3.二人の受容
シンジSIDE
あれから一週間、毎日色んな話をして、その日を待っていた。
もう一度、マリコさんに会える、そして初めて目の前で緊縛を見られる。その二つの嬉しさで、毎日が待ち遠しかった。
待ち合わせの時間のやはり30分前に駅に着くと、今度はマリコさんが先に待っていた。
「こんにちは、シンジさん。今度は私が先に来れました」と眩しい笑顔で挨拶をしてくれる。
「こんにちは、お待たせしましたか?」
「まだ待ち合わせ時間前ですから、気にすることはないですよ。楽しみでつい早く来ちゃいました。」とにっこり微笑んでくれた。
僕と会うことを楽しみにしてきてくれた。それを聞いて有頂天になる。
「ちょっと早いけど、行ってみましょうか。もういらっしゃってたら、開けてくれると思います。」そう言って歩き出すマリコさんに並んでついていく。近すぎないよう、でも遠すぎないよう、距離を、測りながら。
そしてしばらく歩いて、飲み屋さんなどのテナントの入った雑居ビルに辿り着く。
4階に翠の看板が見えた。
エレベーターに乗って4階にあがる。狭いエレベーターで並ぶとさっき歩いていた時より距離が近くて、マリコさんの息づかいまで聴こえるようで。もちろん4階にはあっという間なので、意識したのがバレる前に、僕は開くボタンを押しながら「先にどうぞ」と促す。
エレベーターの前は小さな廊下でそこに扉が並んでいる。
「本当は、ここに看板があるのだけど、まだ営業時間の少し前だからまだかかってないんです」そう言いながらインターホンを押すと少し時間をおいて鍵のあく音がして、扉が開く。
「あら、マリコさんいらっしゃい。ああ、彼が……シンジさんね、どうぞ入って。まだ準備中だけど」あの写真展でみた女性が待っていた。
中はキッチンのあるカウンターと、奥に部屋があるようだ。カウンターの横のテーブルに椅子が並んでいて、そこに座るよう促された。
「ちょっと先に準備しちゃうから挨拶は後でごめんなさい。マリコさん相手してあげててね」そう言って開店準備に動き回っている。
「抄妓さん、早く来ちゃってごめんなさい。シンジさん、ここが私の大好きな場所翠よ。」とマリコさんがまわりを見て言ってくる。
「なんだか、普通のお家みたいですね。おちつきます」と話すと、マリコさんは嬉しそうに言った。
「何だか、家族の家に連れて来たみたいな気持ちになってます」
「で、私はお母さん?お姉さん?」戻って来た店主さんが、会話に混ざって来た。
「気持ち的にはお母さんかなぁ、実家より安心感あるし」そうマリコさんが答える
「流石にこんな娘のいる歳ではないけど、まぁ、気持ちだからいいか。ヨシ、ママって呼んでいいよ?」
2人で笑い合っている、仲がいいんだなぁと、ほっこりして眺めていた。
SIDE END
マリコ SIDE
さて、抄妓さんと話して少し早目に連れてこさせてもらった本題にそろそろ入らなきゃな。そう思って抄妓さんを見つめる。頷いて隣に座ってくれた。
勇気を出さなきゃとシンジさんの方を見ると、私達を笑顔で見ているシンジさんが眩しくて……自分なんかふさわしくない。そう思うと手が震えた。
目ざとくそれに気づいたのか、抄妓さんが私の手を握ってくれた。その手の温もりに押され、私はやっと声を絞り出す。
「あ、あの、シンジさん、私、あなたに話さなきゃいけないことがあって……あの、サイトのプロフィールにある、私のSM経験年数ってご覧になってますよね?」そう、思い切って切り出した。
「はい、見ています。10年以上ってなっておられましたね」そうこちらを真っ直ぐにみて、シンジさんが答える。
「大学生の時から、10年以上の間、私はとある男性をご主人様と呼び、飼われていました。わ、わたしは、普通の人生なら絶対にしないような恥ずかしいことを沢山してきてしまった女なんです……」そう言って私は言葉に詰まる。
「私は、彼女の元ご主人様とは面識があって、SMバーでプレイする彼女を見たことがあるの。独占欲が強いから、他の人に触れさせたりは一切しない人だったけど、自己顕示欲も強い人でね、人前でプレイするのは好きな人だったわね。」そう抄妓さんが後を繋いでくれる。
「ですから、私は、シンジさんみたいな素敵な男性とお付き合いするような資格はない女なんです。せっかく告白していただいたのに、こんな話でごめんなさい。でもきちんとお話しておかないと、いけないと思って……」そう項垂れる私に、シンジさんが問いかけてきた。
「その時、マリコさんは喜んでそれをされていたんですか?」
「は、はい。私はその時ご主人様に夢中でしたので、人前で鞭を打たれたり、裸を衆目に晒したりするのを、喜んでやっていました。すみません、こんな浅ましい女で……」もはや取り繕っても仕方ないと、正直に話す。
「そう、つらい思いや、酷い目にあってたんじゃないんですね。それならよかった。」と不思議なことを言い出すシンジさんに、私は目を白黒させてしまう。
「え?」と私が話すと、すぐにシンジさんが答える。
「だって、ずっと酷い目にあってたというなら、僕も辛くなりますから、そうでないならよかったですよ。そうですね、過去のことが気にならないと言ったら嘘ですし、僕がその人に負けないように縄ができるかな?という心配はあるけれど。」
そう言って一度言葉を切ると、彼は私の目を改めて見つめて微笑んだ。
「でも、今はお別れされているんですよね。それであれば、ここからです。過去のマリコさんは、その人のものでした。でもここから未来のマリコさんと……過去に縛られない新しいマリコさんと、僕は一から関係をつくって、僕の縄で、君が心から喜んでくれる。そんな未来を一緒につくりたい。そう、思っているんです」
優しい言葉に心が暖まる、しかし恐怖心は拭いきれない。
「でも、私の過去や私の行動で、我慢できないくらいあなたを嫌な気持ちにさせるかもしれませんし……」ついついネガティブになってしまう、嫌なんだけど、安心していられる場所がない時の、これが私の素顔だ……。
「それは、僕も完全に気持ちをコントロールできるとは言えないでしょうから、嫌な気持ちになることもあるかもしれません。でも、おつきあいしていくって、必ずうまくいくから、つきあうわけじゃないですよ。お互いを知っていく過程で、喧嘩することもあるだろうし、仲直りすることもあるだろうし、未来は誰にもわかりません。それは普通のことじゃないですか?」シンジさんは私を見て相変わらず笑ってくれている。
「ダメになるかもしれないから、付き合わない、成功するから付き合う。そんなの神様以外にはわからないことじゃないですか?それでも、素敵な未来にたどり着きたくて、みんな恋人をつくるんだと思うんです。それは私とマリコさんでも一緒だと思うんですよ。」どんどんシンジさんが理詰めで私を説得してくる。
「は、はい、そうですね。」元々自分に自信のない本来の私は強く言われるとそれにすぐにとびついてしまう、弱い人間だ。
すると抄妓さんがトントンと私の肩をたたく。
「ダメよ、思考停止して返事しちゃったら。大事なことを確認しておきましょうね。マリコさんはシンジさんと今後も仲良くしたいって思ってる?」そう聞かれた。私はゆっくり自分の心に向き合って、シンジさんのことを考える。そして正直な気持ちを答える。
「正直、恋人として好きって気持ちがなんなのか私にはよくわからないです。今までそういう存在がいたことがないので。でもシンジさんといると嬉しいっていうのはホント……です」そう言ってしまい顔が真っ赤になるのがわかる。こんな年齢にもなって、なんだか自分が小娘みたいで、恥ずかしくなる。
「はい、じゃあ、問題ないわねぇ。シンジさんはマリコさんと恋人になりたい。マリコさんはシンジさんといると嬉しいので、一緒にいたい。何も問題ないじゃない、あんたたち今から付き合いなさい。」そういって抄妓さんは私を引っ張って立ち上がらせると、シンジさんのところに連れて行ってそのままシンジさんに押しつける。慌てて私を受け止めるシンジさんに、私は抱きしめられる。
「マリコさん、貴女が好きです。恋人として一緒の時間を過ごしていってくれませんか?」
嬉しいという気持ちが心に溢れる、よくわからないけど、今はこの気持ちに素直になろう。そう思った。
「はい、よろこんで、よろしくお願いします」
「よし、じゃあ、とりあえず恋人記念にキスでもしちゃえば?」抄妓さんが突然そんなことを言い出す。この人は、いい人だけど、時々楽しいとノリで生きている人なんだってことを思い出す。
「いいですか?」とシンジさんが聞いてくる。もう脳味噌が過負荷を起こしそうになってた私は……。
「ハイ」って答えしか出てこなかった。
そのままシンジさんの顔が近づいてきて、唇が重なる。柔らかい感触、これがキスなんだ……と考えて、ハタと気づく。そして顔がもう真っ赤になって、涙が出てきた。
「だ、だいじょうぶ?嫌だった?」とシンジさんが心配してきいてくる。私は慌てて答えた。
「いえ、だ、大丈夫なんです、ぜんぜん嫌じゃなくて、むしろ幸せで……あ、あの、引かないでくださいね……わ、私、これがファーストキスだったんです」とそう言ったとたん、びっくりした顔のシンジさんが、考え込むように視線を落とす。そしてその言葉が理解できて嬉しさのこもった眼差しを私に向けてきた。そして、抄妓さんの大きな笑い声が重なる。
「アハハハハハ‼そっかぁ、そうよねぇ、元主さんそういうこと絶対しない人だったものね。よかったじゃない、はじめてを捧げられて」
そうして抄妓さんは、S男性には、お相手を普通の恋人と区別するためにこだわってキスをしない人間もいるんだということを、シンジさんに説明してくれた。
その間、私達はずっと肩をだきあって見つめ合っていて。
「いやあ、もう……こんな歳になって、恥ずかしい」そう照れながら言った私は、初めてのキスをシンジさんとできた喜びをただただ噛みしめていたのでした。
SIDE END




