第6節:組織改革と分業システム
農業改革の成功を受けて、谷の住民たちの間に新しい活気が生まれていた。食料の安定供給が実現したことで、これまで生存に費やしていた時間とエネルギーを、他の活動に振り向けることができるようになった。
「皆さんにお伺いしたいことがあります」
私は住民たちを集めて提案した。食事が確保された今、次に必要なのは効率的な作業分担と、それぞれの技能を最大限活用できる組織体制だ。
「現在、皆さんはどのような役割分担で作業されていますか?」
住民の一人が答えてくれた。
「特に決まった分担はありません。必要な作業があれば、手の空いている人がやるという感じで」
前世でチーム管理をしていた経験から、この方式には限界があることが分かる。緊急時の対応力は高いが、専門性の向上や効率化には向いていない。
「それぞれの方が得意とする分野はありますか?」
この質問に、住民たちが互いを見回した。リーアが最初に口を開く。
「石の声を聞くのは、私と年配の方々が得意です。でも若い人たちは、まだ完全には習得していなくて」
フォスが続けた。
「土の状態を調べるのは、私を含めて数人できます。ただ、道具の作り方を知っているのは私だけです」
サナも加わった。
「薬草の知識は、私と娘たちが受け継いでいます。でも最近は、薬草の効果が以前ほど安定しなくて」
それぞれに専門分野があることは分かったが、知識や技能の伝承に偏りがある。一人に依存している技能が多すぎると、その人に何かあった時に谷全体が困ることになる。
「技能の共有と、効率的な作業分担を考えてみませんか?」
私の提案に、住民たちは興味を示したが、同時に不安も感じているようだった。
「でも、急に変えてしまうと、混乱するのでは?」年配の男性が心配そうに言った。
「確かにそのリスクはあります。段階的に、試験的に進めてみましょう」
前世でも、組織変更は慎重に行っていた。急激な変化は、かえって効率を下げることが多い。
まず、現在の作業を三つのグループに分類することから始めた。資源管理グループ(水利・農業・採集)、技術グループ(道具製作・建設・修理)、知識グループ(石聴き・薬草・記録)。
「この分類で、それぞれの方がどのグループに向いているか考えてみてください」
住民たちは自分たちの技能と興味を考慮して、希望するグループを選んだ。興味深いことに、多くの人が複数のグループにまたがる技能を持っていることが分かった。
リーアは知識グループの中心だが、農業にも関心が高い。フォスは技術グループと資源管理グループの両方に適性がある。サナは知識グループだが、住民の健康管理という形で全体を支える役割も担っている。
「完全に分離するのではなく、柔軟な連携ができる体制にしましょう」
私は各グループの境界を明確にしすぎないことを提案した。前世での経験上、硬直的な組織は変化に対応できなくなりやすい。
最初の一週間は、新しい体制での作業を試験的に実施した。朝の集会で、各グループの代表者が当日の作業予定を発表し、必要に応じて他のグループとの協力を依頼する。
初日は混乱もあったが、住民たちの適応力は予想以上に高かった。午後の振り返り会議では、既に改善提案が出始めている。
「資源管理と技術の連携をもう少し密にした方が良さそうです」フォスが提案した。「道具の必要性を事前に把握できれば、製作計画が立てやすくなります」
リーアも同調した。
「知識グループも、他のグループの作業に合わせて情報提供のタイミングを調整できます」
住民たちが自発的に改善案を出してくれることは、組織改革成功の良い兆候だ。前世でも、メンバー主導の改善が最も効果的だった。
一週間後、より具体的な役割分担を決めることにした。ただし、前世の管理職経験から学んだ重要な原則がある。トップダウンの指示ではなく、メンバーの合意に基づいて決定することだ。
「各グループで、リーダー役を決めていただけますか?」
私の提案に、住民たちは少し戸惑った表情を見せた。
「リーダーというのは?」
「決定権を持つ指揮官ではなく、調整役です。グループ内の意見をまとめて、他のグループとの連携を図る役割」
この説明に、住民たちの表情が和らいだ。権威的なリーダーシップではなく、調整型のリーダーシップを求めていることが伝わったようだ。
各グループでの話し合いの結果、フォスが資源管理グループの調整役、リーアが知識グループの調整役に選ばれた。技術グループでは、年配の職人気質の男性が調整役となった。
「調整役の方々で、週に一度、全体の調整会議を開きませんか?」
この提案により、谷全体の方向性を決める仕組みができあがった。しかし、最も重要なのは私自身の立ち位置だ。
住民たちは自然に私をリーダーとして見る傾向があるが、前世の経験から、一人に権力が集中することの危険性を理解している。私の役割は、あくまで助言者・支援者にとどめるべきだろう。
「私は各グループの相談役として、必要な時にアドバイスをさせていただきます」
私がこう宣言すると、住民たちは最初困惑したが、次第に理解してくれた。彼ら自身が主体的に谷を運営することの重要性を、感覚的に理解してくれたようだ。
新しい組織体制が軌道に乗ると、予想以上の効果が現れ始めた。各グループの専門性が向上し、作業効率が大幅に改善された。それだけでなく、住民同士の連携も深まっている。
特に印象的だったのは、知識の伝承が活発になったことだ。これまで特定の人だけが持っていた技能が、グループ内で共有されるようになった。
リーアは若い住民たちに石聴きの技術を教え始めた。最初は戸惑っていた若者たちも、段階的な指導により、少しずつ石の声を聞けるようになっている。
フォスは道具製作の技術を他のメンバーに伝授している。単純な道具から始めて、複雑な測定器具まで、段階的に技術を広めている。
サナは薬草の知識を体系化して、他の住民にも理解しやすい形で伝えている。これまで口伝で受け継がれてきた知識が、より確実な形で次世代に継承されることになった。
組織改革から一ヶ月が経った頃、思いがけない発見があった。住民たちの技能習得速度が、通常よりもはるかに早いのだ。
「リーアさんの指導が上手なんでしょうか?」若い住民の一人が石聴きの練習をしながら言った。「思っていたより早く、石の声が聞こえるようになりました」
同様の現象は他のグループでも報告されている。技術習得、薬草知識の理解、どれも予想を上回る速度で進んでいる。
「まるで、学習能力自体が向上しているような感じです」サナが観察結果を報告してくれた。「記憶力や理解力が、以前より明らかに良くなっています」
住民たちの能力向上は喜ばしいことだが、またしても説明のつかない現象だ。組織効率の改善だけでは、ここまでの変化は起こらない。
ある夕方、調整役会議の後で、私は三人と一緒に谷を散歩していた。組織改革の効果を実感しながら歩いていると、フォスが立ち止まった。
「あれは何でしょう?」
彼が指差した方向を見ると、谷の各所で石が微かに光っているのが見える。夕暮れの薄明かりの中で、石の表面が淡い光を放っている。
「この光、組織改革を始めてから見るようになった気がします」リーアが言った。
「私も同じことを感じていました」サナも同調した。
三人とも同じ時期から光を確認していることは、偶然ではないだろう。組織改革と石の発光現象には、何らかの関連がありそうだ。
光る石を詳しく調べてみると、すべて住民たちがよく使う作業場所の近くにある。まるで、人の活動に反応して光っているような配置だ。
「この光について、他の住民の方々にも聞いてみましょう」
翌日の全体集会で質問してみると、多くの住民が同様の光を目撃していることが分かった。しかも、光の強さや頻度が、グループ活動の活発さと連動しているという報告もある。
「私たちの活動が、何らかの形で谷全体に影響を与えているのかもしれません」
私はこの仮説を住民たちに伝えた。科学的な説明はできないが、経験的には明らかな関連性がある。
その夜、一人で谷を歩いていると、足元の振動が以前より強くなっていることに気づいた。組織改革の進展と共に、地下からの振動も活発化している。
谷の住民たちは、自分たちでも気づかないうちに、この土地と深いつながりを築いているのかもしれない。そして私自身も、そのつながりの一部になりつつあるような感覚があった。