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第17話 見ているだけの王女様

翌朝。


港は祝祭の顔をしていた。

旗が翻り、楽師が音を鳴らし、職人たちは胸を張る。


王家の船。

幕府との技術交流が積み上げた、目に見える成果。

造船の骨格、索具の合理性、火器搭載を想定した余白、どれも「小国が生き残るための工夫」だ。


けれど今日の航海は、皇国(島国・幕府)まで行かない。

近海をぐるりと回り、港へ戻るだけ。

見せるための航海だ。


乗船は国王アルベルトと王妃カタリーナ。

政治的にも、それが最善だと判断された。


アリシアは港に立ち、見送る側に回る。

第一王女として、王国の顔として。

そして娘として、一緒に乗りたい気持ちを、表に出さずに。


クロエは奥の間。

まだ表には出せない。

だから、今日も“目”だけが外に出る。




奥の間。


クロエの視界の端に、ウィンドウが浮いていた。

アイチャンネル。アリシア視点のみ、1日10分。


クロエは停止状態で待つ。

見せる合図が来るまで、再生しないルールだ。


ツインリンクのスタンプ。


「見て」

「今から」


クロエは、再生を押した。


世界が切り替わる。


港都。


アリシアの視界だ。

潮のざわめきが、耳に入る。

ロープの擦れる音。木の船体がきしむ低い呼吸。

そして、人々のざわめき。


(うわ、臨場感えぐ)


クロエは7歳になったが、赤ん坊の頃から、この世界は見てるだけだった。

この感覚は、いまだに慣れない。


視界の中央。

桟橋の先に王家の船がある。


国王アルベルトが、タラップの前で一度だけ振り返った。

王妃カタリーナは腹元をそっと押さえ、穏やかに微笑む。

昨夜の言葉が、まだ二人の間で温かいままなのが分かる。


アリシアが一歩前へ出る。

彼女は第一王女の顔で言う。


「父上、母上。お気をつけて」

「近海とはいえ、海は気まぐれです」


国王アルベルトは短く頷いた。


「留守を頼む」


王妃カタリーナは、ほんの少しだけ表情を柔らかくして言った。


「アリシア。ありがとう」

「クロエにも、あとで話すわね」


その言葉に、アリシアのまぶたが一瞬だけ揺れた。

でもすぐに、港の儀礼へ戻る。


タラップを上がる足音。

帆が上がる気配。

水兵の掛け声。


船が離岸する。


祝福の声が上がる。

拍手。旗。音楽。


船がだんだんと小さくなる。

アリシアは最後まで目を離さない。

その視線は、見送りというより監視だ。


(姉、ほんと仕事人間だな…)


クロエがそう思った瞬間。


アリシアの視界が、不意に鋭くなる。


(…あ)


港の人影の中に、ほんの一瞬だけ違う動きがあった。

視線を切る速さ。距離の取り方。

誰かが船ではなく“外”を見ていた。


(今の、何?)


クロエが思考を追いかけようとした時。


アリシアがツインリンクに送ってきた。


「止めて」


クロエは反射で停止を押した。


(え、なんで!?)


同時に、音が切れる。

静寂。

奥の間の天井だけが戻ってくる。


心臓が、嫌な速さで鳴っている。


(止めるってことは…)


(見せられない何かがあるか)


クロエは“見ちゃダメ”のルールを破りたくなる衝動を噛み殺した。

破ったら姉の主導権を壊す。

壊せば、次から見せてもらえない。


どれくらい経っただろう、1分?いや10分?


ツインリンクに、アリシアから短いスタンプが来た。


「見て」


クロエは震える指で再生を押した。


港の光景に戻る。


アリシアは、もう走っていた。

画面がぶれる。

近衛隊長へ指示を飛ばしている。


「救助船を出せ!」

「港外の監視線を二重に!」

「早く!」


海の上。沖合。


王家の船が、妙な角度で止まっていた。

帆が不自然に揺れているのが見える。


次の瞬間。


船腹のあたりで、水柱が上がった。


ゴン、と鈍い衝撃が、音として遅れて届く。

木が裂ける音。人の叫び。


クロエの喉が冷たくなる。


(近海周回だぞ?)


(なんで事故る)


(しかも“今”かよ)


アリシアの視界が揺れる。

彼女が息を飲んだ。


「…ッ!」


港の人々がざわめき、悲鳴が混じる。

だがアリシアだけが、異様に冷静だった。


「封鎖!」

「情報を整理しろ!」

「救助!」

「最優先は、国王陛下と王妃殿下!」


クロエは奥の間で、何もできない。

ただ見て、聞いて、心の中で叫ぶだけ。


(嘘だろ)


(昨夜、赤ちゃんの話してたじゃん)


(こんなの、ありかよ)


アリシアの視界の端で、誰かが祈っている。

誰かが泣いている。

誰かが、静かに笑っているように見えた気がした。


クロエは、アイチャンネルの停止ボタンに指を当てたまま固まった。


止めれば、現実から逃げられる。

でも、止めたら…姉の地獄を見捨てることになる。


クロエは、止めなかった。

そのまま残り時間を見て、視聴時間を延長する。


海の上で水柱が上がった瞬間、港の空気は“祝祭”から“災厄”に切り替わった。


悲鳴。

駆け出す足音。

誰かの祈り。

そして誰かの「船が沈むぞ!」という叫び。


アリシアが、動く。


彼女は走りながら、近衛隊長に命令を投げる。


「救助船早く!」

「外に出せ、今すぐ!」

「漁船でも何でもいい、浮くものを出しなさい!」


近衛隊長が一瞬だけ躊躇した。

それでも、時間が命だ。


「出せ!」


王女の声が空気を裂いた。


騎士団長にも飛ぶ。


「騎士団は岸壁の整理!」

「人の波を止めろ、落ちたら二次災害になる!」

「怪我人が出たら、救助が遅れる!」


宰相はすでに顔色を変えていたが、アリシアは止めない。


「宰相、王宮へ伝令を!」

「“事故”とだけ伝えなさい」

「医療室にも緊急と伝えろ!」

「帝国・連邦・幕府には、まだ知らせるな!」


宰相が声を絞り出す。


「…殿下、隠すおつもりか」


「隠すんじゃない」

アリシアは言い切った。


「“整える”の」

「情報は刃だ」

「誰が握るかで、死ぬ人が変わる」


アイチャンネル越しに聞こえる彼女の声は、幼いのに揺れない。


アリシアは港の見張り台へ駆け上がり、沖合を見た。

王家の船は傾いている。

だが沈む速度が速すぎる。


(船腹が裂けた?)

(衝突?)

(座礁?)


次の瞬間、彼女は別の違和感も拾った。


港の外れ。

人の流れの逆を行く影がある。

祝祭の群衆は海へ向かって吸い寄せられているのに、その影は港の裏へ消えようとしている。


「近衛!」


アリシアが指を差す。


「逃げる者を押さえろ!」

「今の時点で逃げるのは、罪人か密偵だけ!」


近衛が走る。

雑踏が割れる。

だが影は、人波に溶けた。


アリシアは唇を噛んだ。


(逃した)


(でも、今は…)


彼女は視線を海に戻す。

救助船が出る。

小舟が揺れる。


港の音が一気に激しくなる。


そしてアリシアは、祈らない。

祈りは心を止める。止めたら遅れる。


「間に合え…」


それだけを口の中で呟く。


救助は早かった。

港が近い。船も近海だ。

本来なら「最悪」にはならない距離…だったはずだ。


しかし現実は、距離では決まらなかった。


引き上げられた最初の水兵が、岸壁でむせ返りながら叫ぶ。


「船底が!」

「下から来た…!」

「穴が…!」


宰相が顔を変える。


「下から?」


水兵は震えながら、指で海を指した。


「…沈んでた」

「黒い何かが…」


“何か”。


言葉が濁る時点で、全員が同じものを思った。

事故ではなく、仕掛け。


アリシアの指がわずかに冷たくなる。


(機雷?)


(この時代に?)


いや、あの幕府の技術ならありえる。

逆に言えば、幕府が絡んだ疑いさえ生む。


そしてそれは最悪だ。

幕府との関係は命綱だ。


救助船が戻る。


担架。

濡れた布。

血の匂い。

海水の匂い。


王妃の姿が見えた時、港が一瞬だけ安堵に傾いた。


「王妃様だ!」

「助かった!」


だが、その安堵はすぐに凍った。


王妃カタリーナは、意識がない。


顔色が白すぎる。

腹部が、赤く染まっている。


「…急げ!」

「王宮へ!」


担架が走る。

水が落ちる。

床が濡れる。

それがまるで、時間が流れ落ちていくみたいだった。


次に運ばれてきた担架。


国王アルベルト。


彼もまた、動かない。


港の誰かが「陛下!」と叫びかけた。

近衛隊長がそれを鋭く制した。


「口を閉じろ!」

「今ここで“確定”させるな!」


アイチャンネル越しに、クロエは吐きそうになる。


(やめろ)


(お願いだから、立ってくれ)


(昨夜、笑ってたじゃん)


アリシアは、泣かない。

泣く暇がない。

ただ、顔が真っ白になっている。


彼女は宰相へ命じた。


「港を封鎖」

「出入りの記録」

「救助船に乗った者、港にいた者」

「全員、名簿を作れ」


宰相が喉を鳴らす。


「…殿下、これは」


「事故じゃない」

アリシアは、まだ“断定”という言葉を避けた。

その代わり、冷たく言う。


「事故で済ませると、殺される」


運ばれる担架を追いかける人波。

止める近衛。


その全部を、アリシアは切り分ける。


(優先順位)


(呼吸)


(血)


(封鎖)


(証拠)


アリシアは王宮へ走る。


アイチャンネルも途切れる。


クロエは奥の間で呆然と立つしかなかった。


姉が背負う。

妹は見ているだけ。


それが、あまりにも残酷だった。

続きが気になる方は、ブクマお願いします!

また、少しでも面白いと感じた方は評価お願いします!

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