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第3節:現状分析と課題抽出

夜明けと共に目を覚ました。サナが貸してくれた小屋の床は石を敷き詰めたもので、寝心地は決して良くない。それでも前世の激務に比べれば、十分に休息を取ることができた。


外に出ると、谷全体を薄っすらとした朝霧が覆っている。川のせせらぎと、遠くから聞こえる鳥の鳴き声以外は静寂だった。空気は澄んでいて、肺に入ると冷たく感じる。


約束の時間より少し早めに川辺に向かうと、リーアがすでに水汲みの準備をしていた。手際よく甕を扱う姿を見ていると、この作業が日常の一部として完全に身についていることが分かる。


「おはようございます、カナデ様」


「おはようございます。早いですね」


「いつもこの時間に水を汲むんです。昼間より水が澄んでいるので」


彼女の言葉に、前世でのプロジェクト管理の経験が反応する。作業の時間帯による効率の差を把握している。この谷の人々は、限られた資源を最大限活用するための知恵を持っているのだろう。


フォスとサナも程なく合流した。三人とも朝の作業着を身に纏い、それぞれの道具を持参している。


「まずは谷の全体を見て回りましょう」フォスが提案した。「高台から見下ろせる場所があります」


私たちは川沿いの小道を歩き始めた。朝霧がゆっくりと晴れていく中、谷の地形が次第に明確になってくる。三方を山に囲まれた地形は昨日見た通りだが、歩いてみると細かな起伏や段差が随所にあることが分かる。


「この段差は自然のものですか?」


歩きながら気になった地形について尋ねると、リーアが立ち止まった。


「一部は人工的なものだと思います。先祖たちが作ったと聞いていますが、その目的はよく分からなくて」


段差の境界線を見ると、確かに人の手が加わったような整然とした並びがある。前世で都市計画に関わった経験から、これは水の流れをコントロールするための構造ではないかと推測できる。


高台への道のりは予想以上に急勾配だった。足元の石は滑りやすく、時々手で岩肌を支えながら登る必要がある。三人は慣れた様子で進んでいくが、私は息が上がってしまう。


「大丈夫ですか?」サナが心配そうに振り返った。


「問題ありません。ちょっと運動不足で」


前世のデスクワーク中心の生活を思い出しながら答える。この体は前世より若いようだが、基礎体力は意外と変わらないらしい。


高台に到着すると、谷全体を見渡すことができた。朝の光が川を照らし、点在する小屋から薄く煙が立ち上っている。全部で二十軒ほどの建物があり、それぞれが川からの距離や地形を考慮して配置されている。


「人口はどれくらいですか?」


「大人が三十人ほど、子どもが十人ちょっとです」フォスが答えた。「以前はもう少し多かったのですが」


彼の声のトーンが少し重くなった。人口減少には何らかの理由があるのだろう。前世で地方活性化プロジェクトに関わった時も、同様の問題に直面したことがある。


谷を見下ろしながら、水の流れを追ってみる。川は谷の上流から蛇行しながら流れ、いくつかの地点で細い支流に分かれている。しかし、その分岐のパターンが妙に規則的に見える。


「あの水の分かれ方は、自然のものでしょうか?」


私の指摘に、三人が川を見つめた。リーアが眉をひそめる。


「言われてみれば、確かに不自然ですね。でも私たちが生まれた時からあの形でした」


フォスも頷いた。


「分岐した水路の一部は、作物の育ちが異常に良い区画に流れています。でも別の区画では、同じ水を使っても思うように育たない」


異常に良い、という表現が引っかかった。農業において適度な成長は重要だが、異常な成長には必ず理由がある。


「その違いを詳しく見せていただけますか?」


高台から下りて、川沿いの農作業区画を回ることにした。歩いていると、地面の質感が場所によって微妙に違うことに気づく。石の多い箇所、土が柔らかい箇所、なぜかわずかに湿っている箇所。


最初の区画では、青々とした野菜が規則正しく並んでいる。葉の色艶、茎の太さ、どれも健康的な成長を示している。しかし、よく観察すると成長速度が通常より早すぎるように見える。


「この野菜は種を植えてからどれくらいですか?」


「二週間ほどです」サナが答えた。


前世の知識では、この種類の野菜が二週間でこの大きさになるのは考えにくい。気候や土壌の影響もあるだろうが、何か別の要因がありそうだ。


隣の区画に移ると、明らかに成長が遅れている作物があった。同じ種類の野菜なのに、葉が小さく、色も薄い。土を触ってみると、前の区画とは質感が全く違う。


フォスが自分の道具を土に差し込んで、しばらく集中している。やがて彼が顔を上げた時、困惑した表情を浮かべていた。


「おかしいです。この土は栄養分が足りないはずなのに、石が教えてくれることは逆なんです」


「石が教えてくれることが逆、というのは?」


「土の中に、豊富な養分があると石は言っているんです。でも作物の育ち方を見る限り、明らかに足りていない」


情報と現実の食い違い。前世でシステム開発をしていた時にも、データベースの情報と実際の状況が合わない問題に遭遇したことがある。多くの場合、情報の取得方法か、情報の解釈に問題があった。


昼が近づくにつれて、谷の雰囲気が変わってくる。朝の静寂が薄れ、人々の活動する音が聞こえ始める。作業をしている住民の姿も見えるようになった。


「お昼の作業を見せていただけますか?」


私たちは谷の中央部に移動した。そこでは数人の住民が、石を使って何らかの作業をしている。近づいてみると、石の表面に細かい線を刻んでいることが分かった。


「記録を残しているんです」作業をしていた中年男性が説明してくれた。「いつ、どこで、どんな作業をしたか」


石に刻まれた線は、一見すると単純な縦線や斜線の組み合わせに見える。しかし、よく観察すると一定のパターンがあることが分かる。


「この記録方法は、いつ頃から使われているのですか?」


「先祖代々です。でも最近は、刻んでも消えてしまうことがあって」


男性の言葉に、リーアが反応した。


「それです! 石の声も、時々途切れるようになって。まるで何かが邪魔をしているみたい」


途切れる石の声、消える記録。これらの現象には関連性がありそうだ。前世でシステムトラブルを解決する時も、一見無関係に見える現象が実は同じ原因から発生していることが多かった。


午後になると、日差しが強くなって谷全体が明るく照らされる。この時間帯になると、住民の多くが屋内での作業に移るようだ。外での農作業は朝夕に集中させている。


「午後の時間は何をされているのですか?」


「道具の手入れや、薬草の処理です」サナが答えた。「それと、石の声を聞く練習も」


彼女に案内されて、屋内作業の様子を見学させてもらった。薬草を乾燥させる作業、石の道具を研ぐ作業、そして若い住民が石を手に持って集中している様子。


若い住民の一人が、石を持ったまま困った表情を浮かべている。


「どうしました?」


「石の声が聞こえないんです。以前は聞こえていたのに」


彼の手にある石は、他の人が使っているものと見た目に違いはない。しかし、何かが機能していない。これも、先ほどから気になっている現象の一つだろう。


夕方が近づくと、私たちは再び外に出た。谷に夕日が差し込み、山の稜線がくっきりと浮かび上がる。この時間の光の当たり方で、朝には見えなかった地形の特徴が分かることがある。


川沿いを歩いていると、水面に反射した光が石の表面を照らし出した。その瞬間、石に細かい刻みがあることに気づく。


「あれは何でしょう?」


指差した石を、リーアが調べてみる。彼女の表情が次第に深刻になっていく。


「これは……私たちの記録とは違います。もっと古くて、複雑な刻みです」


フォスも石を確認して、首を傾げた。


「この形の刻み、最近あちこちで見かけるようになりました。まるで誰かが新しく刻んでいるみたい」


古い刻みが新しく現れる。これは論理的に考えて不可能だ。既存の刻みが何らかの理由で見えるようになった、あるいは、本当に誰かが古い様式で新しく刻んでいるかのどちらかだろう。


夕日が山の向こうに沈む頃、私たちは高台に戻っていた。一日を通して谷を観察した結果、いくつかの課題が明確になってきている。


水の供給は確保されているが、効率的な配分ができていない。土壌の質にばらつきがあり、それが作物の成長に直接影響している。住民の技能は高いが、その技能に依存している情報システムに不具合が生じている。


そして、これらの問題の背景に、谷の地形や古い刻みに関連した、まだ理解できていない要素がある。


「明日からは、具体的な改善策を検討しましょう」私は三人に向かって言った。「まず水の問題から取り組んで、それから土壌改良、組織の効率化という順番で」


リーアが安堵したような表情を見せた。


「本当に改善できそうですか?」


「時間はかかるかもしれませんが、解決できない問題ではないと思います」


私は谷全体を見渡しながら答えた。夕闇の中で、川の水面がわずかに光っている。その光の反射パターンが、なぜか人工的な規則性を持っているように見えた。


足元から、微かな振動が伝わってくる。歩いているから生じる振動ではない。もっと深い場所から、規則的に響いてくる低い振動だった。

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