第9話 太陽と影に守られる王女様
伯爵の処置も終わり、一段落した夜。
国王の執務室。
灯りは落とされ、机の上の地図だけが明るい。
扉の外には近衛が二重。
中にいるのは、王国の心臓部だけだった。
国王アルベルト。
王妃カタリーナ。
宰相。
近衛隊長。
騎士団長。
そして、第一王女アリシア。
まだ六歳。
椅子に座る足が床に届かない。
だが視線の置き方と、呼吸の間だけが大人だった。
アリシアが軽く全員を見る。
「始めます」
国王が静かに頷く。
王妃は、娘の背中を見ている。止めない。止められない。
(この国は、子どもを子どもでいさせる余裕がない)
アリシアは机の上に、封蝋のない紙束を置いた。
薄い報告書だ。
「黒装束の処置が終わりました」
騎士団長の眉が動く。
「もう首を討ったのですか?」
アリシアは淡々と答える。
「表向きは、それでいい」
近衛隊長が目を細める。
「表向き、ということは?」
アリシアは、言葉を選ばず言った。
「私は、犬を飼う」
空気が止まる。
王妃が先に反応した。
「…犬?」
アリシアは頷く。
「忠実で、鼻が利く」
「吠えるより先に噛む」
「そして、影になれる」
宰相が息を吐く。
「黒装束を、飼い殺すおつもりですか?」
アリシアは首を振る。
「飼い殺しじゃない」
「使う」
騎士団長が渋い顔で言う。
「危険です。裏切ります」
アリシアは、そこだけ少し笑った。
「裏切れるなら、裏切ればいい」
「でも裏切った瞬間に死ぬように、首輪をつける」
近衛隊長が一歩だけ踏み込む。
「首輪とは?」
アリシアは短く答える。
「名前」
「居場所」
「役割」
「そして…王宮に家を作る」
宰相が頷く。
人は家を持つと、急に逃げにくくなる。
特に、根無しの者は。
国王アルベルトが、そこで初めて口を開いた。
「アリシア」
「その犬は、誰を守る?」
アリシアは一瞬だけ、言葉を止めた。
妹の名を、この場で何度も口にしたくない。
名は刃だ。刃は敵に渡る。
だが、守る対象を曖昧にしたら、全員の理解が揃わない。
アリシアは、まっすぐに言った。
「クロエを守らせます」
「表の護衛は侍女リディア」
「裏の護衛は、私の犬」
王妃の瞳が硬くなる。
「…クロエの影に?」
アリシアは頷く。
「私は今、クロエに会えない」
「でも…守りたい」
六歳の声で言うには重い言葉だった。
王妃は一瞬だけ、母の顔を見せる。
「…アリシア」
しかし、王妃は次の瞬間、女王の顔に戻る。
「具体的には?」
アリシアは迷わず返す。
「犬は、王宮内の控室に置く」
「身分は“存在しない”者」
「記録は、宰相と近衛隊長だけ」
「騎士団には情報を流さない」
「必要時のみ、私が指示を出します」
騎士団長が噛みつきそうな声を出す。
「騎士団を信用しないと?」
アリシアは平然と言う。
「信用する」
「だからこそ、余計な情報を渡さない」
「情報は漏れる」
「漏れたら、クロエが死ぬ」
騎士団長は言葉を失った。
宰相が、そこで結論を出すように言う。
「…つまり」
「犬は、王家直属の影」
「存在はこの場にいる者のみ共有」
「運用責任は殿下、監督は近衛隊長と私」
国王が頷いた。
「承認する」
王妃も頷く。
「承認します」
「ただし、首輪は二重に」
「あなたの犬であると同時に、王家の犬」
アリシアは即答した。
「それで構いません」
近衛隊長が静かに確認する。
「名は?」
アリシアは、少しだけ間を置いて答えた。
「ノクス」
夜を意味する名。
光の当たらない場所で動く者に相応しい。
近衛隊長は短く頷く。
「了解しました」
「私が引き取ります。手続きも、処刑の体裁も整えます」
宰相が付け加える。
「帝国と連邦には、処刑済みで通す」
「幕府には、そもそも知らせない」
国王が机を指で叩いた。
「よし。ここで決める」
「ノクスはクロエの影」
「そして、この国の内側を守る刃だ」
その瞬間、アリシアは小さく息を吐いた。
(これで、妹の背後は一枚増えた)
だが、安心はしない。
ここから先は、運用が全てだ。
アリシアは最後に、全員へ宣言した。
「犬は吠えない」
「吠えたら終わり」
「だから…吠えさせないように、私たちが動く」
六歳の言葉に、誰も反論できなかった。
王宮・使用人控室。
夜更け。
昼の喧騒が嘘のように静かだ。
人払いが徹底され、廊下の先に近衛が一人だけ立っている。
扉の外側には気配があるのに、内側には誰もいない…そう思った瞬間。
「入れ」
短い声。
リディアは背筋を伸ばし、扉を押した。
部屋の中は簡素だった。
机と椅子が二脚。
そして…窓の傍に影が立っている。
(…あの夜の)
喉が鳴りそうになるのを、リディアは飲み込んだ。
机の向こう側には、小さな椅子。
近衛が一人、椅子を守るよう傍に立っている。
そこに、第一王女アリシアが座っていた。
幼い金髪。
だが視線だけが鋼のようだ。
「リディア・アルノー、男爵家次女」
名を呼ばれた瞬間、リディアは微かに肩を震わせた。
(調べられてる)
アリシアは淡々と続ける。
「剣は騎士団副長である父に仕込まれた」
「身体強化の魔法素養あり。ただし魔力量は低い」
「宮廷で生き残る術も教えられている」
リディアは膝をつき、頭を下げた。
「恐れながら、その通りです」
(どこまで知ってる?)
アリシアは視線を外さない。
「あなたに、正式に命じる」
「第二王女クロエ付きの侍女」
「兼…護衛」
「謹んでお受けいたします」
その一言に嘘がないことを、アリシアは一瞬で見抜いたように頷く。
そして、椅子から降りる。
六歳の背丈が、机の縁を越えない。
なのに、部屋の空気は彼女が支配している。
アリシアは、窓際の影へ視線を投げた。
「来なさい」
男は一歩、影から出た。
黒髪。肌は日に焼けていない。
目が暗い。獣のような警戒心が沈んでいる。
リディアの喉が冷たくなる。
(間違いない)
(黒装束)
アリシアが言った。
「この者はノクス」
「私の飼い犬」
リディアは表情を崩さなかったが、内側がざわつく。
(殿下が“犬”と言った)
(比喩? いや、命令だ)
アリシアは続ける。
「今後、ノクスはクロエを“影”で守る」
「あなたは“表”を守る」
リディアは慎重に言葉を選ぶ。
「私が、表を」
「そう」
アリシアは淡々と、しかし有無を言わせない声で付け足した。
「仲良くしろとは言わない」
「だが、仕事として割り切りなさい」
「情報は共有する。判断は私がする」
ノクスが、初めて口を開いた。
「命令なら」
声は低い。
毒の匂いがする。歯を隠している声だ。
リディアは、そこで確信した。
(こいつは飼いならされたんじゃない)
(首輪をつけられて、噛む方向を変えられた)
その時アリシアが、ほんの少しだけ、顔を変えた。
鋼の視線が、一瞬だけ柔らかくなる。
王女の表情ではなく、幼い姉の表情。
アリシアは、リディアの前まで歩いてきた。
机を回り、距離を詰める。
近い。子どもの距離感じゃない。覚悟の距離だ。
「リディア」
名を、もう一度。
今度は命令ではなく、感謝の呼び方で。
「あの子を守ってくれてありがとう」
リディアは目を見開きそうになるのを必死で抑えた。
(第一王女が、侍女にありがとう?)
アリシアは続けた。
「私は、クロエに会えない」
「でも、あなたが守ってくれた」
「だから、これは第一王女としてではなく」
アリシアは言葉を選び、最後だけ小さく、しかしはっきり言う。
「ただの姉として、言う」
「ありがとう」
リディアの胸の奥が熱くなった。
王宮で泣くのは弱さだ。
父に教わった。絶対に泣くな、と。
だから、涙は落とさない。
代わりに、膝をついて深く頭を下げた。
「……恐れ多くも」
「姫様を、必ず守ります」
「第二王女殿下も」
「そして、第一王女殿下も」
アリシアは、ほんの少しだけ口角を上げた。
「私のことは守らなくていい」
「あなたは、あの子を守る」
その後、アリシアは背を向けた。
近衛も付き添う。
出ていく直前、振り返って一言だけ落とす。
「二人で、話しておきなさい」
「相互理解は、命を救う」
扉が閉まる。
控室には、リディアとノクスだけが残った。
沈黙。
互いに、まだ笑えない。
だが、同じ主を見ている。
同じ小さな命を守る。
その一点だけが、二人を繋いだ。
(ん?)
クロエは些細な空気の変化を感じ、目を覚ました。
音がしない。
正確すぎる歩幅。
(あ、これ)
クロエの視線が、部屋の隅をかすめる。
(黒装束やん)
姿は見えない。
でも、いる。
(犬ってそういう意味かよ)
(姉、言葉選びが怖いんだが)
クロエは無表情の赤ん坊のまま、内心で頷いた。
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