第12話 王女様最悪の敵を視る
翌日。
帝国の使節が去った謁見の間は、空気だけが残っていた。
香の匂い、紙の匂い、言葉にしない圧。
「連邦使節団、入場」
儀礼官の声。
アリシアの背後で、宰相が小さく息を整える音がした。
国王アルベルトは表情を崩さない。
王妃カタリーナは目だけで全体を見ている。
アリシアは、六歳の身体で“場”を支える位置に立つ。
クロエは奥の間。
アリシアからの合図で、アイチャンネルを起動している。
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扉が開く。
まず見えたのは、豪華でも質素でもない、妙に実用的な装い。
飾りが少ないのに、布地だけがやたら良い。
手入れの行き届いた靴。
そして、歩き方が“政治家”だ。軍人でも商人でもない。
最初に見えたのが、腹。
小太り。
だが動きは鈍くない。
むしろ軽い。
重心が低いから安定している。
(うわ)
クロエの心の声。
(このタイプ、笑顔で刺してくるやつだ)
使節団の先頭が進み出る。
頬は柔らかいのに、目だけが薄い。
笑ってるのに、笑ってない。
「連邦外務局、調停・通商担当バルナバス・ヘルト」
「この度の件、心よりお見舞い申し上げます」
“お見舞い”が出る。
今回の案件を“事件”として扱っている。
最初から土俵を作り替えるタイプ。
(めんどくさ)
クロエが心で即断する。
(帝国より嫌かもしれん)
国王アルベルトが静かに返す。
「よく参られた」
「本日は何を?」
直球。
余計な挨拶で主導権を渡さない。
ヘルトは手を広げる。
大げさに。
でも声は軽い。
「いやいや、怖い話ですよ」
「王宮で誘拐未遂」
「しかも、現場には帝国硬貨だとか?」
言った。
いきなり“硬貨”を持ち出す。
連邦は帝国に釘を刺したい。
そのうえで、アルトフェンが帝国に飲まれないように“恩”を売りたい。
(このおっさん、たぶん全部分かった上で言ってる)
クロエの心が冷える。
(帝国の「うちのせいにすんな」と同じ台詞を、別の角度で言ってくる)
ヘルトは続ける。
「連邦としてはですね」
「帝国が裏で動いているなら、それは看過できません」
「しかし、濡れ衣なら濡れ衣で…」
「帝国が怒って軍を動かす口実にもなる」
一度、言葉を切って、にこっと笑う。
「つまり」
「この回廊が火薬庫になるのは、困るわけです」
(うわ最悪)
クロエは呻きたくなる。
(正論の顔して、介入の理由を作ってる)
アルベルトが落ち着いた声で返答する。
「連邦も困る」
「アルトフェンも困る」
「なら、連邦は何を望む?」
ヘルトの笑みが少し濃くなる。
待ってました、と言わんばかり。
「協力ですな」
「情報、調査、警備支援」
「連邦には各国の情報網がある」
「貴国の内通者の線も…追えますよ?」
“内通者”と言った。
この一言で、王宮の中の空気がピンと張る。
宰相の指が一瞬止まる。
近衛隊長の気配が硬くなる。
(こいつ、王宮に楔を打ちに来た)
クロエは歯を食いしばる。
(内通を連邦の調査にしたら、もう連邦抜きで動けない)
アルベルトが低く言う。
「王宮内の問題に、外国の手は入れられない」
ヘルトは驚いたふりをする。
「もちろん、もちろん」
「ただ、もし帝国が関わっているなら?」
「貴国だけで抱え込むのは危険ではありませんか?」
言葉は柔らかい。
中身は「うちに寄れ」。
(うわ…一番面倒そう)
クロエが心で吐き捨てる。
(姉、これはキツいぞ)
アリシアは一歩だけ前へ出た。
六歳の小さな歩幅。
でも視線は鋭い。
「使者殿、質問があります」
「連邦は協力と言う」
「その協力は、対価が要りますか?」
ヘルトの眉がぴくり。
子ども相手に、ここまで踏み込まれるとは思っていなかった。
「対価、とは?」
アリシアは淡々と言う。
「権益」
「港」
「関税」
「人」
「どれでしょうか?」
謁見の間が一瞬、静まり返る。
(姉、容赦ねぇ!!)
クロエの心の声が叫ぶ。
(最高!でも、怖い!)
ヘルトは笑った。
しかし今度の笑いは、少し本物だ。
「いやぁ…噂以上」
「貴国の第一王女は、手強い」
そして、掌を返すように軽く言う。
「対価など」
「今すぐは要りませんよ」
「今すぐはね」
(出た)
クロエが即座に理解する。
(借りを作らせて、後で回収するタイプ)
アリシアは頷いた。
「なら、今すぐはいりません」
「協力が欲しいなら…」
「情報をください」
「帝国硬貨が使われた手口」
「連邦は、類似の工作を知っていますか?」
ヘルトは肩をすくめる。
「まぁ、ありますな」
「帝国がやった」
「帝国に見せかけた第三者がやった」
「あるいは、貴国の内部が、帝国を利用した」
最後の一言を、わざと軽く言う。
だが刺さる。
(このおっさん…)
クロエは呻く。
(真実しか言わないフリして、全部疑心暗鬼にする)
アリシアは即答しない。
それが、答えだ。
こちらは動揺しないという答え。
代わりに、短く告げる。
「助言は受け取ります」
「ただし、王宮内は王宮で片付けます」
ヘルトが一礼する。
「賢明ですな」
「では、連邦は…」
「“外”を見ましょう」
“外”。
つまり、国境、交易路、港、両替商。
そこなら連邦が手を出せる。
そして情報も取れる。
(やるじゃん)
クロエは思った。
(王宮内に入れず、外だけなら…まだマシ)
ただし。
“外を見せる”ということは、“外に手を入れさせる”ということでもある。
アリシアの視界の隅で、タイマーが減っていく。
5:41。
クロエは一瞬、停止ボタンに指を置いた。
…でも離さない。
この使節の言葉の端々が、今後の地雷を全部示している。
(見る)
(全部見る)
(姉の目と耳になる)
そしてクロエは、心の中で姉と同じことを思っていた。
「こいつ、うざい」
ヘルトは、こちらが警戒を強めたのを空気で理解した。
理解した上で、押し込まない。押し込めば反発が起きる。
反発が起きれば、帝国に“逃げ道”を与える。
だからこの男は、引き際が上手い。
「外を見ましょう」と言った直後、ヘルトは一度視線を落とし、わざと柔らかく息を吐いた。
まるで気遣いのふりをする。
「…いや、失礼」
「王宮が傷ついた直後に、踏み込むのは趣味が悪い」
口ではそう言いながら、しっかり踏み込んだ後だ。
毒を入れてから、薬を渡すやり方。
アルベルトが冷たく言う。
「趣味が悪いと自覚があるなら、控えるべきだな」
ヘルトは、笑って受け流す。
この笑い方が最悪だった。
反論しないのに、負けてもいない。
「おっしゃる通りです」
「だからこそ、提案だけです」
提案。
言葉が軽いほど、逃げられる。
後で「私は提案しただけ」と言える。
外交官の最悪の保険。
ヘルトは、わざと帝国硬貨に戻る。
「硬貨の件に関しては…」
「連邦としては、正直、どちらでもいいんですよ」
宰相の目が細くなる。
王妃カタリーナの眉がわずかに動く。
アリシアは反応しない。だが耳は逃さない。
ヘルトは続けた。
「帝国がやったのなら」
「帝国は火遊びをしている」
「こちらは地域の安定を口実に動ける」
「貴国の内部がやったのなら」
「貴国は内側から揺らいでいる」
「こちらは貴国の安定を口実に動ける」
にこにこ。
「どちらでも、連邦は動けます」
(クソだ…)
奥の間でクロエは、赤ん坊の体で心の中だけで悪態をつく。
(正直すぎて逆に腹立つ)
ヘルトは本音を、わざと半分だけ見せる。
全部言う必要はない。
半分で十分、相手の心に楔が打てる。
「連邦が困るのは」
「帝国がこの回廊を丸呑みにすること」
「それだけです」
つまり。
アルトフェンが自主独立しようが、内政改革しようが、どうでもいい。
首輪が連邦側に繋がっているなら、それでいい。
アリシアが口を開く。六歳の声。
「首輪?」
ヘルトは、一瞬だけ固まる。
子どもが、言語化してくる。
それも“比喩”で。
だがヘルトはすぐ笑った。
「おや」
「殿下は言葉が鋭い」
そして、否定しない。
否定すると嘘になるからだ。
否定しないまま、別の言い方に置き換える。
「安全保障ですよ」
「首輪ではなく、鎖でもなく…」
「命綱」
命綱。
助ける顔をして縛る言葉。
アリシアは小さく頷いた。
「命綱は」
「握る人を選べない」
ヘルトの笑みが少し濃くなる。
「その通り」
「だから、連邦は握り方を丁寧にします」
「乱暴に引けば、貴国が千切れる」
「千切れた紐は、帝国が拾う」
(うわ、言い回しが上手い…)
クロエが呻く。
(このデブ…敵として優秀すぎる)
ここでヘルトは、急に引く。
押し込めば勝てる場面なのに、引く。
それがこの男の怖さ。
「本日はこれで」
「連邦の基本方針だけ」
宰相が訝しむ。
「…それだけか?」
ヘルトは軽く手を上げる。
「それだけです」
「協力は、いつでもできます」
「ただし、貴国が求めたときに」
これが、首輪の締め方だ。
相手に「自分で求めた」と思わせる。
強制ではなく、自己決定に見せる。
そして最後に、もう一針刺して去る。
「明日、幕府の使者も来ますな」
「交易は甘い」
「甘い蜜は、虫を呼ぶ」
「虫を払う手は」
「連邦にもありますよ」
礼。
退場。
扉が閉まった瞬間、謁見の間の空気がふっと軽くなる。
軽くなるのに、胃が重い。
アリシアは表情を崩さない。
でも、その視界の隅でタイマーを一瞬確認した。
残り 0:56。
次の瞬間、画面が暗転する。
見ちゃダメ。
クロエは察する。
このあとの会話は、王と宰相と王妃とアリシアが「連邦の首輪」をどう扱うかの作戦会議だ。
赤ん坊が聞くには毒が濃すぎる。
いや、クロエが赤ん坊じゃなくても、今は聞かせない判断。
(姉…)
(守ってる)
(でも、戦ってる)
暗転の向こうで、アリシアがきっと言う。
首輪を投げられたなら、こちらは首輪を“手綱”に変える。
握るのは、こちらだ。
クロエは、布団の中で小さく息を吐いた。
そして心の中で、姉と同じ結論に至る。
(連邦は、真相なんてどうでもいい)
(帝国でも内通でも、どっちでもいい)
(アルトフェンに首輪を着けられるなら、それでいい)
(…これ、帝国より連邦のほうがやばい)
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