第16節:内部摩擦と再設計
翌日の朝、谷全体に重苦しい雰囲気が漂っていた。
昨夜の激論から一晩が過ぎても、住民間の対立は解消されるどころか、一層深刻化していた。探査継続を支持する若い世代と、安全重視の年配住民の間で、これまでになく険悪な雰囲気が生まれている。
朝の作業時間でも、通常なら協力して行う共同作業で、明確に世代別のグループが形成されていた。若い住民は若い住民同士で、年配の住民は年配の住民同士で作業し、異世代間の会話は最小限に留められていた。
「おはようございます」
私が農作業場に顔を出すと、通常なら返ってくる明るい挨拶の代わりに、微妙な沈黙が生まれた。住民たちは私を見る目にも、複雑な感情を含ませている。
支持者もいれば、批判者もいる。そして、どちらでもない困惑した人々もいる。
「水路の点検をしてきます」
私は気まずい雰囲気から逃れるように、一人で谷の周辺部に向かった。
しかし、独りになったことで、昨夜から続く自己批判の声がさらに大きくなった。
「すべて私の判断が原因だ」
水路の流れを見ながら、私は深い罪悪感に苛まれていた。
前世のシステム設計でも、新機能の導入が既存ユーザーの不満を招くことがあった。しかし、今回は単なるソフトウェアの問題ではない。人々の生活と安全、そして共同体の結束そのものに直結している。
「もっと慎重に段階を踏むべきだった」
「住民の感情をもっと配慮すべきだった」
「科学的アプローチを導入する前に、もっと時間をかけて説明すべきだった」
後悔の念が次から次へと湧き上がってくる。
水路工事の現場で一人考え込んでいると、足音が聞こえた。振り返ると、リーアが心配そうな表情で近づいてきた。
「また一人で抱え込んでいるんですね」
「え?」
リーアの言葉は、私の予想とは異なるものだった。
「カナデ様は、問題が起きると全部自分の責任だと思い込む癖があります」
彼女の指摘は、痛いほど的確だった。前世でも、チーム内の対立や プロジェクトの問題を自分の能力不足のせいにして、一人で解決しようとしてばかりいた。
「でも、実際に私が探査を提案したから...」
「違います」
リーアは私の言葉を遮った。
「異常現象が起きたから、私たちが対応しているんです。原因と結果を取り違えては、正しい解決策も見つかりません」
「それに、昨夜の議論は必要なプロセスでした。住民それぞれが自分の気持ちを表現し、お互いの立場を理解する機会だったんです」
リーアの冷静な分析に、私は少し落ち着くことができた。確かに、感情的になった議論も、最終的には建設的な合意に達していた。
「でも、共同体が分裂しそうになっている」
「分裂しているのではありません。成長痛です」
リーアは石を手に取りながら続けた。
「これまでの谷は、変化のない安定した環境でした。でも、外部環境が変化した今、私たち自身も変化する必要がある」
「その変化の過程で摩擦が生じるのは自然なことです。重要なのは、その摩擦をどう建設的な方向に向けるかです」
彼女の言葉は、前世のチーム管理で学んだ教訓と一致していた。組織の成長期には必ず内部摩擦が生じる。それを恐れて変化を避けるより、摩擦をエネルギーに変えて前進することが重要だ。
「では、どうすればいいでしょう?」
「みんなで話し合いましょう。一人で決めるのではなく、住民全員が納得できる方法を見つけるんです」
リーアの提案は的確だった。昨夜の集会でも、最終的には対話によって解決策が見つかっていた。
「ただし、今度は感情的にならないよう、より構造化されたアプローチが必要ですね」
「具体的には?」
「問題を整理し、選択肢を明確にし、評価基準を共有することです」
私は前世のプロジェクト管理手法を思い出していた。
午後の集会では、私は新しいアプローチを試みた。感情論に流れがちな議論を、客観的で建設的な方向に導くための準備を整えて臨んだ。
「昨夜は貴重な議論をありがとうございました」
集会所に集まった住民たちを見回した。今回は昨夜より少ない人数だったが、各世代の代表者が参加していた。
「今日は、昨夜の議論を踏まえて、具体的な行動計画を策定したいと思います」
私は大きな石板に、問題の構造を図示した。
**現状の課題:**
1. 外部異常現象の継続・拡大
2. 住民間の意見対立
3. 情報不足による不安の拡大
4. 安全性への懸念
**利用可能な選択肢:**
A. 探査活動の完全中止
B. 現状の探査計画継続
C. 修正された探査計画の実施
D. より積極的な探査活動
**評価基準:**
- 住民の安全性
- 情報収集の効率性
- 共同体の結束維持
- 長期的な持続可能性
この構造化されたアプローチにより、住民たちの議論はより冷静で建設的なものになった。
年配住民代表のオルドが、前日より穏やかな口調で発言した。
「選択肢を明確にしてもらうと、考えやすくなりますね」
「私たちは選択肢Aを完全に否定するわけではありません。ただ、安全性の確保を最優先にしてほしいのです」
若い住民代表のマリンも建設的に応答した。
「私たちも安全性を軽視しているわけではありません。ただ、情報収集の必要性も理解してほしいのです」
この対話から、両者の本当の関心事が明確になった。
対立の本質は「探査するか否か」ではなく、「どの程度のリスクを受け入れるか」という点だった。
「では、選択肢Cの『修正された探査計画』を詳しく検討してみましょう」
私は新しい探査計画の概要を提示した。
**安全性の最大化:**
- チーム構成:最小3人、最大4人(前回の5人から縮小)
- 探査時間:最大4時間(前回の8時間から半減)
- 探査範囲:谷から2時間歩行距離以内(前回は制限なし)
- 緊急対応:角笛による即座の連絡、退避ルートの事前確認
**リスク管理の強化:**
- 異常兆候での即座撤退(判断基準の明文化)
- サナの医療従事者としての同行必須
- 探査前の体調確認(標準化されたチェックリスト)
- 探査後の健康状態監視(24時間の観察期間)
**情報共有の徹底:**
- 探査前計画の住民への事前共有(24時間前)
- 探査中の定時報告(角笛による安否確認)
- 探査後の即時報告(帰還後2時間以内)
- 発見事項の住民向け説明会(翌日実施)
**段階的評価システム:**
- 3回探査ごとの継続可否判定
- 住民投票による決定(単純多数決)
- 明確な危険確認時の即時中止権
- 計画の柔軟な修正・調整
この詳細な計画に対して、住民たちの反応は前向きだった。
オルドが安全対策を評価した。
「これなら、リスクは相当軽減されますね」
エラも医療面での配慮を歓迎した。
「サナさんが常に同行してくれるなら、万一の場合も安心です」
若い住民たちも、制約はあるものの探査継続に満足を示した。
「完璧ではありませんが、現実的な妥協点だと思います」
フォスが技術的観点から補足した。
「制約があっても、体系的に情報を収集できれば、必要な分析は可能です」
**組織運営の改善**
安全計画と並行して、組織運営の改善も検討された。
昨夜の対立から得られた教訓を基に、意思決定プロセスの透明化と住民参加の拡大が図られた。
**定期的な情報共有:**
- 週一回の定期住民集会
- 探査結果の詳細報告
- 住民からの質問・提案の受け付け
**意思決定の民主化:**
- 重要事項の住民投票実施
- 各世代からの代表者選出
- 反対意見の尊重と記録
**専門性の活用:**
- 各住民の特技・知識の活用
- 分野別の責任者指名
- 外部知識と伝統的知恵の統合
これらの改善により、「カナデが一人で決定する」システムから「住民全体で決定する」システムへの移行が図られた。
「これまで、私が多くのことを一人で決めていました」
私は住民たちに率直に謝罪した。
「それが昨夜の対立の根本原因の一つだったと反省しています」
「今後は、重要な決定については必ず住民の皆さんと相談し、合意を得てから実行します」
この言葉に、住民たちは安堵と満足の表情を見せた。
しかし、集会が進むにつれて、別の不安も浮上してきた。
年配の住民エリドンが、躊躇いがちに手を挙げた。
「カナデ様、一つお聞きしたいことがあります」
「何でしょうか?」
エリドンは他の住民たちと目を交わしてから、恐る恐る口を開いた。
「これまでカナデ様は、いつも私たちを正しい方向に導いてくださいました。水路の設計も、食料の配分も、すべてがうまくいったのは、カナデ様の知恵があったからです」
「ありがとうございます。しかし...」
「でも、今度は私たちが自分で判断するようになるということは...」エリドンの声が震えた。「カナデ様が、もう私たちを導いてくださらないということでしょうか?」
この質問に、他の住民からも同調する声が上がった。
「そうです。私たちには、カナデ様の導きが必要です」
若い母親のエラが、子供を抱きながら訴えた。
「私たちだけで判断したら、間違いを犯すかもしれません。子供たちに危険が及んだらどうするのですか?」
住民たちの表情に、深い不安が浮かんでいた。権限の委譲を民主化の進歩として捉える者もいれば、神であるカナデからの見放しとして恐れる者もいるのだ。
私は、この反応を予想していなかった自分を恥じた。
「皆さん、誤解があります」
私は立ち上がり、住民たちを見回した。
「権限を委譲することは、皆さんを見放すことではありません。むしろ、皆さんを信頼しているからこそです」
「でも...」エリドンがまだ不安そうに呟いた。
「これまでのように、すべて私が決定していては、皆さんの成長を妨げてしまいます」
私は前世のチームマネジメントの経験を思い出しながら説明した。
「重要な判断については、必ず相談し、一緒に考えます。しかし、日常的な作業や専門分野については、皆さんの判断を尊重したいのです」
リーアが理解を示して補足した。
「つまり、カナデ様は私たちを信頼して、責任を分け与えてくださるということですね」
「その通りです。そして、困ったときは必ず相談してください。私は皆さんを見守り、支援し続けます」
この説明により、住民たちの不安は徐々に和らいだ。しかし、完全には解消されていないことも明らかだった。
長老オルガンが、深い理解を示した。
「つまり、親鳥が雛鳥に飛び方を教えるようなものか」
「まさにその通りです」
「最初は一緒に飛び、慣れてきたら少し距離を置く。しかし、危険があればすぐに駆けつける」
オルガンの例えにより、住民たちの理解も深まった。
「私たちは、カナデ様に見守られながら、自分の力で歩けるようになるということですね」
サナが安心した様子で確認した。
「そうです。私は皆さんの成長を支援し、必要な時にはいつでも導きます」
この説明により、住民たちの表情に安堵と希望が戻った。神からの見放しではなく、信頼の証としての権限委譲。この理解が共有されることで、新しい体制への移行がスムーズに進むことができた。
長老オルガンが代表して応答した。
「リーダーシップは必要だが、独断は危険だ。今回の変更は良い方向だと思う」
**新たな探査チームの編成**
修正された計画に基づいて、新しい探査チームも編成された。
**メンバー:**
- リーア(石詠み観測、地域の安全確認)
- フォス(地形測量、技術的分析)
- サナ(医療管理、植物分析)
- 私(全体調整、記録管理)
**役割分担:**
- 安全管理:全員が相互に確認
- 緊急時指揮:経験豊富なメンバーが状況に応じて担当
- 情報記録:複数人による並行記録
- 住民連絡:定時報告とトラブル時の即時連絡
**準備の最終確認**
夕方になると、翌日からの新体制での探査に向けた最終準備が行われた。
安全装備の再点検、緊急時対応の再確認、住民との連絡手順の練習。
すべての準備が整った時、私は深い充実感を感じていた。
昨夜の対立と今朝の自己批判を経て、より強固で民主的な組織が生まれていた。
「明日から新しい体制で探査を再開します」
私は住民たちに最終確認を行った。
「何か懸念や提案があれば、いつでもお聞かせください」
住民たちの表情は、前日の緊張から解放されて、期待と信頼を示していた。
リーアが代表して答えた。
「準備は整いました。石たちも、新しいアプローチを待っているような気がします」
夜が深まる中、私は一人で今日の変化を振り返っていた。
危機は共同体を分裂させる可能性もあったが、結果的には組織をより強固で民主的なものに変化させた。
そして何より重要だったのは、一人で抱え込まずに仲間と協力することの大切さを、改めて実感できたことだった。
明日から始まる新体制での探査で、どのような発見があるだろうか。しかし、それが何であれ、私たちは一致団結して立ち向かうことができるはずだった。




