第7節:技術革新と遺跡調査
組織改革が軌道に乗り、各グループの活動が活発化すると、新たな課題が浮上してきた。住民たちの技能向上と知識の蓄積に伴い、それらを記録し、保存する方法が必要になったのだ。
「石に刻む記録だけでは、限界があります」
技術グループの調整役を務める職人のトーンが、朝の集会で問題を提起した。石詠みの一族は伝統的に石に刻んで記録を残してきたが、情報量が増えると、この方法では対応しきれない。
「どのような記録が必要ですか?」
私は各グループの現状を確認してみた。資源管理グループでは、水の流量、土壌の状態、作物の成長記録。技術グループでは、道具の製作手順、材料の組み合わせ、改良の履歴。知識グループでは、石の声の内容、薬草の効果、技能の伝承記録。
どれも重要な情報だが、石への刻みだけで記録するには複雑すぎる。
「前世では、文字や図を紙に書いて記録していました。この谷でも、似たような方法を試してみませんか?」
私の提案に、住民たちは興味を示したが、実現方法に戸惑いを見せた。
「文字は知っていますが、書く材料がありません」リーアが言った。「石以外に、長期間保存できる材料があるでしょうか?」
この問題を解決するには、記録媒体の開発から始める必要がある。前世の知識を基に、この谷で入手可能な材料を使った記録システムを考案してみよう。
まず、書字材料として粘土を試してみることにした。谷の川沿いには質の良い粘土が豊富にあり、形成後に乾燥させれば長期保存が可能だ。
「粘土板に文字や図を刻んで、記録媒体として使ってみましょう」
技術グループのメンバーと一緒に、最初の粘土板を製作した。適度な硬さと粘性を持つ粘土を選び、平らな板状に成形する。表面が滑らかになるまで丁寧に仕上げてから、簡単な文字を刻んでみる。
最初の試作品は、予想以上に良い仕上がりになった。文字が明確に刻め、乾燥後も読み取りやすい状態を保っている。
「これなら、複雑な情報も記録できそうですね」
トーンが満足そうに最初の粘土板を手に取った。しかし、実際に使用してみると、いくつかの問題が明らかになった。
粘土板は重く、大量に作ると保管場所に困る。また、湿気に弱く、長期保存には環境の管理が必要だ。そして最も大きな問題は、間違いを修正できないことだった。
「失敗した時に、やり直しができないのは不便ですね」
フォスの指摘はもっともだ。前世でも、記録システムには修正機能が不可欠だった。
第二の試みとして、薄い木の板に炭で文字を書く方法を試してみた。谷には適度な硬さの木材があり、炭は火を使った作業で容易に入手できる。
木板と炭の組み合わせは、粘土板よりも軽く、修正も可能だった。間違った部分を削り取って、新しく書き直すことができる。
しかし、この方法にも欠点があった。炭で書いた文字は消えやすく、時間が経つと読めなくなってしまう。また、木材は虫害や腐敗のリスクがある。
「保存性を向上させる方法はないでしょうか?」
サナが薬草の知識を活かして、保存処理の方法を提案してくれた。特定の樹脂を木板に塗ることで、虫害を防ぎ、耐久性を向上させることができる。
樹脂処理を施した木板は、確かに保存性が向上した。しかし、樹脂の調達と処理に手間がかかり、大量生産には向いていない。
一ヶ月ほど様々な材料と手法を試した後、私は朝の集会でひとつの提案をした。
「両方の良いところを使い分けてみませんか」
手のひらに粘土板と木板を一枚ずつ載せて、住民たちに見せる。左手の粘土板は重厚で確実だが融通が利かず、右手の木板は軽やかで修正しやすいが儚い。
「大切で変わらない知識は粘土に。日々変わっていく記録は木に」
リーアが最初に頷いた。
「石の基本的な聞き方は、確かに変わりませんね。でも毎日どの石がどんな声だったかは、その都度記録したい」
フォスも手を叩いた。
「道具の作り方の基本は粘土板に。今日試した改良点は木板に、ということですね」
住民たちの顔に納得の表情が浮かんだ。どちらか一つでは足りなかったが、使い分けなら両方の利点を活かせる。
その日から、各グループで新しい記録の仕組みが動き始めた。資源管理では、季節の水位変化を粘土に刻み、日々の水量を木板に記す。技術では、基本的な道具作りを粘土に、試行錯誤の経過を木に残す。知識では、石聴きの基礎を粘土に、個々の体験を木に書き留める。
二週間ほど経った頃、思いがけない変化に気づいた。文字に書くという行為そのものが、私たちの理解を深めているのだ。
「文字で書くと、石の声の特徴がよく分かります」
リーアが新しい記録方法に感動している。これまで感覚的に理解していた内容を言語化することで、他の人にも伝えやすくなった。
フォスも同様の効果を実感していた。
「道具の製作手順を図に描くと、改良点が見つけやすくなりました」
記録システムの成功により、住民たちの学習意欲がさらに高まった。自分たちの知識や経験を記録に残すことで、価値のある財産を築いているという実感が生まれている。
記録作業が活発化すると、新たな発見もあった。古い記録を整理していると、これまで見落としていた重要な情報が見つかったのだ。
「この粘土板、私たちが作ったものではありませんね」
トーンが古い粘土板を持参してきた。谷の奥で発見したというその粘土板には、現在使っている文字とは異なる記号が刻まれている。
リーアがその粘土板を調べると、興味深い反応を示した。
「この記号からも、石の声のような響きが聞こえます。でも内容は理解できません」
古代の記録システムが存在していたという証拠だ。そして、その技術レベルは現在の私たちとそれほど変わらない可能性がある。
さらに調査を進めると、谷の各所で同様の古い記録が発見された。どれも高度な技術で作られており、保存状態も良好だ。
「古代の住民も、同じような課題に直面していたのかもしれません」
私は古い記録を眺めながら考察した。技術発展の過程で、記録システムの必要性は時代を超えた共通の課題なのだろう。
古い記録の中で最も興味深かったのは、谷全体の地図が描かれた大きな粘土板だった。現在の地形とほぼ一致しているが、いくつかの相違点もある。
地図に記された水路の配置は、私たちが最近建設したものと驚くほど似ている。農作業区画の配置も、現在の配置と大部分が重なっている。
「まるで、私たちの活動が古代の計画を再現しているような感じです」
フォスの指摘は鋭い。古代の住民が理想的だと考えた谷の姿と、私たちが改善を重ねた結果が、偶然とは思えないほど一致している。
古い記録の解読作業を続けていると、警告らしき記述も発見された。リーアの石聴き能力を使って内容を推測すると、外部からの脅威に関する注意事項のようだ。
「何に対する警告なのかは分かりませんが、谷の外に注意すべき何かがあると示唆しているようです」
リーアの解釈が正しければ、この谷は過去に何らかの危険に晒されたことがある。そして、その危険は現在でも存在している可能性がある。
記録システムの確立と古代記録の発見により、私たちの知識は大幅に拡大した。しかし同時に、新たな疑問も生まれている。
なぜ古代の技術と現代の改善が一致するのか。外部からの脅威とは何なのか。そして、これらの現象と、谷で起きている様々な異常現象との関連はあるのか。
夜中に記録作業をしていると、粘土板の表面が微かに光ることがある。特に古い記録ほど、この発光現象が顕著だ。まるで記録された情報自体が、何らかのエネルギーを持っているかのようだ。
足元からの振動も、記録作業をしている時により強く感じる。地下に眠る何かが、私たちの活動に反応して活性化しているような感覚が、日に日に強くなっていく。