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幕間④ 王女様致命的な勘違いをする

クロエは、天井をぼんやり眺めていた。


柔らかな布の感触。

手際よく動く指。

ようやく名前が判明した侍女、リディアが慣れた様子で世話をしているのが分かる。


(…オムツ替えか)


今さらだ。


それでも…今日は、妙に意識してしまった。


(俺…)


(女に、なったんだな)


前世の記憶が、ふと脳裏をよぎる。


疲れ切った三十代の身体。

満員電車。

コンビニ弁当。

どうしようもなく男だった日常。


それが今は。

抱き上げられて。

世話をされて。

守られる存在。


(…王女だし)


(赤ちゃんだし)


(当たり前なんだけどさ)


否定しようのない現実が、胸に沈む。


嫌悪ではない。

恐怖でもない。


ただ、静かな喪失感。


(息子、一回も使われなかったな…)


自分でも、どうでもいいと分かっている考えが、勝手に浮かぶ。

笑う気にもならず、突っ込む元気もない。


クロエの顔は、完全に無表情だった。


じっと。

瞬きも少なく。


それに、リディアが気づく。


「クロエ様?」


手を止め、そっと覗き込む。

いつもなら、少し眉を動かしたり、指を握り返したりするのに。


今日は、反応が薄い。


「…どこか、具合が?」


声が自然と小さくなる。

鍛えられた侍女の勘が、嫌な予感を拾っていた。


(泣かないのは、楽だけど…)


(無反応なのは、怖い)


リディアは、布を整え終えると、クロエを優しく抱き直した。

揺らすでもなく、ただ腕に収める。


「大丈夫ですよ」


誰に言うでもなく、そう呟く。


「ここは安全です」

「私がいます」


クロエは、その声を聞きながら思った。


(心配させてるな)


(赤ちゃんのくせに、感傷に浸るなよ、俺)


だが、どうしても感情は止まらない。


女になった。

王女になった。

戻れない。


でも…。


(生きてる)


それだけは、確かだ。


クロエは、ほんの少しだけ指を動かした。

リディアの服の端に、かすかに触れる。


その小さな反応に、リディアはほっと息を吐いた。


「…よかった」


胸の奥に溜まっていた緊張が、ゆっくりほどける。


「無理に笑わなくていいです」

「泣かなくてもいい」


「生きてるだけで、十分ですから」


その言葉は、

王女ではなく、

赤ん坊でもなく、

ひとりの存在に向けられていた。


クロエは、目を閉じた。


(ありがとう)


声にはならないが、

その感情だけは、確かにそこにあった。




クロエは、目を閉じたまま現実逃避しかけて、やめた。


改めて冷静に考える。


ハズレSSRだの、すり抜けだの言っても。

王女だ。


しかも、周囲の反応を見る限り、

血統・容姿・立場、全部そろっている。


(これ、普通に考えて)


(美少女コースだよな)


否定できない。

否定したところで、鏡を見る日が来る。


(美少女王女が)


(がはは!とか笑って)


(足広げてソファに沈んで)


(肘ついてだらけてたら)


(終わる)


政治以前に、礼儀以前に、絵面が終わる。


(王女様の品格、どこ行った?ってなる)


(というか、俺が一番見てられない)


クロエは、心の中で深く息を吸った。


(仕方ない)


(覚悟を決めよう)


(これはもう、ロールプレイだ)


前世では社畜。

次は…。


(王女ロール)


幸い、教材は目の前にいる。


リディア。


姿勢がいい。

立ち方が静か。

動作に無駄がない。


(まず、背筋)


(赤ちゃんだから今は無理だけど)


(首の角度、目線の置き方)


(あれ、めちゃくちゃ大事だな)


リディアが布を片付ける時の所作を、クロエはじっと見る。

指先が揃っている。

音を立てない。

急がない。


(急がないのが上品か)


(前世の俺、常に早歩きだったわ)


言葉遣いもだ。


リディアは、柔らかい。

でも、曖昧じゃない。


(語尾、めちゃくちゃ大事)


(断定しすぎない)


(でも、逃げない)


(王女向きだ)


クロエは、内心でメモを取る。


声を荒げない。


動作は小さく。


目線は下げすぎない。


笑う時は口を開けすぎない。


「がはは」は封印。


リディアがふと気づいて、首を傾げる。


「クロエ様?」


「何か、見ています?」


クロエは、何も言えない。

ただ、じっと見つめる。


その無言に、リディアは少し困ったように微笑んだ。


「…あ」


「私の顔、ですか?」


(違う、動作だ)


(言葉遣いだ)


(全部だ)


言えないから、クロエは心の中で宣言する。


(俺は)


(この世界では)


(“品のある王女”を演じる)


(中身がどうあれ)


(外見とイメージは守る)


リディアは、クロエの額にかかる髪をそっと整えながら言った。


「…よく見ていますね」


「賢いお目々です」


クロエは、心の中で小さくうなずく。


(賢いんじゃない)


(必死なんだ)


そして、もう一度思う。


(イメージ、大事)


(王女ナメられたら、終わる)


クロエは、今日から観察を始めた。


この時のクロエは、まだ知らなかった。


自分が必死に真似しているそれが、

「王女としての所作」ではなく、限りなく「有能な侍女の所作」に近づいていることを。


控えめな視線。

出しゃばらない一歩引いた立ち位置。

相手の言葉を遮らず、しかし必要な時だけ静かに口を開く。


礼儀正しい。

謙虚。

慎ましい。


そして何より。

自分を主役だと思っていない振る舞い。


それが、致命的だった。


王女という立場。

整いすぎる容姿。

それでいて、前に出ない。

偉ぶらない。

要求しない。


王女としての威光 × 侍女的な献身性。

本来、同時に成立しないはずの属性が、

クロエという一点で化学反応を起こしたのだ。


まさかそれが、後に。

「無自覚初恋量産王女」

と語られる原因になるなど。


この時のクロエは、まだ、

本当に何も知らなかったのである。

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