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第29話 王妹殿下の出立

王宮の朝は早い。

とくに「外に出す王族」がいる日は。


クロエの部屋、王妹殿下の私室。

陽が差す前から、リディアが動いていた。侍女というより、もはや作戦参謀の顔だ。


「姫様、本日から出発準備に入ります」


「…嫌な言い方がしますね」

クロエは小さく抗議する。


リディアは淡々と扉の外へ視線を投げる。

「戦場への支度です」


クロエの喉が鳴る。


程なくして、控えめなノック。

仕立て屋が二人、箱と布を抱えて入ってくる。


「王妹殿下に、心より——」


「挨拶はあと」

リディアが切る。

「手を動かして。時間がない」


仕立て屋が縮こまる。

クロエは内心でツッコむ。


(リディア、容赦ねぇ…)


箱が開かれる。布が広げられる。

淡い銀に近い白、深い夜紺、月光色の刺繍糸。

「月」の王妹に似合う色ばかりだ。


「レーヴェン侯爵家は武門です」

「派手さより、端正さ」

「強い家の孫として見せるのが目的」


クロエがぼそっと言う。


「見せるのって…ドレスなんだな」


「所作です」

リディアは即答した。

「ドレスは証拠に過ぎません」


仕立て屋が恐る恐る提案する。


「殿下、こちらは祝宴用の…」


「却下」

リディアの声は柔らかいが鋭い。

「これは挨拶。祝宴ではない」


次に出たのは、胸元が詰まったハイネック。袖は動きやすく、しかし品がある。

腰には細い帯、スカートは歩幅を殺しすぎない。

子どもが着ても、子どもに見えすぎない”絶妙な塩梅。


クロエはドレスを合わせながら、鏡の前で固まった。


(え、俺…お姫様だ……)

(いや、知ってたけど…知ってたけど…)


リディアは頷く。


「侯爵閣下は、こういうのを好みます」


「好み、って…お祖父様の趣味、ドレスで分かるの?」

「武人の好みです」

リディアは淡々と言った。

「余計な飾りがない。背筋が伸びる。動ける」

「戦う者の礼服です」


仕立て屋が首を傾げる。

「礼服に…戦う、が?」


リディアは返す。


「この国は、いつだってそうでしょう」


仕立て屋は黙って針を取った。




ドレスの仮合わせが終わると、次はクロエの地獄…礼法。


リディアが床に目印の紐を置く。

そこが「立つ位置」、そこが「歩く線」、そこが「止まる点」。


「姫様」

「侯爵閣下に会う時は、三つだけ覚えてください」


クロエは身構える。

(三つだけって言うやつ、絶対三つじゃない)


リディアは指を立てた。


「一、最初の礼」

「頭を下げる角度は深く。孫として、家に敬意を示す」

「でも、卑屈にはならない。姫様は王妹殿下です」


「二、目線」

「下げすぎない。武人は目で判断します」

「逃げる目は嫌われる」


「三、言葉の間」

「急いで喋らない。短く切る」

「侯は長い言葉を嫌います」


クロエは小さく頷く。


「たしかに、三つだ」


リディアは微笑む。


「はい。では、その三つを」

一拍置き、

「百回やります」


「百回!?!?」

クロエの声が裏返る。


リディアは優しい顔で言った。


「武人に会うんです」

「礼儀は筋肉と同じです」

「反射で出るまで鍛えます」


(礼儀=筋肉!)


クロエは、深呼吸して立ち位置に立つ。

背筋を伸ばす。顎を引く。肩を落とす。


「…お願いします」


「姫様」

リディアが少しだけ声を落とした。


「祖父君は、姫様を試すでしょう」

「でも、それは悪意ではありません」

「武人のやり方です」


クロエは目を瞬かせる。


「試すって…七歳を?」


「ええ」

リディアは当たり前のように言う。

「武門は、子どもも戦力として見ます」

「そして姫様は、王妹殿下です」


「…私、ほんとに子どもじゃないんだよな」


リディアは、それには答えない。

答えられない。


代わりに、少しだけ柔らかく言った。


「姫様は姫様です」

「それで十分です」



その日の終わり。

クロエはぐったりと椅子に沈んだ。

ドレスの採寸、靴の調整、髪型の相談、礼法百回。


「…これが戦よりきつい礼法…」

クロエがぼそっと言うと、


リディアは不意に笑った。


「戦は、一度で終わることもあります」

「礼法は、一生です」


クロエの魂が抜けかける。


そこへ、扉の外から控えめな声。

近衛が報告に来る。


「出発の道中、異常なし」

「侯爵家からも、受け入れの準備が整ったと」


リディアは頷き、クロエの前に膝をつく。


「姫様、明日出発です」


クロエは、鏡に映る自分を見る。

銀髪。整えられた服。小さな身体。

でも、目だけは前を向ける。


「うん」


リディアは静かに言った。


「礼儀はしっかりと」

「武人は、そこを見ます」


クロエは、深く頷いた。


(礼法は筋トレだったんだな…)


出発準備は整った。

あとは、侯爵家の扉を叩くだけだ。



王宮の門が開くのは、まだ空が白む前だった。

港都の朝は早い。潮の匂いと、石畳を洗う冷たい風が、体を目覚めさせる。


クロエの馬車は、城門の内側で待っていた。

装飾は控えめ。王家の紋章には、薄い布が掛けられている。


護衛は近衛ではない。

近衛は女王アリシアの側から動けない。

だから、任を担うのは騎士団。


甲冑の擦れる音が列を作り、鎧が朝焼けを薄く反射する。

数は多すぎない。多ければ「怯えている」と見られる。


少なすぎれば、噂が牙を持つ。


馬車の傍らに、ひときわ背の高い男が進み出た。

騎士団副長。そして、リディアの父。


ロルフ・フォン・アルノー。

副長に相応しい、短く硬い名だ。


ロルフは兜を抱え、右拳を胸に当てて跪く。

その動作だけで「この男は戦場の人間だ」と分かる。無駄がない。


「王妹殿下」

声は低いが、荒くない。

「騎士団副長ロルフ・フォン・アルノー。此度の護衛の責任者を拝命いたしました」


クロエは馬車の段に立ち、習った通りの角度で礼を返す。

七歳の身体でできる、最大限に整った所作。


(礼法筋トレ、ここで成果発表)


ロルフは顔を上げ、クロエの目を見る。

武人の目だ。

値踏みではない。確認だ。


この子は、怯えていないか

この子は、折れていないか


「道中、街道沿いの村まで騎馬を先行させます」

「不審者の接近は許しません」

「馬車は二重。進路は当日変更も可能です」


淡々と説明したあと、ロルフは一度だけ視線を横へ向ける。

そこに立つ娘、リディア。


鎧ではない。侍女の服。

だが姿勢は騎士そのものだ。


ロルフは、ほんの一瞬だけ父の顔になる。

それから、即座に公の顔へ戻った。


「リディア」

名を呼ぶ声は短い。

「務めを果たせ」


リディアは一歩前に出て、騎士団式の礼をする。


「はい、父上」

「姫様をお守りします」


クロエは、そのやりとりを見て、胸の奥が少しだけ温かくなった。

同時に、重さも増した。


(この人たちは、本気で俺を守る)

(…だからこそ、俺も王妹の仕事をしないといけない)


ロルフが、最後に言う。


「殿下」

「レーヴェン侯爵家は武門。言葉は飾らずとも届きます」

「ですが、礼を欠けば…武門はそれも忘れません」


クロエは小さく頷く。

ちゃんと、目を逸らさない。


「よろしくお願いします」


それだけで、ロルフの目の奥が少しだけ和らいだ。


「御意」


ロルフは立ち上がり、兜をかぶる。

兵へ短く号令。


「出るぞ」

「間合いを保て。街道の視界を切らすな」


馬が鳴き、革が軋む。

列が動き出す。


馬車の中へ、クロエが乗り込む直前。リディアが耳元で囁いた。


「姫様」

「怖くありませんか?」


クロエは一瞬だけ迷ってから、ふっと息を吐く。


「…怖いよ」

「でも、怖いって言ってる場合じゃない」


リディアの口元が、少しだけ上がる。


「はい」

「それで十分です」


馬車の扉が閉まる。

車輪が石畳を鳴らし、王宮の門をくぐる。


港都を離れる。侯爵家へ向かう。


クロエは窓の外を見ながら、心の中でつぶやいた。


(近衛じゃなくて騎士団か…)

(姉の側が動けないってことは)

(王宮は今、それだけ危ないってことだよな)


遠ざかる王宮の塔。

朝の霧の向こうで、港都は静かに息をしている。


静かすぎる。

嵐の前の静けさみたいに。

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