第30話 王妹殿下はよく似ている
馬車は港都の石畳を離れ、街道へ出た。
潮の匂いが薄れ、代わりに湿った土と草の匂いが窓から入り込む。
車輪が規則正しく鳴る。
それは落ち着く音でもあり、逃げ道がない音でもあった。
クロエは膝の上で手を揃えた。
揃えたつもりで、指先がわずかに震える。
(七歳で外交)
(いや、外交って言うと格好いいけど、やってることは“火消し”だよな)
(しかも相手は祖父。武人。元騎士団長。怖い)
向かいに座るリディアが、視線を外さず、クロエの姿勢を見ている。
それだけで背筋が伸びる。いや、伸ばされる。
「姫様」
リディアが小声で言う。
「到着までに、もう一度だけ確認します」
クロエは無言で頷いた。
「最初の礼は深く。ただし、卑屈に見えないように」
「目線は逸らさない」
「言葉は短く。結論から」
クロエは心の中で唱える。
(礼)
(目線)
(短く)
馬車の外では、騎士団の護衛が一定の間隔で走っている。
前後に騎馬。左右に歩兵。
先行の斥候が一つ丘を越えるたび、小さな合図が返る。
ロルフの声が外から飛んだ。
「次の分岐で道を変える」
「右へ。橋を渡る」
クロエは窓から少しだけ外を見る。
確かに、先行が止まって合図を出している。
街道ではなく、川沿いの道へ。
(当日変更も可能、ってこういうことか)
(ガチだな)
リディアが補足する。
「王都から出た直後は、尾をつけられやすいのです」
「一度、川沿いへ寄せて、視界を洗います」
クロエは「視界を洗う」という言い回しに、背筋が冷えた。
紛争国の言葉だ。
そういえばリディアの父は戦場慣れしている。
(俺、ほんとに戦時の国にいるんだな)
昼前、馬車は小さな村の外れで止まった。
街道の要所にある、騎士団の詰所みたいな場所だ。
護衛が水と飼い葉を受け取り、馬に与える。
周囲を見張る兵の目は鋭い。
クロエは馬車から降りることはできない。
外へ出る=見られるだからだ。
代わりにリディアが馬車を降り、周辺を確認する。
そしてすぐ戻り、クロエの前に膝をついた。
「姫様、ここから先は森道になります」
「レーヴェン侯爵領の境界が近くなります」
クロエは、妙に落ち着いた気持ちになっていた。
怖いのは怖い。
でも、進むしかない時、人は腹を括る
「…お祖父様、どんな人?」
クロエがぽつりと聞いた。
リディアは少しだけ考え、短く答える。
「強い人です」
「そして」
「弱さを隠す人です」
クロエの胸がきゅっとなる。
(カタリーナと同じだ)
(不器用で、でも、確かに愛情があるタイプ)
リディアは続けた。
「姫様が孫として礼を尽くせば、必ず受け止めます」
「その上で、試すでしょう」
クロエは息を吐いた。
夕刻が迫る午後。
森の匂いが濃くなる。道は少し狭くなり、しかし整備は行き届いている。
轍が深すぎない。枝が払われている。
“兵を通す道”だ。
そして、丘の先に見えた。
石造りの館。
城というほど大きくはないが、砦として十分な威圧がある。
付近に村落規模の家々が見える。
侯爵家というから、もっと大きな町を想像していたクロエは驚く。
「この館は、レーヴェン侯爵家の本領ではありません」
「別邸みたいなものです。精兵たちの為の砦」
「そうなの?本領は?」
クロエが聞き返す。
「もう少し先の街にあります。現在は侯爵家嫡男様が統治されております」
(てことは、俺の叔父上か…)
(いや、いまはお祖父様だ)
獅子の紋。
レーヴェン侯爵家。
護衛列が速度を落とす。
騎士団副長ロルフが前へ出て、門へ合図する。
門が、ゆっくりと開いた。
クロエの喉が鳴る。
(来た)
(ここが、俺達の味方になってくれるかどうかの分岐点)
リディアがクロエの手をそっと整え、ささやいた。
「姫様」
「背筋を」
クロエは頷いた。
(礼)
(目線)
(短く)
馬車は門をくぐり、石畳の中庭へ入った。
馬車の扉が開いた瞬間、屋敷の空気がわずかに揺れた。
中庭に整列していた執事と侍女たちは、号令を待つ兵のように静かだった。
だが、視線だけは一斉に馬車へ吸い寄せられる。
踏み台が置かれ、まずリディアが降りる。
続いて…クロエ。
白銀の淡い髪。
月光色のドレス。
小さな身体で、背筋がまっすぐ。
そして何より。
顔を上げた瞬間の目。
怯えていない。媚びない。
それでいて、妙に人の痛みを知っているような目。
執事エドガーは、礼を取る動作の途中で、ほんの一瞬だけ呼吸を忘れた。
(…カタリーナ様)
心の中で、勝手に名前が浮かぶ。
あの人も、こういう目をしていた。
幼い頃から、泣きたいのを飲み込んで、礼を崩さずに立っていた。
侍女たちも同じだった。
視線が揺れ、しかしすぐに整える。
動揺を見せたら失礼になる。
それを分かっているからこそ、余計に胸が詰まる。
「……」
誰も声に出さない。
だが、空気が確かに言っていた。
“似ている”
クロエが中庭へ一歩踏み出す。
歩幅を急がない。足音を立てない。
小さな王族が持つべき“間”を、驚くほど正確に取る。
エドガーは、深く礼をした。
「王妹殿下、ようこそお越しくださいました」
「レーヴェン侯爵家執事、エドガーにございます」
クロエも礼を返す。
深く、丁寧に。
そして顔を上げ、目を合わせる。
その瞬間、侍女の一人が喉を鳴らした。
声にならない息。
あまりにも、見覚えがある。
カタリーナが——ここに居た頃。
それと同じ空気が、そこにあった。
侍女長のマリアが、一歩前へ出る。
いつもなら完璧に微笑む場面で、微笑みがほんの少し遅れた。
遅れたのは、感情が先に来たからだ。
(…お血筋、というのは、こういうことなのね)
マリアは心の中でそう呟き、すぐに表情を整えた。
「王妹殿下。旅路、お疲れ様でございました」
「お部屋とお召し替えの支度は整っております」
クロエが、短く頷く。
「ありがとうございます」
言葉は短い。
でも、礼がある。
その無駄のない丁寧さが、また似ている。
エドガーは、内心で静かに決めた。
このお方を、軽く扱ってはならない。
この子は、カタリーナ様の娘だ。
そして、レーヴェン侯爵家の孫だ。
「侯爵閣下、奥方様は、大広間にてお待ちです」
「どうぞ、こちらへ」
扉が開く。
暖炉の匂いと、磨いた木の匂い。
クロエが屋敷へ足を踏み入れる。
その背に、出迎えの者たちの視線がそっと重なった。
それは監視ではなく、確かめる眼差し。
懐かしさと、痛みと、そして誇り。
“お嬢様の、カタリーナ様の面影が、ここにいる”
誰も言わない。
言えない。
けれど、全員が同じものを見ていた。
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