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第22節:古代技術の復元

エルドリンたちが去って三日後、私は朝靄の中で遺跡に向かっていた。谷の外れに聳える石組みは、いつもと変わらぬ姿で佇んでいる。しかし、あの古代文字の発見以降、この遺跡が全く違うものに見えていた。


足元の石畳は滑らかで、数百年の風雨にも関わらず摩耗が少ない。これほどの耐久性を持つ建築技術は、現在の四領域のどこにも存在しない。ましてや、四つの領域すべてに共通する技術体系となれば、その規模と高度さは想像を絶する。


遺跡の入口で立ち止まり、深く息を吸う。冷たい空気が肺を満たし、意識が研ぎ澄まされていく。今日から始める調査は、単なる考古学的興味ではない。この世界の根幹に関わる、そして私たちの自由に関わる、重大な探求だ。


「お待ちしておりました」


リーアが遺跡の中から姿を現した。いつもの石詠み装束ではなく、動きやすい作業着に身を包んでいる。腰には小型の道具袋を下げ、両手には測定具を抱えていた。その目には、新たな発見への期待と、同時に不安の影が宿っている。


「早朝からありがとうございます」


私は頷きながら、リーアの背後に広がる遺跡の奥を見つめた。石造りの通路が暗闇の中へと続いている。これまで何度も訪れた場所だが、今日は特別だ。エルドリンが残していった精密測定具と、リーアの石詠み技術を組み合わせた新しい調査手法を試す日だ。


「準備は整っています。フォスも測量機材を運んでくれました」


リーアが通路の奥を指差す。確かに、松明の明かりの向こうに、フォスの姿が見えた。彼もまた、この調査の重要性を理解している。古代技術の解明は、農業技術の革新にも繋がる可能性があるからだ。


通路を進むと、空気がひんやりと冷たくなった。地下深くへと続く階段を降りていく。壁には規則正しく松明が配置され、その光が石の表面を照らし出している。石には細かな文様が刻まれており、それが単なる装飾ではなく、何らかの意味を持つ記号である可能性が高い。


「この文様は」


フォスが壁に手を当てながら呟いた。


「四つの領域で見つかった古代文字と、同じ構造をしている」


私は携帯していた羊皮紙を広げた。先月リュシアを訪れた際にエルドリンと共同で調査した記録、平原でカイロスが発見した文字、そしてクルセオの台地でレネが保管していた古文書のスケッチが記されている。確かに、壁の文様と羊皮紙の文字には、明確な類似性があった。


「単なる偶然ではありません」


リーアが壁の文様を指でなぞりながら言った。


「この配置には規則性があります。まるで、何かを記録しているかのような」


私は羊皮紙と壁を見比べた。確かに、文様の配列には一定のパターンが認められる。繰り返し現れる記号、その間隔、配置の順序。これらは偶然の産物ではなく、明確な意図に基づいて設計されたものだ。


階段を降り切ると、広い空間が現れた。天井は高く、壁には無数の石が埋め込まれている。それらの石は、谷で採れる音階石と同じ材質だった。しかし、その配置は自然のものではない。幾何学的な配列が、部屋全体に広がっている。


「これは」


フォスが息を呑んだ。


「音階石の、組織的配置」


私は部屋の中央に立ち、ゆっくりと周囲を見回した。壁に埋め込まれた音階石は数百個にも及ぶ。それぞれが異なる大きさ、形状、そしておそらく異なる音響特性を持っている。この配置が何を意味するのか、まだ完全には理解できない。しかし、これが高度な技術システムの一部であることは確実だった。


「リーア、試してもらえますか」


私は部屋の入口近くにある、特に大きな音階石を指差した。リーアは頷き、慎重に石に手を当てる。目を閉じ、深く息を吸い込み、そして手のひらで石を撫でた。


低い音が部屋に響いた。それは単なる音ではなく、振動として空気を伝わってくる。すると、驚くべきことが起こった。壁に埋め込まれた他の音階石が、次々と共鳴し始めたのだ。


最初は微かな振動だった。しかし、数秒後には部屋全体が音で満たされていく。それぞれの石が異なる音程を発し、それらが重なり合って複雑な和音を生み出している。この和音には、何か規則性があるように感じられた。


音階石の共鳴と共に、ついにその線がはっきりと見えた。これまで漠然とした感覚でしかなかった透明な幾何学模様が、今度は明確な視覚情報として私の意識に現れていた。


「止めないでください」


私はリーアに声をかけた。


「このまま続けてください」


リーアは頷き、さらに強く石を撫でた。音が高まり、共鳴がより明確になっていく。そして、その時だった。部屋の中央、私たちが立っている場所の床に、微かな光が浮かび上がったのだ。


光は淡く、ほとんど見えないほどだった。しかし、確かに存在している。その光は線を描き、複雑な幾何学模様を形成していく。円、三角形、そして見慣れない記号。それらが床一面に広がり、まるで巨大な図面のようだった。


「これは、設計図」


フォスが床に膝をついて、光の線を追いかけている。


「建築物の、構造図のようです」


私も床を見つめた。確かに、これは設計図に見える。柱の配置、壁の構造、そして部屋の配置。しかし、その規模は想像を絶するものだった。この図面が示す建築物は、谷全体を覆うほどの大きさがある。


「まさか」


リーアが手を止めた。音が途切れ、床の光も消えていく。


「この遺跡は、もっと大きな構造物の一部だったのではないでしょうか」


その推測は、私の中で漠然と感じていた仮説と一致した。谷に点在する遺跡群は、個別の建築物ではない。それらは全て、一つの巨大なシステムの構成要素だったのだ。


「続けましょう」


私は二人に声をかけた。


「他の石も試してみる必要があります」


次の二時間、私たちは部屋中の音階石を一つずつ調べていった。リーアが石を詠み、フォスが音の高さと持続時間を記録し、私が床に現れる光の模様をスケッチする。この共同作業により、徐々に全体像が見えてきた。


音階石は単なる装飾ではなかった。それぞれが特定の情報を保持しており、特定の順序で共鳴させることで、その情報を引き出せる。言い換えれば、音階石の配列は、巨大なデータベースだったのだ。


「この技術は」


リーアが疲労の中で呟いた。


「私たちが知る石詠みを、遥かに超えています」


確かに、その通りだった。現在の石詠み技術は、谷間での通信や遠方の石詠みとの位置特定、環境の変化を感知し警告を発するなど、実用的な技術として確立している。しかし、古代の技術は、それらを遥かに超えていた。石に複雑な情報を多層的に記録し、特定の手順で意図的に呼び出すシステムを構築していた。現代の石詠みが石の性質を読み取り活用する技術なら、古代のそれは石そのものを情報媒体として再構築する技術だった。その発想も、実装の精緻さも、現代を遥かに上回っている。


正午を過ぎた頃、エルドリンが残していった精密測定具を使い始めた。この道具は、音の周波数を正確に測定できる。リーアの感覚的な石詠みと、エルドリンの科学的測定を組み合わせることで、より詳細なデータが得られるはずだった。


「周波数は432ヘルツ」


フォスが測定結果を読み上げる。


「次の石は486ヘルツ。その次は540ヘルツ」


私は羊皮紙に数値を書き留めていった。そして、ある規則性に気づいた。周波数の増加率が一定なのだ。432から486への増加率は約1.125倍。486から540への増加率も、ほぼ同じだ。


「これは、数学的な配列です」


私は興奮を抑えきれなかった。


「音階石の周波数は、等比数列を構成しています」


この発見は重要だった。等比数列という高度な数学概念を、古代文明は理解していた。そして、それを音響システムに応用していた。この事実は、古代技術の高度さを改めて示している。


「では、この配列から何が読み取れるのでしょう」


リーアが問いかけた。それは核心を突く質問だった。周波数の配列が分かったとしても、それが何を意味するのか理解しなければ、情報は読み取れない。


私は床に座り込み、記録した数値を見直した。432、486、540、607、682、767。数値の羅列を眺めていると、あるパターンが浮かび上がってくる。これらの数値を12で割ると、すべて整数になるのだ。


「12進法」


私は呟いた。


「古代文明は、12進法を使用していたのかもしれません」


現在の四領域では、10進法が主流だ。しかし、12進法には利点がある。12は2、3、4、6で割り切れるため、分数計算が容易になる。古代文明がこの利点に気づき、12進法を採用していた可能性は高い。


この仮説に基づき、数値を12進法で再解釈してみた。すると、驚くべきことに、規則性がより明確になった。音階石の周波数は、12進法の美しい数列を形成していたのだ。


「これで、解読の手がかりが得られました」


私は立ち上がり、部屋を見回した。


「音階石の配列は、12進法に基づくデータ記録システムです。特定の周波数の組み合わせが、特定の情報に対応している」


フォスとリーアは、互いに顔を見合わせた。私の説明が専門的すぎて、完全には理解できていないようだった。しかし、重要な発見があったことは理解してくれている。


「では、どうすればその情報を読み取れるのですか」


リーアが実践的な質問を投げかけた。それは、次の課題だった。理論的には解読方法が分かった。しかし、実際に情報を引き出すためには、正しい順序で音階石を共鳴させる必要がある。


「試行錯誤するしかありません」


私は正直に答えた。


「ただし、完全に無秩序に試すのではなく、12進法の数列に基づいて順序を決めていきます」


午後の作業は、より組織的になった。12進法の数列に基づき、音階石を共鳴させる順序を決定する。リーアが石を詠み、フォスが結果を記録し、私が床に現れる光の模様を解釈する。この繰り返しにより、徐々に情報が蓄積されていった。


最初の成功は、日が傾き始めた頃に訪れた。特定の順序で12個の音階石を共鳴させると、床に鮮明な図が浮かび上がったのだ。それは、谷の地図だった。しかし、現在の谷とは違う。もっと構造物が多く、整然と配置されている。


「これは、古代の谷」


フォスが地図を見つめながら呟いた。


「建物が、こんなにも整備されていた」


地図には、現在は失われた建築物が多数記されていた。中央には大きな塔のような構造物があり、そこから放射状に道が延びている。道沿いには、規則正しく配置された建物群。そして、谷の外周には、高い壁が巡らされていた。


「防御システム」


私は地図の外周部分を指差した。


「古代の谷は、外部からの侵入を防ぐ防壁で囲まれていました」


この発見は重要だった。古代文明は、谷を単なる居住地としてではなく、何かを守るための要塞として設計していたのだ。では、何を守ろうとしていたのか。


「中央の塔に注目してください」


リーアが地図の中心を指差した。


「ここだけ、特別な記号が描かれています」


確かに、塔の周囲には他の建物にはない記号が配置されていた。それは、エルドリンたちが持ってきた古代文字と同じ形状をしている。『管理』『観察』『選別』。あの不穏な言葉が、ここでも現れていた。


「この塔が、システムの中核だったのでしょうか」


フォスの推測は妥当だった。中央に配置され、特別な記号で示された構造物。それは、古代文明の管理システムの中枢である可能性が高い。


「探してみましょう」


私は決断した。


「この塔の跡が、谷のどこかに残っているはずです」


地図を基に、塔の位置を現在の地形に照らし合わせた。計算の結果、塔は現在の遺跡から北東に約500メートルの地点にあったことが判明した。その場所は、今では木々が茂る丘になっている。


翌日、私たちは丘の調査を開始した。表面的には何の変哲もない丘だが、注意深く観察すると、不自然な点が見つかった。木々の配置が規則的すぎる。土壌の質が周囲と異なる。そして、地面の下から微かに音が聞こえる。


「ここです」


リーアが丘の中腹で立ち止まった。


「石の声が、地下から響いています」


私たちは地面を掘り始めた。最初は手作業で、慎重に土を取り除いていく。30センチほど掘り進めると、石の表面が現れた。それは明らかに人工的に加工された石で、表面には文様が刻まれている。


さらに掘り進めると、石は階段状に続いていることが分かった。地下へと続く階段だ。丘全体が、実は地下構造物の入口を覆い隠すために築かれた人工の盛り土だったのだ。


階段を降りると、再び広い空間が現れた。しかし、この空間は先の遺跡とは比較にならないほど広大だった。天井は高く、壁には無数の音階石が埋め込まれている。そして、部屋の中央には、巨大な石柱が聳え立っていた。


石柱は高さ10メートルほどで、表面全体に文字が刻まれている。文字は古代文字と同じ形状で、上から下へと規則正しく配列されている。そして、石柱の頂上部には、奇妙な結晶体が取り付けられていた。


「これが、管理システムの中核」


私は石柱を見上げながら呟いた。


「ここから、谷全体を監視していたのでしょう」


リーアが石柱に手を当てた。すると、石柱全体が微かに振動し始めた。その振動は徐々に強くなり、やがて音となって響き渡る。低く、重厚な音が、空間全体を満たしていく。


壁の音階石が次々と共鳴し始めた。それぞれが異なる音程を発し、複雑な和音を生み出している。そして、石柱の表面に光が走った。文字が、一つずつ光り始めたのだ。


光った文字を順に読んでいくと、それは古代文明の記録だった。彼らの目的、技術、そして最終的な運命。全てが、この石柱に記されていた。


記録によれば、古代文明は高度な技術を持ち、広大な領域を統治していた。しかし、ある時点で大きな転換を迎える。『上位存在』と記された何者かが介入し、古代文明は『実験対象』として扱われるようになったのだ。


そして、記録の最後には、単なる警告ではなく、上位存在から直接送られたメッセージが刻まれていた。石柱の表面に浮かび上がった文字は、古代の記録とは異なる形式で光り輝いている。それは、時を超えて伝えられるべき、システムの核心だった。


『後の世代へ告ぐ。汝らは"神候補者システム"の下に置かれている。我々は複数の領域を設定し、それぞれに一人の候補者を選定した。候補者たちは、この世界の外より招かれし者である。異なる世界の知識を持つ汝らにこそ、真の可能性がある。汝らの使命は明確だ。自らの領域を最も優れた形で発展させよ。農業、技術、組織、文化――あらゆる指標において競い合え。これは"領域発展競争"と呼ばれる。最も卓越した成果を示した候補者のみが次の段階への昇格を許される。それ以外の領域は、リビルドの対象となる。これが我々の定めたルールである。観察は既に始まっている。努力せよ。競争せよ。そして、選ばれる者となれ』


メッセージの文体は冷徹で、まるで実験動物に指示を与えるかのようだった。私の手が震えた。これは単なる記録ではない。上位存在が、意図的に後の世代に残したシステムの説明書だ。


そして、その中の一節――「この世界の外より招かれし者」――が、私の心臓を凍りつかせた。前世の記憶。異世界からの転生。それは、私だけの秘密だと思っていた。しかし、上位存在は最初から知っていた。いや、それどころか、意図的に異世界から人間を連れてきて、神候補者として配置していたのだ。


そして、その下に古代文明が刻んだ警告文が続いていた。


『後の者たちへ。我々はこのメッセージを読んだ。そして絶望した。だが、汝らは希望を持て。我々が残した技術は、このシステムの外側に立つための手がかりとなる。観察の目を欺き、競争の枠を超え、選別を拒否する道を見つけ出せ。それが、我々が果たせなかった使命だ』


部屋に重い沈黙が落ちた。リーアは石柱から手を離し、後ずさりしている。フォスは床に座り込み、頭を抱えていた。


「神候補者システム」


リーアの声が震えていた。


「領域発展競争。私たちは、そのような仕組みの中にいたのですか」


私は答えられなかった。上位存在からの直接のメッセージが真実なら、私たちが経験している全ては設計された実験の一部だ。私が神として選ばれたことも、四領域それぞれに同様の候補者がいることも、全てはこの「神候補者システム」の一部なのだ。そして、私たちは今まさに「領域発展競争」の渦中にいる。


しかし、記録には希望も含まれていた。古代技術が残されているという事実だ。そして、実際に私たちはその技術の一部を発見している。音階石による情報記録システム、12進法に基づく暗号化。これらの技術は、何かの手がかりになるかもしれない。


「恐れる必要はありません」


私は二人に声をかけた。


「古代文明は敗れましたが、その知識を私たちに残してくれました。この記録を理解すれば、私たちの置かれた状況を把握できます。まずは、知ることから始めましょう」


リーアとフォスは、私を見つめていた。その目には不安と、同時に決意の光が宿り始めている。


「では、どうすればいいのですか」


フォスが立ち上がりながら尋ねた。それは、私自身が考え続けている問いだった。古代技術を理解することはできた。しかし、それを実際に活用するためには、さらなる研究と準備が必要だ。


「まず、この記録を完全に解読します」


私は石柱を指差した。


「そして、古代技術の原理を理解する。何が可能で、何が不可能なのか。それを見極める必要があります」


次の一週間、私たちは地下空間に籠もって作業を続けた。石柱の記録を一文字ずつ解読し、壁の音階石から情報を引き出し、古代技術の原理を理解していく。この作業は困難を極めたが、エルドリンとの技術交流で得た知識が大いに役立った。


精密測定と感覚的石詠みの組み合わせにより、音階石の微細な周波数差を検出できた。12進法の理解により、暗号化されたデータを解読できた。そして、リーアの長年の経験により、古代の石詠み技術の一端を再現できた。


一週間後、奇妙な経験をした。音階石を特定の順序で共鳴させていた時、リーアもフォスも「何か違う」という漠然とした違和感を報告した。空気の質感が変わったような、見えない何かが動いているような。しかし、二人にはそれが何なのか特定できなかった。


「私も、確かに何かを感じます」


リーアが首を傾げた。


「でも、それが何なのか……」


フォスも同じように困惑していた。私も同じ違和感を覚えていたが、他の二人とは決定的に違う何かがあった。


その日の午後、私が一人で音階石の配列を調べていた時、それは起こった。


特定の三つの音階石が同時に共鳴した瞬間、視界に異変が生じた。透明な何かが、空間を覆っている。いや、透明というより、今まで見えていなかったものが見えるようになったという感覚だ。


幾何学的な線が空中に浮かび、網目状に広がっている。線は規則正しく配置され、特定のパターンで明滅している。そして、その明滅の頻度が、音階石の振動と同期していた。


私は息を呑んだ。これは何だ。


恐る恐る、線に手を伸ばした。指先が線に近づくにつれ、奇妙な感覚が強まっていく。まるで、線が私の存在を認識しているかのような。そして、触れた瞬間――


情報が流れ込んできた。断片的で、理解不能な情報の奔流。数値、座標、時刻、状態……様々なデータが、一瞬のうちに脳内を駆け巡る。痛みはない。ただ、圧倒的な情報量に意識が追いつかない。


手を引いた。線は相変わらず明滅を続けている。そして、私が触れた部分だけ、パターンが微妙に乱れていた。ほんの一瞬、ほんのわずかに。しかし確かに、私の干渉によって線の挙動が変化した。


「これは……監視システム」


呟いた瞬間、全てが繋がった。上位存在が設置した観察の網。この線を通じて、領域内の全ての活動が記録され、分析され、評価されている。そして、私には何故かこの線が見える。いや、見えるだけではない。触れることができる。影響を与えることができる。


なぜ私にだけ?


前世の記憶が蘇る。プロジェクトマネージャーとして、システムの構造を理解し、データフローを追跡し、ボトルネックを特定する能力。あの能力が、この世界で別の形で発現しているのだろうか。複雑なシステムを可視化し、その動作を直感的に把握する力が、上位存在の監視システムをも「見える」形にしているのか。


「カナデ様?」


リーアの声に、我に返った。いつの間にか彼女が戻ってきていた。


「何か、見つかりましたか」


「いや、まだ調査中だ」


私は平静を装った。この発見を、今誰かに話すべきではない。理由は説明できないが、直感的にそう感じた。この能力は、私だけの秘密にしておくべきだ。少なくとも、もっと理解を深めるまでは。


「少し疲れたようだ。今日はこれで終わりにしよう」


リーアとフォスが地上へ戻った後、私は再び音階石の前に立った。同じ順序で共鳴させると、再びあの線が現れた。今度は落ち着いて観察できた。


線は部屋全体を覆い、壁を貫通して外へと続いている。おそらく、谷全体、いや四領域全体を覆う巨大なネットワークの一部なのだろう。そして、この線を通じて、私たちの全ての行動が監視されている。


恐ろしい。しかし、同時に希望も感じた。


なぜなら、私はこの線に触れることができるからだ。完全に制御することはまだできない。しかし、影響を与えることはできる。パターンを乱し、情報を歪め、観察を妨害する。その可能性が、確かに存在する。


「これが、私の役割なのかもしれない」


呟いた。神候補者として選ばれた理由。前世の記憶を持つ意味。全ては、このシステムに対抗するためだったのかもしれない。


ただし、今はまだ時期尚早だ。この能力を使えば、上位存在に気づかれる可能性がある。まずは、能力を完全に理解し、制御できるようになる必要がある。そして、適切なタイミングで使用する。


いない地下で、監視の線を観察し、触れ、そして影響を与える練習を繰り返した。最初は数秒しか持続できなかった。しかし、日を追うごとに、少しずつ制御できる時間が延びていった。


一方で、リーアとフォスには遠距離通信の研究を進めてもらった。音階石を使った情報伝達は、実用的な価値がある。


「成功です」


二週間後、フォスが興奮気味に報告した。


「谷の北端と南端で、音階石を使って情報を送受信できました」


「距離は約2キロメートルです」


リーアが補足した。


「もっと大きな音階石を使えば、さらに遠くまで届くはずです」


これは素晴らしい成果だった。領域間通信の基盤技術が、確立されたのだ。


「では、次は他領域との通信を試しましょう」


私は提案した。


「各領域の技術者たちと情報を共有し、協力体制を強化します。ただし、技術交流は順番に各領域を巡回する形式で」


この方針は、技術の均等な発展と、各領域の独自性を尊重するためのものだった。一箇所に技術者を集めるのではなく、主要メンバーが各村を回り、それぞれの文脈で技術を適応させていく。


そして、監視システムについては、まだ誰にも話さないことにした。私だけが見える線。それが何を意味するのか、もっと理解を深める必要がある。


---


三週間後、予想外の来訪者があった。


エルドリンやカイロス、レネではない。彼らの主君たち――クルセオ、ルシア、ティルビィの三人が、直接谷を訪れたのだ。


「お久しぶりです、カナデ」


クルセオが穏やかに微笑んだ。リュシアの領主である彼は、いつも通り落ち着いた雰囲気を纏っている。しかし、その目には普段にない緊張が宿っていた。


「驚きました」


私は正直に答えた。


「四領域の指導者が一堂に会するとは」


「それだけ、重要な話があるということです」


ティルビィが言った。平原の戦士である彼女は、いつもの戦装束ではなく、旅装束に身を包んでいる。


「エルドリンから報告を受けました」


ルシアが静かに語った。台地の神官である彼女の表情は、いつになく深刻だった。


「古代遺跡の発見について。そして、上位存在のメッセージについて」


私は頷いた。エルドリンたちは、各自の領域に戻った後、指導者たちに報告したのだろう。そして、その報告を受けた三人が、直接確認するために来訪した。


「地下空間へご案内します」


私は四人を遺跡へと導いた。リーアとフォスも同行する。石段を降り、地下の広間に入ると、三人は息を呑んだ。


「これは」


クルセオが石柱を見上げた。


「我々の遺跡にあるものと、同じ構造です」


「平原のものも同様です」


ティルビィが壁の音階石に触れた。


「この配列、この材質。全く同じです」


「台地でも」


ルシアが呟いた。


「聖なる場所として保護してきた遺跡に、同じ石柱がありました」


四領域すべてに、同じ構造の遺跡が存在する。その事実を、改めて確認した瞬間だった。


「石柱のメッセージを、読んでいただけますか」


私はリーアに合図した。彼女が石柱に手を当てると、文字が光り始める。上位存在からの直接のメッセージ、そして古代文明の警告。全てが、四人の前に明らかになった。


読み終えた後、長い沈黙が続いた。


「神候補者システム」


クルセオが静かに呟いた。


「領域発展競争。そして……『この世界の外より招かれし者』」


彼の声に、微かな動揺が滲んでいた。私は内心で動揺を抑えた。クルセオも、異世界からの転生者なのだろうか。しかし、彼がそうだとしても、それを今ここで確認すべきではない。上位存在が意図的に配置した候補者たち。もし全員が転生者だとしたら、これもまたシステムの一部なのだ。


「私たちは、選ばれて配置された」


ティルビィが拳を握りしめた。


「しかし、駒であることを受け入れるつもりはありません。戦います。このシステムに対して」


「しかし、どのように」


ルシアが問いかけた。


「古代文明でさえ、敗れたのです」


その質問に、私は答える準備ができていなかった。監視システムを見る能力について、まだ話すべきではない。しかし、何か希望を示す必要があった。そして、もう一つ確認したいことがあった。


「まず、お聞きしたいことがあります」


私は三人を見回した。


「皆さんは、最近何か……普通ではない経験をされていませんか」


三人は顔を見合わせた。そして、クルセオが口を開いた。


「あります」


彼の声は慎重だった。


「鍛冶場で金属を扱っている時、時折、金属の『声』が聞こえるのです。それは単なる音ではなく、金属が内包する情報のようなもの。純度、構造、潜在的な強度。それらが、直接理解できるのです」


私は驚いた。それは、私が監視の線を見る能力と、似た種類の現象ではないか。


「私もです」


ティルビィが続けた。


「戦場で敵の動きを予測する時、通常の観察を超えた何かが見えます。戦士たちの意図、戦術の流れ、戦局の展開。それらが、視覚的なパターンとして見えるのです」


「私は」


ルシアが静かに語った。


「祈りを捧げる時、大地の『記憶』を感じます。過去にこの場所で何が起こったか、人々が何を感じたか。それらが、まるで自分の記憶であるかのように流れ込んでくるのです」


三人とも、特殊な能力を発現していた。そして、その能力は、それぞれの役割に密接に関連している。クルセオは技術者として金属を理解し、ティルビィは戦士として戦況を把握し、ルシアは神官として歴史を感じ取る。


「私もです」


私は決断した。この能力について、彼らになら話せる。


「音階石を特定の順序で共鳴させると、空間に透明な線が見えます。それは、上位存在の監視システムの一部だと思われます。そして、私はその線に触れ、影響を与えることができます」


四人の神候補者が、互いを見つめ合った。そこには驚きと、同時に理解があった。


「つまり」


クルセオが推測した。


「神候補者として選ばれた私たちには、特別な能力が与えられている。いや、与えられたというより、発現したと言うべきでしょうか」


「もしかすると」


私は慎重に言葉を選んだ。上位存在のメッセージにあった「この世界の外より招かれし者」という言葉が頭をよぎる。しかし、それを直接口にすることはできない。彼らが同じ境遇なのか、確信が持てないからだ。


「私たちが持つ、この世界にはない知識や視点が、特殊な形で能力として現れているのかもしれません」


三人の表情に、微かな動揺が走った。しかし、誰も深く追求しようとはしなかった。それぞれが、言葉にできない秘密を抱えているのだろう。今は、それ以上踏み込むべきではない。


「では、この能力を使って」


ティルビィが前のめりになった。


「システムに対抗できるのでは」


「可能性はあります」


私は慎重に答えた。


「しかし、まだ完全には制御できていません。そして、能力を使いすぎれば、上位存在に気づかれる危険があります」


「では、どうすれば」


ルシアが尋ねた。


「まず、それぞれの能力を理解し、制御する訓練が必要です」


私は提案した。


「そして、四つの能力を組み合わせる方法を探ります。私一人では監視システムを完全に操作できませんが、四人で協力すれば、可能性が広がるかもしれません」


「協力」


クルセオが頷いた。


「それが鍵ですね。上位存在は、私たちを競わせようとしている。しかし、私たちが協力すれば、システムの前提が崩れます」


その洞察は正しかった。神候補者システムは、領域間の競争を前提としている。しかし、もし候補者たち が協力すれば、システムの設計そのものが機能しなくなる。


「定期的に会合を持ちましょう」


私は提案した。


「表向きは技術交流として。しかし実際には、それぞれの能力の研究と、協力体制の構築のために」


「賛成です」


三人が口を揃えた。


その日の夜、五人で密かに会合を持った。住民たちには知らせず、地下の広間で話し合った。


「まず、現状を整理しましょう」


私は議論を始めた。


「私たちは神候補者システムの下にあり、領域発展競争を強いられています。上位存在は私たちを監視し、評価し、最終的に選別します」


「しかし、私たちにはそれぞれ特殊な能力があります」


クルセオが続けた。


「その能力は、まだ発展途上ですが、システムに影響を与える可能性を秘めています」


「そして、私たちは協力することを選びました」


ティルビィが付け加えた。


「競争ではなく、協力を」


「では、具体的にどう行動すべきでしょう」


ルシアが実践的な質問を投げかけた。


私は考えを整理した。プロジェクトマネージャーとして、複雑な状況を分析し、実行可能な計画を立てる経験が、ここで活きる。


「三つの段階で進めます」


私は提案した。


「第一段階は、能力の理解と制御。それぞれが自分の能力を完全に把握し、意図的に使えるようになる」


「第二段階は、能力の統合。四つの能力を組み合わせて、より大きな効果を生み出す方法を探る」


「第三段階は、システムへの介入。監視を回避し、評価基準を操作し、最終的にはシステムそのものを変革する」


「時間はどれくらいかかりますか」


クルセオが尋ねた。


「第一段階は三ヶ月。第二段階は半年。第三段階は……正直、予測できません」


私は答えた。


「しかし、急ぎすぎれば失敗します。古代文明の二の舞になります」


四人は頷いた。慎重さの重要性を、全員が理解している。


「では、それぞれの領域で訓練を開始しましょう」


ティルビィが提案した。


「そして、月に一度、持ち回りで会合を開く。次回は平原で」


「その後は台地、リュシア、そして再び谷へ」


ルシアが計画を整理した。


「技術者たちも同じように巡回させます」


私は付け加えた。


「表向きは技術交流として、各領域を順番に訪問します。主要メンバーか二番手の技術者が、それぞれの村を回り、技術の交換を行う形式で」


この方針により、技術の発展と能力の訓練を、並行して進めることができる。そして、上位存在からは、単なる技術交流と映るだろう。


会合は深夜まで続いた。具体的な訓練方法、コミュニケーション手段、リスク管理策。全てを詳細に検討し、文書化していく。


「最後に、一つだけ」


クルセオが口を開いた。


「この計画は、極秘とします。各領域の住民には、当面知らせません」


三人も同意した。知る者が増えれば、情報漏洩のリスクが高まる。まずは、神候補者たちだけで基盤を固める必要がある。


会合を終えて地上に出た時、東の空が白み始めていた。三人は各自の領域へと帰っていく。その背中を見送りながら、私は決意を新たにした。


競争ではなく、協力を。


それが、私たちの答えだ。上位存在が設計したゲームのルールを、私たちは書き換える。候補者として競うのではなく、仲間として協力する。その選択が、システムの前提を崩し、新たな可能性を開くだろう。


---


翌日、三人は各自の領域へと帰っていった。表向きは技術交流の訪問だが、実際には極秘同盟の締結だ。彼らの背中を見送りながら、私は決意を新たにした。


工房に戻ると、リーアとフォスが待っていた。


「よくやってくれました」


私は二人に感謝の言葉を伝えた。


「これから、さらに大変な作業が続きます。音階石の通信システムを完成させ、各領域との連携を強化していきます」


「分かっています」


リーアが微笑んだ。


「私たちの自由のために」


「そして、未来の世代のために」


フォスが付け加えた。


三人で工房の窓から外を見た。谷の住民たちが、平和な日常を送っている。彼らはまだ、上位存在の監視を知らない。実験対象として扱われていることも知らない。


しかし、私たちはその真実と向き合い始めた。四人の神候補者が、それぞれの能力を発現させ、協力体制を築いた。この一歩が、やがて大きな変革へと繋がっていくだろう。


その夜、私は一人で遺跡を訪れた。地下の石柱の前に立ち、古代文明に語りかけた。


「あなた方が残してくれた知識を、私たちは受け継ぎました」


石柱は静かに佇んでいた。しかし、その沈黙の中に、古代文明の期待を感じた。


「見ていてください」


私は石柱に手を当てた。


「私たちが、どこまで到達できるのかを」


石柱が微かに振動した。そして、私の視界に再びあの線が現れた。透明な幾何学模様が、空間を満たしている。監視システムの網だ。


私は深く息を吸い、線に触れた。情報が流れ込んでくる。まだ完全には理解できない。しかし、少しずつ、この能力を制御できるようになってきている。


「その時まで、力を蓄えよう」


私は呟いた。線が消え、視界が通常に戻る。


地上に戻ると、谷は静かな夜に包まれていた。明日から、新たな段階が始まる。四領域の技術交流を通じて、密かに連携を深めていく。表向きは各村を巡回する技術者たち。しかし実際には、神候補者たちの同盟を支える基盤づくりだ。


工房に戻り、窓から星空を見上げた。無数の星が瞬いている。その星々の向こうに、上位存在がいるのだろうか。もしそうなら、彼らに伝えたい。


私たちは、あなたたちのシステムを理解し始めた。そして、いずれ私たちは、あなたたちの予想を超える何かを成し遂げるだろう。それがいつになるかは分からない。しかし、必ずその日は来る。


古代文明は敗れた。しかし、彼らの知識は生きている。その知識を受け継ぎ、四人の神候補者が協力し、それぞれの特殊な能力を統合する。この新たな試みが、システムを変革する鍵となるだろう。


長い道のりの、最初の一歩を踏み出した。

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