表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
37/79

第31話 王妹殿下とお祖父様

執事エドガーに導かれ、クロエは大広間へ向かう。


扉の向こうから、低く落ち着いた空気が流れてくる。

王宮の広間とは違う。

飾りは最小限、だが壁に掛けられた武具や古い軍旗が、この家が何を誇りに生きてきたかを雄弁に語っていた。


(武人の家だ)


クロエは一歩、また一歩と歩みを進める。

足音が響かないよう、自然と間を取る。


エドガーが立ち止まり、厳粛に告げた。


「王妹殿下、こちらが当家当主、レーヴェン侯爵ヴィルヘルム様、ならびに奥方エリザベート様にございます」


大広間の奥。


そこにいた二人は、並んで立っていた。



祖父、レーヴェン侯爵ヴィルヘルム。


五十を過ぎてなお背筋は真っ直ぐ。

白髪が増えても体躯は衰えておらず、鎧を着ずとも騎士と分かる佇まい。

その目は、数え切れぬ戦場を越えた者のそれだった。


祖母、エリザベート。


柔らかな色の衣をまとい、微笑みを浮かべている。

だが、その立ち姿には、ただの貴婦人にはない芯がある。

この人もまた、戦う者の伴侶だったのだと分かる。


二人の視線が、同時にクロエへ向けられる。


その瞬間。


ヴィルヘルムの目が、わずかに見開かれた。

エリザベートの手が、胸元で止まる。


見た目だけなら、確かに女王陛下、アリシアの方が似ている。

金の髪、輪郭、顔立ち。

それは誰が見ても「母の血」を感じる。


だが、この子は違う。


瞳だ。


月光のように淡い色。

深く、静かで、どこか遠くを見ている目。

あの頃のカタリーナと、同じだ。


エリザベートの胸が締め付けられる。


(この目…)


(覚悟を決めた時の、あの子の目…)


クロエは、教えられた通り、きちんと立ち止まり、深く礼をした。


「王妹クロエ・フォン・ヴェルディアです」

「このたびは、お時間をいただき、ありがとうございます」


声は幼い。

だが、震えていない。


言葉も短く、無駄がない。


ヴィルヘルムは、すぐには言葉を返さなかった。

武人特有の沈黙。

相手を測る、だが威圧ではない沈黙。


やがて、低く言う。


「…顔は似ておらぬな」


場が一瞬、張り詰める。


クロエは目を逸らさない。


「はい」

「よく、そう言われます」


短い返答。

言い訳もしない。


ヴィルヘルムの口元が、わずかに緩んだ。


「だが」

「目が似ている」


その言葉に、エリザベートがそっと頷く。


「ええ」

「それに…雰囲気も」


エリザベートは一歩前に出て、優しく微笑んだ。


「クロエ、遠いところをよく来てくれましたね」

「旅は疲れませんでしたか?」


クロエは、ほんの少しだけ表情を和らげる。


「はい」

「皆が、守ってくれました」


その言葉に、ヴィルヘルムは一瞬だけ目を伏せた。


(この子は、守られる立場を当然と思っていない)


(カタリーナと同じだ)


ヴィルヘルムは、決めた。


この子は、甘やかす対象ではない。

だが、突き放す対象でもない。


試す価値がある。


「まずは座りなさい、クロエ」

「孫としての話をしよう」


そう言って、椅子を示した。


クロエは一礼し、ゆっくりと歩き出す。


背筋は伸びたまま。

歩調は乱れない。


その小さな背を見ながら、エリザベートは胸の奥で呟いた。


(あの子の娘ね)


(間違いなく)


レーヴェン侯爵家の大広間に、

王妹クロエではなく、カタリーナの娘としての時間が、静かに始まった。



クロエは椅子に腰を下ろした。

子ども用に小さく作られた背もたれ。けれど座り方ひとつで、子どもにも王族にも見える。

リディアに叩き込まれた所作が、勝手に身体を支配している。


対面には祖父ヴィルヘルム、祖母エリザベート。

二人とも微笑みはある。だが、油断を許す温度ではない。


(…まず、出方を伺え)

(上司がキレてる会議、最初に喋ったやつが死ぬ)

(社畜の経験が、こんな所で役に立つなよ)


クロエの社畜脳が、静かに起動する。


ヴィルヘルムはクロエをじっと見ている。

目が鋭い。だが怒ってはいない。

試験の目だ。


祖母エリザベートが、柔らかく場をほぐすように口を開いた。


「クロエ、喉は渇いていませんか?」

「旅路の疲れもあるでしょう。温かいものを」


「ありがとうございます」

クロエは礼を言い、しかし水差しには手を伸ばさない。

今は飲むと間が崩れる。


(お祖母様、優しい。でもこれは助け舟でもある)

(ここで俺が子どもになれば、祖父は使えないと判断する)


クロエは短く息を吸って、先に切り出した。


「お祖父様」

「今日は、二つの理由で参りました」


言葉が出た瞬間、部屋の空気が少し変わる。

ヴィルヘルムの眉が、ほんの僅かに動いた。


「二つだと?」


「はい」

クロエは指を立てない。子どもが指を立てると可愛すぎる。

代わりに言葉の順で整理する。


「一つ目は、孫として」

「国葬の折、レーヴェン家が王家を支えてくださったことへのお礼です」


祖母がふっと微笑む。

ヴィルヘルムはまだ表情を崩さない。


「二つ目は」

クロエは少しだけ声を落とす。


「いま、王国の中が揺れています」

「揺れたまま放置すると、外が嗅ぎつけます」


外という言葉を出した瞬間、ヴィルヘルムの目が鋭くなった。


クロエは続ける。


「女王陛下は諸侯対応で動けません」

「だから、私が参りました」

「お祖父様のお力で、中立派の諸侯に」


ここで一瞬だけ、言い回しを選ぶ。

強すぎると命令になる。弱すぎるとお願いで終わる。


(お願いは通らない。依頼にしろ)

(でも孫としては可愛げも必要)


クロエは結論を短く置いた。


「静観ではなく、王国府の枠の中で動いてほしい」

「そう伝える空気を作ってほしいのです」


ヴィルヘルムは、すぐには答えない。

沈黙。

その沈黙の中で、クロエは心臓の鼓動を整える。


(沈黙は敵じゃない)

(上司が黙った時は、だいたい資料読んでる)

(祖父は…俺を読んでる)


「それを、誰に頼まれた?」


来た。

ここで嘘をつくと終わる。

だが、余計な情報を出すのも危険。


クロエは真っ直ぐ見て答える。


「姉上です」

「女王陛下から、直接」


祖母が静かに頷く。

ヴィルヘルムの目が、ほんの少しだけ細くなる。


「陛下は、なぜ自分で来られぬ」


クロエは即答する。

社畜脳の得意技、“相手の正しさを肯定しつつ理由を出す”。


「お祖父様の言う通り、女王陛下が来るのが一番です」

「しかし、陛下が城を離れれば弱いと見られます」

「そして、その瞬間に火をつける者がいます」


火をつける者。

名前は出さない。

でも伝わる。


ヴィルヘルムの口元が、ほんの僅かに動いた。


「…なるほど」

「喋り方が子どもではないな」


クロエは内心で叫ぶ。


(バレた?)

(いや、七歳でこれやってたら子どもじゃないのは当たり前だろ!)


しかし表には出さない。

クロエは少しだけ微笑む。

幼さはここで武器にする。


「…よく言われます」

「緊張しているだけです」


祖母が笑みを深くした。

上手い返しだ、と言わんばかりに。


ヴィルヘルムは、椅子に深く座り直す。

そして、ようやく結論に踏み込む声を出した。


「中立派を束ねろ、と」

「それで、何が欲しい」


クロエの社畜脳が即答する。


(要件確認フェーズだ!)

(相手が条件を出す。ここで出せるカードを整理しろ)


クロエは、息を吸い、短く答えた。


「時間です」

「港都が燃える前に、鎮める時間」

「そして、外が介入する前に、内側を固める時間」


ヴィルヘルムの目が、すっと細くなる。

武人の顔だ。

戦場の地図を頭に広げる目。


祖母エリザベートは、クロエを見て、心の中で確信する。


(この子は、カタリーナの血だけじゃない)

(生き残る目を持っている)


クロエは、まだ余計なことは言わない。

ここから先は、祖父が条件を出す番だ。


(相手に喋らせろ)

(相手が喋った内容が、交渉の材料になる)


クロエは静かに待つ。

孫の顔。

王妹の顔。

そして、前世の顔で。

続きが気になる方は、ブクマお願いします!

また、少しでも面白いと感じた方は評価お願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ