第14節:第一次調査
夜明け前から、探査チームのメンバーは集会所に集合していた。
私、リーア、フォス、サナ、そしてエルバンの五人。これまでの内政作業とは全く異なる緊張感が、チーム全体を包んでいる。
「装備の最終確認をしましょう」
私たちは事前に準備したチェックリストに従って、持参品を一つ一つ確認していった。
観測用具一式:石詠み用の石、測量道具、記録用石板と筆記具、方位確認用の磁化された鉄片。
安全用具:救急用の薬草と包帯、緊急食料、水筒、退避用の縄、信号用の角笛、各自の護身用ナイフ。
「現地での行動手順を再確認します」
エルバンが経験豊富な年長者として、安全確認を主導した。
「到着後、まずは周囲の安全確認。異常や危険がないことを確かめてから、観測開始」
「観測は一時間単位で実施。各自の専門分野を担当し、結果は必ず他のメンバーと共有」
「異常事態発生時は、即座に全員に告知し、判断を仰ぐ」
「帰還予定時刻は厳守。遅れが生じる場合は、早めに帰還を開始」
朝日が谷を照らし始める頃、私たちは西側丘陵に向けて出発した。
谷を出てしばらくは、これまでの偵察で通った馴染みのある道だった。しかし、今回は本格的な観測装備を持参しているため、移動速度は通常より遅い。また、チーム全体での行動であるため、個人行動とは異なる配慮も必要だった。
「リーアさん、石の反応はいかがですか?」
移動中も定期的に観測を続けることで、谷からの距離に応じた変化を記録できる。
「谷を出た時点では『軽い不安』でしたが、徐々に『強い動揺』に近づいています」
「私の土壌振動感覚も強くなっています」
フォスが足元の地面を確認しながら報告した。
「特に、歩いている時の振動が普通より長く響く感じがします」
サナも道端の植物を観察していた。
「植生にも変化が見えます。谷の中では元気だった草花が、ここでは色が薄くなっています」
一時間ほど歩いて、最初の休憩地点に到着した。小高い丘の中腹で、谷全体を見渡せる位置だ。
「ここで第一回観測を実施します」
私たちは手分けして、それぞれの専門分野の測定を開始した。
リーアの石詠み観測:
- 谷方向:『軽い不安』
- 西方向:『強い動揺』
- 北方向:『激しい警告』
- 南方向:『穏やか』
- 東方向:『軽い不安』
「明確な方向性がありますね」私は結果を記録しながら分析した。「北方向で最も強い反応、南方向で最も弱い反応」
フォスの土壌振動測定:
- 微細な周期振動を全方向で確認
- 北方向で振動強度が約二倍
- 振動の周期は約三十秒間隔
「石詠みの結果と一致していますね」
サナの植物状態調査:
- 全体的に谷の中より生命力が低下
- 特に北側斜面の植物で顕著な萎縮
- 南側斜面では比較的正常
「植物の反応も、石と土壌の感覚と同じ傾向を示しています」
三つの異なる観測手法が同じ方向性を示すことで、現象の実在性が確認された。
「では、目標地点に向けて移動を続けましょう」
第一地点からさらに一時間歩いて、本日の主要目標である西側丘陵の頂上付近に到達した。
「予定より時が経っています」
エルバンが陽の高さを確認して報告した。
「地形が思ったより複雑だったことと、観測に予想以上の時間がかかったためですね」
しかし、遅延の理由はそれだけではなかった。歩いている最中に、チームメンバー全員が微妙な違和感を感じていたのだ。
「なんだか、足取りが普段より重い感じがしませんか?」
サナが最初に指摘したのは、体感的な疲労の増大だった。
「私も同感です。距離は大したことないはずなのに、予想以上に疲れています」
リーアも同調した。
「もしかすると、この地域にいること自体が、私たちの身体に何らかの影響を与えているのかもしれません」
私の推測に、フォスが測量経験を基に補足した。
「測量作業では、地形の特徴によって疲労度が変わることがあります。しかし、これは普通の地形的疲労とは違う感じです」
頂上に到達すると、さらに驚くべき発見があった。
「これは...」
私たちが見つけたのは、明らかに異常な植物群だった。
通常の植物とは形状が大きく異なる草木が、約十メートル四方の範囲に群生している。葉の形は普通だが、茎と根の色が微妙に青みがかっており、全体的に通常より大きく成長していた。
「このような植物は見たことがありません」
サナが専門家として慎重に観察した。
「形態学的には既知の種に近いのですが、色彩と成長パターンが明らかに異常です」
「サンプルを採取できますか?」
「根を傷つけないよう、土ごと小さな鉢に移し替えてみます」
サナは慎重にサンプル採取作業を行った。しかし、植物に触れた瞬間、彼女の表情が変わった。
「変な感覚があります。まるで植物が生きている以上に『活動的』な感じです」
「具体的には?」
「普通の植物なら、触れても特に反応はありません。でもこれは、触れると微かに動くような感覚があります」
この報告により、私たちは植物サンプルの扱いをより慎重にすることにした。
頂上での観測を続けるうち、時間感覚に関する異常も明確になってきた。
「朝日から昼の頂点までの間だったはずですが、実際には朝日から夕日近くまで経過しているようです」
私は陽の位置と予想していた時刻を比較して報告した。
フォスも同じ違和感を覚えていた。
「足取りは普通だったのに、時間だけが異常に経過している感じです」
前世のプロジェクト管理では、工数見積もりの精度は重要な成功要因だった。これほど大きな誤差が生じるのは、明らかに異常な事態を示している。
「時間感覚に何らかの影響があると考えるのが妥当でしょう」
リーアの石詠み観測でも、この地点では特異な現象が確認された。
「石の声が、今までにない複雑さを示しています」
彼女は複数の石を順番に手に取りながら説明した。
「単純な五段階評価では表現できない、複合的な反応です」
「どのような?」
「『深い静穏』と『激しい警告』が同時に存在するような感覚です。まるで、二つの異なる源からの影響が重なっているような...」
これは重要な発見だった。複合的な現象は、通常、複数の要因が同時に作用していることを示している。
探査を続けるうち、チーム全体に軽微だが確実な認知影響も現れ始めた。
「少し頭がぼんやりします」
エルバンが最初に症状を報告した。
「私も、集中力が普段より低下している気がします」
サナも同調した。
「記録を取る際の文字が、いつもよりまとまりにくいです」
この状況を受けて、私たちは早めの帰還を決定した。
「現象は確認できましたが、長時間の滞在は危険かもしれません」
「収集したデータとサンプルを持ち帰り、安全な谷で詳細分析を行いましょう」
下山途中、興味深い現象も確認された。
谷に近づくにつれて、時間感覚の歪みや認知影響が段階的に軽減されていくのだ。
「距離に比例して影響が弱くなっているようですね」
フォスの観察は的確だった。
「ということは、現象には明確な影響範囲があるということになります」
「谷がある程度保護されているのか、それとも現象の発生源が谷から離れた場所にあるのか」
リーアが石を確認しながら付け加えた。
「石の反応も、谷に近づくにつれて単純化されています。複合的な反応は、特定の地域でのみ発生するようです」
谷に戻った時には、完全に夕食の時間になっていた。予定では昼過ぎに帰還するはずだったが、実際には一日がかりの探査になっていた。
住民たちが心配そうに迎えてくれた。
「お疲れ様でした。遅くなったので心配していました」
「申し訳ありません。現地での時間経過が予想と異なっていました」
集会所で、探査結果の報告会が開催された。
「重要な発見がいくつかありました」
私は記録を整理しながら説明した。
「第一に、異常現象には明確な方向性と強度の分布があること」
「第二に、現象は複数の要因が重複していること」
「第三に、一定範囲内では時間感覚と認知能力に影響があること」
「第四に、影響は距離に比例して変化すること」
そして最も重要な発見として、異常植物のサンプルを提示した。
「この植物は、既知の種とは明らかに異なる特徴を持っています」
住民たちは興味深く、しかし警戒心を持ってサンプルを観察した。
長老オルガンが深刻な表情で質問した。
「その植物は、谷の中に持ち込んでも安全なのか?」
サナが慎重に答えた。
「現在のところ、直接的な害は確認されていません。しかし、念のため隔離した場所で観察を続けます」
夜が深まる中、第一次探査の成果を整理していると、新たな課題も明確になった。
「今回の探査で、私たちの準備不足も明らかになりました」
私は反省点を列挙した。
「時間管理、体調管理、サンプル処理、記録方法、いずれも改善の余地があります」
しかし、チームワークという面では大きな進歩があった。
「五人での協調行動は、思っていたよりもうまくいきました」
リーアが満足そうに言った。
「各自の専門分野を活かしながら、全体として一つのチームとして機能できました」
フォスも成長を実感していた。
「自分で判断し、行動する経験は貴重でした」
エルバンは安全管理の観点から評価した。
「危険な状況もありましたが、適切に対処できました。経験を積めば、より安全に探査できるでしょう」
「明日は収集したデータとサンプルの詳細分析を行います」
私は翌日の計画を説明した。
「そして、今回の経験を基に、第二段階探査の計画を立案します」
住民たちが帰路につく中、私は一人で探査結果を振り返っていた。
異常植物、時間歪み、認知影響、複合的な石詠み反応。これらの現象は、単なる自然現象を超えた何かを示唆している。そして、現象の規模と複雑さは、当初の予想を遥かに上回っていた。
しかし、同時に希望も見えてきた。適切な準備と慎重なアプローチにより、未知の現象に立ち向かうことは可能だ。そして、チームワークにより、一人では不可能な調査も実現できる。
明日からの詳細分析で、今日の発見がどのような意味を持つのか、さらに明らかになるだろう。




