侯が領地を守り、商人が海を開き、民が生きる」

「役所が主ではなく、王家が主である国へ」


ここで拍手は起こらない。

起こさせない。

拍手は軽い。欲しいのは沈黙の同意。


ルドルフは最後に、声を落とした。


「私は、女王陛下を救いたい」

「王国府の檻から」

「そして、王家を取り戻したい」


言い切った後、あえて目を伏せる。

悲しみを押し殺すように。


その姿に、貴族たちは自分の感情を投影する。


この男は野心家ではない。

王家のために泣いている。

自分たちのために立とうとしている。


そう思いたい者から、先に落ちる。


やがて、誰かが静かに言った。


「殿下…我らは、どうすれば」


ルドルフは顔を上げ、穏やかに微笑んだ。


「まずは、急がないことだ」

「王国府は、強権で押さえつければ外に付け込まれる」

「だからこそ内側から、正しく戻す」


その言葉は、刃の形をしていない。

だが、確実に人を動かす毒だった。


ルドルフの背後、部屋の影で。

名もない侍従が静かに息をした。


その懐には、一本の鍵。

後装式の銃に合う弾薬箱の鍵。


まだ撃たない。だが、撃てる。


サロンの夜は穏やかに更けていく。




夜、港都の石畳は、潮の匂いを吸って冷たく光っていた。

人の多い街は、噂も多い。噂は、影にとっては餌だ。


ノクスは“いない”ように歩く。

視線の端、灯りの切れ目、屋根の陰。

人の流れに逆らわず、ただ音を立てない。


サロンの裏口。馬車の出入り。

誰が来て、誰が帰るか。

誰が酒に酔って、誰が言葉に酔ったか。


そして、何より。


「…殿下のために」

「正統な王国へ」

「王国府の横暴を」


そんな言葉が、口の端からこぼれる夜が増えている。


(王弟派)

ノクスは心の中で、短く結論をつける。


彼は柱の影で待つ。

出てくる貴族の靴音。

一人は軽い。まだ遊び半分。もう一人は重い。決意が乗っている。

重い方が、護衛に小声で言う。


「王国府の喉を押さえれば、女王は動けない」


ノクスの指が、ほんの僅かに動いた。


記憶に刻む。


港、喉、押さえる。


この国の生命線を?


ノクスは眉一つ動かさない。

だが内心では、冷たい汗が走る。


(馬鹿か、いや…馬鹿ではない)

(馬鹿のふりをした焦りだ)


サロンを出た者たちは笑っている。

だが、その笑いが乾いている。

武器を手に入れた者の笑いだ。


ノクスは影へ溶け、王宮へ戻った。


王宮、女王の執務室。

灯りは一本だけ。

机の上に地図。

書類。

そして、未だ乾ききらない喪章の黒。


アリシアは椅子に座り、羽根ペンを置いたところだった。

十三歳、だが姿勢は女王のそれだ。


扉が、短く二度叩かれる。


「入りなさい」


ノクスが現れる。

黒い服はもう着ていない。

だが影の匂いは消えない。消す必要がない。


片膝をつく。


「…報告します、陛下」


アリシアは目線だけで続きを促す。


ノクスは余計な修飾を切り捨てた。


「王弟殿下のサロンが動いています」

「王国府の横暴を止め、正統な王国へ戻すが合言葉です」

「数名の諸侯、ならびに港の商人筋が接触しています」


アリシアの瞳が、わずかに鋭くなる。


「商人筋?」


「はい」

ノクスは続けた。


「そして、港に関する言葉が出ました」

「喉を押さえると」


アリシアは、瞬きひとつしない。


交易国家アルトフェンの心臓。

そこが止まれば、血が止まる。


しかし。


(まさか、そこまでやる?)

(王弟は…私を“奪う”つもりだ)

(港都を燃やせば、帝国も連邦も嗅ぎつける)

(外が入った瞬間、王弟の勝ち目は薄い)


理屈はそうだ。

だからこそ、


港都で仕掛けるは、常識的には悪手。


アリシアの中で、思考が一瞬躊躇した。

躊躇した分だけ、彼女は言葉を慎重に選ぶ。


「ノクス」

「ルドルフ殿下が、急ぎすぎている気配は?」


「あります」

ノクスは即答する。

「焦りです。成功よりも、今動くことが目的に見えました」


アリシアは、静かに息を吐いた。


焦り。

それは、計画の穴にもなる。


そして、暴発にもなる。


アリシアは立ち上がる。

窓辺へ歩き、港都の方角を見る。

夜の向こうに海がある。


アリシアは振り返り、ノクスを見る。


「王弟派の動きを、もう一段深く掘りなさい」


「御意」


ノクスが下がろうとした、その時。


アリシアは、ほんの僅かに眉を寄せた。

理屈では否定しているはずの一手が、胸の底で引っかかっている。


(…まさか)

(まさか、港都で“やる”のではなく)

(港都をやると思わせて、別の場所を…)


彼女は自分の思考を止める。

今は情報が足りない。先走れば、手がぶれる。


「ノクス」


「私が思いつかない場所が、一番危険よ」

「常識の外を見てきなさい」


ノクスは一礼し、影へ消えた。


その夜。

アリシアは騎士団へ警戒を促した。


女王の頭の中には、まだ港都を直接仕掛ける絵がない。

それが、この国の生命線だと分かっているからこそ。


常識が、アリシアを守りもする。

そして時に…


常識が、目を曇らせる。


続きが気になる方は、ブクマお願いします!

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