第28話 王妹殿下と女王の夕食
王宮、夜更け。
城内の灯は少ない。諸侯の意見書が、山のように机を埋めていた。
女王アリシア・フォン・ヴェルディアは、紙の端を指で揃える。
幼い指なのに、動きは無駄がない。
宰相が低い声で言った。
「諸侯からの意見書、三通目でございます」
「内容は、王国府の横暴を慎むべし。治安維持の指揮を王家の血筋が担うべし」
つまりは、王弟を前へ、という含みだ。
近衛隊長が続ける。
「貴族区のサロンが騒がしくなっております」
「言葉が整い始めています。誰かが仕立てている」
アリシアは頷く。
怒りはない。ただ、冷たい危機感だけがある。
「噂は放置すると常識になる」
「常識になったら、剣より強い」
宰相が躊躇しながら告げる。
「中立派が揺れております」
「どちらが勝つかを見ている」
「見ているだけならいい」
「見ているうちに、押される」
アリシアは窓の外を見る。
港都の灯。海から吹く風。
静かだ。静かすぎるほど。
王宮の夕食は実務の延長だ。
国葬以降、食卓は「家族の時間」ではなく「会議の延長」になりつつある。
長いテーブル。燭台。
給仕が下がり、扉が閉まる。
残ったのは。
女王アリシア、王妹クロエ、宰相、そしてわずかな侍従、侍女。
王家の夕食にしては、控えめだ。
二人の話が主であることを、皆が分かっている。
クロエは、今日も「王妹殿下」の仮面を貼り付けて座っていた。
お披露目は終わった。
諸侯の視線は痛いほど浴びた。
無自覚初恋量産の芽が、すでに土から顔を出し始めていることなど、本人だけが知らない。
(俺、七歳で人生詰みかけてるの、何?)
(あとこの国の貴族、見つめ方が重い。刺さる。物理的に刺さる。)
ナイフとフォークを置いた瞬間、アリシアが口を開いた。
「クロエ、少しいいかしら?」
声はいつも通り落ち着いている。
でも、クロエは気づく。
アリシアが政治の声で話し始めた時の、あの微妙な硬さ。
「もちろん。お姉ちゃん」
お姉ちゃん。
それを言われた瞬間だけ、アリシアの目がほんの少し柔らかくなる。
しかしすぐに戻る。女王の顔に。
「諸侯が王国府に意見書を出した」
「内容は、やんわりしているけれど、痛烈よ」
宰相が補足するように咳払いする。
「王国府は強すぎる」
「幼い女王に政治を背負わせるな」
「王妹殿下は突然出てきた。正式な後ろ盾を示せ」
「つまり、殿下を前に出したいのでしょう」
クロエの背中に、冷たいものが走る。
王弟。あの柔らかい笑みで空気を汚す男。
アリシアは、淡々と続けた。
「私は今、諸侯対応で身動きが取れない」
「女王が簡単に城を離れれば、弱いと見られる」
「だから…」
アリシアは、クロエをまっすぐ見た。
「レーヴェン侯爵家へ行って」
「お祖父様に会って、中立派に渡りをつけてほしい」
一拍。
クロエは、口に含んでいたスープを。
「ぶっっっ!!!」
盛大に噴いた。
宰相が椅子から半分立ち上がる。
「お、お、王妹殿下っ!」
侍従が凍り、侍女が目を逸らす。
アリシアだけが、動かない。
眉ひとつ動かさない。想定内みたいな顔をしている。
クロエは咳き込みながら必死にナプキンで口元を押さえた。
「ご、ごめっ…ごめんなさいっ!」
(いや待って。俺、七歳だぞ?)
(七歳に中立派取りまとめって、何のバグ?)
(この世界、児童労働が過ぎるだろ!)
アリシアは静かに水を差し出した。
完全に「姉」の所作。
「落ち着いて」
「…そういう反応をすると思った」
クロエは水を飲み、呼吸を整え、やっと口を開く。
「その、レーヴェン侯爵家って」
「お祖父様とお祖母様のところだよね」
「そう」
「…私が行くの?」
「あなたが行く」
アリシアが言う、あなたが行くは、ほぼ命令だ。
でも声が柔らかい。
姉の優しさで包んだ命令。最悪に逃げ道がない。
「名目は作れる」
アリシアは指を折る。
「国葬のお礼」
「お披露目後の正式な挨拶」
「病から回復した孫としての顔見せ」
クロエが小さく呻く。
「礼法、やるやつ?」
アリシアは頷いた。
無慈悲。
「礼法、やるやつ」
クロエが机に突っ伏す寸前で踏みとどまる。
七歳王妹、耐える。
「お祖父様は元騎士団長」
「中立派の諸侯は、お祖父様が動けば動く」
「私は行けない」
「あなたなら行ける」
「そして」
アリシアの声が少しだけ低くなる。
「王弟派が物語を作っている」
「王国府の横暴、幼い女王の解放、王家の救出」
「中立派が黙っていれば」
「黙っていることが、賛同に見える」
クロエは、噴き出した余韻が完全に消えた。
背筋が冷える。
「…じゃあ、私が行って」
「中立派に、賛同じゃないって空気を作れってこと?」
アリシアは、ほんの少しだけ口元を上げた。
「その通り」
宰相が思わず呟く。
「王妹殿下…恐ろしいほど話が早い」
クロエは、内心で叫ぶ。
(話が早いんじゃない!俺が生きるために必死なだけだ!)
「分かった」
「…行く」
言い切った瞬間、アリシアの目がほんの一瞬だけ柔らかくなる。
それから、女王に戻る。
「ありがとう、クロエ」
「礼法はきちんとね」
クロエの顔が死ぬ。
「うえぇ…」
その声が、あまりに素で。
場に残っていた緊張が、少しだけほどけた。
「リディアをつける」
「護衛は騎士団を手配するわ」
クロエは頷く。そして、ふと思う。
(七歳で外交)
(でも、俺は社畜のまま死んだ)
(だから、せめて今度は守る側で働くしかない)
「明後日、出発できるようにして」
「遅いと、噂が常識になる」
クロエは、椅子に深く座り直し、心の中で手帳を開く。
(侯爵家訪問)
(礼法地獄)
(中立派束ねる)
そして、ひとつだけ本音が漏れた。
「…私、また労働してない?」
アリシアは、姉の顔で微笑んだ。
「うん」
「王族ってそういうものよ」
クロエは机に額を打ちつけそうになりながら、全力で耐えた。
こうして、
王妹クロエの外交が、夕食の席で決まった。
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