第13節:未知領域のマッピング
三日目の朝、集会所は前日までとは異なる緊張感に包まれていた。
石詠み測定システムの確立により、異常現象の周期性が数値として明確に示されたことで、住民たちの認識も大きく変わっていた。これまで漠然とした不安だったものが、具体的で測定可能な脅威として現実味を帯びてきたのだ。
「これまでの観測結果を整理します」
私は大きな石板に、過去二日間の測定データを図表化して示した。石詠み反応、土壌振動、薬草活性の三つの指標すべてが、朝夕の二つのピークを持つ明確な周期パターンを示している。
「このパターンから、いくつかの重要なことが分かります」
住民たちが身を乗り出した。
「第一に、現象は偶発的ではなく、何らかの規則性を持って発生している」
「第二に、三つの異なる感覚がすべて同じリズムを示すということは、共通の原因がある可能性が高い」
「第三に、朝夕のピーク時刻が毎日微妙にずれていることから、この現象は谷の外部から来ている可能性がある」
長老オルガンが深刻な表情で頷いた。
「ということは、私たちが調べるべきは谷の外、ということになる」
「その通りです。そこで、今日は本格的な外界探査の計画を立てたいと思います」
私は事前に準備した谷周辺の地図を広げた。これまでの偵察で確認できた範囲を実線で区切り、未知の領域には番号を振って分類してある。
「まず、どの方向から調べるべきかを決める必要があります」
地図を見ながら、住民たちから様々な意見が出た。
フォスが測量士の観点から分析した。
「北東の山稜地帯は地形が複雑で、隠れる場所は多いですが、その分道に迷うリスクも高いでしょう」
「尾根沿いに進めば道に迷う心配はありませんが、逆に発見されやすくなります」
サナは薬草採取の経験から地域の特性を説明した。
「南西の平原部は見通しが良く、移動は楽ですが、隠れる場所がほとんどありません」
「西側の森林地帯は植物相が豊富で、薬草の状態変化を詳しく観察できる可能性があります」
若い住民マリンが素朴な疑問を投げかけた。
「青白い光が見えた方向に向かうのが、一番直接的ではないでしょうか?」
この提案に対しては、世代間で意見が分かれた。
年配の住民エリドンが慎重論を展開した。
「光が見えたということは、相手も私たちの存在に気づいている可能性が高い。そんな場所に近づくのは危険すぎます」
一方で、調査班に志願した若い住民たちは積極論を主張した。
「でも、原因を突き止めるには、発生源に近づかなければわかりません」
「遠くから眺めているだけでは、何の解決にもならないでしょう」
議論が白熱する中、私は前世のプロジェクト管理手法を思い出していた。こうした意見の対立を建設的に解決するには、客観的な評価基準が必要だ。
「感情的な議論になる前に、科学的にアプローチしてみましょう」
私は新しい石板を取り出し、縦軸に危険度、横軸に期待される情報価値を設定した座標系を描いた。
「各地域を、この二つの軸で評価してみてください」
住民たちは最初困惑したが、具体的な評価項目を示すと活発な議論が始まった。
危険度の評価項目:
- 地形の複雑さ
- 退避路の確保
- 未知の要素の多さ
- 異常現象の強度
期待情報価値の評価項目:
- 現象の観測しやすさ
- サンプル採取の可能性
- 地形的な特徴
- 過去の現象発生頻度
一時間ほどの討議の結果、各地域の位置づけが明確になった。
「北方向(光の発生源)は情報価値は最高ですが、危険度も最高」
「西側の丘陵地帯は危険度が低く、情報価値も中程度で、段階的な探査に最適」
「南西の平原部は危険度と情報価値がともに中程度」
「東側の森林部は情報価値が高いが、危険度もやや高い」
リーアが石を手に取りながら、興味深い提案をした。
「石の反応が最も強い方向から始めてはどうでしょう。石たちは嘘をつかないと祖母が言っていました」
「現在、どの方向で最も強い反応が出ていますか?」
リーアは五つの石を順番に手に取り、方向を変えながら感覚を確かめていった。
「北東の方角で『強い動揺』、西で『軽い不安』、南で『穏やか』です」
この情報により、石詠み反応も評価基準に加えることができた。
しかし、フォスは依然として慎重だった。
「情報は必要ですが、人命の方が大切です。まずは安全な場所で探査の経験を積み、手順を確立してから、危険度の高い地域に挑戦すべきではないでしょうか」
エルバンも同調した。
「若い者の勇気は立派だが、無謀と勇敢は違う。失敗すれば、谷全体が危険にさらされる可能性もある」
一方で、調査班の若いメンバーたちは緊急性を訴えた。
「でも、現象は日に日に強くなっています。のんびりしている時間はないかもしれません」
「薬草の萎縮も進行しています。手遅れになる前に行動する必要があります」
価値観の対立が先鋭化する中、長老オルガンが仲裁に入った。
「どちらの考えも間違いではない。安全を重視するのも、迅速な行動を求めるのも、どちらもこの谷を思ってのことだ」
「では、どうすればいいでしょうか?」
私が問いかけると、オルガンは古い知恵を示した。
「古い諺に『急がば回れ』というものがある。目標は同じでも、そこに至る道筋は一つではない」
この言葉をヒントに、私は統合的な解決策を提案した。
「両方の視点を活かしましょう。段階的なアプローチで、安全性と迅速性の両立を図ります」
私は地図上に、三段階の探査ルートを描いた。
「第一段階では西側の安全な地域で探査手順を確立し、チームワークを構築します」
「第二段階で中程度のリスクがある東側森林部で、より詳細な調査技術を習得します」
「第三段階で、最も情報価値の高い北方向への本格的な探査を実施します」
この計画は多くの住民から支持を得た。
「各段階で得られた経験と情報を基に、次の段階の詳細計画を修正できるため、リスクを最小化できます」
「同時に、必要な情報は確実に収集できるため、効率性も保たれます」
フォスも納得した様子で頷いた。
「合理的なアプローチですね。測量作業でも、同じような段階的な手法を使います」
サナも賛成した。
「薬草採取でも、まず安全な場所で経験を積んでから、危険な地域に向かいます」
午後には、具体的な探査手順も詳細に決定された。
安全対策:
- 最小三人、最大五人でのチーム編成
- 出発前の健康確認と装備点検
- 定時連絡の実施(日時計による時刻管理)
- 緊急時の退避ルートの事前確認
- 異常を感じた場合の即座の撤退
収集情報:
- 地形の詳細(フォス担当)
- 植物の状態変化(サナ担当)
- 石詠み反応の空間分布(リーア担当)
- 可視光・音響現象の記録(全員)
- 人工的構造物の有無(全員)
記録方法:
- 時刻、位置、現象の詳細記録
- 簡単な地図とスケッチ
- 可能な場合のサンプル採取
- 感覚的印象の文字記録
これらの計画を立案する過程で、重要な組織的変化も生じていた。
「これまでの内政作業では、私がすべてを把握し指示していました」
私は住民たちを見回した。
「しかし外界探査では、現場での迅速な判断が生死を分けることがあります。現場チームには、相当な自主判断権を委譲する必要があります」
この提案に、住民たちは驚きと戸惑いを示した。
「つまり、カナデ様の指示を待たずに、私たちが独自に判断していいということですか?」
リーアの質問は、組織運営における根本的な変化を意味していた。
「その通りです。皆さんの専門性と判断力を信頼して、現場での決定権を委ねます」
「ただし、重要な決定については必ず他のメンバーと相談し、独断は避けてください」
フォスが責任の重さを感じている様子で言った。
「責任は重いですが、やりがいもあります。信頼してもらえるのは嬉しいことです」
サナも決意を示した。
「今まで以上に真剣に取り組みます。谷の安全がかかっていますから」
しかし、権限移譲には慎重な準備も必要だった。
「判断に迷った場合の基準を、事前に決めておきましょう」
私たちは、様々な状況に対する対応方針を具体的に検討した。
異常現象発見時:
- 安全な距離を保って観測
- 詳細記録を取った後、即座に帰還
- 接近や接触は禁止
危険な生物・構造物発見時:
- 即座に退避
- 位置と特徴を記録
- 谷への帰路で関係者に警告
チームメンバーの体調不良:
- 探査を即座に中止
- 安全な場所で休息
- 必要に応じて救援要請
道に迷った場合:
- 無理に進路を変更せず、来た道を引き返す
- 高い場所で方角を確認
- 日没前には必ず谷に向けて移動開始
これらの基準を確立することで、現場での混乱や判断ミスを最小化できるようになった。
夕方になると、翌日から始まる第一段階探査のチーム編成も決定された。
第一次探査チーム:
- リーア(石詠み観測)
- フォス(地形測量)
- サナ(植物調査)
- エルバン(安全管理・経験顧問)
- 私(総合調整)
「明日の朝、西側丘陵の第一地点に向かいます」
私は地図上の目標地点を示した。
「距離は徒歩で約二時間、現地での調査時間は四時間、帰還を含めて日没前には戻る計画です」
住民たちの表情に、不安と期待が入り混じっていた。
内政中心の安全な生活から、未知の外界へ向かう探査活動への転換は、この小さな共同体にとって歴史的な変化だった。しかし、変化を恐れて現状維持を続けていては、真の危険を見落とす可能性が高い。
「準備は整いました」
リーアが観測用具を確認しながら言った。
「石たちも、明日の探査を待っているような気がします」
フォスも測量道具を点検していた。
「詳細な地図ができれば、今後の探査がより安全になります」
サナは薬草採取用の道具と一緒に、医療用品も準備していた。
「何があっても対応できるようにしておきます」
集会が終わり、住民たちが帰路につく中、私は一人で地図を見つめていた。明日から始まる探査が、この谷の運命をどのように変えるかは分からない。しかし、未知の脅威に対して無防備でいることより、積極的に情報を収集して対策を講じる方が、遥かに賢明な選択だった。
夜空を見上げると、昨夜よりも明るい青白い光が北の方角に見えた。光は以前よりも規則的に明滅しており、まるで何かの信号のようにも見える。
明日の探査で、その光の正体に一歩でも近づくことができるだろうか。




